すぎやまこういち氏が逝去、ドラクエなどの「この道わが旅」を振り返る

すぎやまこういち氏が逝去、ドラクエなどの「この道わが旅」を振り返る

作曲家のすぎやまこういち氏(本名:椙山 浩一)が9月30日、逝去されていたことが明らかとなりました。1931年4月11日、東京都生まれの満90歳であり、「ドラゴンクエスト」シリーズにて500曲以上もの名曲を手がけてきた国民的な作家にも、誰しもやって来る「その日」が訪れることになりました。

音楽好きの家庭に生まれ、小学校の学芸会ではハーモニカ合奏の指揮をしていたすぎやま氏は、一度は音楽から遠ざかって東大理科二類へと進学しました。しかし卒業後は「仕事をしながら音楽の勉強ができる」からと文化放送に入社し、のちに開局1年前のフジテレビへと移籍。そこで「ザ・ヒットパレード」や「おとなの漫画」といった伝説の番組のディレクターを務めつつ、自らテーマ音楽も作曲し、やがてCMソングなどの作曲活動も活発化することに。

さらにはザ・タイガース(すぎやま氏が命名)に提供した曲が次々とヒットしたことで活動を作曲1本に絞り、その後70年代初めに「科学忍者隊ガッチャマン」や「伝説巨神イデオン」などアニメの劇伴や、「帰ってきたウルトラマン」の主題歌といった新天地を開拓していきました。

そして80年代半ば、すぎやま氏が50代半ばのときのこと。パソコンソフトの『森田和郎の将棋』を遊んだすぎやま氏は販売元のエニックス(現スクウェア・エニックス)にアンケートを送り、それを見かけた千田幸信氏(ドラクエシリーズのプロデューサーで現スクウェア・エニックス取締役)が電話でコンタクトを取ったことからゲーム音楽への関わりが始まったのは有名な話です。ちなみに最初に手がけたのはドラクエではなく、アドベンチャーゲーム『ウイングマン2−キータクラーの復活』です。

ファミコンが使える音色は基本的に4つのみで、宝箱を開けるなどの効果音を除けば実質3トラック。しかし中学時代にレコードがすり切れるほどクラシック音楽を聞き、バッハを「大先輩」と呼ぶすぎやま氏はメロディ勝負を挑んだと言います。

かたや初代ドラクエの開発スタッフは当時20代の若者ばかりで、すでにサウンドプログラマーによる音楽はある程度出来ていたとのこと。初めはすぎやま氏が参加することに反発はあったものの、筋金入りのゲーマーだったすぎやま氏と彼らはビンゴゲームの話題で意気投合し、正式に作曲を依頼することになりました。

その際、ゲーム音楽についてすぎやま氏は「レコードのヒット曲作りとは全く逆」と答えたと伝えられています。つまりヒット曲は一度聞いただけで与えられるインパクト重視に対して、ゲーム音楽は逆に何回聞いても飽きない「聞きべりのしない」曲でなければならない、ということ。

そのときすぎやま氏とスタッフらが一致した「ゲーム音楽は何十年何百年と人に聞いてもらえるクラシック音楽だ」という考え方は、実際に歴代ドラクエシリーズの音楽が証明している感はあります。

そのうちドラクエの代名詞である「序曲」(「序章:ロトのテーマ」)に関しては「中世ヨーロッパの冒険物語」というイメージを聞いたすぎやま氏が5分で作ったものの、それまでのクラシック体験や歌謡曲、ゲーム愛の詰まった54年分の上にある「5分+54年」だとご本人が語られていました。

ご存命中に東京五輪の開会式で序曲が流れたことは、すぎやま氏にとってもファンにとっても最高の花道だったかもしれません。またドラクエシリーズで最後のお仕事は、制作中の『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』の作曲だったとのこと。その発売を楽しみに待ちつつ、謹んでご冥福をお祈りいたします。

(Source:スクウェア・エニックスEngadget日本版より転載)

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TechCrunch Japan

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