ナチュラルリンクを獲得する基本的な考え方


Googleは被リンクを評価しなくなったというデマ情報が出回ったことがあるが、決してそんなことはない。
被リンクはSEOにおける位置づけが低下しているという考え方もあるが、これもまた正しいとは言えない。

被リンクの重要性は全く変わっていない、あるいは逆に高まっているのかもしれない。
位置づけが低下したのは人工的な被リンクである。

2012年ぐらいまでは人工的にリンクをバンバンつければ、バンバン順位が上がったので、SEOと言えばほぼ人工リンクのことだったと言っても差し支えなかった。

なんだかんだといいつつも、コンバージョンが取れるビッグキーワードでの上位表示は、人工リンクによるSEOに占められていたわけだ。
(私自身の見解としては人工リンクはSEOではない。ユーザーにとって不必要なコンテンツが検索上位に表示させようと企てることは最適化の真逆だと思う)

現在は人工リンクでの上位表示が難しくなってきた。
とはいえ、被リンクの重要性が下がっているとは言えない。
今でもGoogleはコンテンツの重要性を判断するための最終的な決め手として、リンクの評価に頼らざるを得ない。
コンテンツの正当性を判断する術がないからである。
内部だけ判断しても、正しいかどうか判断しようがない。

タラバガニ1匹を殻ごとキッチンタイマーで叩いてつぶします。
つぶしたタラバガニを電子レンジに移します。
生クリーム200cc・卵2個・砂糖大さじ5・オリーブオイル300cc・パン粉100gを加え、
湯煎しながらトロリと角が立つまでよく混ぜます。
一口大に丸めて串に刺し40度の油で120分揚げます。
皿に盛って青のり、ハバネロソース、細かくちぎったキッチンペーパーをたっぷりふりかけて完成です。

Googleにはこんなデタラメなレシピの情報があったとしても、これがデタラメかどうかなど判断し得ない。
共起語などもたくさん含まれるので、それっぽくGoogleには映るだろう。

これは極端な例としても、内部だけでコンテンツの正当性を評価するのは不可能なのだ。

弱腰外交でナチスの勃興を助けてしまったネヴィル・チェンバレンの後を受けて、未曽有の国難の時にイギリスの首相になったウィンストン・チャーチルは、

「民主主義は最悪の政治形態であると言える。
ただし、これまで 試されてきたいかなる政治制度を除けば」

という有名な言葉を残している。

リンク評価はこれに非常に似ている。

「リンクは最悪のコンテンツ評価指標と言える。
ただし、これまで 試されてきたいかなる評価指標を除けば」

と言ってもいい。
Google登場前までは数多くの検索エンジンが存在し、内部要因だけでコンテンツを評価していた。
しかし、Googleが導入したリンク評価のアルゴリズムによって、ぼぼすべての検索エンジンは淘汰されるに至った。

確かにリンクはスパムの温床であるのだが、それよりもましな評価指標が存在しないのである。

当面リンクが重要であることは変わらないはずだ。

これまでは人工リンクでも容易に上がったので、天然リンクをわざわざ獲得する必要は低かった。
しかし、人工リンクでは上がりにくくなったり、リスクが増えた結果として天然リンクの価値の重要性はむしろ上がっているとも考えられる。

なので、被リンクは積極的に獲得しに行かねばならないと私は考えている。

どうやってリンクを獲得すればいいのか?
そのキーワードは、

「心を込める」

ことに尽きると思う。
言い換えてみよう。

「愛すること」

でもある。
他のブロガーの記事を読んで、

「面白かった、ためになった。」

といった、感嘆の念や感謝の気持ちがあれば、それを素直にソーシャルネットワークや自分のWebサイトに書く。
良質だと感じたコンテンツに対して、率直に心から感想を述べること。
このような文章は元々のコンテンツを作った人の心を動かす。

私のブログにも時々ピンバックが飛んでくるのだが、内容のいい悪いはともかく記事をよく読んだ上での感想や、補足などがあったりするととてもうれしく感じる。
本当にうれしいのである。

もちろんピンバックを受け入れて、こちらからもリンクするし、相手のブログも読みに行くし、そこに気になる記事があれば紹介したくもなる。
「にんげんだもの」
って相田みつをばりにそう思うわけだ(意味不明)。

逆に、記事について何の言及もなくただピンバックだけ飛ばしてくるようなサイトに対しては、好意を持つどころか逆にスパマーに対するいらだちを感じさせる。
これもまた「にんげんだもの」ってことである(なんのことやら・・・)。

心を動かすには愛がいる。

批判も同様だ。

上辺だけのでは心は動かせない。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だという。
相手に対して無関心であることは字面からでも伝わる。
無関心であるにも関わらず、リンクを求められることほどつまらないことはない。

良い記事を書く人を敬愛し、コメントやピンバックを送る。
拡散している記事だけど間違っていればそれをきちんと指摘する。

このようなことを繰り返すと、誰でも結果として品質の高いリンクを得ることができる。
手あたり次第ピンバックするのではなくて、自分が紹介する価値があると確信するWebサイトからだけリンクがもらえるのだ。

遠回りのようだが、被リンクは安全性が重要でリスクを考えれば100本のごみリンクより、良いサイトからの1本のなリンクが重要なのである。
良いサイトからの正当なリンクをもらうためには、他の人のサイトのコンテンツに敬愛の念を持ち紹介することだ。

人間には二つの耳があり、一つの口があるという。

他人の言うことを二つ聴くうちに、一つしゃべるぐらいがちょうどいいという比喩だ。
たくさん他の人のコンテンツを読み、良いと思ったコンテンツを紹介する。
自分が主張したいことよりも、他人の意見をたくさん読む。その結果として、

「これは本当に素晴らしいコンテンツだな、是非紹介したいな」

と思ったコンテンツを紹介する。これが被リンクの極意だと思うわけなのだ。