アプリでは不十分:Facebook Homeを追ってモバイル画面の陣取り合戦が始まる理由

スマートフォンアプリの器は限られている。視聴者にコンテンツや情報を提供することはできても、あくまでもオペレーティングシステムの制約の範囲に制限される。使ってもらうためには、ユーザーをまず自社アプリまで誘導する必要があり、必然的にユーザーが自社製品「内」にいる時と「外」にいる時とがある。先週Facebookは、その区別を自分で決める意向を明確に宣言した。そして他の人々も同じことができないか探りはじめているに違いない。

Facebook Homeは、モバイル端末における物ごとの自然な順番を従来と逆転させる。ユーザーはますFacebookに入り、そこからソーシャルネットワーク「外」(ただし完全に外ではない)のAndroid本来の世界へ行き他のアプリを使うためのランチャーが利用できる。このソーシャルネットワーク会社は、Facebook Homeでは人が第一と謳っているが、実際にその背後にあるビジネス動機は、Facebookが第一だ。

Facebook HomeのしくみやAndroid OS自体の修正やアプリによる方法との違いを説明するためにFacebookが使った図(OSの基本部分とその上で動くアプリの間にサンドイッチされたレイヤーだとFacebookは言っている)は、なぜこれがFacebookにとって望ましい状況であるかを表す完璧な例だ。モバイルユーザーはデスクトップユーザーと比べて同時に複数のことを行う傾向にあり、モバイルSDKやAPIによって他社ソフトウェアとの統合が簡単になった今何をどう共有するかの選択肢も増えた。そんなユーザーからより多くの価値を引き出そうとする他社にとってもこれは好ましい状況だ。

一般に、従来のウェブモデルからモバイル第1への移行を試みる企業は産みの苦しみを経験する。特に、小さな画面とアプリ中心の環境に広告モデルを転換する方法が問題だ。Facebook Homeは当初広告を入れていないが、CEO Mark Zuckerbergは、いずれカバーフィードに広告を導入する意向を強く示した。これはFacebookのAndroidランチャーのメイン画面で広告が重要な位置を占めるようになるとことを意味している。

Androidでは、開発リソースと時間とやる気のある者なら誰でも、独自のランチャーを作り、OS本体とアプリの中間位置に入ってさまざまな方法でユーザー体験を制御できる。シェアされたり話題にしてもらいたいサービスを持つ会社なら誰でも、ユーザーの端末上に場所を確保できることによって大きな恩恵に預かることができる。Evernoteフォンはもちろん、GetGlueタブレットやTwitterフォンも、容易に想像できる。

ユーザーが自分の端末体験の大部分を一サービスやアプリメーカーに委るだろう、と企業が考えるのは少々傲慢かもしれない。だから月間アクティブユーザー10億人のFacebookならその試みが許されると感じるのかもしれない。他の小さなネットワークが同じことをやろうとするのは、さらに非常識かもしれないが、仮に十分な数のユーザーを説得してモバイル体験の鍵を渡させることができるのなら、長期的に見て初期リスクを負う価値はあるだろう。

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(翻訳:Nob Takahashi)