『沈みゆく帝国』の著者、ケイン岩谷ゆかり氏がセミナーでDanbo山田昇氏と対談

ケイン岩谷ゆかり氏の『沈みゆく帝国 スティーブ・ジョブズ亡きあと、アップルは偉大な企業でいられるのか』(日経BP刊) についてはTechCrunch JapanでもApple CEOティム・クックが名指しで批判した「沈みゆく帝国」で詳しい書評を掲載しているが、岩谷氏が昨夜(7/16)東京でセミナーを行ったので取材してきた。

このセミナーは出版元である日経BPが企画し、趣旨に賛同したサイバーエージェントがビジネスパーソン向けイベント事業、SHAKE100の一環として運営協力したものという。

セミナーはサイバーエージェントの渡邉大介氏がモデレータとなり、岩谷氏とMacお宝鑑定団の会長、山田昇(Danbo)氏が対談するという形で行われた。

なお、岩谷氏の日本での発言については本書の編集者である日経BP出版局の中川ヒロミ部長の、「ジョブズが去って一番変わったのは広告」、『沈みゆく帝国』著者がアップルの今後を語るという記事がたいへん参考になる。

執筆の動機―「Appleはもうクールじゃない」

岩谷氏は、もともとAppleについて、ジョブズを支えたチームに焦点を当てた本を書こうと考えていたという。しかしウォルター・アイザックソンによる膨大な伝記の出版とジョブズの死で、Appleの過去についてはひとつの答えが出たと感じ、その未来について考えてみたくなった。そのモチーフは、「偉大な創業者を失った会社がその後も偉大でいられるのか?」という疑問だった。この点は、20世紀末に井深大と盛田昭夫という創業者を失った後のソニーがいつの間にか不振にあえぐようになったことが念頭にあった。

はたして、スティーブ・ジョブズという不世出の天才を失った後もAppleは全盛期の輝きを維持し続けることができるのか? 岩谷氏はこの点について最近体験したエピソードを語った。岩谷氏は1月ほど前にサンフランシスコの名門中学で話をする機会があった。そのときに「自分(岩谷)はiPhone、iPadのユーザーだが、最近のAppleのプロダクトには問題もあると思うが、UIやアプリ連携の点でまだAndroidには移行しにくい」と言ったところ、すかさず中学生から「後で教えてやるよ!」と返されたという。新しいものを追う若者の間ではiPhoneはすでに一時のような「クールなプロダクト」ではなくなっていることを感じたという。

情報源は「歴史に残りたい」と協力

ガードの固いことで知られるAppleからこれほど豊富な内部情報を取材できた秘密について岩谷氏はこう語った。「Wall Street Journal時代もAppleは厳しい取材相手で、記事の個々の単語のニュアンスについてもAppleから要請を受けることがあった。ジョブズの生前であればあれほど多くの情報は得られなかったと思う。しかしジョブズの死後、その呪縛が薄れた。一方でジョブズに近い場所で働いていた人々には『この偉大な企業で果たした自分の役割をきちんと歴史に残したい』と考える人々がいて、取材に応じてくれた」という。

またジョブズが後継者としてクックを選んだのは「ジョブズの栄光を薄れさせるような独自性を発揮せず、かといってAppleを傾けもせず、堅実に経営してける人物」ということだったのかもしれないと岩谷氏は推測する。

ジョブズ時代には驚くほど細かいこと点ジョブズがすべてを決めていたという。データの出る幕はなく、M&Aだろうと製品開発だろうとジョブズの一言がすべてだった。その結果、エンジニアの地位は高く、MBAの出る幕はほとんどなかった。しかしティム・クックはデータと多数決が好きだという。この点はAppleが世界有数の巨大企業になってきたことからの必然だったかもしれないが、それでも官僚化は進んでいる感触だという。山田昇氏によるとは「以前のAppleは副社長(VP)が15人くらいだったが、今は50人くらいに増えた」という

ジョブズ後にAppleの空気が変わった例として、岩谷氏はApple内でG2Gという言葉が使われていることを挙げた。”Go to Google”の略で「誰それは最近見えないね」というと「ああ、奴はG2Gさ(Googleに転職したよ)」というような会話が交わされているのだという。

Appleのビジネスは絶好調ではないか?

山田氏は「Appleの現状は売上、利益ともに世界有数で、株価も高い水準を維持している。危機というのは当たらないのでは?」と疑問を呈した。

岩谷氏は『沈みゆく帝国』というのは日本語版のタイトルだと断った上で、「ソニーも創業者を失った後何年も好調を続けた。またジョブズがAppleから追放された当初、経営のプロのジョン・スカリーの下で業績は好調に見えた。しかし岩谷氏が取材したところでは、1985年当時も、ジョブズが去った後ですぐに社内ではエンジニアの地位が低下し、リスクを取ったプロジェクトがなくなるなどカルチャーの変化が感じられたと証言する人が多かったという。「業績の低下が表に出たときには事態はすでに相当悪化している」として岩谷氏は現在伝えられるAppleのカルチャーの変化に懸念を示した。

岩谷氏はスカリーにもインタビューしたが「創業者でないCEOはやはり自由が効かない」と語ったという。「スティーブなら通ってしまうようなことが自分の場合は株主や幹部が反対してやりずらかった」のだそうだ。ティム・クックはスカリーと同様、経営のプロで、ジョブズのパートナーとしては理想的だったが、ジョブズの天才の輝き、超人的な説得力はない。またAppleの社内文化は非常にタイト(結束力が強く)で、M&Aで外部から参加した人材は溶け込むのに苦労するという。

つまり、外部の人間がCEOになれるようなカルチャーではなさそうだ。岩谷氏はApple Store事業のチーフにスカウトされた元バーバリーのCEO、アンジェラ・アーレンツがAppleに溶け込めるか、その動向に注目していると語った。

どんな企業も永遠に輝き続けるのは無理なのかも

筆者(滑川)は、たまたまその朝、飛び込んできた速報:AppleとIBMがハード、ソフトで全面提携―エンタープライズ分野に激震という記事を翻訳したところだったので、Q&Aの際に「AppleとIBMの提携はうまくいくと思うか?」と質問してみた。

岩谷氏は「その成否はわからないが、もしうまく行かないとしたら、それはティム・クック自身の能力不足などによるのではなく、Appleという組織が巨大化し、官僚化したことによる結果だろう」と答えた。

岩谷氏はこれに続けて「本書はAppleを批判するために書かれたという誤解があるが、私はそうしているつもりはない。しかしAppleといえども永遠にあの輝きを放ち続けるのは無理なのかもしれないと感じることはある」と締めくった。

ティム・クックという人物の謎

最後に筆者(滑川)の感想を少し付け加えると、まず岩谷氏の徹底した取材ぶりにもとづく事実の積み重ねに圧倒される。さまざな場面が印象に残っているが、その一つがティム・クックCEOの人物像を得るためにアラバマ州南部のスモールタウン、ロバーツデールにまで足を運んでクックを教えた高校の教師などにインタビューした部分だ。

私はそこで描写された南部の町の雰囲気はハーパー・リーのベストセラー『アラバマ物語』にそっくりなことに気づいた。グレゴリー・ペック主演の映画も有名な『アラバマ物語』の舞台は1934年、ヨーロッパでヒットラーが権力を握った頃の南部の町だが、その町のモデルになったハーパー・リーの生地モンローヴィルをGoogleマップで調べてみると、ロバーツデールから車で2時間くらいの近所だった。

『沈みゆく帝国』を読んでいくうちに、アラバマの田舎町では80年経っても(物質的な面は別として)人々の行き方がほとんど変わっていないのに驚かされた。岩谷氏は本書でティム・クックがゲイ・レズビアン向けの雑誌の人気投票でナンバーワンになったことを紹介しながら、「(ゲイであるかどうかは)大きな違いはない。クックに私生活の時間はほとんどないからだ」とユーモラスに述べている。

それやこれを考えるとティム・クックの容易に人を寄せ付けない性格は、桁外れの才能と独自の感性を秘めた少年が「全員が全員のことを隅から隅まで知っている」南部の町に違和感を感じながら育ったことからも形成されたのではないかなどと勝手な想像が膨らんだ。そういえば、『アラバマ物語』には「おもしろい作り話をいくらでも作ってくれる」ディルという「変わった」少年が登場する。このディルのモデルであり、ハーパー・リーの従兄弟で一時隣家に住んでいたのが後年のゲイの天才作家、トルーマン・カポーティだったという。

外村仁Evernote Japan会長、林信行氏、小林啓倫氏を始め、Appleに詳しく、IT分野で影響力ある方が大勢出席しており、岩谷氏の著書への関心が高いことが感じられた。Appleの今後に興味があれば必読の基礎資料とといっていいだろう。

滑川海彦 Facebook Google+ 写真撮影:滑川)