グリー田中氏が10年を振り返る——社会からの批判、「未熟」の一言につきる

福岡で4月9日〜10日に開催中の招待制イベント「B Dash Camp 2015 Spring in Fukuoka」。午後には「グリー10年の軌跡とこれから」と題したセッションが開かれた。登壇したのはグリー代表取締役会長兼社長の田中良和氏。B Dash Ventures代表取締役社長の渡辺洋行氏がモデレーターを務める中、グリーのこれまで——特に苦労を中心に——を語った。

人が誰も入ってこなかった

2人で起業してから従業員約1800人まで成長したグリー。渡辺氏はまず、一番大変だった時期について尋ねる。

「この10年悩んでいるが、グリーはすごくうまくいっているのか、そうではないのか分からなくなる」(田中氏)と答える田中氏だが、まず最初に大変だったのは人材採用だったそうだ。

「1番目の社員は山岸さん(創業期メンバーであり、現・取締役副会長の山岸広太郎氏)の友達。エンジニアだと聞いていたが『経理しかできない』と言われた。でも人がいなかったので採用した。2、3番目は学生で、4番目は営業に来たサイボウズの社員。手当たり次第採用しないと誰も入ってこなかった」(田中氏)。

上場時の社員は約100人だが、田中氏の友達の友達、社員の友達の友達といった人材が7割程度を占めていた。「(友達が多いのは)自慢ではなくて、ただ誰も入ってこなかった」(田中氏)

田中氏は、そんな状況でも事業を続けられた理由について、楽天での経験を挙げる。「創業期に遊びに行ったとき、楽天は雑居ビルの一室。三木谷さんはハーバードを出ているのにカローラに乗っていて『こういう人に関わっちゃいけない』と思った。だがその後会社は大きくなり、『会社ってそうやって作るモノだ』と思った。だから(グリーの創業期も)乗り越えられた」

PCからフィーチャーフォンへのシフト

苦労話はまだ続く。いざ人材が入っても、その人材に支払うお金がないのだ。「僕も(年収)400万円くらいで働いていた。辛いのは誘って入社してくれる人。前職から大幅に給料を下げてもらうしかないのが現実。心苦しいと思っていた」(田中氏)

そんなときは、自身でキャッシングしてお金を捻出していたそう。給料遅延こそなかったそうだが、「このあと破産するか、うまくいくか、どっちかしかないと思っていた」(田中氏)のだそう。

苦境はまだまだ続く。上場が見え始めた頃(2005〜2006年頃、KDDIからの調達前)に、PCでのビジネスの限界点が見えたという。そのタイミングでフィーチャーフォンで定額制がスタート。思いきってモバイルにシフトをしたのだという。

渡辺氏はその際に出た社内の不満をどう調整していったのかと田中氏に尋ねる。「社長として問われるのは、その話(モバイルシフト)をして納得しない、辞めちゃったとしてもしょうがない。『それしかないんだ』と自分でどれだけ確信できるかだ」(田中氏)

社会からの批判、「未熟」の一言につきる

そんな苦労も超えて、ゲームプラットフォームとして成功の道を歩き始めたグリー。だが2010年頃からは、競合とのケンカ(渡辺氏の表現。当時グリーとDeNAはプラットフォーム同士でのいざこざがいろいろあった。当時の状況を知りたければこんな記事もある)に始まり、コンプガチャの問題が起こる。

田中氏は当時の心境について、「何が起きているのか咀嚼するのに時間がかかった。メディアの報道を見て、何を問われているのかと」と振り返る。

「僕らはいいサービス、使ってもらうサービスを作っているという、ある意味純粋な気持ちだった。『誰も使わない』と言われていた釣りゲームを作った結果、国内累計1500万人に使われるようになり、そして社会問題になった」(田中氏)

「だが今思うと『未熟』の一言に尽きる。0から数千万人が使うようなサービスをやったことがなかったので、言い訳にならないが、その重要性や社会への責任、説明の仕方が分かってなかった。ビジネスマンとして世の中を変えるのであればその資格がない。未熟だった」(田中氏)

渡辺氏はこれを受けて、暗にgumiの業績下方修正を発端にした騒動に触れ、「社会的認知がされて、未公開から公開企業になって、社長の行動を考えないと(いけない)」と語る。

田中氏もこれに同意し、「ほとんどの人が悪意を持っているのではなく、どうしていいのか分からないということだと思う。でもそれは『分からない』では済ませられない。だらかが分かりやすく何度も説明する必要があると思う」とした。

グリーで一生頑張る

社会とも向き合い、海外にも進出(そして一度撤退して最適化)したグリー。PCからフィーチャーフォンへのシフトに次ぐスマートフォンのウェブからネイティブアプリへの、2回目の「シフト」を進めている。

その状況については「人員的なシフトは完了して、『消滅都市』はランキングも売上も上がり続けている。手応え、勝ちパターンはやっと見えてきた。重要なのは続けること。ボラティリティはあるが、強い精神力で作り続けていくべき」(田中氏)

さらに、渡辺氏から「また新しいことで起業しないのか」と尋ねられると、「人生で二度とやりたくないランキング一位が『起業』(笑)」としたあと、「僕もみんなもスティーブ・ジョブズにあこがれている。でもジョブズもゲイツも30年やって今に至る。それであれば30年やらないといけない」とコメント。「グリーで一生頑張る」とした。

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TechCrunch Japan

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