スタートアップの不安、スタートアップの大志

リキャピタリゼーション。レイオフ。スローダウン。CEOの交代。予算カット。規模縮小。

この数カ月間で、スタートアップの大型エグジットがいくつも達成され、米国時間2月25日にはIntuit(インテュイット)が71億ドル(約7830億円)でCredit Karma(クレディット・カルマ)を買収するというフィンテック界の輝かしい瞬間も迎えたが、スタートアップの世界では厳しい状況が続いており、方々でレイオフが行われている。その中心はおそらくソフトバンク・ビジョン・ファンドのポートフォリオだが、それに留まるどころの騒ぎではない。評判も悪く、知名度もないスタートアップは、どんどんシャッターを下ろしている。しかも、2020年の投資家たちの心情を左右するであろう新型コロナウイルスのようなグローバルでマクロな懸念をそこに織り込む余地すらない。

スタートアップの世界は、少々停滞し始めている。可能性が消えそうだという感覚がある。作ろうと思ったものはみな、すでに作られていて、技術そのものは世間の冷たい目で監視され、イノベーションはままならない。

多分、すべて本当だろう。しかしやれることは、まだまだたくさん残ってる。

どの経済セクターも、今なお抜本的な立て直しを必要としている。医療はまだほとんどデジタル化されていない。パーソナル化も一切されておらず、根拠に基づく、またはデータに基づく医療もほとんど進んでいない。住宅やインフラの建設コストはうなぎ登りだが、エンドユーザーが受ける利益は実際にはほとんどない。学資ローンの債務危機に苦しむ人たちも大勢いるというのに、学校制度は100年前からほとんど変わっていないように見える。

気候変動によって地球がますます浸食される中、数十億の人たちがインターネットを利用して産業と知識の経済圏に加わるようになり、先進国と同じ利便性を求めている。地球上のすべての人たちに空調、住宅、交通、医療などなどさまざまなものを提供するには、どうしたらいいのか。私たちは、二酸化炭素排出量を削減しつつGDPを100倍にしなければならない。数十億の人たちが我々を頼りにしているのだ。

組織の中において、私たちはデザイン、データ、意志決定をうまく組み合わせて製品のイノベーションと成長を生み出す方法を、ようやく理解し始めたところだ。昨日、私は、同僚のJordan Crook(ジョーダン・クルック)の目を通して見たデザイン界の変遷に関する記事を読んで、プロタイピング用のツールについて記事を書いた。たしかに、ツールは良くなっている。だが、無数の人たちが努力することなくデザインできるようになったとしたら、どうなるだろう? または、無数の人たちがコーディング不要のプラットフォームをもっと広く利用するようになったら、何が起きるだろうか? 我々は何をすれば、そうした人たちの創造力を後押しできるだろうか?

デジタル製品での一般的な体験を考えてみるのもいい。スマートフォンは高速になった。そのカメラで撮影できる写真も高精細になった。それでいて、手に持ったときの質感は変わらぬままだ。だがそれは本当の意味で、さまざまな利便性をきれいに融合させているだろうか? 私は今でも、ファイルの同期、電子メールのチェック、カレンダーへのランチミーティングの予定のリンクを行い、指で前後にフリックするときに細かい見落としがないか気をつけている。毎日のソフトウェアの利用がすっかり日常化したことで、特に指導を受ける必要もなく現代の技術で簡単に行えることを、笑えるほど初歩的なツールでやっているという現実に気づかなくなっている。

データもしかり。ビジネス、娯楽、行政におけるデータ革命は、ようやく幼年期を迎えたあたりだ。データは、大企業の周囲には散乱しているようだが、それが意志決定に何らかの影響を与えるまでには、今日でもほとんどなっていない。データをもっと効率的に利用できるようになったら、何が起きるだろうか? 今の無骨なビジネスインテリジェンスツールよりも高速にデータを調査できたとしたら、どうだろう? データの最適な調査パターンを、地球上のあらゆる個人が利用できるようになったとしたら、どうだろう? ごく簡単な意志決定においてすら、最善のAIモデルを即座かつ簡単に作って解決できるようになったとしたら、どうだろう?

例を挙げればきりがない。特定の市場から、コミュニティーの中のダイナミクスまで、そして社会と企業、エンドユーザーと、エンドユーザーに提供される製品に至るまで、現状はイノベーションサイクルの終点からはほど遠い。数百もの自動車メーカーと関連企業が最終的に現在のひと握りの巨大メーカーに統合されてしまった100年前のデトロイトとは違う。やれることはまだたくさんある。FAANGだけで対応できる数ではない。

適切な集団の中でさえ、何をやるべきかを知ることと、何をやらなければならないかを知っていることとの違いが、広く重大に受け止められていないのが奇妙に思える。今日、取り組む価値のある解決されていない課題は山ほどある。それは何千万もの人々の生活を支えるばかりでなく、数十億ドル(数千億円)規模の経済そのものになる可能性をも秘めているのだ。

だから、私たちは気持ちを切り替えなければいけない。私たちは、失敗したスタートアップのこと、それが成し遂げられなかった大志のことをしっかりと憶えておかなければいけない。いつ間違いが発生したのかを認識し、その煽りを受けた人たちの気持ちを考える必要がある。この業界のネガティブなニュースに蓋をしてはいけない。無視すれば、同じ過ちを犯してしまう。

とはいえ、雪崩のように押し寄せるネガティブなニュースや批判的な分析結果に立ち向かうには、ポジティブな気持ちが不可欠だ。未来を、変革を、私たち全員にまだ残っているパワーを見据えて、今すぐ方向転換をしよう。やらなければならないことが山ほどある。まだ日は昇ったばかりだ。

画像クレジットFlashpop  / Getty Images

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(翻訳:金井哲夫)

社会保障制度のデジタル化が人権に与える影響に国連が警告

極度の貧困と人権に関する国連の特別報告者は、イギリスが、デジタル技術とデータツールを使って公共サービスの提供方法に関する国家規模の根本的な再構築を急いでいることに懸念を示し、本日(イギリス現地時間の11月16日)、デジタル社会保証制度が社会的弱者に与える影響は「計り知れない」と警告するステートメントを発表した。

特別報告者はまた、AIなどの技術を公共サービスの提供に利用することが、結果的に人々を傷つけることにならないよう、人権に基づく法的な枠組みを持つ、より厳格な法律を制定し施行することを求めた。

「政府の中で、この進展が生活保護手当給付制度よりも目立つようになった部分がいくつかある」と特別報告者Philip Alston教授は話している。「戦後のイギリスの社会保障制度は、ウェブページやアルゴリズムの影で次第に見えなくなり、そこにはデジタル社会保障制度が現れてきた。イギリスでもっとも弱い立場の人たちへの影響は計り知れない」

これは、よいタイミングの介入だった。今やイギリスの閣僚たちですら、デジタル技術を使って、窓口で料金を支払わずに済むイギリスの医療保健制度を改変しようと躍起になっているからだ。

Alstonのステートメントではまた、公的サービス提供の自動化(AI技術の積極的な導入)を推し進める姿勢には、不透明な部分があることも心配だと警告されている。

「イギリス政府による新技術の開発に関して、もっとも大きな問題は、不透明性だ。そうした自動化された政府システムの存在、目的、基本的な機能は、多くの部分に謎を残し、それらに対する誤解や不安を焚き付けている」と彼は書いている。さらに「そうした流れの中では、とくに、もっとも貧困な人たちや、もっとも弱い立場の人たちの人権が脅かされることが証明されている」

つまり、技術系巨大企業が無作法に破壊的な事業を強行するように、イギリスの政府機関も、きらびやかな新システムをブラックボックスで提供しようとしているのだ。そしてそれが、詳しい説明をできなくする理由にもなっている。

「自動化計画の情報公開を拡大すれば、商業的利益やAIコンサルタント会社との契約に、先入観による影響を与えてそまい、知的財産権は侵害され、個人に制度の抜け穴を与えることになると、中央政府機関も地方の政府機関も一様に主張する」とAlstonは書いている。「しかし、自動システムの開発と運用に関するより多くの知識を公開することが必要であることは明らかだ」

過激な社会再構築

彼によれば、2010年に整備された国内政策の「緊縮の尺度」の枠組みが誤解を招いたという。つまり、政府の意図はむしろ、国際金融危機を利用して、公共サービスの提供をデジタルに置き換え、社会を変えることにあると。

またはこうも指摘している。「証拠から示された結果として判明したのは、貧困に関連する政策の分野では、その推進力は経済ではなく、過激な社会再構築を進めたいという意欲にあった」

Alstonのイギリスでの調査は2週間にわたった。その間、彼はイギリス社会のさまざまな人たちに話を聞いている。それには、行政や市民団体による職業紹介所やフードバンクなどの施設、大臣から職員まで、どさまざまな階層の政府の人たち、さらには野党の政治家、市民団体の代表や現場で働く労働者なども含まれていた。

彼のステートメントには、イギリスの社会補償制度の全面的な見直しという批判の多い問題にも詳細に触れている。政府は、複数ある社会保障制度を「ユニバーサル・クレジット」と呼ばれるものに一本化する計画を進めている。とりわけ彼が注視したのは、「大いに議論の余地」がある「デフォルトがデジタル」というサービスの提供方法だ。なぜ、「もっとも弱い立場にいる人たちや、デジタルの知識を持たない人たちが、全国的なデジタル実験と思えるものに使われなければならないのか」

「ユニバーサル・クレジットは、大勢の人々の権利の行使を実質的に阻止する、デジタルの壁を作ってしまった」と彼は警告し、低所得者はデジタル機器の扱いに不慣れで、デジタルに関する知識も大変に乏しいと指摘している。そして、緊縮財政の対象とされているにも関わらず、市民が自分たちの命を支える役割まで担わされている現状を、詳しく述べている。

「現実には、こうしたデジタルの支援は公立図書館や市民団体に外注されいる」と彼は書いている。社会的に弱い立場にいる人たちにとって、光り輝くデジタル世界への入り口は、むしろファイヤーウォールになっているという。

「ユニバーサル・クレジットの権利を行使したいが、デジタル社会から排除されデジタルの知識を持たない人たちを救済する最前線に、公共図書館はある」と彼は言う。「国中の公共図書館の予算が大幅に削減されているが、それでも図書館員たちは、ユニバーサル・クレジットを求めて図書館に押しかけてくる大勢の人たちに対処しなければならない。オンラインの手続きでパニックに陥ることも少なくない」

さらにAlstonは、「デフォルトがデジタル」とは、実際には「デジタルのみに近い」と指摘している。政府が推奨しない電話相談などの別の手段では、「長い待ち時間」や「あまり訓練されていないスタッフ」による不愉快な対応に悩まされる。

自動化によるエラーに対処する人的コスト

彼のステートメントでは、自動化は大規模なエラーを引き起こす恐れがあることも強調されている。何人かの専門家や市民団体から聞いた話として、リアルタイム・インフォメーション(RTI)システムがユニバーサル・クレジットを支えている問題を挙げている。

RTIは、雇用主から歳入関税局に提出された給与のデータを取得し、それを雇用年金局と共有して月ごとの収入を自動的に計算している。しかし、給与データがに誤りがあったり提出が遅れた場合には、給付に影響が出る。Alstonによれば、政府は、請求者の訴えよりも、この自動システムの判断を優先させることを許している。

「コンピューターがダメと言っていますから」という対応は、すなわち、弱い立場の人たちの1カ月間の十分な食事と暖房が奪われることを意味する。

「雇用年金局によると、常時50名の職員が、月間数百万件にのぼる誤データのうちの2パーセントの処理にあたっている」と彼は書いている。「雇用年金局はそもそも、自動システムの判断を優先させる立場なので、請求者は適正な給付を受け取るまでに数週間も待たされることになる。システムが間違っていたという証拠を文書で示されても、そこは変わらない。昔ながらの給与明細も、コンピューターの情報と違っていたら無視されてしまう」という。

もうひとつ、自動化された社会保障システムの特徴として、「リスク対策の認証」などに関連して、請求者がリスクの高さによって分別される危険性について彼は論じている。

これには、「「リスクが高い」と判定された人たちが「その事実が判明していなくても、より厳しいセキュリティーと捜査の対象にされる」問題も含まれているとAlstonは言う。

「生活保護手当の請求者の推定無罪は、全面監視システムにより、悪いことをする可能性があると判断された時点で覆される」と彼は警告する。「自動システムの存在や仕組みが不透明なため、不服を訴えたり、実効性のある改善を求めても意味がない」

こうした彼の懸念を総合すると、自動化が政治的にも民主主義的にも良い結果を生み出すには、高いレベルの透明化を実現してシステムを評価できるようにする必要がある、ということになる。

倫理規範よりも法の支配を

「自動化を可能にする人工知能やその他の技術に、最初から人権や法の支配を揺るがす機能が備えられているわけではない。政府が意のままに政策を進める手段として、そうした技術を利用しているというのが本当だ。その結果は、良くもなれば悪くもなるのだが、自動システムの開発と運用が透明化されていなければ、その評価はできない。さらに、その分野での意思決定から市民を排除するなら、人工民主主義に基づく未来のためのステージを、私たちは提供することとなる」

「新技術の存在、目的、運用を、政府と国民との間で透明化しようという話し合いを重ね、技術がわかりやすく解説されるようになり、社会に与える影響が明確になるまでには、長い時間を要するだろう。新技術に、社会を良くする大きな可能性があることは確かだ。また、知識を高めれば、技術の限界を現実的に知ることができる。機械学習システムはチェスで人間を下せるだろうが、貧困といった複雑な社会の病を解決するまでには至っていない。

彼のステートメントは、現在イギリス政府が準備を進めているビッグデータとAIを管理する制度への懸念も示している。それは開発を導き、方向性を示すためのものだが、「倫理に大きく偏っている」と彼は指摘する。

「たしかに前向きな動きだが、倫理の枠組みの限界から目を離してはいけない」と彼は注意を促す。「たとえば公正さのよう倫理的概念は、定義とは相容れないものだ。法律で規定できる人権とは、性質が異なる。個人の権利が大幅に制限される恐れがある政府の自動化の推進は、倫理的規範だけでなく、法律によって縛るべきだ」

現行の法律を強化して、公共部門でのデジタル技術の使用を適正に制限することに対しても、Alstonはさらなる警鐘を鳴らしている。それは、公共部門のデータのためのプライバシーに関する法律の改正時に、政府が書き加えた権利に関する心配だ(今年の初めにTechCrunchが指摘した問題だ)。

それに関して、彼はこう書いている。「EUの一般データ保護規制には、自動化された意思決定に関する前途有望な条項(37)と、データ保護影響評価が含まれているが、2018年データ保護法では、政府のデータ利用と、政府によるデータ処理のための枠組みという図式の中でのデータの共有に関して、大きな迂回路ができてしまった」

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(翻訳:金井哲夫)

GEはどのようにしてKodakの運命を避け得たのか

1888年、ニューヨークのロチェスターでジョージ・イーストマンがKodakを創業した。そしてその4年後、200マイル離れたニューヨークのスケネクタディで、トーマス・エジソンとその仲間たちがGeneral Electric(GE)を創業した。この2つの19世紀大企業は、その後100年以上に渡って着実に業務を続けて来たが、GEがいまだに2500億ドルの時価総額を保っているのに対して、 Kodakの時価総額は4億6600万ドルと、かつての面影はない。ではGEはどのようにしてそのような運命に陥るのを避けたのだろうか。

今月初め、GEはニューヨークのニスカユナにあるGEグローバル研究センターの見学に、私を招待した。この研究センターはスケネクタディにエジソンが建設した工場のすぐ近くにある、実際、会社を設立してわずか8年後の1900年に、研究所を開設したのはエジソンとそのパートナーたちだった。おそらく同社の創業の父たちが、絶えることなく自分自身を変革する必要があることを理解していたのか、あるいはエジソン自身による実験への拘りの産物だろう。

どのような理由であろうとも、117年後の今日、研究所はニューヨーク州の美しい丘陵地帯に広がる広大なキャンパスとなり、2000人に及ぶ賢い人びとが、どのような形になるにせよ製造業の未来を見据えるために集められている。世界がデジタル化される一方で、物理的な領域にしっかり留まる基本的なものもある。例えば飛行機のエンジン、列車の機関車、原子力発電所、ガスタービンなどだ。

GEは、Kodakのように経済的基盤のほとんどがゆっくりと(そして最後は非常に速く)崩壊していくのを、指をくわえて眺めていたわけではない。GEは、もし自分自身を繰り返し再評価し続けなければ、Kodakと同様の運命になってしまうかもしれないということを、本質的に理解しているようだ。そのように同社は、過去125年の間に作り上げて来た巨大な工業製品が、データとデジタルに交わる未来を見据えているのだ。

デジタル世界への移行

世界はデータを中心にした大規模な移行の途上だ。もしそれを疑うなら、現代的データ駆動型組織の典型的な例としてTeslaを見てみよう。Teslaは車のビジネスに参加しているが、CEOのイーロン・マスクは最初の段階から、車から得られるデータと物理的な車両自体との間には切り離すことのできない関係があることを認識していた。Teslaがそれらのデータを収集するにつれて、同社はより良く、よりスマートで、より効率的な車を生産することが可能になる。そしてそのデータをさらに収集し、好循環を生み出すことができるようになるのだ。

GEも自身が製造し販売する産業機械とデータとの間に同様の認識をしている。センサーはよりスマートで安価になって行くので、マシンがどのように動作しているかについてデータが示すものから得られるものだけでなく、エンジニアリングとデザインの両方の観点から得られるマシンの詳細な理解に基づいて、新しいビジネスモデルを構築することができる。

GEグローバル研究所の副社長であるDanielle Merfeldは、GEの産業界に対する幅広い業績を示すために以下のように述べた。「現在GEは、世界中の様々な業界に対して、およそ2兆ドルに及ぶ資産を投入しています。このことで、(私たちの)成功に不可欠なシステムとプロセスに対する膨大なノウハウへアクセスすることが可能になります」。

Merfeldは、デジタルと物理を組み合わせれば、強力なことが起き得ると付け加えた。彼女は、そうした物理的資産が世界でどのように働いているのかに関する、会社の深い理解から全てが始まると語った。「私たちは物理的世界の上にただデジタルの層を重ねようとしているのではありません。そして私たちの物理的世界を、それに対するデジタルの解釈で置き換えようとしているのでもありません。そうではなくて、私たちがこれまでの経験から得ることができたり、専門性を持っていたりする個別部品の、単なる総和を上回るものを得るために、デジタルとフィジカル(物理的世界)を組み合わせようとしているのです」。

最先端を探る

GEグローバル研究センターに置かれたトーマス・エジソンの机。写真:Ron Miller、TechCrunch

GEと、ニューヨークに加えて世界中に4つの姉妹ラボがあるグローバル研究センターにとって、これは自身を大胆な実験の場として表現したものだ。それが意味するところは、最先端(edge)から沸き起こり始めた技術を見極め、その未来の技術をGEの工業製品に取り入れる手法に取り組むことを意味する。

同社の最も野心的なプロジェクトの一部は、その名もふさわしいEdge Lab(最先端ラボ)で行われている。Edge Labは今年1月に開所し、次々に登場する実験的テクノロジーに対する作業に取り組んでいる。彼らが現在取り組んでいるものには、拡張ならびに仮想現実、ロボットやブロックチェーンなども含まれる。

「Edge Labの目的は、技術を実現可能性の境界線上で探求し、何が可能かを示すことです」と語るのはEdge Labグロースリーダー(growth leader)のBen Vershuerenだ。彼によれば、彼らはそうした実験をGEのドメイン知識と組み合わせて、どのように会社のプロダクトセットに組み込むことができるかを見出そうとしている。

Edge Labは、限られた期間だけ継続するプロジェクトたちのために存在し活動するもので、個々のプロジェクトのメンバーは、それぞれの専門性を限られた期間(すなわちプロジェクトの生存期間)の間持ち寄って参加する。つまり、プロジェクトの変化に伴い、研究スタッフも時間とともに変化していくのだ。

「ミッションを発見してその目的を決めたら、そのミッションのための適切な技術専門家を見出し、ミッションが必要とするものを得ることができるまでLabで作業をしてもらいます。その後彼らは(GE内の元のポジションに)戻り、私たちはまた別のプログラムに移行します」とVershuerenは説明した。

大胆な実験

Edge Labのツアー中、そしてGEグローバル研究センターでの1日を通して、私はそうした実験のうちの幾つかを見ることができた。

そのうちの1つは、 Microsoftの複合現実ヘッドセットであるHoloLensを利用して、超音波装置によって正しい臓器の特定を訓練するものだった。人口過疎地では、そうした超音波装置を使うことのできる、訓練されたプロフェッショナルを見つけるのが困難だろうという考えと、拡張現実が訓練デバイスとして使うことができるだろうという考えに基づいている。

まず最初に、HoloLensを装着し、仮想的な超音波プローブを手に取って、指示された正しい臓器を特定するまで動かす。例えば、心臓と肝臓が提示され、肝臓を選択する必要があるとする。もし間違った場合には、間違ったものを選択したことがデバイスからフィードバックされる。

最終的には、HoloLensで仮想的トレーニング環境を提供しつつ、実際のプローブを用いるものと同程度のレベルのフィードバックを返すことをチームは目指している。GEが超音波装置を販売していることを思い出して欲しい、もしそれらを通常は売られていない地域に持ち込んで、特定の医学的バックグラウンドを持たない人間がそれを利用できるように訓練できるとしたら、GEは更に多くの装置を販売することができる。

また別のアイデアとして、ロボット、仮想現実、そしてストリーミングデータをミックスするものがあった。ここでは彼らは、海洋の真ん中にあるオイルリグや風力タービンのような危険な場所にロボットを設置することができるようにすることを考えている。保守のために、人間を荒波の海上に船で送る代わりに、人間は安全な岸からロボットを制御して、修理を指示するのだ。

それを使うにはまず、左右それぞれの手にコントローラーを握って、HTC Viveヘッドセット装着する。仮想世界に入ると、2つのコントローラーと一緒にロボットの表現を見ることができる。コントローラの1つがロボットの動きを制御します。コントローラーの1つはロボットの動きを制御する。もう1つは仮想iPadへのアクセスを提供し、そこから“Drive”、“Teleport”、そして“Arm”モードのツールを選ぶことができる。Driveを選ぶとロボットの動きを制御することができる。Teleportは仮想世界の中での動きを制御し、Armはロボットの腕を制御して修理を行ったり破片を拾ったり(あるいは必要のある他のことを何でも)することができる。

今回のツアー中に見たすべてのタスクとプログラムは、最終的にはこれらの高度なテクノロジーを使用して、GEがその大きな機械を使って物理的世界でやっていることを向上させたり、何故特定のテクノロジーがいまくいかないのか(少なくとも実験上では)を理解するといった目的を持っていた。

同社は、グローバル研究センターの力を結集し最新テクノロジーを継続的に調査することで、ロチェスターにある製造業の従兄弟(Kodak)の運命を回避したいと願っている。1つのことだけは明らかだ。彼らは座して破滅を待つようなことはしない。125年前にトーマス・エジソンが会社を設立したときにように、彼らは先を見続けて、最新のテクノロジーを評価し、次の偉大なアイデアを探し続けるだろう。

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(翻訳:Sako)

デバイス自体の重要性が低下するスマートな未来

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【編集部注】執筆者のTom Goodwinは、Havas Mediaにおける戦略・イノベーション部門のシニアバイスプレジデント。

スマートフォンがポケットの中に入っている今では、Thomas Watsonの「全世界でコンピューターは5台ほどしか売れない」という有名な発言を笑うのは簡単なことだ。しかし、彼の予測のズレが40億台ではなく、たった4台だったとしたらどうだろう?

2000年代初頭、私たちは高価なストレージ機器や遅い通信速度が普通の時代に生きていた。そんな中未来を予測しなければならない人は、将来的に全てのデバイスがこれまでに作られたものを全て記録できるくらい情報処理機器やストレージが安くなるのか、もしくは、全ての情報を遠隔地に保存できるほど、将来通信速度が高速化し情報を遠くまで届けられるようになるのか、というジレンマに陥っていた。

当時から見た「将来」では、どちらもほんの一部が現実となっており、ローカルとクラウドベースのストレージという妥協案に私たちは落ち着いた。

後述の通り、未だに両者の戦いは続いているものの、あえて言えば、デバイスよりもクラウドに軍配が上がりつつある。スマートフォンは明らかに今後も洗練されて行くだろうが、そのペースは加速しているとは全く言えないし、むしろスマートさは段々と、そのデバイス用に作られたソフトウェアや、実装されているプラットフォーム、もしくはGoogle NowやCortana、SiriといったAIへのインテリジェンスの全面的なアウトソース自体に依存するようになっている。

事実、私たちは驚くほどシンプルな機器が蔓延していることに気付かされる。Amazon EchoやGoogle Homeのようなデバイスは、実質的にマイクとスピーカー、低音を生み出す大きなチューブ、そしてクラウドへの接続性だけで構成されている。クラウド上に全てのスマートさが詰まっていて、そこで情報が処理されているのだ。自動運転車は、道路状況や最短経路などの情報にアクセスしながら、全ての判断をローカルで行うようになるだろうか?それとも、単にデータをどこか別の場所にある情報処理拠点に送信し、指示内容を受け取るだけになるのだろうか?ヒューマノイドロボットが登場しても同じ問題が浮上してくる。

実際のところ、恐らく私たちは電子機器の役目について考え直し、電子機器とうまく機能しあうシステムの観点から考えるはじめる必要があるだろう。携帯電話やソフトウェア、ハードウェアの最小単位で考えるよりも、複数のデバイスや、プログラム、パートナーシップを含めたシステムという観点で考える必要があるということだ。

この考え方の変遷についてよく理解するためには、それぞれ7、8年毎に起きた4段階の変化(アナログ機器の普及、デジタルへの収束、デジタルオプティマイゼーション、システム統合)に沿って、電子機器発展の歴史を振り返る必要がある。

アナログ機器の普及

20世紀末頃におきたメディアのデジタル化以前の電子機器は、今日のそれとは全く異なる姿をしていた。メディアは全てモノとして存在し、今とは何もかも違っていただけでなく、各メディアは記録されている物理的なデバイスに基づいた名前がつけられていたのだ。

私のiPodは、3つの音楽デバイスに取って代わったが、最終的にはスマートフォンの登場で捨てられてしまうこととなった。

1995年頃、私はテレビ、VHSビデオプレイヤー、ウォークマン、ディスクマン、コードレス電話、デスクトップPC、CDプレイヤー、オーディオ機器のほか、それ以外にもたくさんのデバイスを所有しており、毎年何か新しいテクノロジーや、新しいエンターテイメントの手段が生み出されていた。1997年にはMDプレイヤーが登場し、1998年にはレーザーディスク、2000年にはDVDプレイヤーが誕生した。この時代は、「デバイスの絶頂期」にあたる言える。一例として、レコード店ではそれぞれの物理的な形式に合わせて、同じアルバムを同時に数種類販売しなければならないことがよくあった。

デジタルへの収束

デジタル化がその全てを変え、物理的なメディアがシンプルになっていく一方の時代に入った。私のiPodは、3つの音楽デバイスに取って代わったが、最終的にはスマートフォンの登場で、膨大な音楽コレクションやその他の多数のアイテムと共に捨てられてしまうこととなった。

年配の人は、何でも捨ててしまう世代や、1000ドルもするスマートフォンの行き過ぎに愚痴をこぼすかもしれないが、無駄なものがない人生は、私たち自身にとっても環境にとってもよっぽど高い価値を持つ。今では、ゲームをするのにも、テレビを見るのにも、世界中を移動するのにも、何も「持つ」必要がないのはもちろん、所有する必要さえない。実家にある私のロンリープラネットのコレクションは、高価で場所をとるデジタル時代以前の遺物を垣間見ることができる数少ない存在だ。

スマートオプティマイゼーション

2000年代後半に、スマートフォンが、時計からゲームコンソールや懐中電灯まで全ての機能を果たすことができる、決定的な汎用パーソナルデバイスとしての地位を確立した途端、スマートフォン以外のデバイスは、消費者から見て説得力のある存在意義を求められるようになってしまった。その結果、それまでは機能向上がもう出来ないと思われていた、たくさんのデバイスの最適化が進められた。テレビの機能を向上させたGoogle ChromeCastのようなデバイスが誕生したのだ。他にも体重を測るとともに天気予報を教えてくれる体重計や、PhilipsのIoT照明Hue、SonosのサウンドバーPlaybarなどが登場した。全てのアイテムが、今日のわがままな消費者のニーズを満たすために作られた素晴らしい例だと言える。

しかし、未だに上手く機能していないシステムや、使用例が重複しているものが存在する。私は、家電製品の次の時代が、人々の考え方の変化から始まると考えている。これからは、私たちの住む世界に存在するデバイスが、あるシステムの中のノード(点)として機能していると考えなければならないのだ。

パーソナルデジタルシステム

TeslaやEchoの最も素晴らしい点のひとつが、これまで長い間当然と思われていた、物理的なものは時間と共に劣化するという原則を覆そうとしている点だ。ソフトウェアのおかげで、前日に置きっぱなしにしていたデバイスの機能が、翌日目覚めると、比べものにならないほど進化しているのだ。これは新しい考え方で、このような製品は、ソフトウェア、ハードウェアそしてパートナシップの全てを勘案してデザインされている。いくつかの企業は、ユーザーエクスペリエンスが、製品単体の快適さよりもシステムへのアクセスに依存していると遂に気づいたのだ。

私たちは、大手テック企業がつくりだすことのできる、商業的パートナシップの視点から物事を考える必要がある。

電子マネーの便利さは、それを受け入れる小売店にかかっている。ドアを開くことができるスマートウォッチから、モバイル搭乗券を受付けている航空会社まで、私たちは、大手テック企業がつくりだすことのできる、商業的パートナシップの視点から物事を考える必要がある。つまり、各デバイスを、独立した形ある存在としてではなく、あるクラブのメンバーになるための物理的な入会トークンや、アクセス権の所有証明として捉えなければならないのだ。

一方、デバイスを製造する企業も、デバイスそのものではなく、ユーザーが所属するクラブを生み出す企業として考え方を一新する必要がある。将来的にデバイスメーカーは、そのデバイスが何をできるかだけではなく、そのデバイスを所有することで何ができるか、所有者のクラブに属することでどのような気持ちになれるか?また、どんなユニークな機能を開発したかではなく、どんなユニークな経験をユーザーに提供しているか?という質問に答えなければならないのだ。

自動車メーカーでいえば、自動車の性能よりも所有者の経験を重視し、自社が自動車製造業界ではなくモビリティ業界にいるといった考え方に変えていく必要がある。デバイスの所有者は、どのように自分が持っているデバイス群が機能し合っているかや、各デバイスがどんなユニークな経験を提供しているか、現実世界とデバイスがどのように交流しているかなどの観点から、自分たちが利用しているシステムにとってプラスとなる情報を生み出していかなければならない。

携帯電話やスマートウォッチ、タブレットは、段々と現実世界と仮想世界をつなぐ、クラウド上にある私たちの生活のハブへのアクセスポイントとして機能しはじめている。つまり、デバイスが両方の世界における、私たちの移動、購入、決断といった行動を形作っているのだ。今こそこの業界にいる全ての人にとって、それぞれのデバイスがどうすれば素晴らしい製品になるかだけではなく、どうすればより簡単で、早くて、良い生活への素晴らしい入り口となるかということを考えるチャンスだ。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter)

人類初の火星着陸から40年。バイキング1号のアナログデータ復元を目指すNASAの科学者

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バイキング1号の着陸船が火星の地面に触れ、「赤い惑星」に初めて人類の軌跡が刻まれたあの瞬間から40年が経つ。着陸船からNASAに送られた前人未到の地のデータが記録されたのは当時の最新保存媒体―そう、マイクロフィルムである。そして今、このアナログデータを後世のため、そして科学のためにデジタル化しようと立ち上がった1人の科学者がいる。

「初めてそのマイクロフィルムをこの手に抱えたとき『信じられないような実験を行ったのに、残ったのはこれだけなんだ』と思ったのを覚えています」と、メリーランド州にあるゴダード宇宙飛行センターの記録庫に勤務する科学者であるDavid Williams氏はNASAのブログで述懐している。「もし、このフィルムに何かあれば、記録は永久に失われてしまいます」

靴箱いっぱいのフロッピーディスクについて同じ思いを抱いたことがある人も多いだろう。そして、おそらく「一刻も早くデジタルで保存しなければ」と直感したはずだ。

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彼のチームが着手したのはまさしくそれだった。マイクロフィルムリーダー(昔の図書館で使用されていたのを覚えている人もいるかもしれないが、良い思い出のある人は少ないだろう)を使って、1本1本デジタル化する作業である。

これは、単なる感傷的な思いに駆られた行動ではない。ほかの惑星への着陸ミッションは数に限りがあり、それによって得られたデータは永久的に重要な意味を持つからである。現に、Williams氏がこのマイクロフィルムを探したのは、ある仮説の検証のためにそこに記録されたデータを要求した生物学者がいたからにほかならない。

火星探査車キュリオシティや、計画中のMars 2020などの現在進行形のミッションでも、バイキング1号などのデータとの比較が必要になるだろう — 結局のところ、数十年間にわたる変化から、土壌中や大気中で進行している興味深い現象が判明するかもしれず、そこから生命体の存在(または欠如)などが推定できるかもしれないのだ。

「バイキングの着陸船の能力や搭載機器は、当時の技術としては最先端のものでした」と、同じくゴダード宇宙飛行センターの科学者であるDanny Glavin氏は言う。「バイキングのデータは、40年経った今でも活用されています。コミュニティがこのデータにアクセスできるようにすることで、50年後の科学者たちでもこのデータに立ち返って利用できるようにすることが大切なのです」

この古き良きアナログメディアをデジタル化するというプロセスに興味をもったため、筆者はNASAに詳細を問い合わせている。返答があり次第追加情報の更新を行いたい所存である。

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(翻訳:Nakabayashi)