SEO人同士の関係について少々語ってみることにする


今回はものすごく小ネタである。
SEO人同士の人間関係について感じる種々のどうでもいいことについて語ってみたい。
何の役にも立たないので、興味がなければ時間の無駄なのでスルーを推奨である。

私はSEOをやっている人と話すのが大好きである。
まあ、それ以外の人と話すのも好きなんだが、SEO人と話すのは特に好きだ。
SEOを学び始めてから誰からも教わったことはないし、今後も多分そんなことはないだろう。

SEOは多くの人にとって苦悩の歴史であると思う。
順位が上がらないとか、壊滅的に下がったりとか、検索経由のアクセスが徐々に下がっていってついにはほぼゼロになったりとか・・・。自らの境遇をのろったり、悲嘆にくれたり・・・。まあそんな感じである。

そして苦しい時も誰も助けてくれない。

自分の周辺にいて、相談に乗ってくれる人がいればどれほど楽なことか。
たいていの人は誰かにSEOを教わりたかったはずである。
私なんかも、その昔SEOを始めたばかりの頃はSEOがうまくいっているサイトの構成などを真似していろいろやってみて、でも全然うまくいかず、

「なんでうまくいかないのじゃ!」

と地団太を踏んだことが幾度となくある。
今では真似てもうまくいかない理由っていうのは何となくわかる(全部がわかるとは言わないが)のだが、当時はわからなかった。

実は今でもSEOでわからないことはないわけではない。
っていうかわからないことの方がずっと多いって言ってもよい。
今でも悩むことは多々ある。
辻氏ぐらいのレベルに達することができれば悩まないのかもしれないが、その境地に達することは未来永劫無理そうなので、SEOをやめない限り悩みからは解放される日は来なさそうだ。

たいていは周辺に悩みを解決してくれる人がいないのが普通だろう。
SEOの専業の会社でもSEOを深く知っているコンサルタントは大勢いないだろうし。

SEOをやっている人と話をしてみたくなる。悩みを解決したいっていうのはあるのだが、

「ああ、それ・・・、むつかしいですよね」

って語り合うことがきっと救いなのだと思う。
同じ問題にぶつかって、苦闘しているいわば同士みたいな人たちと話をすることは慰めにもなるし、新たな勇気をもらうことでもある。

私は若いころ昔の文学作品を読んだ時に、この偉大な文学者も同じ問題に悩んでいたのか?ということを知って大いに感動したのである。悩んでいるのは自分だけではない、と知った時に時空を超えた過去の偉人と心がつながった気がしたものだ。解決策がそこになくてもいいのである。

SEOはこれに似ているって思う。
解決不能、あるいは解決困難な問題が多々あり、世界中のいたるところでSEO人がぶつかっている。
ある意味同じ悩みを持った同士のようなものだと思うのである。

これらの人々は古典の文学書と違って、今を生きていて時間を共有しているし、アルゴリズムの変化があったりすれば、

「あああ、それそれ!」

みたいな当事者としての意識を共有しているので、観客ではなく同一のフィールドでプレーしているプレーヤーみたいなある種の連帯感がある。

SEO業者はそれぞれが競合他社だと言えるのに、仲がよかったりするのはその辺に原因があるのではないか?と私は思っているのだがどう思われるだろうか?

でもSEO人には大きく分けて2つのグループというか、派閥のようなものがある。
この2つのグループは決して交わらない。

ホワイトハットとブラックハットではない。

SEOをやってきて力がある人でブラックハットに手を染めなかった人はまずいない。
だからホワイトハットかブラックハットか?はあまり大きな対立軸にならない。

ホワイトハットのSEOを推奨している人でも、実際に会って話をしてみるとブラックハットの話も大好きだったりとかするのがなかなか面白い。
まあ、今はブラックハットをやっていない、あるいはブラックハットはもうメインではやっていないってケースが多い。

では2つのグループは何かというと、Googleを究極において信用しているかいないかだ。

自分でブラックハットをやっていても、Googleを信じているグループはサテライトサイトは登録しなくても、重要なサイトはウェブマスターツールやGoogle Analyticsを導入している。
Googleを信じないグループはこれらを導入しないことを推奨している。

ここまで書けば、ある程度SEOをやってきた人であれば、どのSEO人はどっちのグループに属すのがわかるだろう。

この2つのグループ間には驚くほど交流がない。

2つのグループはPR戦略、ブランディング戦略にも大きな違いがあり、くっきりと別れる。

誰がどっちなの?どうPR戦略が違うの?それぞれのグループにおける力関係は?みたいなことを書くのは週刊誌的なネタとしては面白く、バズるのかもしれないが、止めておくことにするのである。
なんで止めておくのかというと、まあ、そこは大人の事情ってことで宜しいでしょうか?