テクノロジー業界におけるイラン系アメリカ人の活躍は偶然の産物ではない

ExpediaのCEOであるDara Khosrowshahiは、長きにわたりイラン人とイラン系アメリカ人への注目を集める役割を果たしてきた。その理由の1つは、このUberの新CEOに選ばれたばかりの48歳の人物が、元々はイラン革命を逃れて、9歳のときに家族とともにイランを脱出した経験を持つからだ。また別の理由としては、彼と米国テクノロジー界における他のイラン系の人たちとの結びつきが、とても広いものだからだ。

ワシントン・ポストが今朝の記事で指摘しているように、Khosrowshahiの兄弟であるKaveh KhosrowshahiはAllen & Co.の取締役であり、彼のいとこであるAmir Khosrowshahiは昨年4億ドル以上でIntelに買収された人工知能の会社Nervanaの共同創業者だ。彼はまた、創業者でハイテク投資家であるハイパワー双生児のHadiとAli Partoviのいとこでもある。

まるでそれだけでは不足というように、ワシントン・ポストの記事では、他の2人のファミリーメンバーであるFarzad “Fuzzy” Khosrowshahi(Googleスプレッドシートの開発に関わった)と、Avid Larizadeh Duggan(ロンドンを拠点とするGVのジェネラルパートナー)の名前も挙げられている。

ベンチャーキャピタリストのPejman Nozad(1992年にイランから米国に移住したときに英語も話せない上に1文無しだった)は、Khosrowshahiの成功やその幅広い人脈は、イラン人の家族たちがどのように暮らしているかを知るものにとっては特に驚くべきことではないと言う。すなわち、家族と友人たちを第一に考え、勉学に専念し、特に数学と科学に力を入れる生き方だ。

「数学と科学はイランの文化に深く根ざしています」とNozadは言う。彼は現在ベンチャーファームPearの共同経営者だが、この会社はおよそ4年ほど前に友人でもある仲間の投資家Mar Hershensonと共同設立したものだ。

Nozadは(しばしば数学者のノーベル賞と形容される)フィールズ賞を受賞した、Maryam Mirzakhaniの名前を挙げた。これは女性初であると同時にイラン人初の快挙だった(大変残念なことに、スタンフォード大学の教授であったMirzakhaniは、先月40歳の若さで亡くなった。進行の速い乳がんだった)。

Nozadはまた、かつてNewsweekが記事で取り上げたこともある、 スタンフォード大学に多数のPhD学生を送り込んでいるイランのシャリフ工科大学のことにも言及した。実際その記事では、シャリフ工科大学のことを「世界最高の学部レベルの電気工学プログラムの一つ」を持つ大学と賞賛した。マサチューセッツ工科大学、カリフォルニア工科大学、そしてスタンフォード大学のような米国の学校に在籍する才能を考えるとき、それは何かを物語っている。

他に仕事に関係するものとして、Nozadは、他のイラン人たちの面倒をみることが大切だと語る。彼は、彼が知るイラン人たちを皆「本当に親切で思いやりがあり情け深い人たち」だと呼んでいる。「私たちはお互いに親切であるようにと育てられますし、会社も家族のように扱っていると思います」。

確かに、KhosrowshahiはExpediaの従業員たちを魅了しているようだ。求人ウェブサイトのGlassdoorが実施した米国のCEOランキングでは、2200人以上の従業員たちが彼に高い評価を与えて、Khosrowshahiは100人中39位にランキングされた。

Nozad自身は素晴らしい人脈を誇る人物として知られており、以前はPejman Mar Venturesという名で呼ばれていたベンチャーファームPearの、暖かい雰囲気を作り上げた(StrictlyVCが、その作られつつあるマイクロコミュニティについて2014年に報告している)。さらにNozadは、パロアルト、サンフランシスコ、バンクーバーでは、イラン人とイラン系アメリカ人の幅広い面々が、Noon Barbariと呼ばれる非公式の金曜日の朝食で会っている、と指摘した。この会の名前は人気のあるペルシャの平たいパン(フェタチーズやジャムをつけて食べる)に因んで付けられたものだ。参加者はいつやって来ても良いし、いつ帰っても良い。しかし参加者は人脈作り、支援、そしてアイデアの交換が、いつでも話題に上っていることを知っている。

そして、また別の要因が出てくる可能性もあるとNozad。彼の家族は1980年代にテヘランからドイツに脱出した。フルタイムの投資家になる前には、テクノロジー業界の大金持ちたちに絨毯を売っていたことで有名だ。多くの人が証明しているように、イラン人の多くは米国に来るために大変な苦労をしてきた。そして彼らはこの国の暮らしを当然のものとは考えていない。

「私たちの大半は、アメリカでの生活を徒手空拳で始めました。全くのゼロからです」とNozad。「しかし、これまでアメリカが私を、出身国や起源、言葉、財産、あるいは宗教に基づいて判断したことは決してありませんでした。私はあらゆる機会を与えられました。私はそれにいつまでも感謝しています」。

確かに、Nozad、Khosrowshahi、またはイランのコミュニティの多くでは、成功は失われていない。このことは彼らの多くがトランプ大統領の政策や発言に反対の意を唱える理由を説明してくれる。ご存知のようにトランプは、ムスリムの入国を制限しようと躍起になっている。当然その中にはイランからの人びとも含まれている。

トランプの最初の旅行規制が発効した直後、KhosrowshahiはExpediaの従業員にメモを送り、トランプの作戦は「生活の場所としては少々危険度は低くなるものの、他の国に米国を度量の狭い国だと思わせるだけだろう。未来を考えるのではなく内向きの視点をもつ国として。ビジョナリではなく反動主義者の国として」と述べた。

彼のいとこHadi Partoviは、今年初めにThe Atlanticで話をした際に、同じ気持ちを述べている。「アメリカ人たちは日常的に、イラン人が作った製品を使ったり、イラン人医師たちに治療を受けているのです」このように語るのは、技術非営利団体Code.orgを兄弟のAliと共同創業したPartovだ。「これはアメリカを脅かしている文化ではありませんし、セキュリティ上の誤った感覚でこれらの国からの移民を拒否するのは、間違いだと私は思います」。

イラン系の成功者たちのリストが、起業家のAli Tahmasebによって作られたばかりだ。このリストは一見の価値がある。そのリストには:Googleの元最高ビジネス責任者(そして現在はTwitterのエグゼクティブチェアマン)のOmid Kordestani、eBay創設者のPierre Omidyar、投資家のShervin Pishevar、そしてTinderのSean Radなどの多くの名前が挙げられている。

リストには含まれていないが(リストは特に包括的であるとは主張していない)、連続起業家のAnousheh Ansariの名前も挙げておこう。2006年に世界初のイラン人宇宙飛行士になったエンジニアである。彼女の宇宙飛行は40歳の誕生日の数日後だった。

(Dara Khosrowshahiの写真は Skift の提供)

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(翻訳:Sako)

FEATURED IMAGE: SKIFT

投稿者:

TechCrunch Japan

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