Facebook、Twitterなどの巨大帝国を向こうに回して、本当のソーシャルネットワークが作られるのはむしろこれからだ、と信ずる人たちがいる。そういう人の一人が作ったVeroは、人と人とのリアルな関係を重視しようとする。
ソーシャルメディアとしてのVeroでは、ユーザ同士がふつうに映画や音楽や写真などなどを共有できる。その点は、ふつうだ。ひと味違うのは、その共有をめぐるプライバシーのあり方だ。
ユーザに複雑でわかりづらいコントロールを与えるのではなく、Veroではコンテンツをさまざまなグループと共有できる…親しい友だち、ふつうの友だち、知人、などなど。彼らもコンテンツをポストでき、それを完全にプライベートに保(たも)てる。
協同ファウンダでCEOのAyman Haririは言う、“プライバシーを、分かりやすいものにしたかった。1000個のノブを調節しなくても、よいように”。
彼の話を聞いていると、初期のGoogle+を思い出す。そこでは、やはりユーザが、友だちや知人等々のさまざまな“サークル”とコネクションした。そのGoogle+は今や、Google本体の中で徐々に落ち目のようだ。
Haririは、Googleのサークルは複雑すぎた、と一蹴する。ユーザはサークルを無限に多く作れるから、しまいにはユーザは、巨大な迷いの中に放置されるのだ。しかも、それらのサークルのひとつひとつを、思い出すのも難行苦行になる。混乱は深まる。
Veroには共有のレベルが4つあるだけで、しかもそれらは“同心円”だ、とHaririは言う。外側の円ほど、プライバシーがゆるい。「ふつうの友だち」と共有したら、自動的に「親しい友だち」とも共有されるし、「知人」と共有したら「友だち全員」とも共有される。それらの関係は、Veroのスライダーにわかりやすく表示され、ユーザは一人一人のプライバシーのレベルを設定、あるいは調節できる。
こういうプライバシーのコントロールはかなり新しいが、機能はほかにもある。ユーザは好きなコンテンツのコレクションを作ってシェアできる。シェアしているとき、ボタンを押して特定の映画などをボタンで“こいつはいいよ”とリコメンドできる。またそのコンテンツを話題にしてチャットを開始できる。
モバイルのソーシャルネットワーキングアプリは、写真とかビデオとかメッセージングとか、特定のメディアに限定して成功しているものが多い。今ではFacebookすら、その路線だ。
Haririはその傾向に関して、“たしかにモバイル上では単純なのが好まれるけど、そんなことよりも、人間が求めているのは、そこに自分の気持がどうしても行ってしまう何かだ。日常、人間は単に、画像をシェアしたいと思っているわけではない”。
彼は、広告なしを維持したい、という意思も強調した。企業もこのネットワークに参加できるが、扱いは個人ユーザと何ら変わらない。企業のコンテンツも、ユーザが見たいと思えば見るだろう。マネタイズの方法としては、無料利用で1年経ったユーザに、何らかの有料サービスを勧誘したい、という。その具体案は、これからのようだ。