すべてのものがランダムに決まる確率論的時代へようこそ

1990年にKleiner Perkinsは、持ち込まれた投資案件の99.4%を却下し、その年には12の新しい企業に投資した。これらの投資によりKleiner Perkinsは“歴史上もっとも成功した金融機関”と呼ばれるようになり、向こう30年間の合計で“1年あたりのリターン40%”を誇示する結果となった。

今日では、シリコンバレーの寵児Y Combinatorが毎年250社あまりに投資している。同社は厳しい審査で有名で、申込者の1.5%ぐらいしか支援しないが、しかしそれでも、全盛時のKleiner Perkinsほど厳しくはない。ただし同社(YC)は、承認案件は多くて、投資単価は小さい。でも当時のKPですら、1994年にNetscapeの25%をわずか500万ドルで買っている。

1995年には、事実上三つのキー局のネットワークがアメリカのテレビを支配していた(ABC, CBS, NBC)。それだけで、1週間を填め尽くすだけの番組量があった。今ではあまりにも多くのテレビ放送があり、一年中毎日どこかで新番組の第一回が放送されている。映画では、1995年には、上位10本の作品が1年間の総興行収入の14%を占めたが、2018年のここまででは上位10作が総収入の25%を占めている。出版もこれに似ていて、いわゆる“中堅作”(midlist)…ほどほどのヒット…がほとんどなくなり、“ベストセラーか失敗作か”という様相に取って代わられた。

1995年にあなたがジャーナリストだったら、あなたの記事の読者数は記事が何に載ったかで決まった。あなたのとっても優れた記事がHalifax Daily News〔カナダの地方紙、2018年廃刊〕に載ったら、もともと少ない読者数のほとんどが、他の記事と同じく、見出しをさっと見るだけで通り過ぎただろう。でもThe New York Timesだったら、ページの隅っこに埋もれたような記事でも、カナダの地方紙でそれを読まなかった人よりも多くの人が、読んでくれただろう。しかし今では、どんな記事でも、複数の出版社間および一つの出版社内の競争において読者数の勝者を決めるのはソーシャルメディアによる共有であり、それは必然的にべき乗則従う。つまり、意外なほど少数の記事が、読者数の大半を奪う。

これらの共通項は何だろうか? いわゆる“ヒット”の数は比較的一定だが、それらの価値が大きくなっている。そして、その他大勢(swings)の数が今や大きすぎて、どんな個人も、そしてどんなグループさえも、それら中堅作にしっかり注意を払うことができない。だから個々の結果や作品などにフォーカスすることは今や無意味であり、むしろあなたはコホート(特定集団)にフォーカスし、確率論的に考えるようになる。〔コホート自体はランダムに決まり、それら上位作のオーディエンスが雪崩(なだれ)的雪だるま的に急増する。〕

“確率論的”とは“ランダムに決まる”という意味なので、初めてこの言葉を聞く人は逃げ腰になるだろう。たしかに、製作者も投資家もパブリッシャーも、ランダムに動いてなんかいない! 彼らは大量の分析と努力と知恵を傾けて何かを作っている! それは本当だがしかし、ぼくが言いたいのは、そういう情報管理者たちの力は先細っているし、そして自称監督、CEO、評論家等々は急増し、制作や発表の費用は激落していることだ。そんな中では、ランダム性がますます重要な要素になってるのだ。

挿話は、簡単に見つかる。売値が100万ドルだったときのGoogleを、Exciteが買収していたら、どうなっていただろう? Picplzが成功してInstagramが失敗したときから、一体何年経っているのか?〔ちょっとしか経っていない〕。 正直なサクセスストーリーには運の要素が必ずあり、それはここの文脈ではランダム性の一種だ。ぼくが言いたいのは、世界の大きなトレンド…相互接続性の増大や、その高速化、テクノロジーへのアクセスの大衆化…これらによってランダム性はますます重要な要素になる、ということだ。

それは一概に良い(善い)こととは言えない。ランダム性は、ときにはランダムなテロだったりする。それは、“マスコミュニケーション的情報通信技術の大衆化が特定の個人や集団を攻撃する手段になり、それがテロを誘起し、それらは統計的には蓋然的と言えても、実際に起きるときにはランダムに起きるように見える”、ということだ。殺し屋たちがISISに加わるとき、事前に十分なコミュニケーションなどなんにもない。これをもっと一般的かつ論争的に言うなら、憎悪や過激主義がブロードキャストされることによって、政治的暴力が助長されるのだ。

そして、気候変動はますます確率論的な災害になってるようだ。温暖化で大気中のエネルギーが増え、なお一層不安定な動きをするようになる。すると、旱魃や山火事、ハリケーンなどの大災害も増える。気候変動が、それらを起こしているのか? いや、直接そうではない。それらが起きる確率を大きくしているだけだ。確率が大きくなり、当たる頻度が増している、という言い方でもよい。

このことは、人間の努力のどの分野にも当てはまるわけではない。しかし、本質的に異常で極端な成功や失敗を動因とする分野なら、そのどれにも当てはまる。それらは、Nassim Talebが造語したextremistanだ。 Extremistanは至るところでますます極端へと成長し、その肥大が終わる気配はない。

画像クレジット: Piere Selim/Wikimedia Commons; クリエイティブ・コモンズ CC BY 3.0のライセンスによる。

[原文へ]
(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。