カシオ会長、樫尾和雄氏が89歳で死去

Casio会長兼CEOの樫尾和雄氏が2018年6月19日に死去した。死因は肺炎だった。

樫尾氏は、1957年にCasio Computer[カシオ計算機株式会社]を創立した4兄弟の三男。同社最初の製品となる全電動式14-A計算機は、1972年に電卓をメインストリームへと押し上げたCasio Miniの製品化につながった。

Casio最大の栄誉となる製品は樫尾氏自身のアイデアだった。1980年代にクォーツ腕時計を見た同氏は、繊細で壊れやすいと感じた。しかし、ちょっとした外部保護と内部の耐衝撃システムによって、過酷な環境に耐えられる腕時計を作ることに成功した。1983年に発売された最初のG-Shockは真に頑丈な腕時計への道を開き、昨年8月同社は1億台目のG-Shock販売を祝った。

Kazuo Kashio1947年、樫尾製作所はあるユニークな製品とともに設立された。タバコを根本ぎりぎりまで吸うためのホルダーだ。1970年代になると樫尾ファミリーは電子式計算機に参入して最初のポータブル・ポケット電卓を市場に送り出すとともに、超人気の液晶腕時計F-91WやPDAのCassiopeiaを発売した。同社は世界初の液晶デジタルカメラ、QV-10や人気のキーボード楽器、Casiotoneも生み出した。

遺族である息子の樫尾和宏氏は現在カシオの社長を務めている。

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook

Stephen Hawkingが76歳で逝去

物理学の進歩とともに、その大衆的な理解にも貢献したStephen Hawkingが、彼の家族によると、76歳で亡くなった。

Hawkingの優れた知性と頑強な個性は、彼を生涯苦しめ、彼の運動と発話を制限した破壊的な疾病と著しい対照をなし、彼はそのことでも有名だった。彼は21歳のときの診断と、30歳までは生きられないという予測にひるむことなく、あらゆる予想を撥ねつけて、非凡で実り多い生涯を生きた。

“知性とは変化に適応する能力だ”、と彼はかつて言った。それは、彼がその正しさを見事に証明した声明だ。

彼の作品が一般大衆に広く理解されたとはとても言えないが、Hawkingは執筆の才能に恵まれた物理学者であり、多くの著作の中でもとくにA Brief History of Timeはとりわけ有名で、複数の世代を楽しませ、教育した。彼は、専門分野への大きな貢献と、親しみやすい教育のスタイルを兼ね備えていた点で、Feynmanのような巨人たちの一人でもある。彼は聴衆や読者を見下したり見くびることが、決してなかった。

彼の逝去を受けて、その業績の優れた要約が次々と出版されるものと思われるが、彼に関心を持った方には、自伝My Brief Historyをお薦めしたい。

彼は複雑な人物で、自説に固執する天才でもあり、多くの人を啓発するとともに、ときには論争も招いた。しかしそれが、彼のふつうの姿だった。彼のような生き方をする人物は、過去にも、そして未来にもいないだろう。遺族の中には彼の三人の子ども、Robert, Lucy, そしてTimothyがおり、三人の孫がいる。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa

マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去

コンピュータのマウスを考案したアメリカを代表する発明家、ダグラス・エンゲルバート(Douglas Engelbart)が腎臓病のため昨夜(米国時間7/2)、亡くなった。88歳だった。

エンゲルバートは初期のシリコンバレーでマウス以外にもハイパーテキストやGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)など、人間とコンピュータの会話を助ける発明を数多く行っている。

2004年にWiredに本人が寄稿したプロフィールによれば、マウスが発明された状況はこうだった。

私が最初にマウスに関するアイディアをメモしたのは61年だった。当時、スクリーン上の位置を指定するデバイスの主流はライトペンだった。これは第二次大戦中にレーダースクリーン上で位置を示すために開発され、広く使われていた。しかし私はこれが適切なやり方とはどうしても思えなかった。われわれはいろいろと実験を重ねたが、それまで誰も使ったことがない見慣れないデバイスであるにもかかわらず、あらゆる面でマウスが優っているという結果となった。マウスは速くて間違いが少なかった。この実験を実施したわれわれのチームは4、5人だったが、誰が「マウス」と呼び始めたのか覚えていない。その名前が正式名称になってしまって驚いた。

Engelbartには4人の子供と9人の孫、2008年に二度目の結婚をした妻がいる。最初の妻は47年間の結婚生活の後、1997に亡くなっている。

下のビデオは1968年12月9日にエンゲルバート他17人の研究者がメンローパークのスタンフォード研究所(Stanford Research Institute)で行ったプレゼンテーションで、エンゲルバートらが、世界で最初のマウスのデモを行った。

Photo via Wikipedia.

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(翻訳:滑川海彦 Facebook Google+