これからのUI:耳か、手か、あるいは目か

Tin can phone on white background

【編集部注】著者のMichael EisenbergはAlephのパートナーである。

スマートウォッチが出て来る前でさえ、私は時計を着用していなかった。そのクールな要素にも関わらず、私はApple WatchもPebbleも買わなかった。iPhoneに関しては新機種が出て出荷が安定すると、すぐに機種変更をしている私なのにも関わらず。

腕時計を腕にしたときの感覚が好きになれない;いやそもそも私は腕時計の価値というものが分からないのだ。私の息子のように陸軍(G-Shockが推奨時計になっている)に属しているのでなければ、そこらじゅうの壁の上に時計がある(それはずっと昔からのことだ)。そして誰のポケットにも時間と日付を教えてくれる携帯電話が収まっている。

言うまでもなく、スマートウォッチ売上高の減少についての下のグラフは、私にとっては驚くことではない。

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革新的な新しいデバイスが普及しプラットフォームになるためには、これまでとは違う私たちの身体の部位もしくは感覚を活用する、新しいユーザーインターフェイスを開拓する必要があるのだろうと思う。

実際PCは、GUIとマウスを使うことで普及した。マウスとGUI以前の、Commodore 64のようなコンピューターを覚えているならば、コンピューターを実際に所有し利用する人は、ほんの一握りしかいなかったことを覚えているだろう。マウスが私の手を活用できるようにして、PCが普及したのだ。

次のプラットフォームだったスマートフォンは、タッチスクリーンを大々的に開拓した。指を使ったスワイプと、手を専有するマウスでは、体験も利便性にも大きな違いがある。これは新しい体験を可能にし、常にオンでかつ常に自分専用であるスマートフォンの性質が、次世代のプラットフォームを生み出した。

技術のそれぞれの新しいレベルや時代が、人間の地理的自由も拡大する。

AppleのiPodとそのクリックホイールは、指が別の部位でありマウスとは根本的に異なるUIであることを最初に示したものだ。タッチスクリーンはその技術革新の上に構築された。これに比べてみると、スマートウォッチも同じ指タッチ式スクリーンのインターフェースを備えている。これは、人間の新しい感覚をくすぐったり、異なる部位を使用するものではない。したがってそれは、新しいアプリケーションや、利用法や、最後にはプラットフォームを導き出す、十分な革新性を生み出さない。

さて、David Passig教授が(私よりも早く)指摘したように、考慮すべき別の次元が存在している — 技術のそれぞれの新しいレベルや時代が、人間の地理的自由も拡大するのだ。スマートフォンは確かにこれを実現した、今や私たちは外出先で全てを行うことができる;以前はインターネットが遠隔情報とサービスへのアクセスを通して同じことを実現していた;そしてそれ以前にはPCが地理的自由を拡大していた、仕事を終わらせるのに学校や会社に残っていなければならない必要性から解放したのだ。

これらの2つの次元のフレームワーク(新しい身体部位の活用と地理的自由の拡大)を組み合わせたところが、この先数年にわたる投資を望む、次世代のテクノロジーならびにコンピューティングとアプリケーションの分野だ。この先、情報革命の次世代のプラットフォームになろうと競い合う、2つのプラットフォームを見る際には、このフレームワークが有用だろうと考えている。

FacebookはOculusを買収した、基本的にはVRがコンピューティングのための次のプラットフォームになることに賭けたからだ。VRは確かに「視覚」という人間の他の感覚を活用している。それは異なるユーザインターフェイスを使っている、私の眼球とヘッドセット(おそらく私が見ているものを解釈する脳も)だ。しかし、私は今のところ(予見可能な将来も含めて)VRは2番目のテストに失敗していると思っている。それは人間の地理的自由を拡大するものではない。むしろ実際にはそれは制約をする方だ。これは実際にはある地点に留まっての経験であり、私の地理的自由を仮想的に拡大してくれているだけなのだ。仮想的自由は逃避である — それは実際の地理的自由ではない。

とはいえ、そのことは私たちに、どこに真の機会があるのかを指し示していると思っている:それは私のだ、そしてその延長線上の私の口だ。私はAmazonとAppleは、それぞれAlexaと無線AirPodsで、良いところに気が付いたのではないかと思っている。スマートフォンのタッチインターフェイス革命を生み出したAppleは、Bluetooth、センサー、無線チップ、そしてその他のスマートフォン・コンピューティングの基本に詰め込むことができることに気が付いた。Fireシリーズがあまりうまく行っていないAmazonは、世代を跳び越えて音声に移行することを決めた。

興味深いことに、Appleがそこ(音声)に辿り着くためにデバイスを手から耳に移動させている(と私が思っている)一方で、Amazonがそこに進んだ理由は、いまや買い物は常時オンの体験で、何か必要なものを発見したならば、即座にAlexaに対して私の口を使って命令させようとしているからだ(と私は思っている)。こうしてAlexaは、人間が冷蔵庫を埋めようと買い物をしている最中に口を使う際の仮想の役割を果たし、Appleは私のを解放するために私の人間のを使い、私の音を出す口を補助に使う。

AppleもAmazonも、どちらの方向から革新に近付くにせよ、どちらも他の部位をつかっている:私のだ。そして、コマンドまたはインタフェースとして音声を使用することにより、近接または長距離で、私たちは人間の自由に対して意味のある、また別の拡張を行うことができる。特に、それがハンズフリーインタフェースでもあるという事実を考えたときには。

を解放することによって、私たちにはまだ想像できない方法で、声、音、そして自由なを使うイノベーションを可能にできる。もしティーンエージャーのから携帯電話を取り上げたなら、人間の創意工夫をどれほど前に進めることができるかを想像して欲しい。

興味深いことに、音声についての同じ認識が、GoogleのPixel携帯電話の開発を導いているものと思われる。Googleが追っているのは実は携帯電話ではなく、音声駆動アシスタントの利用の推進、改善、そして拡大なのだ。私たちは複数の情報源から、今やInbox(Googleの開発した共同作業用メールアプリケーション)の返信の25パーセントはスマートリプライである話というを聞いたが、それは驚くべきことだ。これは、Googleが未来のインターフェイスのソフトウェアおよびネットワークレイヤーで優位に地位に立つことを確実にしようとする動きに合致する。それは、彼らの見解では、それは明らかに音声だ。

私は、音声および音声アプリケーションだけでなく、耳を使ったワイヤレスコンピューティングについてもとても期待している。私はそこには別の利点もあると考えている。の中の小さな画面から私たちを解放することで、現在の曲がったホモサピエンスの頭を、目の高さに戻すことになるだろう。そして、私たちはまたお互いに話し合うようになる — Alexaに対してだけではなく。

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(翻訳:Sako)