ヨーロッパ司法の忘れられる権利を笑劇に変えてしまった凄腕のGoogle

まばたきをしても、それはまだ見えるだろう。錯視ではなく、目の前の現実だから。ヨーロッパ司法裁判所の忘れられる権利に関する裁定を実質的に無効にしてしまうGoogleの戦略が、見事に成功している。

5月の終わりに下されたその裁定は、人の名前で検索をしたときに拾い出されるその人に関する古い、または不適切な情報を、その人からのリクエストがあった場合には検索のインデクスから外す(==今後の検索結果に現れない)ことを、Googleに課している。

そのデータが外されるのは、European Googleの検索結果のみであり、Google.comではない。また、対象は私人としての個人であり、公人に関しては公共の利益を根拠として対象から除外される。Googleによると、同社はこれまでにおよそ7万件のリクエストを受け取っている。

リンクを検索のインデクスから外す、という遵法作業をGoogleは、先月(6月)の終わりに開始している。しかし今週(7月第1週)に入ってこの巨大広告企業は、検閲反対のキャンペーンを、Googleに同調するそのほかのメディアの力を借りる形で展開しつつある。

たとえば今週初めにはBBCのジャーナリストRobert Pestonが、Why has Google cast me into oblivion?(なぜGoogleは私を世間から忘れられた存在にしてしまったのか?)と題する感情的なブログ記事を公開し、Googleがジャーナリストとしての自分の過去の業績を消し去ることに疑問を呈した。

これは、一種の挑発だろうか? 違う。

これは、彼のような職業にとっては、当然の懸念だ。

メディアは自分たちの過去の成果を検索で見つけてほしい立場だから、Googleへの同情票はGoogle自身が指一本動かさなくても、いくらでも集まる。

しかしそうは言っても、最近の動きには明らかに、紐付きの気配がある。まず、Googleは今では、記事のリンクを検索結果から削除したことをニュースサイトなどにメールで通知している。しかしそれは、メディアに対する、裁定を批判し攻撃せよ、という暗黙の合図でもある。Googleは、これまでに送った通知メールの数を公表しない姿勢だ。

裁定によると、Googleがやるべきことへの要件には、このような、情報のパブリッシャーへの通知は含まれていない。Google自身もこれまでは、たとえば、あらゆる種類のサイトに影響を与える検索結果のランク付けアルゴリズムの重要な変更などを、とくにユーザに通知することなく行ってきた。

しかし今回の問題は、Google自身の今後の業績に負の影響を及ぼす可能性がある。人には忘れられる権利があるとする裁定は、ヨーロッパの裁判所や立法府が、元々その気のないGoogleの顔に投げつけた変更要請であり、そのプライバシー保護のための強制事項は、同社のメインエンジンであるビジネスモデルに真っ向から反している。そのビジネスモデルとは、個人がデータを収穫することを基本商材とし、しかし収益を広告に依存することにより、その基本商材へのアクセスは完全に無料にする、というものだ。ヨーロッパの法廷の裁定は、その重要な商材に無視できない傷を与えるから、Googleが易々諾々と受け入れることは絶対にできない。

今のところGoogleのメディア戦略は見事に成功している。各メディアは、削除されたリンクに関する記事を掲載するから、裁定の効果は、当初の目的だった“忘れられる”から、“人びとが思い出す”へと、完全に逆転している。古い記事や不適切な記事を葬ってしまいたい個人は、むしろそれらの、墓場からの掘り出しを眼前にしているのだ。

今週、その裁定はデジタルの劇場(ないし見世物小屋)となり、Googleは自分にとって容易に作ることのできた「ヨーロッパのデータプライバシー」と題する笑劇に、笑い転げている。

Andrew OrlowskiはThe Registerで、Googleは個人からのリクエストをEUのデータ保護監視機関に送り返せばよい、と指摘している。そして、監視機関がリクエストを是とするたびに、控訴すればよい。もちろん、それをやれば、たいへんな手間にはなるが。

‘司法の空振り三振’を見せつけるためのもっとも簡単な方法は、情報に関する公共の関心と利益を強調し、裁定が有害な検閲行為に相当することを明らかにして、メディアや人びとにヨーロッパ司法裁判所に対する非難の声を上げさせることだ。

もちろん私は、個々のインデクス外しに関してGoogleの意思決定に関与してはいないが、結果がすべてを物語っている。Google自身は、個々のリクエストに対する意思決定の過程については、何も明かさない。

昨日(米国時間7/3)のReutersの記事によると、Guardianが、「うちの記事が勝手に検索結果から消えた、けしからん」、と騒ぎ立てた記事を、Googleは黙って復活させたそうだ。

Guardianに書いた自分の記事を6つも‘消された’同紙の記者James Ballは(一部の記事は‘復活’したのだと思うが)、Googleのやり方を“報道の自由に対する宣戦布告” と呼び、“表現の自由が同様の犠牲者になるのは時間の問題”、と論じた。

Googleが一部の記事の検索インデクスを戻した(復活させた)あと、GuardianのスポークスウーマンがReutersにこう語った: “Googleの今のやり方は解釈の幅が広すぎるようだ。あの判決の目的が、パブリッシャーに対する検閲のためのバックドアを設けることではない、とするなら、われわれは、Googleが決定に用いている基準を同社が一般公開するよう、求めていくべきだ。また、パブリッシャーが異議申立てをするための方法と窓口と手順も、正式に整備されなければならない”。

上記の‘解釈の幅が広すぎる’は、Googleの姿勢をぴたり言い当てているようだ。多めに拾っておけば、問題ないだろう、大は小を兼ねる、という姿勢だ。

Googleは、その処理が現在は“進化の途上にある”、と言うだけだろう。それなら、どんな批判の弾(たま)も逸らすことができるし、いずれは裁定を覆すためにわざと良い記事を消した場合でも、“進化途上”がその言い訳になる。

私がGoogleにコメントを求めたときに返ってきた声明も、今週初めに発表されたものとほぼ同じだ: “弊社は最近、ヨーロッパ司法裁判所の裁定のあとに弊社が受け取った削除リクエストに対する対応を開始しました。これは弊社にとって、新しくて進化途上のプロセスです。弊社は今後も継続的にフィードバックに耳を傾け、またデータ保護の専門化などとも協働して、裁定を順守して参ります”。

BBCのPestonの例が典型的に示しているように、裁定へのGoogleの対応の仕方は、それが重要で公共性のある情報に対する‘検閲’だという、ネガティブでおどろおどろしい反応を作り出している。

Pestonが、正当な理由なくGoogleに‘消された’と騒いでいる記事は、2007年のブログ記事で、投資銀行Merrill Lynchの前頭取Stan O’Nealについて書いている。O’Nealは銀行が巨額の損失を出したために頭取の座を追われたが、Prestonの記事は“同行が行った無謀な投資による途方もない額の損失”、といった書き方をしている。

今度は投資銀行家たちとジャーナリストが、ポスト金融危機の時代のもっとも憎まれた人たちをめぐって対立する。ステージにはパントマイムの悪役が登場し、Googleに代わり、忘れられる権利をボードに大書する。でも、銀行家の過去の行為を拭い去ることを助けるような法律を、誰が支持するのか?

しかも問題は、O’Neal自身がPrestonのブログ記事の削除をリクエストしたのではないことだ。それにO’Nealの名前で検索すると記事は消えていないから、銀行家の過去は拭い去られていない。

Pestonは自分の記事を更新してこの事実を書き記した。それによると、削除をリクエストしたのは、元のブログ記事にコメントを寄せた某氏だ、という。だから、O’Nealの名前ならPrestonの記事は出てくる。コメントを書いた某氏の名前で検索したら、出てこないのだ。

こういう、見当はずれが起きる。

でも、裁定の筆の幅が太すぎるために、Googleは無害な記事でもリクエストに応えて削除し、それがひいては、メディアの自由を奪うという悪評につながる。Googleが笑劇を書くためには、好都合だ。だから本当は、裁判所はGoogleがリクエストに応じるべき記事を、いくつかのパラメータとその値域で、具体的に指定すべきだった、という議論が生まれる。

今明らかなのは、今週のGoogleの笑劇によって、この裁定が保護しようとしたまさにその人が、ハイライトを外され、舞台の影の目立たない脇役みたいになってしまっていることだ。(公人でなく)私人の古い情報や不適切な情報が検索で出たら、その後の人生が生きづらくなるのか。失業者になり、別の仕事を探さなければならなくなるのか。自分のデジタルの足跡が、無関係な他人の評判にくっついて現れるのをどうやって防ぐのか。自宅の住所は、許可無く公開されてもよいのか。…等々の、中心的な問題点が、どっかへ行ってしまっている。

平均的個人のプライベートな生活の権利こそむしろ、Googleがあなたに忘れてほしいと思っているものなのだ。

忘れられるためのリクエストを提出する作業を助けてくれるサービス、Forget.meの初期のデータによると、リンクの削除を求める最大の動機が、プライバシーだった。

‘プライバシーの侵犯’と‘名誉毀損や侮辱’が、同サービスを利用してリクエストを提出しようとする人たちの理由の半数近くを占める。そしてプライバシー関連の理由の上位3項目は、1)自宅住所の開示、2)ネガティブな意見、3)失業(失職)だ。名誉既存(誹謗中傷)の最上位の理由は、‘(本当は)当人と無関係なことへの結びつけ’だ。

個人のプライバシーを守ろうとするこの裁定に、メディアが慌ただしげに、‘恣意的な検閲’というブランド名をつけることは、無責任だけど意外ではない。

個人のプライバシーを害するおそれのあるデータを大量に保持することは困難であり、その困難性は日増しに増大する。この問題が単純だ、というふりはすべきでない。経営と利益を重視する私企業が、背後で紐をひっぱているときにはなおさらだ。

[画像: Edmond Wells/Flickr]

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))


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TechCrunch Japan

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