人は人工知能と恋することができるのか

編集部注:この原稿は経営共創基盤(IGPI) パートナー・マネージングディレクターでIGPIシンガポールCEOの塩野誠氏による寄稿だ。塩野氏はこれまで、ゴールドマン・サックス証券、ベイン&カンパニー、ライブドア、自身での起業を通じて、国内外の事業開発やM&Aアドバイザリー、資金調達、ベンチャー企業投資に従事。テクノロジーセクターを中心に企業への戦略アドバイスを実施してきた。そんな塩野氏に、遺伝子、人工知能、ロボットをテーマにした近未来予測をしてもらった。第2回目の本稿では、国内でも様々な分野で話題の人工知能について解説してもらう。なお塩野氏は東京大学の松尾豊准教授と共著で「東大准教授に教わる「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」を10月に上梓する予定だ。

ジョニー・デップの脳がサイバー空間にコピーされ人工知能として拡張していくという映画「トランセンデンス」、声だけの人工知能OSと恋に落ちる映画「her/世界でひとつの彼女」はご覧になっただろうか?どちらも日本では2014年に公開された映画だ。人工知能は古くからSFの定番だったが、あなたの周りを人工知能入りのロボットが掃除しているかも知れない今日では、人工知能も身近な存在となってきた。

たとえスカーレット・ヨハンソンが声だけの出演でも、スパイク・ジョーンズのアカデミー賞を受賞した脚本が素晴らしいherだが、日本はニンテンドーDS向けソフトの「ラブプラス」で先行していたし、ゲームの中の彼女と一緒に泊まれる旅館さえあった。スパイク・ジョーンズは日本の新しい風習を知って脚本を書いたのだろうか?

herのような対話型の人工知能はiPhoneのSiriを想像してもらえばいい。英語で「今夜、空いてる?」と聞けば「あなたのためなら、いつでも」と答えてくれるアルゴリズムだ。こうした対話型人工知能もどきの歴史は古く、実は1960年代からあった。「もどき」と言ったのは人工知能学者達の間に「何をもって真の人工知能か?」という争いが絶えないからだ。

今から約50年前に存在した人工知能もどきは「イライザ(ELIZA)」と言った。イライザは非常に短いプログラムだったが、現象としては恐るべき能力を発揮した。「あなたのことが好きです」と言うと、「私のことじゃなくて、私たちはあなたについて話しているのよ」と答え、もう一度「あなたのことが好きです」と言うと、「同じことを言って、他の答えを期待しているの?」と返してくるのだ。プログラムの基本設計はあなたの上司にも似た質問の単語を含んだ質問返しとなっていた。

当時の人はこの短いプログラムである人工無能を、コンピュータだと分からなかった人もいたようだ。それどころか、対話を続けることで癒される者さえ現れたのだ。興味のある人は今もネットのどこかにいるイライザに質問をささやいてみるといい。この現象は「イライザ効果」という言葉も生み出した。そう考えると、人間のコミュニケーションの本質とは何なのかを再考する気にもなってくる。2014年現在においては、ツイッターで友達だと思っていた人がbotだったというところだろうか。万が一、botに対して感情を感じ、相手にも感情があると思っていたら、自分の人間としての資質を問い直したくなるだろう。

人工知能の出したものを「人間がどう解釈するか?」は流行のニュースキュレーションサービスの世界でも重要な課題だ。人間が欲しいと思う情報は2つの相反するものだ。1 つは自分の属するコミュニティの7割程度の人が知っていて自分がまだ知らない情報。2つ目は普通だったら自分からは知ろうとしないセレンディピティのある情報。これらの情報は人間の期待値を前もってコントロールしておかないと、「そんなの知っている」または「そんなの自分に関係ない」となるものだ。どんなに複雑なフィードバックを持った人工知能だろうが、どんなに単純なプログラムだろうが、そのアウトプットの価値は人間の解釈次第だ。「ピタゴラスイッチ」を想像してもらえればいい、どんなに複雑な機構があっても、アウトプットは変わらないかも知れない。人間相手の設計では期待値コントロールが必要だ。人間は情報がインプットされると感情を持つからだ。

そう、「感情」は人工知能におけるみんなの深遠な疑問だ。ソフトバンクの発売したロボット、Pepper君も感情認識するという。創造主たる神は人間を神のかたちにお創りになられたというが、このつるりとした頭のロボットは人間のような感情を持っているのだろうか? 感情を語るには感情の定義から入らなければならない。ここではシンプルに感情を「気づき」の1つだと仮定してみよう。人間のように「あの人が大好き」や「助けてくれて有難う」といった気づきだ。

こうした気づきも人間の脳内の微弱な0と1の電気信号には違いないが、人工知能にとっては難題だ。「好き」と3回言われたら、バイブレーションして「私も大好き」と言い返すという原始的な設計は感情とは言い難いからだ。3回、好きと言われたら感情の閾(しきい)値を越えるというのは設計者の思想やエゴに過ぎないだろう。こうした設計はルールベースと呼ばれる。こうしたアルゴリズムは予期せぬイベントが起こると停止してしまう。一方で人工知能は予期せぬイベントが起きたらその結果を検証しフィードバックして、アルゴリズムを修正する。この学習プロセスが人工知能の特徴だ。人工知能による機械学習はデータからコンピュータ自身が特徴を見出してパターン化し、新しいインプットに対し予測を行うものだ。どんなに原始的なルールベースだろうがイライザのように人間側が人工知能に感情があると認識したら、感情があると言えるかも知れないし、高度な機械学習があっても人間っぽさは感じにくいかも知れない。これは外形的な判断によるものだ。

人工知能と人間の両方を見えなくしておき、第三者の人間にコミュニケーションさせ、どちらが機械かを当てるという実験、チューリングテストは実際に行われている。感情があるか否かの議論、これは演技法のようなものだ、女優が戦地にいく男性と別れを惜しんで涙を流しているシーンだとしても、その女優が本当は子供の頃に死んだ犬のことを思い出して泣いているかも知れず、それは外形からはわからない。「インターネット上では誰もあなたが犬かどうかわからない」ということだって言われるし、最近では(アニメ「攻殻機動隊」の)草薙素子も米軍情報部のエージェントが人工知能だとわからなかった。外形的に人工知能のような人間と、人間のような人工知能だったらあなたはどちらと付き合いたいだろうか?

現在の技術では無理があるが、何世代にもわたって人工知能に学習をさせることが出来れば、感情を持たせることが可能かも知れない。設計者がアルゴリズムに書くのは生き物のように「生存本能」や「種の保存の優先」という程度にしよう。複数の人工知能をシミュレーション世界の中に入れて群れを作ってみるのだ。危機に対して助け合うような相互依存や協調的行動が生存確率を高めるのであれば、自己生成的なパターンが現れ、インセンティブ設計として、「助け合うと生き残れる=うれしい」となるかも知れない。

ただ人間が初期設定を行わない「教師無し」の状態から人間のような進化をする可能性は低いだろう。なぜなら、人工知能が「死ぬこと」や「物理的な身体が傷つく」ことについて生身の人間と同じように考えるとは限らないからだ。人工知能が常に要求してくるのは「電源」かも知れないのだ。冒頭に挙げたトランセンデンスでもモーガン・フリーマンが人工知能に「自己認識があると証明出来るか?」と問うシーンがあったが、自己生成的に人工知能がここに到達するまでは限りなく遠いだろう。SFの世界だが、むしろトランセンデンスのような精神転送や” Whole Brain Emulation”の方がまだ可能性があるかも知れない。これは前回の遺伝子の寄稿の時にも登場した技術的特異点(Technological Singularity)のグルであるレイ・カーツワイルがその可能性を唱えている。デカルトの「Cogito ergo sum(我思う故に我在り)」はコピーされた脳に当てはまるのだろうか?

物理的身体を持たずにオンライン上にいる人工知能に人間と同じ身体性を求めるのは酷だ。映画のherでも人工知能の「彼女(her)」に「君は同時に何人と話をしているんだ?」と主人公の男性が憤るシーンがあった。彼女の答えは8000人を越えていた。好きな相手に対し、自分以外から学習して欲しくないと思うのは人間固有の感情だろう、ネットの海は広く、人工知能は学習し続ける。人工知能はそういう設計がなければ人間の独占欲は理解できない。夜のお店で横に座ってお酒を注いでくれる人間もタイムチャージベースで恋人をクラウド化したものかも知れないし、人工知能は人間とは違うことに慣れた方がいいだろう。論理的には人工知能は他の人工知能と記憶を共有、同期したり、過去の古いバージョンに戻ってコミュニケーションしたりと、一方向の時間の流れの中にいる人間とは次元の感覚が異なるはずだ。そのうちこの部分も「人間らしさ」を求める場合は論点となってくるだろう。

現在のビジネスの観点から言えば、人間とコミュニケーションする人工知能にとって情報収集は必須だ。データサイエンスがウェブの爆発的なデータ増加と共に飛躍したように、各家庭に入った人工知能も様々なセンサを使ってデータを集めてはクラウドにアップロードして解析を行い、学習していくだろう。Pepper君もデータベースと連携をすると言っているし、誰もが約3200億円という買収金額に驚いたグーグルのNest買収もデータ収集の為の布石だろう。Nestはサーモスタット(室内温度調節器)だが、昔からのサーモスタットではないのだ、かつてのiPodの設計者がつくったNestには通信用のZigBeeモジュールも内蔵されている。

大量に収集されたデータは何に使われるのだろう。人工知能が大規模なデータから新しい相関関係を見つけ出すかも知れない。人工知能の「気づき」について、現在の技術レベルでは、膨大なデータを与えて、これまた膨大なコンピューティングパワーを使って猫の顔を判別するところまでは来ている。冗長で膨大なデータから、自動的に特徴を抽出するアルゴリズムであり、ディープラーニングと呼ばれる。猫の件はグーグルが世界に先駆けて開発した。ディープラーニングが人工知能の発展に与える影響は極めて大きい。例えばサインインの時に出てくる、人間しか認識出来ないとされる歪んだアルファベットをVacarious社のアルゴリズムは90%の確率で認識することが出来る。このCAPTCHAと呼ばれる歪んだアルファベットの認識は人工知能が人間のように振る舞うための試金石の一つだ。サンフランシスコのスタートアップであるVacarious社はインターネット業界のスーパースター達のお気に入りだ、ジェフ・ベゾス、マーク・ベニオフ、ジェリー・ヤンらが同社に出資している。米国ではディープラーニングの専門家を巡って、Google、Facebook、Microsoftが争奪戦を繰り広げている。人材獲得のための買収、つまりAcqui-hiringが最も起こりやすい分野といえるだろう。

人間がコンピュータである人工知能より優れている点は、判断に必要な情報のみを瞬時に決定出来るところだ。これは「フレーム問題」と呼ばれ、人間だったら「コップを取る」というのは簡単だが、コンピュータはコップの材質、内容物の成分、部屋の温度まで検討してしまうかも知れない。また、人間はとても少ないサンプル数でパターン認識をして判断できる。もちろん人間特有の思い込みもあるだろうが、子供の言語爆発期のように、何千、何万という猫のパターンを見た経験がなくても、猫がいれば認識し、「猫」と声に出し指さすことができる。これをコンピュータに学習させるには数多くのサンプル数が必要となる。こうした特徴抽出は人間の得意とする「気づき」だが、将来的には人工知能も人間に追いついて来るかも知れない。それまでは人間がアルゴリズムの中で教師として目的設定をする方が容易である。パラメータ設定を人間がするということだが、実際のビジネスにおいてはここに大きな論点がある。

自動運転の車の前に、子供と老人が飛び出してきた、自動運転カーは子供の方に進めば老人が助かる、老人側に進めば子供が助かる。その時のアルゴリズムの設定は? 子供と老人ではどちらの重要度のウエイトを高くしておくのか? こうした“マイケル・サンデル的”な(正義を考える)状況において、パラメータ設定の果たす責任は極めて大きい。「好き」と3回言われたら「私も大好き」と返すパラメータとは深刻さが異なる。自動運転カーにとってはただの障害物も、それは人間なのだ。もしも自動運転カーに人間用ハンドルが無かったら、後ろでLINEに夢中だった乗客は結果回避義務が無いため無過失状態となり、車の製造者が製造物責任を問われるのだろうか? しかし、そもそも命の重さのようなパラメータは誰が決めることが出来るのか?アシモフのロボット3原則があったが、ビジネスにおいてメーカーがそういったことを考える時期が来ている。このアルゴリズムのパラメータ設定を行うのは神の役割を担うエンジニアで良いのか?

人工知能を考えることは人間自身について再考することであり、今まで可視化されずに見過ごしてきた社会の問いについて考えることだ。冒頭にあるように筆者は人工知能の権威である東大の松尾教授と共著を上梓する予定なので楽しみにしていただきたい。本文の内容も松尾豊氏との対話から大きな示唆を受けたものだ。本連載、最終回はロボットについて書かせていただく。

photo by
Saad Faruque


投稿者:

TechCrunch Japan

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