株式上場を控えてビズ・ストーン、半生を語る―「ひどい失敗の連続が結局Twitterを生んだ」

サンフランシスコで開催されたNew Contextカンファレンスに登壇したビズ・ストーンは「最初の会社、そして二番目の会社、三番目の会社も私はしくじってしまった。スタートアップの生活というのはミスの連続だ」といささか居心地悪そうに告白した。ストーンは「今日は特に何も話す内容を用意してこなかった。それで私の最大の失敗のいくつかをお話しよう」と言った。実はその最大の失敗の一つがTwitterを生み、上場後はストーンに巨額の財産をもたらすことになっただったのだという。

「趣味と実益のためにミスを繰り返している」とこのTwitterの共同ファウンダーは言う。最近ストーンは動物愛護のためのNPOの運営とJellyという名前だけが知られているなぞめいたスタートアップの立ち上げに専念している。

ストーンのキャリヤと最初の大失敗はXangaというスタートアップから始まった。以下はビズ・ストーンの回想だ。〔カンファレンスでの講演とJosh Constine記者の独自インタビュー〕

企業文化

1999年ごろ、私はデザイナーとして働いていた。すると、大学の友だちの何人かが「おい、ウェブの会社をやろうぜ」と声をかけてきた。当時はインターネット・サービスの創生期で、その程度で十分詳しい話だった。そして作られたのがXangaというブログ・プラットフォームのパイオニアの1社だった。さいわいティーンエージャーの人気を獲得した。「ユーザーがどう感じているか」というフィードバックを直接知ることができるのが楽しかった。私はユーザーが他のユーザーの投稿を気に入ったことを表明できる(現在の「いいね!」に相当するような)ePropsという機能を実装した。

Xangaは急速に成長した。すると私の仲間はその仲間のコンサルタントを雇い入れ始めた。私はMITの近所にオフィスを構えてその優秀な卒業生をどんどん採用してすごいイノベーションをしようと考えていた。ところが新しく入ってきたコンサルタントたちはニューヨークに移らなきゃいけないと言い出した。

それならそれでユニオン・スクエアとイーストビレッジのあたりがいいと思った。そのかいわいは静かでいいレストランもある。ところがコンサルタント連中はノー、家賃が最低のポートオーソリティー・バスターミナル界隈でなければダメだという。

会社の文化は「ユーザーの感情」を考える方向からあっという間に外れていった。私はこの会社で働く意欲を失った。ある朝、「会社に行きたくないな」と妻に言った。

そこで私はXangaを辞めてしまった。これが最初の大失敗だ。私は若くてあまりにも未熟だった。私は会社の文化を変えるために全力を挙げなければいけなかったのだ。ここでの教訓は、創立時の企業文化はこの上なく重要だ、という点だった。プロダクトに注ぐのと同じくらいの注意を会社の文化を正しく育てることに注がねばならない。

企業の使命

私は結局母親の家の地下室に戻ってブログをやり始めた。作る側から書く側に回ってとても楽しかった。しかし何も作っていないのというのははやはり大きな間違いだと思うようになった。私のブログの名前は「ビズ・ストーン―天才」だった。この大ぼらが役にたったかもしれない。

ママの家の地下室でブログを書いているだけだったが、いかにも天才的なアイディアをいくつも持っているふうに装っていた。すると少し有名になって、本を書いてくれという話が来た。それから別のブログプラットフォームから誘いが来た。それがGoogleに買収されたばかりのBloggerだった。ファウンダーのエヴァン・ウィリアムズが連絡をしてきて、私はGoogleで働くことになった。

もちろんGoogleで働くことができたのは間違いではなかった。といってもたいしたことをしていたわけではない。あちこち歩き回ってみんなが何をしているのがのぞいていた。

ある男はそこら中にDVDレコーダーを積み上げた中で仕事をしていた。何をしているんだと尋ねると、世界中のテレビで放送されている番組を全部録画しているんだという。私はびっくりして、そりゃすごいね、とか何とか言って逃げ出した。別のところでは大勢でフットペダルで操作するスキャナーで本をスキャンしていた。これまでに出版されたすべての本をスキャンするプロジェクトだと聞いて、やはり仰天した。

Googleで学んだのはテクノロジーはたいていの難問を解決してしまうということだった。それはそれですごい。しかし、テクノロジーと人間は別物だということに後で気づいた。Googleの優先順位はテクノロジー第一、人間第二だ。しかし私は人間第一、テクノロジー第二というのが正しい優先順位だと思う。まず現実の人間について考え、それからテクノロジーの活かし方を考えるべきだ。

ここにいる聴衆の皆さんのほとんどテクノロジストだろう。多分他の人が気にいるだろうという理由では本当に一生懸命にはなれると思うのは大きな間違いだ。私がOdeoで学んだのは自分が好きになれない、情熱を燃やせないできないプロジェクトは必ず失敗するということだ。<

〔中略〕

Odeo

エヴァン・ウィリアズと一緒に車で家に帰る途中で私に天才的な(と思えた)アイディアが閃いた。

「エヴァン! Flashを使えばブラウザでユーザーの声を録音できるな? iPodが大人気だろう? ブラウザで録音した音声をMP3にコンバートしてRSSの添付ファイルにして配信したらどうだ?」と私は言った。

私はこれでラジオの民主化ができるじゃないかと夢想した。実はこのアイディアはpodcastとしてもう誰かが実行していた。しかし10分くらいはわれわれは自分たちは本当の天才だと思って興奮していた。

結局われわれはビデオ・ポッドキャストのプラットームをつくろうということになり、Googleを辞めてOdeoを作った。これは辛い時期だった。Googleはまさに勢いに乗っている時期だった。株価が高値を更新するのを見るたびに自分がどれほど損をしたのか思い知らされた。妻は「Googleを辞めるべきじゃなかった」と言った。

Odeoは大失敗だった。しかしそこから次の大成功が生まれた。

Odeoで最大の問題は自分たちのプロダクトを好きになれないことだった。セールトークはすばらしく聞こえた。しかしわれわれは自分で使いたいと思わなかった。これは実に貴重な教訓になった。

Twitterの始まり

いや、ニック・ビルトンの本(Hatching Twitter: A True Story of Money, Power, Friendship, and Betrayal(Twitterの誕生―金、権力、友情、裏切りの物語)はまだ読んでいない。だから私のことをどう書いてあるかは知らない。しかし本に書いてもらうなんて光栄だ。リンカーン大統領になったみたいだ。もっとも私について書いてある部分は少ないと思う。いずれにしても派手な役回りではなかった。

ビルトンの本にどう書いてあるかは分からないが、Twitterの始まりはこうだった。

エヴァンはOdeoの取締役会に「ストーンと私はもうビデオポッドキャストには興味がない」と告げた。取締役会が新しいCEOを任命してくれればいいと思ったのだが、取締役会が投資した理由はエヴァンと私を見込んでのことだったから話がこじれた。そこでわれわれはObvious Corpという新会社を設立してOdeoを買収した。

われわれはTwitterという新しいコミュニケーション・ツールのごく初期のプロトタイプがやっとできた時期に、私はTwitterにとことん情熱を傾けていることに気づく経験をした。これはものすごく重要な教訓だった。

私はそのとき家を改装しようとしていた。カーペットを剥がして美しい木の床を出そうとしていたのだが、剥がしてみるとその下は美しい木の床なんかじゃなかった。すごい熱波が襲っていた。私が汗だくになっているときに携帯が鳴った。テキストメッセージでエヴァンからのツイートが来ていた。「ナパバレーでマッサージを受けた後ピノ・ノワールのワインを飲んでるところ」というのだ。エヴァンと私の状況があまりに対照的なので私は笑ってしまった。そしてこれだ、と思った。れこそ私が求めていたコミュニケーション・ツールだと悟ったのだ。

ベンジャミン・フランクリンは「人生においては間違いの方が成功よりずっと興味深い」と言っている。これは私の場合、間違いなくそのとおりだ。Xanga、Odeoはまったくの失敗だった。しかしそこからTwitterという大成功が生まれた。これからウォール・ストリートで取引開始のベルを鳴らすセレモニーに出るのだが、とても楽しみだ。

[画像:Kim Kulish/Corbis, PJ Media]

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+