存在教育エラー:学生のソフトウエア教育に失敗しました

[著者:Ryan Craig]
University Venturesのマネージング・ディレクター。

ほとんどのデジタル革命のきっかけとなった画期的な発明は、ゼウスの額からアテナが生まれたように、アメリカの大学の研究室から、直接、飛び出してきたものだが、学校の側からすると、アメリカの高等教育は、これまでずっとのんびりした態度でやってきた。もちろん、コンピューター・サイエンスの講義はたくさんあり、何百万人という学生がインターネットを通じて受講している。MITなどは、AIのための新しい単科大学を10億ドル(約1125億5000万円)をかけて設立した。しかし、25年から50年ほど前の人間がタイムトラベルして今の大学を訪れたとしたら、環境はあまり変わっていないように感じるだろう。ただ学生が、人と目を合わせたがらず、デジタルデバイスの画面を見つめている点が違うぐらいだ。

こうした昔ながらの大学の姿は、変革を経験した職場から訪れた人には、さらに驚きだろう。10年前まではデジタルデバイスをまったく、あるいはほとんど使わなかった職場も、学生がスマートフォンの画面を食い入るように見つめるように、コンピューターの操作ができる人間を血眼で探している。紙の書類で行われていた仕事は、今は完全にデジタル化されている。仕事に関わる機能を持つ業界固有のビジネス・ソフトウエアの使用経験は、簡単な職種であっても、今や業務経歴書には必須項目だ。

このことは、数週間前に250名の大学関係者の前で講演を行った際に、彼らの急所を突いた。私は、アメリカのビジネス業界でナンバーワンのSaaSプラットフォームSalesforceの使い方を授業で教えている大学はどれほどあるか尋ねてみた。

誰も手を挙げなかった。

理由はいくつかある。学生が最初に就いた仕事で、しっかりと働き成功できるように必要な技術を身に着けさせることに全力を傾けている(または少しでも真剣になっている)教師が、まったくとは言わないが、ごく僅かしかいないことも考えられる。学生が就職できなくとも、彼らはクビにはならない(今のところは)。もうひとつは、コストの問題だ。そうしたスキルを持つ学生を強く望む声が企業から伝えられていても、それを教える能力を持つ教師を探して雇うぐらいなら、役に立たない科目を教えていたほうが安上がりなのだ。さらに、技術の変化が激しいという理由もある。どんなに一生懸命に教えても、数年後には時代遅れになっているという観念がある(もちろん、現実のビジネス・ソフトウエアの世界はまったく違う。Salesforceのような基本的なプラットフォームの寿命は長く、10年を超えてもいまだ現役だ。なかには一世代続くと予想されるプラットフォームもある)。

しかし、大学が学生たちに、就職に必要なソフトウエアの使い方を教えたがらないいちばんの理由は、ミレニアル世代(Z世代)は「デジタル・ネイティブ」(生来のデジタル人間)なので教える必要がないと、彼らが思い込んでいることだ。

デジタル・ネイティブという考え方は、今に始まったものではない。何十年もの間、デジタル技術と共に育った子どもたちは、あらゆるデジタル製品を受け入れることができると思われてきた。たしかに、大学生たちはNetflixやSpotifyやスマートフォンを使いこなしているのは事実だ。しかし、彼らが子どものころから親しんできたスマートフォンは、会社の電話のとり方や、就職に欠かせないビジネス・ソフトウエアの使い方は、これっぽっちも教えてくれていないことも事実だ。

デジタル・ネイティブにとっても
ビジネス・ソフトウエアは
非常に厄介な代物だ

高等教育機関と連携してビジネス・ソフトウエアのトレーニングを提供するスタートアップPathstreamの共同創設者Eleanor Cooperは、こう話している。ミレニアル世代とZ世代は「直感的に操作できて、すぐに満足できる結果を与えてくれるInstagramのようなプラットフォームは使い慣れていますが、ビジネス・ソフトウエアを習得するといいう体験は、例外なく、まったく逆です。たちまちイライラして、満足できる結果はなかなか得られません。まずは何時間もかけて技術的なステップを踏み、ソフトウエアのセットアップを行います。その後でようやく、悪夢のようにボタンを押しまくる操作の段階に入ります。今時のソフトウエアからすれば、よくて退屈、悪くすれば時代遅れで不確かな代物です」

先月のThe New Yorkerの記事『Why Doctors Hate Their Computers』(なぜ医師はコンピューターを嫌うのか)で、Atul Gawande博士は、患者のケア、つまり「診察所見の記録や閲覧、処方箋の薬局への送付、検査とスキャンの予約、結果の評価、手術の予定、保険請求書の送付」などを行うためのSaaSプラットフォームEpicの導入を試みたときの話をしている。

最初に16時間のトレーニングを受ける必要があった。Gawandeは「患者の氏名を探したり、緊急連絡をしたりといった最初の練習ではよくできました。しかし、検査の結果を評価する段になると、頭が混乱してきました。画面の左側には13個のタブの欄があり、ほとんど同じ言葉が書かれていました。チャート評価、結果評価、評価フローシートなどです。どうやって情報を入力するか、まだ何も教わっていません。しかも、それぞれのタブで開くフィールドには固有のツールがあり、微妙に雰囲気も違います」

デジタル・ネイティブにとっても、ビジネス・ソフトウエアは非常に厄介な代物だ。今の学生たちはシンプルなインターフェイスに慣れている。しかし、シンプルなインターフェイスが使えるのは、メッセージや動画を選ぶといった、シンプルな機能しかない場合のみだ。現在主流のビジネス・ソフトウエア・プラットフォームは、単機能ではない。何千とまでは行かなくても、何百もの機能がある。

Gawandeは、IBMのエンジニアFrederick Brooksの著書『The Mythical Man-Month』(邦題『人月の神話』丸善出版)を引き合いに出している。この本には、ダーウィンの進化論になぞらえて、クールで簡単に使える(「数人のナードが友人のナードのために」作った限られた機能を持つ)プログラムから、より多くの機能をより多くの人に提供する大きな「製品」としてのプログラムへ、そして「まったくクールじゃないプログラム・システム」に進化する様子が説明されている。Gawandeは、大学院の学生が小さなスケールの流体力学をシミュレーションするためのプログラムFluidityの例をあげていた。研究者たちはそれを大変に気に入った。そしてすぐに新機能のためのコードを追加した。するとそのソフトウエアは複雑になり、使いづらくなり、制約の多いものになってしまった。

煩雑なインターフェイスの他に、ビジネス・ソフトウエアが本当に難しいもうひとつの理由は、ビジネスの商習慣に固められて、がんじがらめになってしまった点だ。Salesforceのコンサルタントはこう言うだろう。Salesforceのカスタマイズを試みる(または設定を変える)ぐらいなら、会社の商習慣をSalesforceに合わせたほうがずっと簡単ですよと。それは、すべてのビジネス・ソフトウエアに言えることだ。Gawandeが指摘するように、「多くの人に適応し、多くの機能を提供しようとするほど、プログラムは自然に制限が多くなります。ソフトウエア・システムは、私たちがグループとして使うことを想定しており、そのために否応なく、官僚的な性質になるのです」

デジタル・ネイティブの伝説は
大学にとっては便利なものだ
それが学生が本当に
必要としているものではなく
学校が教えたいことだけ
教えていればよいとするための
言い訳になるからだ

ソフトウエアに規定された商習慣は、職務全体、業界全体にわたり標準化されつつあり、非常によく知られるようになっている。よく知られるようになったので、人事担当は、それを知っている人材を欲しがる。そうなると、大学はソフトウエア教育だけの話ではなくなる。学生にビジネス・ソフトウエアを教えるということは、当然のこととして、業界および職務の専門性も備えさせることになる。それには、16時間の訓練などでは、まったくおぼつかない。

「仕事用のシステムが、なぜスマートフォンのように、柔軟で、簡単で、カスタマイズができるようにならないのでしょうか? その答は、これらのシステムの目的が異なるからです」とGawandeは話す。「一般消費者向けの技術は、自分のためだけのものです。複雑な企業向けの技術は、自分一人では難しい仕事をグループで行うことを支援するもの、つまり、連携のためのものです」

デジタル・ネイティブの伝説は、大学にとっては便利なものだ。それが、学生が本当に必要としているものではなく、学校が教えたいことだけ教えていればよいとするための言い訳になるからだ。しかし、それは自己中心的で、浅はかで、愚かなことだ。Netflixやスマートフォンがテクノロジーなのだと思ってしまわずに、外の世界に出て、自分の大学の入学審査や財務や人事といった職務に使われているソフトウエアを見て欲しい。大学卒業生の95パーセントは、そうした職場からキャリアを積むことになる。教職員ラウンジのような場所ではない。それも、幸運な学生の話だ。それ以外の卒業生は、スターバックスのような場所からスタートすることになる。

Gawandeは、その記事の中で、ビジネス・ソフトウエア・プラットフォームに順応して働く(そして生きる)には大変な苦労を重ねる必要があるが、ソフトウエアは、世界を食い尽くそうとしていると書いている。それが消費者にとって、よい結果をもたらすという。Epicを導入すれば、病院は、3カ月以上オピオイドを使用している患者を探し出して、その人の過量摂取の危険性を減らすことができる。または、ホームレスの患者の結核の検査が3回続けて陰性だったとき、隔離の必要はないと伝えることができる。「私たちはこれを、私たちのためのシステムであり、またそうではないと考えています」と話すのは、医療システムの最高医療責任者だ。「これは患者のためなのです」

この恩恵は、大学が新しい教育プログラムができたと大喜びして入学者数を増やすことになったデータ解析革命がもたらした恩恵と同質のものだ。しかし、よりよい成果を得るために追加されるデータは、まずキャプチャーしなければならない。それを行うのが、複雑なビジネス・ソフトウエアだ。だから、自分で種を撒かずにビッグデータの果実だけを収穫しようとする大学の考え方はズルくて、少くとも偽善的だ。種を撒くためには、ビッグデータを活用できるソフトウエアの扱いに欠かせない技術とビジネスの実践的知識を学生たちに植え付けることが肝心であり、それには、大胆な投資が自ずと必要になる。

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(翻訳:金井哲夫)