「必要最小限の製品」ではなく「必要最小限の要素を満たす」会社を目指そう

こんにちは、私はアン・ミウラ=コー。私は、Lyft、Refinery29およびXamarinの最初の投資家の1人だ。過去3年間はMidas Listに載っていたが、最近ニューヨークタイムズのトップ20ベンチャーキャピタリストのリストにも選ばれた。

2008年に、シリコンバレーで最初のシードステージVCファンドの1つであるFloodgateを共同創業した。ほとんどのファンドとは異なり、私たちはシードのみに投資してきた。このことによって私たちは、製品と市場の適合性を見つけ、必要最小限の要素を満たす会社(Minimum Viable Company、MVC)を立ち上げることを得意とする専門家となった。

シードはそれ以降の段階とは根本的に異なっているため、私たちはそれを特別のものとして取り組んでいる。それが私たちのやっていることすべてだ。各パートナーは毎年、何千もの企業と接触するが、投資対象として選ばれるのは上位の3社または4社だけだ。

過去11年間、私はスタートアップの最初の立ち上げ段階に投資してきた。そうした中で、Lyft、Refinery29、Twitch、Xamarinなどのようにスタートアップが大いにうまくいくところを見たこともあれば、おおいに間違っていくところも見てきた。その失敗を振り返ってみると、根本的な原因は必然的に、製品と市場の適合性(Product-Market Fit)に対する理解不足に起因している。

必要最小限の製品(Minimum Viable Product、MVP)を拡大する前に、まず必要最小限の要素を満たす企業(MVC)文化の育成に焦点を当てる必要がある。 世に問う価値を特定し、より広いエコシステムの中に自分の位置を見つけ、徐々に育成して行くことができるビジネスモデルを創出するのだ。言い換えるなら、真の「製品と市場の適合」とは、以下の3つの要素がかみ合う魔法の瞬間だ。

必要最小限の会社を立ち上げるには、これらの3つの要素が連携して機能する必要がある。

  • 人びとが、あなたの製品に喜んで支払いたくなるくらい、高く評価するようにならなければならない。この価値は、世界に向けて製品をどのようにパッケージングするかも決定する(フリーミアムか、課金か、企業向け販売か)。
  • ビジネスモデルとその価格設定は、エコシステムに適合している必要がある。また、ビジネスを維持するために十分な販売量と収益を生み出さなければならない。
  • 製品の価値は、エコシステムのニーズを満たす必要があり、エコシステムは製品を受け入れる必要がある。

多くの起業家たちは、製品と市場の適合性の概念を、対象としている顧客の一部(サブセット)が自分の製品の機能を気に入ってくれるポイントとして捉えている。だが、この捉え方は危険だ。 顧客が気に入っていた機能を持ちながら、失敗した企業は多い。そうした愛される機能を複数持っていた企業だってあるのだ!パズル全体の中で優れた機能が占めているのは、およそ半分から3分の1程度に過ぎない。必要最小限の要素を満たす企業を作り上げるためには、これら3つの要素すべて、世に問う価値ビジネスモデル、そして エコシステムが協調して機能する必要がある。

だから創業者たちは気をつけよう。これらの要素のいずれかを欠いたまま「成長モード」に移行すると、不健全な基盤の上に会社を構築することになる。

最近流行った「シリーズA資金調達の秘訣」といったツイートのサイクルに気を奪われることなく、自分たちのビジネスの複雑さに集中する起業家なら、製品と市場の適合が予測可能で達成可能なゴールであることに気付くだろう。その一方で、必要最小限の要素を満たす会社(MVC)のための基本要素を知らずに、成長に早すぎる焦点を当てる創業者たちは、しばしば、ビジネスの偽の成長を軸とした中毒的で破壊的なサイクルを促進し、会社の破壊につながる好ましくないユーザーを獲得してしまう。

Extra Crunch(英文有料記事)ではこの記事の拡張版を読むことができる。

関連記事:You need a minimum viable company, not a minimum viable product(未訳、有料)

【編集部注】著者のAnn Miura-Ko(アン・ミウラ=コー)氏は、シードステージVCFloodgateの共同創業パートナーである。Forbes Midas Listに連続掲載され、最近ニューヨーク・タイムズによる世界のトップ20ベンチャーキャピタリストにも選ばれた彼女は、スタンフォード大学でサイバーセキュリティの数学モデリングによって博士号を取得している。

トップ画像クレジット: Tom Werner (opens in a new window)/ Getty Images

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(翻訳:sako)

CVはダイバーシティーとインクルージョンを諦めるのか

今週、Backstage CapitalのArlan Hamiltonに話を聞くために会いに行った。彼女の目覚ましい出世物語は、今ではすっかり有名になった。Backstageのサイトに書かれている人物紹介のページから引用すると、彼女は「ホームレスだったころに、ベンチャーキャピタルを一から立ち上げた」とある。いろいろと面白いことを話してくれたが、まずはここから始めよう。2019年、彼女はダイバーシティー(多様性)やインクルージョン(包含性)については語らなくなるだろうというものだ。

こう聞いて、おやっと思った人は多いはずだ。彼女は過小評価されてきたマイノリティーに的を絞って資金を提供してきたからだ。その理由を、私が要点を理解して言い換えるならばこうなる。ダイバーシティーとインクルージョンは、技術系企業において人的資源となってきたが、大企業にとっては現状を守るための隠れ蓑になっており、改善を目指してはいるわけではない。

これには同意せざるを得ない。企業は、ダイバーシティーとインクルージョン(D&I)イベントや講演を開催したり、D&I副社長を雇ったり、「ダイバーシティー訓練」(これには効果がないばかりか、裏目に出ることも少なくないと多くの証拠が示している)を行ったりしている。彼らはダイバーシティーについて語る。彼らはダイバーシティーをパワポのスライドの中に加える。しかし、実際に彼らは何をしているのか? 私はNassim Talebの有名な宣言を思い出した。「何を考えているかは言わなくていい。ただポートフォリオを見せなさい

ではポートフォリオを見てみよう。Fortuneが報じたPitchBookの調査結果によれば、2017年に女性ばかりのチームがVCを受けた割合は2.2パーセント。これは2013年と変わらず、2014年に比べると明らかに低い。男性ばかりのチームは79パーセントがVC投資を獲得している。企業が「ダイバーシティーとインクルージョン」について、前例のないほどの大量のリップサービスをしていた間のことだ。

投資金額ではなく、投資件数という面で見れば、女性が率いるチームへのVC投資は、わずかながら上昇傾向にある。2007には2.42パーセントだったものが、2017年には4.44パーセントになっている。しかし、このペースで行けば、10パーセントの大台に乗るのは……2045年だ。さあ祝おう! その他の少数派の仲間たちに関するデータを探し出すのは、大変に難しい。それは、彼らへの投資状況が、ある程度の速度をもって改善されている証拠がゼロであることを示しているように見える。

しかし、大企業のダイバーシティーに関する統計データはある。再び、2014年と2017年とを比べてみよう。前回と同じ、前代未聞のリップサービスの時代だ。Googleは「黒人2パーセント、ヒスパニック4パーセント、2つ以上の種族4パーセント」から、「黒人2パーセント、ヒスパニック4パーセント、2つ以上の人種4パーセント」に改善された。これは進歩と言える。Facebookはどうだろう。2014年の技術者の割合は、ヒスパニック3パーセント、2つ以上の人種2パーセント、黒人1パーセント」だったが、2017年には、この数字は、どうも言いにくいのだが、変わっていない。

いろいろな不平がある。それはパイプラインの問題であって、文化的な問題ではないということ(MeTooムーブメントは、パイプラインがその入口から大企業のCEOまでの間がすべて汚染されていると、もっと悲痛に訴えるべきだった)。技術業界では、性別や人種で人を選ぶことは、いわゆる理想郷的能力主義に違反するということ(能力主義は、ほとんど意識することなく、システムとして始まり、そういう人たちを選んできた)。他より秀でたいと考える企業には、敷居を下げる余裕がないこと(中でももっとも下劣な不平として「ダイバーシティーがクソなハードルを上げてる!」というCindy Gallopの言葉がある。技術業界は、他の業界と同じく。平凡な白人で満員なのだ)。

なんとも異常な世界だ。彼らのポートフォリオを見ても、ベンチャーキャピタルは、意識するしないに関わらず、悪意のあるなしに関わらず、冷酷で人を馬鹿にした賭に出ることがある。ときとして、いや頻繁に、(比較的)普通の白人に賭けるのだ。同じ投資を受けられたはずの、より才能があり能力も優れた少数派よりも、白人のほうがシステムとして優位だと思うからだ。

これは、民主主義よりも君主制を選ぶようなものだ。たしかにかつては、それが機能していた。個人としての支配者は、平凡で、理論に依存するが、生まれたときから人を支配することを教えられ、権力の使い方を心得ている。だから彼らは頭角を現しやすく、才能はあるかも知れないが、無知な大衆の意志によってその地位に就く。

おそらくVCも同じだろう。ある程度、たぶん無意識に、白人のほうが彼らが最重要視する文化システムからの恩恵を多く得ていて、社会的な自信(傲慢性)があり、ネットワークが広く、生まれたときから積み重ねてきたさまざまな優位性を持っていると、彼らは考えている。外から来た少数派は、たとえ根性があって、ヤル気があって、頭が切れたとしても、同じ優位性を持っていないため、白人に賭けることになる。

君主制ではそれがうまく作用しなかったとお気づきの人もるだろう。私も、たとえばスタンフォードを卒業した白人男性やハーバードを中退した白人男性などの「パターン認識」で同様の宿命を予測した(アメリカの一流大学の不平等について話を広げるつもりはない。社会的な階層構造を保つための「縁故入学」制度はじつにあからさまだが)。

しばらくの間、そうしたやり方はVCにとって都合がよかった。なぜなら、
a)技術業界全体は、インターネット革命とスマートフォン革命という2つの潮流によって盛り上がっているため、業界の支配者からの強力な支援を受けて、たとえば独占的なシェアを誇る写真共有アプリなどで大成功を収める人間が登場することが見えていたからであり、
b)新しい技術系企業を立ち上げた白人男性たちは、今でもアウトサイダーとして活動しているからだ。

何か新しいことをやろうとすれば、アウトサイダーでいるのがよい。オリジナリティーが発揮できる。立ち直りも早い。ほとんどの人間は群れたがるが、特別な才能のある人間は、なんらかの方法で主流の社会から離れている。信じるか信じないかは別として、かつて、技術系ナードはアウトサイダーだった。少なくとも、アウトサイダーでいることの恩恵を受けていた。

それは、控えめに言っても、もう通じない。今や、主流のビジネススクールを卒業し、体制に順応した人たちが群を作り、自らをギークと称し、技術系スタートアップを立ち上げようとしている。彼らもわかっているが、どこでも同じようなことをしている。ほとんどの人間が同じ形式に載っかっている。リーンスタートアップ、MVP、シードファンディング、アクセラレーターなどなど。皮肉なことに、彼らはみな、リーンスタートアップの時代が終わりかけているときに、これを行っている。私が以前問題提起したことだが、この2年間ばかりVCに資金を提供してきた世界的なハードウエア革命による豊かな鉱脈が、もうほとんど枯渇しているのだ。

すべての人が、同じ方式でもって、同じ消えゆく資金を追い求めているとすれば、本当の報酬は、明らかに別の場所にある。どこか他に、まだ掘られていない補助的な鉱脈がある。しかしそれは、別の方法を使わなければ掘ることができない。別の人生体験からの情報に基づく別の市場、別の価値、別のネットワーク、別の考え方だ。私の友人がこんな賢言を書いていた。「違うことが常により良いとは限らないが、より良いものは常に違うものだ」。これは、今すぐにでも、あの手この手を使ってVCが採り入れるべき教訓だ。

 

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(翻訳:Tetsuo Kanai)