犯罪の一部でもあるインターネット(なぜネットは彼らを救えないのか)

Elliot Rodgerという、深く心を病んでいたと思われる若者が、おそろしい想念にとりつかれ、サンタバーバラで少なくとも6人を殺した。彼が遺したページ上には、自分の苦悩や妬(ねた)みについて語る彼自身の写真や、数時間にもおよぶビデオがあった。彼は自分の苦境を訴えるような口ぶりで、ほかの者には友だちや彼女がいるのに自分は孤独だ、と語っている。彼は、自分自身に対するネジ曲がった内省を基に、女嫌いになった。彼がこれらのビデオを使ってインターネット上の自分の同類たちに呼びかけたことにより、彼はインターネットそのものが作り出した怪物のようなものに、なってしまったのか。

でも、それは違う。

10年前までは、犯罪は写真と記事で報道された。今それは、ネット上の多様なリンクの大海で、殺人はソーシャルメディアやフォーラムなどの上で頻繁に、気軽に、話題になっている。彼はその上の狭い海峡をいくつもくぐり抜けながら、自己の狂気を肥大させ、おそろしい終局へと向かっていく。メディアの泥沼の向こうに、そんな彼の姿が見える。そして実際に犯罪が起きると、彼はあーでこーで、と単純に決めつけて話を終える。彼は欲求不満だった。欲求不満が高じた。彼が助けを求めて訪れた場所は、彼を助けなかった。

この若者に対する見方は、二通りある。ひとつは、男性至上主義とピックアップアーチストの思想に染まりボディービルに熱中するナルシスト、という見方。そしてもうひとつは、彼は道を踏み外した病人である、という見方。しかし問題は、彼のような男をインターネットが救えないことだ。彼は人間的な接触を求めたが、慰めは得られなかった。彼はアドバイスを求めたが、インターネットは自分の特技を開陳した…それは、彼自身の病を映しだして彼に見せた。狂気の匂いを嗅ぎつけたフォーラムの投稿者たちは、皮肉な言葉で応じたが、誰が彼を助けることができたか? ハッシュタグは、殺人を防止しない。セラピストと銃規制には、できるが。

この男の人生を見て、彼を裁ける者はいない。彼はおそろしいことをした。彼はひどい病人だった。彼は二つの道の、どちらにも行けたはずだ。銃で人殺しをするか、あるいは高価なセラピストに助けてもらうか。彼は、銃の道を選んだ。

Webという異様な曲率のレンズが、完璧な人生を見せてくれることがあり、それらが羨望の思いを誘う。自分もこうなりたい、などと思わせる。インターネットは毎日のように、妬みと羨望とないものねだりをかきたてる。欲望が、心にしみつく。でも多くの人は、そんな貪欲を愛でなだめることができる。彼Elliot Rodgerは、最後まで欲望した。それはインターネットの罪ではないが、この男や彼のような人たちを行くところまで行かせてしまうことは、われわれ自身の無能として責められるべきだ。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))