AIの学習手法は人間の教育にも応用可能

Medical Research with Molecule as a Concept

気づけば身の回りには人工知能だらけといった状況だ。車にも家にも、もちろんポケットの中にも人工知能がある。IBMはWatson(ワトソン)に「理屈」を教え、さらに自らも「理屈」を学び得るように育てている。情報を知識に変え、たとえば医療分野で情報に基づいたさまざまな判断を下せるようにしているのだ。

トップ企業がプロダクトにAIを埋め込み(Siri、Alexa、Googleアシスタントなど)、スマートフォンをより便利にし、さらに急速に広がりつつあるホームアシスタント市場で存在をアピールしている。

そうした人工知能ツールは、次第により適切な解答を出すことができるようになりつつある。ひいては、利用者がよりスマートに振る舞えるようになってきているのだ。ところで、常に大量の情報やインテリジェンスが自分の手元に存在する時代を迎えて、教育は変わらなくて良いのだろうか。事実や数字を覚えこませるのではなく、そうした情報を発見する方法を教えるようにすべきなのではないか。現在AIに対して行うようになっているように、「どのように学ぶのか」を教えていく必要があると思うのだ。

残念ながら、今のところの教育スタイルは時代に追いついていないと言わざるを得ない。何百年も続いてきた旧来の方法に拘泥し、学校や教師は知識を与えるものだとされている。しかし、生徒自らが、たとえばAlexaを通じて必要な情報を何でも入手できる時代に、学校や教師の役割が旧態依然としたもので良いのだろうか。時代の流れを把握して、ただ情報を与えるだけの教育システムを変えて移行とするフィンランドのような国もある。生徒たちはグループで課題に取り組み、そして問題解決の方法を学んでいくのだ。教師の役割は、生徒自らが学んでいくのを手助けすることになる。そうして思考の柔軟性を身につけ、さらに学び続ける能力を身に着けていくこととなるのだ。世界経済フォーラム(The World Economic Forum)は、小学校に入学する生徒の65%は現在存在しない職につくことになるとしている。そうした時代への対応力を磨く教育が必要となっているのだ。

コンピューターのちからを利用して、人間の知性がクラウド化するような時代を迎えつつある。意識しているか否かに関係なく、私たちは「バイオニック」な存在になりつつあるのだ。私たちの感覚や身体的機能は、コンピューターやスマートフォンと連携して強化されることとなっている(記憶やデータ処理の一部を代行して、脳の負担を軽減してもいる)。AIは確かに人類をスマート化しつつある。人間のちからだけでは不可能だった情報処理能力を与えてくれているのだ。

AIトレーナーの目標は、コンピューターが自身で学び始めるシンギュラリティに到達すること。

ほんの少し前まで、何か情報が必要であれば図書館に出かけて司書や書籍のインデックスを頼って探すしかなかった。参考になりそうな本を見つけ、その本に探している情報が記されていることを願いながらページを繰っていたのだ。膨大な時間をかけて、マイクロフィルムで記事や写真を探したりもした。現在ではパーソナルアシスタントに尋ねれば、あっという間に情報が手元にやってくるようになった。

ただし、パーソナルアシスタントでは対応できない問題というものもある。そうした場合には自らが検索エンジンを利用して情報を探すこととなる。ここで、アクティブ・ラーニング(self-learning)が重要となってくる。検索エンジンを活用する場合、まず正しい語句を使って検索するテクニックが必要となる。そして役に立ちそうな情報を取捨選択して、情報の正しさをきちんと判断しなければならないのだ。「インターネットで見つけたから正しい」などということはなく、情報の正しさや有用性を判断するのは、検索者の側にまかされているのだ。

コンピューターの能力は高度化して、そして価格は安くなっている。また大量のデータも入手できるようになった。そうした中でAIの分野が大いに賑わってきているのだ。ディープラーニングの成功を導くのに必要な、ニューラルネットワークの構築が効率的に行えるようになってきているのだ。CB Insightsの情報によれば、ベンチャーキャピタルが投資する企業の2%が、AIアルゴリズムの強化に携わっているのだそうだ。「いかに学ぶかを学習する」という点に、多くのベンチャーが注力しているのだ。その方法を学んでこそ、アクセス可能な膨大な情報の中から正しく学ぶことが可能となるのだ。

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しかしGlobal Future CouncilでAIおよびロボット部門の共同議長を務めるMary Cummingsによると、「人工知能は期待に沿う能力を発揮できていない」としている。自ら学ぶ能力は未だ発展途上で、現在のところは人間が手を貸して、仕事効率を挙げる程度の使い方に留まっているというのだ。確かに、それが現在の状況だろう。ニューラルネットワークのちからを存分に活用するGoogleの検索エンジンも、人がそれを活用してこそ仕事に役立つようになっている。

ホモサピエンスが最初に道具を創りだして以来、私たちは生活のために新しい道具の使い方を学習し続けてきた。ときに、作業は完全にテクノロジーにより行われるようになったものもある。人類はそうした状況にも適応し、自分たちの能力を発揮する方向を見つけてきているのだ。ただ、現代になって変化のスピードは急速に上がっている。

AIはシンギュラリティを目指している。人工知能自らが情報を取捨選択して学習を続けていくような世界の実現を目指しているのだ。世界に「スーパーインテリジェンス」を登場させようと狙っているわけだ。そうした時代はまだ少々先のことのようだが、AIに対する教育方法は人類に対しても使えるのではないかと思う。AIに実現させようとしているように、人類の教育でも「自ら学ぶ」ことを強化していく必要がある。そうしたトレーニングを経て、人類は新たなテクノロジーを制御して、それを最大限に活用できるようになっていくのだ。世界経済フォーラムのレポートにもあるように、「創造性をさらに磨き、これから訪れる変化に備える必要がある」のだ。21世紀、AI時代の人材を育てるために、ふさわしい教育システムというものがあるはずだ。

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(翻訳:Maeda, H

次のSiriは、感情を持つだろうか?

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【本稿の執筆者、Rupa Chaturvediは、Sentient Technologiesのビジュアル・インテリジェンス設計責任者】

AIアシスタントは絶頂期にある。先月Googleはその名もAssistantというAIアシスタントを発表し、「継続的な双方向対話」を可能にした。この分野には、AppleのSiri、AmazonのAlexa、MicrosoftのCortana、FacebookのM、未公開のVivを始め、数多くのライバルがひしめいている。

しかし今のところ、こうしたアシスタントたちは会議を設定したり、天気を教えてくれたり、コーヒーショップへの道順を示すことはできるが、まだ少々冷たく感じられる。人の気分や状況、個人的コンテキスト等々によって、反応を変えることはない。言い換えれば、感情がない。

それは何を意味するのか? 人類は常にテクノロジーを擬人化してきた。テクノロジーに感情的に関与し、信頼に基づく関係を期待し確立してきた。自動的な電話応等に腹を立てたり、重要なミーティングを知らせてくれた携帯電話に感謝したことが一度でもあるなら、これがわれわれの慣れ親んだ感覚だ。

問題は、われわれの健康や幸福にとって真に重要なテクノロジーは、その状態が単なる「物」を超えるという点にある。われわれは、テクノロジーに感情的に関与する。亡くなったスタンフォード大教授、Clifford Nassは、人間とコンピューターの関係は本質的に社会的なものであるとさえ主張した。言い換えれば、もし人間がテクノロジーと感情的な結び付きを持っているなら、われわれのニーズに感情移入するシステムを設計する方がよくないだろうか?

もし、人が機械と真にパーソナルで感情的なつながりを持てる、という考えに同意できないなら、 Ellieの事例を考えてほしい。EllieはAI心理学者で、PTSDを患う兵士の治療に用いられてきた。彼女は言語および非言語的ヒントを使って、AIアシスタントのように対話を構成する。ここで興味深いのは、患者は人間よりEllieと話すことを好むらしいことだ。Ellieのブレーンの一人、Albert Rizzoによると、患者は「判断されたと感じることがなく、印象操作に対する関心が低く、一般により多くの情報を提供するようになる」。

もちろん、心理学者と話すことは、アシスタントと話すのとは違う。しかし、人々が真の個人的苦脳について人間よりも機械に打ち明けやすい、というのは注目すべきだ。そして、AIアシスタントをデザインするにあたり、この教訓を心に留めておくことには価値がある。ユーザーは、自分を知り、理解しているテクノロジーを気味悪がったりしない。適切に行えば、むしろ反対だ。

基本的に共感とは、個人や個人の感じ方を理解することだ。人は常に変わり続けるという認識も必要だ。

では、どうやって感情的AIをデザインすればよいのか? どうやってアルゴリズムを人間的にするのか?まず、あまりに後ろ向きな発想を捨てることから始めることができる。アルゴリズムはもちろん山ほどのデータを必要とするが、飛行機のフライトを予約するために、ユーザーのすべてを知っている必要はない。もし、より人間的(即ち、より感情的)なAIを作ることによって問題に取り組むなら、人間的、社会的なレベルで対話することを考える必要がある。

われわれが見知らぬ人と会った時、相手の全データを聞き出そうとするだろうか?去年何を買ったか? メールアドレスとクレジットカード番号? 過去6ヵ月間の購入履歴に基づいて何が欲しいかを予測することは、知識だ。今われわれはそれができる。しかし、今日私が髪をおろして、くつろいでいたいことを知ることは、共感だ。この判断を、過去の多数の個人データからではなく、個人について下すことのできるアルゴリズムがわれわれには必要だ。

一つの方法は、音声認識で行っていることを再考することだ。今やAIは単語を理解できるできるが、その背後にある感情や論調を真に理解することはできない。もちろんそれは、人間が無意識下でいつも行っていることだ。そして、Mattersight等の会社は、数百万時間もの会話を分析して、個性や気分のヒントを見つけ出そうとしている。

つまり、そういうアルゴリズムは存在している。問題は、その使い方を変え、テクノロジーのためではなく、ユーザーのためにデザインすることだ。アシスタントには、人が何を言ったかを処理させるだけでなく、どのように話したかを理解することにも注力させる。ユーザーがどう感じるかを瞬間に理解できるAIは、共感をもって振る舞うことができる。あなたが浮かない気分の時にへらず口をたたかないAIや、急いでいるようなら対話を早く進めるAIを想像してみてほしい。ユーザーの気分によって、振る舞いを変えるAIだ。

もちろん、音声分析以外にも共感をもてるAIを作る方法はある。顔認識技術の向上によって、感情を直感的に捕えられるようになった。居間に置かれたAIアシスタントは、あなたが過去1時間に好きなコメディーを見て笑っていたのか、あるいは配偶者と言い争っていたのかがわかるので、あなたの表情や声のトーンに基づいて振る舞いや会話内容を変えることができるはずだ。ブラウザーの履歴や消費者プロフィールの似た他のユーザー情報に基づくのではなく、その場で瞬時に反応する。

基本的に共感とは、個人や個人の感じ方を理解することだ。人は常に変わり続けるという認識も必要だ。いい日もあれば悪い日もある。新しい趣味を始めたり、ダイエットで生活パターンを変えたり、休暇に出かけたり、仕事の大きな発表を控えていたり。毎日が違うように、すべての対話が異なる。共感をもつAIはそれを理解する必要がある。カレンダーに会議の日程を入れて、知らせてくれるAIアシスタントをデザインするのは、知識だ。「邪魔が入る」かもしれないことを知り、瞬時に日程変更する必要があることを知るのは、共感だ。

パターンを見つけられただろうか。共感をもつAIを作るためには、ユーザーをグループとして見るのではなく、個々のユーザーを個人として見る必要がある。それは人間がお互いの心理状態や意図を推しはかるのと同じように微妙な変化を読み取り、相手の反応を学習するシステムをデザインすることだ。それは人間が会話する時と同じように、進化しながら瞬時に行動を変化させるものを作ることだ。それは、ユーザーを本来の個別の人間として見ることのできるテクノロジーを作ることだ。そしてもし、次のAIが共感をもつものになるなら、それこそがわれわれのすべきことだ。

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(翻訳:Nob Takahashi / facebook