環境保護主義のダークサイド、書評「The Ministry for the Future」

Kim Stanley Robinson(キム・スタンリー・ロビンソン)による小説「The Ministry for the Future」は、環境テロリストを称える話ではない。実際、全体にわたってこのテーマを上手く回避しているのだが「未来省」とそれを率いるリーダーシップの今後数十年にわたる活動を描いた本書の中心には、地球を平和で持続可能な未来へと移行させるための要となるダークサイドが描かれている。

飛行機への妨害工作や貨物船の沈没といった出来事が、ニュースの解説として、時には登場人物同士の会話の中で何気なく語られるという、プロットドリヴンの小説としては奇妙な設定である。余談話や噂話で登場する「Children of Kali」と呼ばれるグループは、富裕層の資本家階級に炭素排出量ゼロ世界に向けて屈服させるために、よりダークで暴力的な手法を用いている。

Kim Stanley Robinson / The Ministry for the Future。Hachette 2020年 576ページ(画像クレジット:Hachette Book Group, Inc.)

気候危機が深刻化するにつれ、環境テロリズムというトピックは近年作家からの注目を集め続けている。2019年のピューリッツァー賞フィクション部門を受賞した「The Overstory(オーバーストーリー)」の著者Richard Powers(リチャード・パワーズ)は、5人の異なるキャラクターが最終的に集結し、地球を救うために暴力行為を行い、その影響と向き合っていく様子を描いている。

9.11同時多発テロの後はタブーとなっていた暗いテーマである。とは言っても別に目新しいものではない。1997年に発売されて以来、Square(スクウェア)の主要製品であり続けているファイナルファンタジーVIIは、環境テロリスト集団が魔晄を搾取する神羅カンパニーの陰謀から地球を救おうとする物語である。

しかし、ロビンソンは暴力的な革命がもたらす倫理的問題や、理論的には地球と人間を愛しているにもかかわらず、それらの存在を殺すことが救いになると信じている人々の複雑な感情を描くことはしていない。その代わりに、炭素ゼロの未来に到達するための課題を探求し、途中暴力はそれとなく登場するものの、最終的には人類がそこに到達できることを発見するという広大で思慮に富んだ作品を書きあげている。

スペキュレイティブ・フィクションの作品として「The Ministry for the Future」にはまるで百科事典レベルの思索がふんだんに盛り込まれている。経済学で使われる基準貸付利率から、ブロックチェーン、氷河の動き、中央銀行にまつわる政治、官僚主義の科学、スイスの統治制度、地球のアルベドなど、あらゆることについての議論が展開されている。これはむしろ何十年にもわたる目まぐるしい構想に包まれた非常に包括的な政策メモであり、現実の政策メモよりもはるかに優れたナラティブと言っても言い過ぎではない。

しかしこの小説を読んでいると「仕事とはほとんどが退屈であり、その狭間に純然たる恐怖を経験するものである」という外交関係をはじめとする職業に関する古い格言を思い出す。忘れがたい未来の光景を、深い感情移入と熱意をもって描き出している同作品。冒頭のインドを襲った熱波のシーンは辛辣で痛ましく、いつまでも記憶に残り続ける。ロビンソンは自然のシーンの描写をすると真の腕前を発揮し、南極、スイスアルプス、飛行船からの眺めなどの描写は特に味わい深い。

しかしそれはこの本の4分の1程度に過ぎない。ロビンソンはパリ協定の実施を任務とするある機関の活動を、一般読者にとって魅力的なストーリーに押し上げて推進力のある物語にするという無謀な挑戦をしているのだ。この作品には起伏があり、また未来の超国家的な政府機関とその官僚主義的な動きを描いたMalka Older(マルカ・オールダー)のCentenal Cycleを彷彿とさせるシーンもちらほらと見られる。

オールダーのシリーズにはわかりやすい悪役がいたが、ロビンソンは悪役という存在を用いらないストーリーで挑んでいる。悪役は私たち全員であり、資本主義とシステムであり、惰性と無気力である。政治的官僚の惰性との戦いのカ所に興味を持てるかどうかは、読者が大学院で公共政策を学んだか否かに大きく左右されるだろう。私は学んだ立場だが、それでも全体を掴むのは非常に難しかった。

しかし、気候変動のメカニズムや経済に関する600ページ近い談話があっても、この本に書かれていないことがロビンソンの作品の最も興味深い要素なのである。時には1ページという短い時間で国全体の政治が変わってしまう。ダボス会議に参加し、おそらくChildren of Kaliたちに強制的に監禁されて地球の死と前向きな道筋に関するビデオを見させられた資本家たちが、突然心変わりする。もちろん同作品はスペキュレイティブ・フィクションなのだが「もしもこれが起こったら」という要素が極端に強いのである。もしも中国が突然、開放的で民主化された公平な国になったら?もしもインドが現代のヒンズー教を否定して再生可能な有機農法の社会に戻っていたら?もしも資本家らがすべてを手放したら?

この本には、基本的には人間の行動や特に復讐心についてのストーリーが描かれていない。確かに環境テロリスト集団はドローンを使って公海に散らばる貨物船を沈め、炭素を排出する飛行機を空から撃ち落とすことに成功し、世界中の銀行をハッキングして石油マネーを破壊している。しかし被害を受けた人たちは誰かそれに反応しただろうか?皮肉なことに、Children of Kaliはインドでの熱波の後に結成されたのだから、復讐という言葉は確かに著者の頭の中にあるはずだ。

ロビンソンは良からぬ可能性を明確にし、読者に別の道を示そうと考えているのだろう。しかし当然、その可能性の実現というのはいつだって文字通り実行可能なのである。実行しようと考える人間に打ち勝つことは通常非常に難しいため、問題は実際にその道をどのように打ち破るのかということである。このように、この小説はスペキュレイティブ・フィクションというよりもファンタジーであり、特にジュネーブに集まる政治家がいつか何かを変えてくれるのではと願う世界情勢に敏感な観察者にとっては、一種の現実逃避なのである。

人間の行動に関する洞察がない分、ストーリーはあっという間に迷走する。2020年に出版された「The Ministry for the Future」はこれからの数十年をテーマにしており、中国がこれからの気候変動の議論を変えていくための要になるということが1つのポイントになっている。その過程で、香港が自由と民主主義の砦のような存在になっていく。

小説の終盤ではどのようにして自由を勝ち取ったのかという分析がなされている。「私たち香港人は法の支配のために戦ってきた。1997年から2047年までの間、私たちはずっと戦ってきたのである」。どう戦ってきたのか。「何年もかけて何が有効かを見極め、方法を磨き上げてきた。暴力が成功に導いたことはなく、数字こそが有効だったのだ。私たちが長年そうしてきたのと同様に、帝国主義に対抗するための秘訣を探している方のためにお教えしたい。全人口、あるいはできるだけ多くの人口による非暴力の抵抗。これが有効なのである」。

この本が出版されるのと同時に(編集や出版には通常時間がかかる)、香港の抵抗運動は完全に崩壊した。過去数年間に行われたさまざまな運動抗議には何十万人もの人々が参加したが、信じられないほど短期間で本土政府に完全に取り込まれてしまった。新聞は閉鎖されウェブサイトはブロックされ博物館大学文化施設は奪われてしまった。数字では解決されなかったのだ。非暴力による抵抗は香港中の主催者らによって次々と実行されたが、それでも彼らは完全に敗退したのである。

この本の中核ともいえる不可思議な世界に話を戻そう。私たちは期待すべきポジティブな変化を求めているにも関わらず、この未来の歴史は世界を導くために暴力を厭わない過激なグループに依存しているのである。ロビンソンはユートピアを求めており、またごく自然なユートピアは私たちの手の届くところにあると感じているものの、本文ではそこへの道のりを見つけられていない。「政権は銃口から生まれる」とは有名な言葉だが、これは香港が最近学び直した概念であり、環境問題の議論ではますます一般的になっている。未来省は過去の世界の省庁が使ってきた方策を再利用しているだけであり、それは誰も望んでいない荒廃なのである。

画像クレジット:Michael Endler / EyeEm / Getty Images

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(文:Danny Crichton、翻訳:Dragonfly)

SFをテーマにしたNFTカードゲーム「Parallel」が急成長中、投資家の注目も高まり約570億円調達

Ethereum(イーサリアム)エコシステムの暗号資産投機家にとって、NFT(非代替性トークン)が保有資産を多様化するためのホットなスペースとなっていることは周知の事実である。これを、質の低い芸術作品を騙されやすい人に売り込む絶好の機会と考える人がいる一方で、NFTベースのゲームは一般に拡がる運命にあり、早い段階で仕組みを利用することができた製品が利権を得ると考える人もいる。

イーサリアムのブロックチェーンをベースにしたSFカードゲーム「Parallel(パラレル)」は、他の暗号資産プロジェクトよりも急激に成長を遂げている。投資家もそれに気づいており、このプラットフォームは、暗号資産専門VCのParadigm(パラダイム)から5億ドル(約570億円)の評価額を得て5000万ドル(約57億円)を調達したと、TechCrunchに語った。これまで同社には、YouTube(ユーチューブ)の共同創業者であるChad Hurley(チャド・ハーリー)氏、Focus Labs(フォーカス・ラボ)、OSS Capital(OSSキャピタル)、Yunt Capital(ユント・キャピタル)などが出資している。

「最高の暗号資産ゲームは、ファーストパーティのコンテンツを超えて、プレイヤーや開発者のコミュニティを刺激し、ゲームそのものを構築するものになるでしょう。我々は、Parallelのユニークなアプローチと初期の熱狂的なコミュニティに感銘を受け、彼らの次の成長段階を支援できることをうれしく思います」と、Paradigmの共同創業者であるMatt Huang(マット・ファン)氏はメールで語った。

Parallelは、世界的なエネルギー危機を解決しようとする終末論的な試みの後、人類が宇宙から脱出するというファンタジー系ストーリーをベースにしている。CryptoPunks(クリプトパンク)などの高い価値が付けられたドット絵的な他のNFTプロジェクトとは異なり、Parallelのアートスタイルはリアリズムを重視したものになっている。

Parallelが今後リリースする予定のNFT(画像クレジット:Parallel)

このSF NFTカードゲームは、NFTへの投機が急増した2021年8月に最初のパックをリリースすると、すぐに人気に火が着いた。暗号資産情報を追跡しているCryptoSlam(クリプトスラム)によると、Parallelの取引量は1億500万ドル(約120億円)に迫るという。同タイトルに含まれる「Masterpiece(マスターピース)」カードの1つは、110万ドル(約1億2500万円)相当のイーサリアム暗号資産で販売された。9月の売上は1100万ドル(約12億5000万円)を超える程度で収まったものの、このように大きな金額が動いた月は、NFTプロジェクトの長期的な価値に大きな影響を与える可能性がある。というのも、その間に購入された希少な品を長期的に保有することで、オンチェーンで鋳造(発行)される新しい資産の価格基準を安定させることができるからだ。

何千人もの技術に精通した投機家が、大金持ちになるためにシステムを破壊しようとすることほど、システムのストレステストになるものはない。その結果、NFTの「ドロップ」は、ありとあらゆる悪夢のようなシナリオに悩まされてきた。独自のドロップシステムを構築してきたParallelにとって、今のところ順調に進んでいるものの、数日後に迫った次のドロップは、カードの潜在的な価値が高まっていることもあり、どれだけスムーズに進むかに人々の注目が集まっている。

このプロジェクトのゲーム要素は、実際にはまだ存在しておらず、初期の資金はそれを構築するために使われている。Parallelは、NFTの売上に対して10%のロイヤリティを徴収し、その半分がゲーム内の賞金として保持され、残りは会社の収益となる。これはコアプラットフォームにとって将来的により大きな収益をもたらす可能性があるが、ゲームのエントリーポイントが数千ドル(数十万円)に膨れ上がると、この「ゲーム」としての性質はまったく違ったものになってしまう。希少性で投資家を惹きつけつつ、新規ユーザーにも優しい市場のバランスをとることは、NFTゲームプロジェクトが取り組まなければならない大きな課題となっている。

画像クレジット:Parallel

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(文:Lucas Matney、翻訳:Hirokazu Kusakabe)

SF作家に聞く「スペキュレイティブ・フィクション」はこのクレイジーな世界で何かを教えてくれるのだろうか?

マーク・トウェインが「Truth is stranger than fiction(真実は小説より奇なり)」という言葉を残しているが、私たちはこの1年、極めて奇妙な現実を経験してきたと言っても過言ではない。このような混乱と変化の中で、私たちは根本的な疑問に導かれた。それは、スペキュレイティブ・フィクション(現実世界と異なった世界を推測、追求したもの)、そして隣接するジャンルのSFやファンタジーが向かうところだ。私たちの世界の大部分が、これらの作品が描くファンタスティックな世界をすでに体現しているように見える。

そこで筆者は、Eliot Peper(エリオット・ぺーパー)氏とGmailを介して対談する機会を得て、2020年の振り返りと、スペキュレイティブ・フィクションの意義、そして芸術の未来について語り合った。ぺーパー氏は不定期に執筆活動をするフィクションコラムニストで、著書に「Veil」やAnalogシリーズ3部作などのスペキュレイティブ・フィクション小説がある。

この会話は一部編集の上、要約されている。

Danny Crichton(ダニー・クライトン):スペキュレイティブ・フィクションの将来に注目しています。私たちは、パンデミックと数々の深刻な気候変動という、このジャンルの素材ともいえる出来事に直面する1年を経験しました。現実が想像の生み出す扁桃体と隣り合わせのように思われる中で、どのように推測(スペキュレーション)を続けていますか?

エリオット・ぺーパー氏: 現在の事象を通して痛感することは、現実は、フィクションと違って現実的である必要はないということです。世界は複雑であり、いかに理知に富んだ人でも、実際に起きていることをほんのわずかしか理解していません。次に何が起こるかは、誰にもわからないのです。サイエンス・フィクションの中で生きているように感じるかもしれませんが、それは私たちが常にサイエンス・フィクションの中で過ごしてきたからです。あるいは、スペキュレイティブ・フィクションは、いわゆる現実的なフィクションよりも現実的かもしれません。明日は今日とは異なり、私たちが予想するものとは異なるという唯一の確実性があるからです。根本的な変化のない世界を描写することが、空想的なものとなっています。

スペキュレイティブ・フィクションの作家として、私は歴史の熱心な読み手です。過去について読み、求知心を満たして将来の可能性を想像する中で、現在というのは極めて偶発的で、魅力的で、一過性であることを認識しました。私にとって、スペキュレイティブ・フィクションは予想というよりも、ジャズミュージシャンがスタンダードを越えて即興するように、世界の移り変わりをリフするものです。正確という概念は間違いの存在により生じます。この上なく魅力的な演奏は、人々の思い、夢、感情をかきたてるものがあるから、魅了するものとなります。そして、テクノロジー的なレバレッジがあるからこそ、人々はより大きな広がりをもって、良い方向にも悪い方向にも未来を創り出していくのです。

ですから私は、現実がスペキュレイティブ・フィクションに追いつくことを懸念していません。スペキュレイティブ・フィクションは人間の現実体験に根ざしています。すべてのブラックスワン・イベント(連鎖反応を引き起こす予期せぬ事象)は、新しい素材でしかありません。

クライトン:そのことは、現実的なフィクションとスペキュレイティブ・フィクションの境界を曖昧にしてしまい、作品の分類を難しくしているように私には思われます。私にとってパンデミックの現実は、地球全体に新しいウイルスが定着するというブラックスワンではなく(つまるところパンデミックは歴史上広く存在する)、私たちが目の当たりにした「混乱に満ちた対応」というブラックスワンであり、そうした対応はことごとく不秩序を極めたものとなりました。

もし私がスペキュレイティブ・フィクションのシナリオを描くとしても「医学の進歩により治療法が飛躍的なスピードで開発されるが、人々による日常の対応が、自らの行動を通じて死者の数を大幅に増やすことに帰する」と考えることはできないと思います。私はスペキュレーション的なものを思うとき、劇的なもの、例外的な何かを想像しますが、今回のブラックスワンは、私たちの生活のありふれた行動が、事象の流れに影響を与える力を持つことを示しています。

ぺーパー氏:スペキュレイティブ・フィクションは「what if?(もし~だとしたら)」という問いにまつわるものです。もし宇宙飛行士がひとり火星に取り残されたらどうなるか?遺伝子工学者が恐竜を復活させ、アミューズメントパークに閉じ込めたら?すべての人がシミュレーションの世界で生活しているとしたら?私の最新小説Veilのもとになった問いは「億万長者が地球工学を駆使して地球の気候を支配したらどうなるか」というものでしたが、こうした問いは人の心を引きつけます。想像力を呼び起こし、好奇心を刺激します。これも良いことですが、出発点に過ぎません。

スペキュレーション的な設定を成功させるには、ストーリー全体に2次、3次、4次の効果が波及するようにドミノを配置する必要があります。モメンタムを構築するのです。漸進的な複雑性がラチェットのように締め付ける働きを担います。予期しない逆転により、読者を前に進めます。地震がサンフランシスコを平らにするというストーリーであれば、ベイブリッジの崩壊、湾岸高速鉄道の洪水、停電、ガス漏れ、火災など、物理的な影響の可能性を想像するのは簡単です。社会的影響の可能性を想像することは、あまり明確なものではありませんが、少なくとも同等の重要性はあります。人々は隣人を救出するために命を危険にさらすのか、それとも限られた緊急物資のために戦いを繰り広げるのか。知事や大統領は、それぞれの個性、インセンティブ、選挙区を考慮しながら、どのように対応するのか。こうした事象は、ベイエリアの社会構造をどのように再構築していくのだろうか。(これも重要なことだが、Dwayne Johnson[ドウェイン・ジョンソン]氏はどこにいるのか?)人々が事象にどのように反応するかは、事象がどのように展開するかにとって欠かせない要素です。

2020年4月に発表されたLawrence Wright(ローレンス・ライト)氏の「The End of October」は、世界的なパンデミックに対する社会的・政治的反応の複雑で連鎖的な事象の推定という点で不気味なほど的確な作品となっています。Kurt Vonnegut(カート・ヴォネガット)氏の「Galápagos」は、現実的であることが不条理と感じるような世俗的で荒廃した人間の近視眼によって導かれる終末論的なシナリオを描いています。サイエンス・フィクションの中にはテクノロジーの変化における指標に主眼に置くものもありますが、Ada Palmer(エイダ・パーマー)氏の秀逸な「Terra Ignota」シリーズは、想像を絶する厳格さを持つ架空の未来の文化的、政治的、社会学的側面を映し出しています。人間の行動は往々にして、元のシナリオの影響に変化と増幅をもたらし、その過程で新しい世界を形作るXファクターとなるのです。

ただ、これはより深い疑問を示唆しています。フィクションは何のためにあるのでしょうか?

私はフィクションを描くとき、現実の正確な描写や予測を意図してはいません。私は、読者を感動的で、驚異的で、充足感のある旅に導くための体験を生み出そうとしています。現実世界の特に興味深い側面に根ざしたシナリオを推定することにも楽しさはあるかもしれませんが、その成功が正しい方向に向かうとは限りません。成功は、読者が夜深くまで読み進めて、自分では表現できない、忘れられないストーリーの先に何が起こるのかを見い出すことにあります。

Neil Gaiman(ニール・ゲイマン)は、おとぎ話は真実以上のものだと好んで主張しています。それは、ドラゴンが存在することを伝えているからではなく、ドラゴンを倒すことができることを伝えているからです。スペキュレイティブ・フィクションでは、私は深い感情的な真実を明らかにしたり、歴史の流れを形作る根底にある力を明らかにしたりするストーリーに惹かれます。たとえそれが、壮大でありながら、文字通りの詳細についてはおかしいくらい間違っていたとしてもです。これは、テクノロジー的な正確性を追求することが悪いということではなく、単にそれが常に重要なことではないということです。重要なことは、世界の違いを考えさせ、感じさせ、想像させることではないでしょうか。

クライトン:最後の点について、想像力とその変化への力についてあなたがどのように考えているかに興味があります。明らかに、芸術は歴史を通して人々の想像力に持続的かつ強力な影響を与えてきましたし、大きな社会的、文化的、政治的変化にはしばしば芸術的な先例が存在します。しかし、歴史的に見て、少なくとも私の観点からは、その力の一部は、その希少性と意外性にあると思われます。

私たちは今、テレビゲームから映画、テレビ番組のストリーミング、本やグラフィックノベルなど、想像力に富んだ世界に囲まれています。時間の使い方に関する研究を読むと、アメリカ人は起きている時間の大半を想像力に満ちたコンテキストの中で過ごしている可能性があるということです。芸術における想像力の広がりの極まりと、日常生活における変化の極微さとのギャップをますます感じるようになってきたと私は感じます。それは芸術が変化を引き起こす力を脅かしているのでしょうか?スペキュレーションは依然として、行動につながり得る活動でしょうか?

ぺーパー氏:スペキュレーションは、人間であるということの一部です。私たちは選択をする前に、起こり得る結果を想像します。潜在的な未来を空想の中でシミュレートしてから、それを現実にコミットします。私たちの頭の中の予想は往々にして間違っていることもありますが、有用であることも多くあります。良くも悪くも、思考の実験は、私たちの内的生活の基礎になっています。この個人の動的な性質は、人々の集合体へと拡大していきます。より良い未来を想像することは、それを構築するための第一歩です。

芸術は想像の手段です。映画製作者は、人々が鑑賞し、鑑賞する中でそれぞれの想像力を発揮することができるように、自分のビジョンを映画に体系化します。時には文化と呼ばれるものを形成する、さらに多くのプロジェクトへとスピンオフする新たな創造的な試みを生み出すことさえあります。テクノロジーのおかげで、これまで以上に多くの映画、本、歌、詩、写真、絵画、コミック、ポッドキャスト、ゲームが、より多くの人々にとって入手しやすくなりました。想像の世界は、経験するにつれて現実世界の不可欠な部分となり、実際の事象に意味や可能性を重ねていきます。私たちは常にお互いの現実を解釈し、その過程で変換させています。この過程の密度と強さが増しているのは、より多様な次元に沿ってお互いをより緊密に結びつけようとする個体群の増加の結果といえるでしょう。

しかし、テクノロジーは新しい芸術メディアを実現し、人々が芸術を創造し、発見し、体験する方法を変えただけではありません。テクノロジーは人間の選択がもたらす影響を増幅します。ヒポクラテスはmRNAワクチンの発明には至らず、チンギス・ハンは核の黙示録を始めるボタンを押すこともなく、オデュッセウスはコードではなく木でトロイの木馬を作りました。

私たちのツールは、祖先が想像もしなかったような強大な力を私たちに与え、私たちの決定の結果はそれに応じて拡大します。テクノロジーの創意は道徳的に中立であるため、テクノロジーの発展は、時代を超えた人間の営みの問題を解決する上で重要な役割を担っています。良い生活を送り、より大きな善に貢献し、良い祖先になることは何を意味するのでしょうか。それは芸術家が多様で、不完全で、矛盾し、時には非常に価値のある地図を提供するような、道徳的地理学ともいうべきものです。ある意味、テクノロジーが私たちに力を与えるほど、私たちは芸術を必要とするのです。

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カテゴリー:その他
タグ:インタビューSF

画像クレジット:Bonnie Tarpey – Wronski / EyeEm / Getty Images

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(文:Danny Crichton、Eliot Peper、翻訳:Dragonfly)