ポラロイドカメラの復活

The Impossible Project(インポッシブル・プロジェクト)が、ポラロイドの放棄されたインスタントフィルムを生かし続けることを宣言して10年以上経ったが、同プロジェクトはついにその困難な目標を成し遂げた。その生命を救おうとしたブランドを公式なものとして自身に取り込んだのだ。そしてその記念として、新しいカメラPolaroid Nowが登場した。

2つのブランドの統合は何年もかけて行われていて、実際インポッシブル・プロジェクトの製品はすでにポラロイドブランドとなっていた。しかし、今回のことでスタートアップもしくは写真の世界に存在していた奇妙な関係の1つが、満足できる形に落ち着いた。

私が最初にインポッシブル・プロジェクトについて書いたのは2009年の初めのことである(明らかにバイオニックコマンドーの加工スクリーンショットをトップ画像として使ったのは良いアイデアだった)、これは同プロジェクトがポラロイドインスタントフィルム製造資産の一部の買収を発表したことを受けてのものだった。

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当時のポラロイドは単なる器に過ぎなかった。1980年代以降衰退し2001年にはほとんど操業を停止していたポラロイドは、デジタルブランドとして再スタートし、フィルム販売は段階的に廃止されていた。この戦略は失敗し、ポラロイドは2008年には再び破産を申請していた。

だがこのときは、同社がフィルム工場を手放すと、オランダの起業家やポラロイドの専門家の一部が、そのリースをインポッシブル・プロジェクトとして引き継いだ。だが、機械は残されていたものの、有名なポラロイドインスタントフィルムのための特許やその他の知的財産は残されていなかった。そのため、彼らは基本的にプロセスをゼロから作り直す必要があり、初期の成果はかなり粗雑なものとなった。

しかし、富士フイルムのインスタックスより優れた品質は欲しいが、35mm一眼レフほどの品質は求めないフィルム愛好家たちや、継続的に成長を続けるポラロイドオーナーたちの情熱的なコミュニティに支えられてプロジェクトは頑張り続けた。やがてプロセスは成熟し、インポッシブルは新しいフィルムと物流パートナーを手に入れることができた。一方でポラロイドがそのブランドを特に写真とは関連しない様々な製品に使ったにもかかわらず、順調な成長が続いた。ポラロイドはレディ・ガガを「クリエイティブディレクター」として採用したが、CESで彼女が宣伝したデバイスが実現されることはなかった。

ガガは発表に大幅に遅刻したものの、そのGL30プロトタイプ(デジタルカメラ)には見るべき価値はあった。

2017年にインポッシブルのCEOが、ポラロイドのブランド名と知的財産を購入したおかげで、プロジェクトはようやく一人前となった。彼らはインポッシブルを「ポラロイドオリジナル」として再ローンチし、古いポラロイドに似た新しい「i-Type」フィルムプロセスを使うOneStep 2カメラをリリースした(高価なカートリッジバッテリーの利用は避けていた)。

一方、ポラロイドはその間も新製品をリリースし続けていた、おそらく買収前にブランドで契約または開発が進んでいたプロジェクトなのだろう。再ブランド初期段階のインスタントカメラより品質は向上していたものの、実際に成功した製品はなく、デジタルインスタントプリント(ポラロイドの最後の砦)は、実フィルムに対する郷愁の波(特にインスタックスミニ)に飲まれて、影を潜めていた。

しかし、ようやく合併が完了し、ポラロイド、ポラロイドオリジナル、そしてインポッシブルプロジェクトがついに1つのものとなった。すべてのデバイスとフィルムはポラロイドの名前でリリースされるが、i-Typeや新しいPolaroid Nowカメラなどの新しいサブブランドが生まれることになるだろう。

ところで、Polaroid Nowは完全に設計し直されたカメラではない。人気のPolaroid OneStepを踏襲し「より親しみやすい」再設計を施したものだが、改善されたオートフォーカス、フラッシュ調整ライトセンサー、改善されたバッテリーなどが追加されている。100ドル(約1万800円)という価格は、お財布にそれほど負担ではないが、フィルムには1枚あたり約2ドル(約216円)のコストがかかることを忘れないように。これが彼らのやり方だ。

傍目には長くて奇妙な旅だったが、最終的には満足のいくものになった。ポラロイドの歴代オーナーたちは、対象はなんであれそのブランド名を付けて売ることに熱心だったが、インポッシブルはインスタントフィルム写真の基本的な価値に賭けていた。リスクを伴う長期的な戦略が結局勝利を収めた(まあ多くの人たちがポラロイドブランドをいいようにこき使ってはきたが)。そして運に恵まれれば、この起源となったブランドは、成功を続けることができるだろう。

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(翻訳:sako)

ポルシェのEV最上位モデルは「Turbo」の名を獲得、価格は13万ドル以上

Porscheの来年発売予定の全電動スポーツカーTaycanには、少なくとも3種類のバリエーションがあり、全輪駆動車もそのひとつだ。しかし、Taycan Turbo——Porscheがシリーズ最上位車種に与える名称——こそが、同社の戦略を明らかにする。

各モデルの名前——ベースモデルがTaycan、全輪駆動モデルがTaycan 4S、そして高性能モデルがTaycan Turbo——と価格帯についてコラムニストのAlex Royが最初に報じた。しかしRoyは、”turbo” は内燃機関モデルに使用される用語だと指摘する。

[Porsche Taycon EVの高性能モデルは “Turbo” ブランドになるらしい。
内燃機関車(ICE)の用語を使うことで顧客をEVに乗り換えさせやすくなるからだ。]

Porscheの親会社であるVolkswagen Groupは、Taycanの開発に10億ドル以上投資すると約束した。Taycanとはおおまかに 「元気な若馬」という意味で、同社の象徴的エンブレムに因んでいる。

新しい電気自動車はTeslaにとって脅威だと(一部で)言われている。Teslaは現在高級電気自動車市場を支配している。Porsche初の全電動車への大規模な投資によって、ドイツの自動車メーカーは賢明にも、EVを所有したことのない人がほとんどの既存顧客ベースにとって馴染みのある名称を使用している。

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi / facebook

ブランドワールド:中央集権化するエンターテイメント

私はハリウッドの興行収入を眺めることが好きだ。なぜならそれらは文化的トレンドに関する確度の高い統計的ビューを提供してくれるからだ。たとえば読者は、今月初めて、週末に米国で上映されたトップ10のうち8本が続編だったことを知っているだろうか?あるいは、2018年の前半にリリースされた映画は400本を数えるものの、総売上の40%近くがそのうちのたったの4本からもたらされていて、しかもそれらは皆スーパーヒーローものの続編だったことは知っているだろうか?

こんなことになるとは想定されていなかった。10年前には、ビジュアルストーリーテリングは大衆化されると考えられていた:新しいカメラ、新しい編集システム、安価なストリーミング、そしてBitTorrentが組み合わされて、高価な時代遅れのインフラストラクチャをもつハリウッドを凌駕すると考えられていたのだ。世界に広がる天才的な独立系映画制作者たちが、こうした新世代のツールを使い、徐々にハリウッドのスタジオやプロデューサーたちを、ビジュアルで物語性の高い文化の担い手として置き換えて行くと思われていた。

ああ、しかし。そんなことにはならなかったのだ。その代わりに、エンターテイメントの独裁帝国に、YouTube、Amazon、そしてNetflixといった、いくつかの新しい門番が加わっただけだ。新しい映画監督の時代を迎えることも、独自の動きやストーリーを取り入れることもなく、エンターテイメント業界は全く反対方向の振る舞いで巨大な成功を収めた。続編に倍賭けし、ブランドとフランチャイズを、法人ライセンス、製作委員会方式、プロデューサー主導のブランドエンターテイメントなどの巨大な世界へと広げてきた。それらはしばしば、映画、テレビ、書籍、ビデオゲーム、そしてテーマパークなどへ横断的に関わっている。マーベル・シネマティック・ユニバース(テレビ化されたものも含む)、DCエクステンデッド・ユニバース、スター・ウォーズ、スター・トレック、ハリー・ポッター、そしてジュラッシック・ワールド。

こうしたものは、それ自体は悪いことではない。私自身もそうしたもののファンだ。しかしこう問いかけることには意味はあるだろう:なぜ私たちはかつて予見されていたような、多くの優れた映画監督たちの、中央に縛られない広がりを目にするようにならなかったのだろう?そして、こうしたブランドワールド(ある世界観を中心に構成された世界)の圧勝が、長期的にポップカルチャーの草の根と次世代に与える影響はどのようなものだろうか?

最初の問いかけには2つの答えがある:コストと時間だ。映画やテレビの撮影や編集は以前よりもずっと容易になったが、セット、場所、俳優、そして脚本などは、どれも高価で簡単なものではない。優れたアマチュアの作品でも、プロフェッショナルの作品にはまだ遠く及ばない。そして確かに、TwitchやYouTubeのような興味深い新しいストーリーテリングの手段は存在しているものの、そのコンテンツが物語性のあるフィクションであることは滅多にない。そして暗黙的に(時には明示的に)何が人気があるものかを決めているゲートキーパーたちであるTwitchやYouTubeを通して、配信も収益化も行われている状態だ。

しかし、より重要なのは、生産手段を大衆化しても需要は増加しないということだ。テレビ番組の数を10倍に増やしても、(アクセスすることはもちろん可能だが)テレビを見る人が視聴に使える時間が、10倍に増える訳ではない。かつて、アクセス可能なマーケットが十分に大きく成長すれば、ニッチな聴衆から沢山のお金を稼ぐことができるという「ロングテール」理論が流行した。これは本質的には、聴衆の需要は「シンテール」ではなくて「ファットテール」(すなわち平均値からかけ離れた事象が、正規分布から予想される確率よりも頻繁に発生する)だという数学的な主張だった。

しかし、実際にはエンターテインメントに対する需要は、とてもシンテール(お馴染みのものに集中する)だったようだ。私たちの持つオプションが、増えれば増えるほど、すでに自分たちが知っている世界で、すでに知っているキャラクターがさらに求められているようにみえる。これは理にかなってはいる。新しい世界と新しいキャストに取り組むには多くの労力が必要だが、それが労力に値するものになるのかどうかには保証がないからだ。しかし結果として、ブランドワールドは徐々に広大なオープン世界のビデオゲームのように感じられるようになってきた。「メインストーリー」に付随した、サイドストーリー(ローグ・ワンやアントマン&ワスプなど)さえ生み出され、無限に新しいダウンロード可能コンテンツが生み出されているように見える。

私はまた、多くのチャプターに分かれ、多くのキャラクターで構成されている世界は、かつてよりもはるかに実現可能になっているのだろうと想像している。何故なら私たちはそうしたものたちに、より緊密にコネクトされているからだ。例えばインフィニティ・ウォー(アベンジャーズ)以前のマーベル映画を見逃しただろうか?まあ、その場合はいくつかの有名で重要なシーンを、映画全体をレンタルして観ることなしに、YouTube上で15分もあればチェックすることができる。あるテレビ番組の最新エピソードを見逃したりはしていないだろうか、またはただ単にその番組の結論を知りたくはないだろうか?十分な文化的反響があれば、VultureAVClub(どちらも米国のテレビや映画の話題が集まるサイト)が、おそらくCliff’s Notes(様々なテーマを簡単にパンフレット形式でまとめた情報サイト)として使えるような要点を投稿してくれることだろう。その気になればいつでも、映画館に飛び込んだり、真剣なビデオの一気見などの方法で、好きなブランドワールドに足を踏み入れることができる。

その他の興味深い疑問は:ブランドワールドの優位性が高まることが、次世代の作家、監督、プロデューサーたちにとって、どのような意味を持つのかということだ。明らかにプロデューサーたちは、これまでのように、作品を続編につなげて、続編をフランチャイズ化(世界観を基に様々な商業展開を行う)しようとしている。だが彼らはいまや新しいゴールを手に入れた。フランチャイズ化をブランドワールドの究極の目標にしようとしているのだ(ゲーム・オブ・スローンズ、ハンガー・ゲーム、ウェストワールドはその明らかな候補だが、それぞれは独自のハードルに直面している)。

明らかに作家と監督は、成功する可能性が最も高いものを創造したいと思うインセンティブを与えられる。だからといって、独立した1回限りの作品が排除されてしまうというわけではない。私たちはホラー分野(数々の名監督を輩出している)が、毎年「ゲット・アウト」や「クワイエット・プレイス」のような驚くべきヒットを生み出してきたことを知っている。しかし、それはクリエイターたちが物語と同時に世界設定にも焦点を当てることを意味し、ファン・フィクション(二次創作など)を多く生み出しやすくするだろう。結局、ブランドワールド内で書かれるものは、単にお金が払われるファン・フィクションなのだ(中国の急成長する市場でうまくいくかもしれないストーリーへの、インセンティブが与えられるクリエイターたちもいるだろう。だがその話はまた別の記事で)。

これもまた、何も本質的に悪いことはない。だが私が少し心配しているのは、ブランドワールドの数が増えるにつれて、需要が細り始めてしまう位に、エンターテイメントへの需要はシンテールなのではないかということだ。また1つのブランドワールドが大きくなり過ぎてしまうと、必ずしも成功し続けれられるとは限らないということは明らかだ(エイジ・オブ・ウルトロン(アベンジャーズ)、バットマンvsスーパーマン、失敗したスター・トレック映画、そしてソロ(スター・ウォーズ)などを思い浮かべてみよう)。ゲット・アウトのような、少々毛色の違うヒットは、受け入れ可能な程度に全体的な打率が高いので、資金を集めることができる。だが、もしブランドワールドが大衆のマインドシェアを取って、オリジナルな作品の打率がその制作費に届かないようになってしまったら、私たちはますますオリジナル作品を目にする機会を失ってしまうだろう。

そんなことが起きるだろうか?私にはわからない。しかしそうなっているかどうかを知るための良い方法は、数年後に週末興行収入を眺めて、トップ10のうち9つまでが続編かどうかをチェックすることだ。数字を見よう。それらは滅多に裏切ることはない。

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(翻訳:sako)