ブログを 『遺産』 として相続する時代が来るかもしれない?

その 『ブログ』 に、月々ウン十万稼げる能力があるとすれば、それはもう 『資産』 であり、ひいては 『遺産』 になるのではないか? これは、ブログを引き継ぐ可能性のある最初の世代として、ただのお遊び程度の読み物として書い...

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コンテンツという観点から見たコメント欄の必要性について

「ブログにコメント欄は必要か否か?」不定期に、しかし度々話題に挙がるこの疑問に私なりの終止符を打ったのでここに纏めておきたいと思います。

今回は『コメント欄』というものをひとつの『コンテンツ』として見た前提でのお話になります。

貰って嬉しいコメント

コメント、それは貰って嬉しいユーザーからのダイレクトな反応です。
ブログのモチベーションが最も上がる瞬間がコメントを貰った時、という方も少なくないのではないでしょうか?

それは私も例外でなく、コメントを貰った時は小躍りしながらコメント欄を読みに行きます。
しかし、そんなコメント欄を私は外してしまおうと考えています。

それは何故か?

コメント欄の必要性が薄れた理由

理由はふたつあります。

  • コメントって付かないよね
  • コメント書き込むよりもSNS使うよね

というシンプルなものです。

コメントって付かないよね

これに関しては「お前のブログが面白くないだけちゃうんか!?」という可能性を考慮に入れても、やっぱりブログのコメントっていうのはつきにくいと思っています。
理由は色々あると思いますが、後述するSNSの充実や、ブログ管理人とユーザーという非常にクローズドなコミュニケーションであるというのが大きいのかな…と考えています。

実際この記事を書く前に月に100万PVを超えるようなブログを見て回ったのですが、コメント欄が賑わっている事は稀という印象です。
また、コメントがついていても、後述する『コメントの質』の観点から有益なコンテンツとは成り得ていないものが殆どでした。幾つかブログを周ってみて正直な感想を言えば、記事の良し悪しとか関係なく、中の人が女性の場合はコメントが沢山付くよね…という事です。気持ちはわかります。

コメントよりSNSへ拡散

これは私のブログやフリーランスの経験、あとは日々のインターネットからの所感ですが、ブログの記事っていうのは今の時代、コメントよりもSNSへ拡散される事が圧倒的に多いと感じています。それが悪い方へ働くと、所謂『炎上』になりますよね。

ブログにコメントはついていないけど、TwitterやFacebookで急激に拡散されている記事というのは非常に多く見かけます。

この現象についてもユーザーの心理とか色々考えられるところはありますが、要はSNSへの拡散のほうが『手軽』だっていう事ではないでしょうか。SNSへシェアした人その人自身が情報の発信源になって、反応が返ってくるっていうのも面白いでしょうしね。

コメント欄の設置してあるメリット

そんな現状を踏まえて、じゃあコメント欄があるメリットってなんだろう?って考えてみました。

  • 意見や感想を貰える
  • ユーザーと交流を図れる
  • オープンな姿勢をアピールできる
  • コメントによる軽微なSEO効果

五分くらい考えて、私がぱっと思い付いたのはこのくらいしかありませんでした。
これらはそれぞれ、あまり有益な理由には成り得ない…というのが私の考えです。要は、あんまりメリットらしいメリットが無いとすら言えます。少なくとも私にとっては。

コメント欄の設置してあるデメリット

では逆に、コメント欄が設置してある事で生まれるデメリットについて考えてみましょう。

  • コメントが付かなくてちょっぴり寂しい
  • 閑散としたコメント欄は見た目に虚しい
  • スパムコメントの削除の手間
  • コメント内容の精査と管理

メリットらしいメリットが見当たらなかった前項と異なり、デメリットは大きいです。特にスパムコメントの削除の手間やコメント内容の精査などの管理は、有難いことにコメントが増えれば増えるほど時間がかかるようになってきます。

スパムコメントに関しては放置する事でGoogleにペナルティを受けて検索順位がガタ落ちする、という前例があるのである程度の手作業は必要ですし、コメント内容に関しても不特定多数の人が見て不快にならないように内容を精査するのは必須だと考えているので、これもコメント数に比例して時間がかかるようになってきます。
きちんと返信をする事も目指すのであれば、なおさらです。

しかも、折角頂いたコメントも、この記事の本題となる『コンテンツの観点』から見るとその多くは『無益なコメント』に分類される事がとても多いのが現実ではないかと私は考えています。

コメントの有益性という観点

「コメントを頂いて嬉しい、有難い」という感情的な側面はまた別として、コメントをひとつの『コンテンツ』として見た場合、その内容は有益なものか無益な(あるいは微益な)ものかにどうしても別れてしまいます。これは、楽しんで、愛情を注いで書いた記事であってもSEOの観点から見ると効果的か非効果的か、という話と似ています。

有益なコメント

有益なコメントとは、要するに『具体性を帯びているコメント』です。

極端な事を言えば、炎上時や反論などを真っ向に否定するコメントであっても、それが具体性を帯びていれば記事を書いた側としては得るものがあり、それを今後の参考や改善点として意識する事が出来るようになります。
記事の内容が間違っている、その考えは自分とは合わない、内容が浅いなどなど、その感想を「なぜ」持ったのか、では「どうすれば」より良くなると思うのか。そういったコメントはひとつの意見として参考になる価値のあるものです。

しかし、こういうコメントが付いているのはあまり目にする機会がないように思います。

無益なコメント

それに対して無益なコメントとは、『具体性を帯びていないコメント』です。

例えば、この記事を見て「この考えはねーわー」とか「文章下手すぎw」と言った類のコメントが付いたとすれば、それは無益なコメントです。あと、私も涙ぐみます。(幸いにも、そういう辛辣なコメントを頂いた事はないです!例です。)

「ねーわー」
それを聞かされて私は何をすれば良いのか。それこそ、ねーわーです。

「文章が下手すぎる」
となると、どうすればもう少しマシな文章が書けると思いますか?

そこまで求めるのは甘えすぎかも知れませんが、ここは私のブログの私のコメント欄です。対して、上記の例のようなコメントは端的に言えば記事を読んだ人の只の感想です。

それは内容がポジティブなものであっても同じです。
「良いね!」それ自体は喜びをもたらしてくれますが、コンテンツとして見た場合、またそのコメントを他のユーザーが見て何か得るものがあるか?と問われると答えはおおよそひとつでしょう。

感想はSNSへ流してもらう

つまり、これらの『感想(無益なコメント)』はブログに残しておく必要のない情報という事になるのではないでしょうか。しっかりと内容を計算して作りこまれたコンテンツであればあるほど、コメント欄に無益なコメントがたまる事によって『コンテンツ』としての価値は下がっていきます。

では、どうするのか?完全にコメント欄を閉じて、クローズドなコンテンツにしてしまうのか?
それを解決してくれるのが、発達したSNSではないかと私は考えています。

今の日本はFacebookやTwitterなどのSNSへの参加率が非常に高いですし、多くのブログやWebサイトはSNSへのシェアを促す仕掛けを沢山取り入れています。また、ユーザー自身が気になった情報をすぐにSNSへのへ流すエクステンションなども充実しており、その敷居の低さはコメント欄の比ではありません。

実際問題、コメントを頂くよりもSNSへのシェアの方が遥かに多い、というブログが殆どだと思います。

まとめ

長々と書いてきましたが、要約すると以下の様な要素からコメント欄のコストに対して、得るものが見合っていないな…というのが私の意見です。

  • そもそもコメントはつきにくい
  • 有益なコメントは少ない
  • コメント内容の精査の手間
  • スパムコメント対策の必要性
  • ソーシャルネットワークの充実

様々なプラットフォームと連携する事が当たり前になってきた時代に、何処とも繋がらないクローズドな『コメント欄』は徐々に廃れてくる気もします。

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乙武洋匡氏とイタリアン・レストラン入店拒否から見る『著名人がネットで晒しあげる』という行為についての雑感

今話題の、乙武洋匡氏が銀座のイタリアン・レストランで入店をお断りされてしまった件について、個人的に感じた事をつらつらと書いてみました。一部偏った意見や考え方が見られるかも知れませんが、ご容赦頂ければ幸いです。

また、この記事は乙武氏とレストラン側の対応の是非についてを本題としているものではありません。

乙武氏は弁解の余地無く『晒しあげ』を行った

乙武氏、レストラン側とお互いに色々と意見が出てきており、それに関して私も色々と感想を持っていますがここでは一旦置いておきます。それよりも興味深かったのは、乙武氏がレストランの実名を上げてTwitter上で『晒しあげ』をしてしまった事です。

乙武氏とレストラン、どちらの言っている事が本当であろうと何であろうと、要は乙武氏のした事は「無茶苦茶頭にきたから、レストラン晒しあげたる!」って事に他ならないと思うんですよね。
個人的には今回の件で乙武氏の株は下がり、レストランは今後の対応次第で株が上がるのではと思うのですが、乙武氏のやった事自体は実行するか否かは別にしてとてもよく理解できます。重ねて言いますが、実行するかは別として、非常に自然な感情の流れだと思います。

今回の件での『発言力』という観点

今回の件で多く目にする意見が、「フォロワーが60万人も居る乙武氏」が店の実名を出した事を問題視しているものです。
ここから乙武氏とレストランは全く関係ない話になるのですが、この『影響力』や『発言力』というものが非常に簡単に手に入るようになったな…という内容が今回の本題です。

例えば、今回乙武氏が利用したTwitterですが、何十万とはいかなくとも数万人程度のフォロワーと繋がっている人は珍しくない時代です。それも芸能人ではなく、ただの個人で…です。
フォロワーの数がそのまま発言力になるかというと別の話になりますが、大雑把に言ってしまえば数万人の人にメッセージを発信できる人は少なくないと考えて差し支えないのではないでしょうか。

拡散力 × 人数 = 発言力

『発言力』というと数値化しにくいですが、「何人にメッセージを発信できるか?」と「それがどの程度拡散しやすいか?」という要素が大きい気がします。

少し前の話ですが、家入一真氏と若野桂氏のギャラ未払い問題がネット上で取り沙汰されていましたよね。
私はフリーで仕事をしているので、ギャラの件で少しだけ話し合いが必要になる事も、正直全くない訳ではないです。勿論、それをブログで公表するような事はしませんが、万が一私がブログで社名入りで公表したとしましょう。

2013年5月現在、このブログのPVが約50,000前後になるので、雑に言えば一ヶ月かければ5万回はその事実を世間にアピールする事が可能な訳です。アドビ祭りの時は一日で12,000以上のアクセスがあったので、運良く拡散されればあっという間でしょう。

これが例えば大手ブログなら

そこで考えました。フリーランサーやブロガーと呼ばれる人達で、月に100万PVを超えるようなサイトやブログを持っている人って結構居るよな…と。

瞬間的に60万人の人に発言できる乙武氏とは異なりますが、時間をかける事で何百万人もの人に情報を発信する事が出来る立場の人というのは、案外少なくないものです。
芸能人のブログが定期的に『炎上』したり、どこぞの社長が暴言や失言をブログに載せて話題になったりと、枚挙に暇がありません。しかも、それを簡単に次の人へ拡散する事が出来る環境が整っているインターネットでは、何も乙武氏のような著名人でなくとも結構簡単に『晒しあげ』が出来てしまうと思うんですよね。

勿論、多くの人はその『発言力』を自分の好きな事や、自分の作品を見てもらう事に費やしている訳ですが、この「やろうと思えば出来る」という点が非常に興味深いなと思った訳です。

つまり、どういう事かと言うと…

もっと気をつけて生きようと思いました

「小学生か!」って突っ込まれそうな纏め方ですが、今回私が思ったのは結局のところ「色々気を付けよう」という事です。乙武氏とレストランの問題は二人の問題で、二人で話し合うなり二度と関わらないなりすれば良い話で、特別興味は無いし外野がやいやい言う話では無いと思っています。

そんな事より仕事の話しようぜ!です。

仕事をする上で、『評判』というのは致命傷になりかねません。特にフリーランサーは弱小この上無い。
私は仕事をする相手の事や、企業の財務状況や評判は必ず調べられる限りは調べた上で、契約を交わすか否かを判断します。逆に考えて、私と仕事をしようか検討して下さっている企業がネット上で私の名前を検索して、「納期を守らない」とか「仕事の質が低い」と出てきたら普通に考えてお終いです。

フリーランサー側としても、「あの会社はギャラを踏み倒す」とか「無理難題を安価でやらせようとする」という情報が出てくれば契約は避けますし、そういう情報は表沙汰にならないだけで結構共有されいるのが実情です。要はそれを晒しあげるか否か、です。

今回の騒動についてコメントを出して炎上しても嫌なのですが、私個人としては確実に乙武氏の株は下がりました。下がりましたが、乙武氏がそれを承知の上で晒しあげを行ったのであれば、まあそれはそれで良いのではないか…というのが感想です。

障害者とか健常者とか、客と店とか、そういう事以前にみんなそれぞれ出来る事が違います。パワーが違うと言っても良いかもしれません。
体の丈夫な人は人よりスポーツが出来る、お金のある人は人より贅沢が出来る、発言力のある人は人を動かす事が出来る、料理が出来る人は人を幸せにする事が出来る。乙武氏もレストランも、お互いが出来る最大限でお互いを攻撃したという事ではないかと思うんですよね。

そういう事を理解した上で行動する

つまり、良い事でも悪い事でも、誰かに対して何かをする時、それがどういう反応を生むのかをもっと留意するべきだなーと改めて思ったんです。

あり得ない事ですが、すごーく面倒になってしまって私が納期を破ってしまおうかな…と一瞬でも思ったとします。あり得ない事ですが。
そして、それが世間に公表されないとすれば、それは単純に「運が良かった」のであり、やろうと思えば「こいつは納期を破る」という事実を公表できてしまうという事だ…という現実を改めて認識させられました。

先ほど引き合いに出した、家入氏と若野氏のギャラ未払いトラブルに関しても、この騒動を目にした後で家入氏と仕事をしようと思う人は確実に減るでしょう。若野氏に関しても、読み手によっては仕事が減るでしょう。

乙武氏とイタリアン・レストランの件は、そういう事が起こりえるという事実を十分に認識した上で生きて行こう、と改めて考える切っ掛けになりました。

乙武洋匡氏とイタリアン・レストラン入店拒否から見る『著名人がネットで晒しあげる』という行為についての雑感 is a post from: room402.biz