テクノロジーの”見えない化”のススメ

invisible-bot

【編集部注】執筆者のElizabeth McGuaneは、Intercomのリードコンテントデザイナー。

プロダクト開発の世界では毎年バズワードが生まれているが、今年のバズワードは間違い無くボットだろう。

私たちはボットを含め、つくったものには通常名前を付ける。これはほとんどの人が疑問にも感じないようなプロセスだ。HAL 9000Herのようにボットは予め擬人化され、iPhoneにはSiriが、AmazonのEchoにはAlexaが、そしてFacebook MessengerにはPSL(Pumpkin Spice Latte)Botが搭載されているように、私たちがすぐにコンピューターとの関係性を構築できるように準備されている。

名前を付けることで、私たちは無機物に対して信頼感を抱くことができ、対象物を支配下においていると感じることができる。デザイン用語で言えば、名前はアフォーダンス、つまり私たちが掴むことのできる持ち手のようなものなのだ。

Intercomのプロダクトデザインチームで言語のエキスパートとして働いている私にとって、ものに名前を付けるということは日常業務の一部だ。メッセージ系のプロダクト上で動くボットを開発し始めたとき、私はブレインストーミングで男性っぽいものや女性っぽいもの、中性的なものや機能的なものなど、何百個もの名前を考え出すつもりでいた。

しかし私たちはまず最初に、ボットや言語や名前とユーザーとの関係性を理解するためにテストを行うことにした。その結果、ボットにアイデンティティを与えることが必ずしも最良ではないということがわかった。ボットをSiriと呼ぶことには、車をBessieやOld Faithfulと呼ぶことほど関係性を構築する力があるとは言えないのだ。

会話とタイピングは全くの別物

音声認識機能が搭載されたボットを使うときは名前があると何かと便利だ。「Siri」、「Alexa」、「OK Google」といった呼びかけには、実質的にGoogleのウェブサイトを開いて検索ワードを入力するのと同じ効果がある。ユーザーが検索欄を見ると、彼らの脳は「何か検索したいものがある」という考えから、実際のアクションへと思考を移していく。世界中で1秒間に4万回以上も検索が行われている今、実際にはシステムに質問を投げかけて何らかの回答を待っているとしても、私たちはシステムと対話しているというような印象を持っていない。

しかしテキストベースのボットやチャットボットにおいては、名前はアクションに直結しない。人気の仕事向けメッセージプラットフォームSlackに備わっているSlackbotでも、ユーザーは予めプログラムされた回答を取り出すために「Hey Slackbot」などと呼びかける必要はない。

検索内容を声に出すことで、検索するという目的自体は果たせるが、私たちの注意はシステムとの交流に向けられてしまう。これには良い面と悪い面の両方がある。声は文字に比べて、より”人間っぽい”ものだ。昨年の8月に行われた研究によれば、私たちは同じ情報を耳で聞いた場合と目で読んだ場合、耳を介して得た情報の方が人間によってつくられたものだと考えやすい傾向があるとわかっている。

今日のデザイナーの成功は、ユーザーがその存在を感じないようなテクノロジーをつくれるかどうかにかかっている。

しかし人間らしさは苛立ちにつながる可能性もある。一日に「OK Google」と75回言う方が、同じ回数だけ静かにノートパソコンを開いて検索内容をタイプするよりも疲れる気がしないだろうか。

プロダクトデザインの観点から言うと、ボットとメッセージングプラットフォームの本質は同じだ。つまり人間同士が会話するために設計されたシンプルな要素をそのまま利用して、メッセンジャー内にボットを組み込むことができるのだ。

そのため私たちは、ボットの開発に向けて色々と試していたときに、ボットとユーザーのやりとりにもメッセージングプラットフォームの要素を応用しようとした。具体的には、テスト用のボットに名前を付け、人間のように「こんにちは。私はIntercomのデジタルアシスタントのBotです」と自己紹介をさせるようにしたのだ。

ユーザーからの反応は意外なものだった。ボットに不快感や苛立ちを感じた彼らには、人間っぽいコミュニケーションが全く好まれなかったのだ。とても軽い内容のやりとりだったにも関わらず、ユーザーはボットを邪魔で、自分たちの(本当の人間に話しかけるという)目的を妨げるような存在だと感じていた。

ボットの声に変化をつけて、あるときはフレンドリーに、またあるときは控えめで機械的な対応をするように設定するなど色々と試したが、結果はほとんど変わらなかった。

しかし私たちがボットの名前を取り去り、一人称代名詞の使用や自己紹介をやめると事態は好転しだした。どの要素よりも名前が1番の原因だったのだ。

誰が持ち手を握っているのか?

私たちは一世紀以上にわたって、ロボットにまつわる恐ろしい物語を自分たちで広めてきた。そしてその物語の中で私たちは、ロボットという存在を哀れむと共に疑ってきた。前述の通り、人間は道具に名前を付けるときにその支配権を主張している。この背景には、自分が実際に道具を使ってものごとと関わりあい、仕事をする主体であると感じたいという私たちの思いが存在するのだ。

デジタルツールは実世界のツールとは心理的に全く異なる性質を持っている。デジタルツールには実際に握れる持ち手が存在しないのだ。職人が自分の手で修理できる金槌とカリフォルニア(Intercomで言えばダブリン)かどこかのデザインチームが設計・開発したチャットボットの間には大きな違いがある。

Intercomに務めるほとんどのライターとは違い、私の仕事はユーザーに気付かれないほど良いとされる。コントロール(または支配)とは、デジタルツールを設計する上で大変重要な概念だ。あるプロダクトの中でユーザーが目にする言葉のほとんどは、ライターである私ではなく実際にプロダクトを使うユーザーにコントロールを与え、プロダクトの理解を促すために存在する。ここでのゴールは、ユーザに直感的にプロダクトを使ってもらうことであり、スクリーンに表示される言葉は金槌の持ち手でしかない。

名前やアイデンティティが付加されることで、スクリーン上のツールは直感を越え、それまでとは違った仮想ツールとなり、ユーザーとの関係性にも大きな変化が生じてくる。しかしユーザーは必ずしもその変化を求めておらず、好ましいものだとも感じていない。

これは目新しさが原因なのかもしれない。時間が経てば仮想ツールという存在に慣れて、ユーザーもツールを信用するようになるかもしれない(最近のニュースの見出しを見ているとそんな気もしないが)。しかし何百という数のロボットに関する映画や本で描かれている内容に反し、テクノロジーに人間性を持たせるというのは、私たちがロボットに慣れるための方法としては適していないのかもしれない。

デザイン上の他の考え方として、テクノロジーとはほとんど目に見えないものだと主張する人もいる。SiriやAlexaがその例になるのかもしれないが、実際に”見る”ことができないため、ユーザーはバックグラウンドに隠れたボットに気づかないというのが彼らの主張だ。しかしこの考えが正しいとは言い切れない。

確かに人間は視覚的な生き物で、私たちは目で見たものに反応する。しかしそれ以上に人間は社会的な生き物で、私たちはコミュニケーションがとれるものに反応する。それゆえ私たちは持ち物に名前を付け、長い間妄想していたロボットに恐怖を抱いているのだ。

今日のデザイナーの成功は、ユーザーがその存在を感じないようなテクノロジーをつくれるかどうかにかかっている。テクノロジーはユーザーから見えなくなることで、本当の意味でのツールになれるのだ。そして言葉を扱うデザイナーの成功は、ユーザーが直感的にツールを使えるよう、言葉が前面に出てこないようなツールをつくれるかどうかにかかっている。

原文へ

(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。