十億円を捨てて起業―、マネックス証券創業者の松本大CEOがTechCrunch Tokyo登壇

matsumoto

matsumoto-photoいよいよ来週の11月17日、18日に迫ったTechCrunch Tokyo 2015だが、国内ゲスト登壇者をもう1人ご紹介したい。マネックス証券の創業者で、現在マネックスグループの代表執行役社長CEOを務めている松本大(まつもと・おおき)氏の登壇だ。

Fintechが盛り上がりを見せる日本のスタートアップ界だが、マネックス証券は、その草分け的存在と言える。マネックス証券が創業したのは、まだFintechなんていう呼び方がなかった今から16年前のこと。1999年のマネックス創業当時、インターネット接続はめんどうで高かった。電話回線をインターネットに流用するダイヤルアップ接続が一般的だったために、電話料金が安くなる夜間以外は、電話料金を気にしながらにネットを利用するのが一般的だった。今じゃ信じられないけど、必要のないときにはPCはネットに繋がってなかったのだ。ネットというのは「よいこらしょ」という感じで繋げ、それから利用して、そして用事が済んだらそそくさと「切断」するものだった。

そんな時代に松本氏は「オンライン証券」という業態で創業した。個人がインターネットを使って株式をはじめとする金融商品の売買をする時代が必ず来る、という信念があったという。

あと半年待てば受け取れたはずのプレミアム報酬は数十億円とも

いくら時代が動くという直感があっても行動に移せない人が多いだろう。まして、それなりの待遇で会社勤めをしていたら迷うのが普通だ。松本氏の場合、それなりの待遇などではなかった。起業時に捨てた待遇は文字通り破格だった。外資系金融業界でスピード出世をした松本氏は、1994年に史上最年少の30歳という若さでゴールドマン・サックスのゼネラル・パートナーに抜擢されている。1998年に退社してマネックスを創業する決意をしたタイミングというのは、実はゴールドマン・サックスは上場を間近に控えていた。実際同社は1999年5月に上場を果たしていて、松本氏がゼネラル・パートナーとして受け取れたはずのプレミアム報酬は10億円以上とか数十億円と言われている。ここは守秘義務があるから松本氏自身が過去に正確な数字を口にしたことはないが、関係者や当時の報道からすると二桁億円以上だったのは間違いなさそうだ。

翌年の春に上場が控えていて、個人としては莫大な報酬を受け取れることがほとんど確定していた。なのに、なぜその半年前の1998年の秋に松本氏は、それを捨ててまでゴールドマン・サックスを去ってマネックスを創業したのか。

松本氏自身は、この決断の背景にあったのは「タイミング」と「クレダビリティー」の2つだとしている。

1999年10月というのは株式委託売買の取引手数料が自由化されたタイミング。1996年に始まった金融ビッグバンという大きな金融制度改革の流れにおける、千載一遇のチャンスでもあった。当時の松本氏には、個人金融資産の行き先が銀行と郵便貯金に異常に偏りすぎていて、日本経済が歪んでいるという強い問題意識があった。そういう問題意識を抱えたまま、金融の専門家として何もしないという選択肢はなかったのだろう。規制緩和のようにゲームのルールが変わる時というのは、たった半年の参入タイミングの差で勝敗が付くことがある。たとえ半年でも待てなかった、ということだ。

「クレダビリティー」というのは信じるに値するかどうかのことだ。ビジネスマン、あるいは一人の人間として、どれだけ人から信用されるかこそが最も重要だと考えたということ。口でいくら日本経済や個人資産の問題を指摘し、「あるべき論」を展開していたとしても、やるべきタイミングを逃し、やるべきだと言ってることをやらないようでは、しょせんその程度と思われる。逆に、目の前の莫大な報酬を捨ててでもゼロから起業したとなれば、その覚悟は言葉で説明しなくても周囲に伝わる。クレダビリティーというのは作り上げていくのに年単位の時間がかかるのに対して、崩れるときは一瞬。長い目で見れば、目の前の利益を捨ててでも守るべきモノがあるというのは傾聴に値する話だ。

スタートアップ創業期の話でいえば、松本氏はこんなことも言っている。自分たちが守るべき理念は最初から作れ、組織やビジネスができてからと後回しにするなと。創業期はカオスになりがちだし、売上もまともに立たずに必死にもがくもの。そうした中、オレたちはこの一線だけは守るのだというのを最初から決めておかないと、より大きて強いものに降参したりすることが起こり得る。心当たりのある人はいないだろうか? 立ち上げ期の溺れるような環境にいたことがある人なら心当たりの1つや2つはあるだろう。「受注するしかないよ……、だって売上どうすんの!?」「でも、これをやるためにオレたち集まったんじゃないよね?」「だってしょうがないじゃん!」「そもそも倫理的にマズくね?」「じゃあ、お前はほかにどうするって言うんだッ!」。

ぼくは松本氏にTechCrunch Tokyoに登壇していただくにあたって聞いてみたいことがたくさんある。創業期、成長期を経て、現在マネックスグループとしてアメリカや中国へとビジネスを広げつつある拡大期にある。多段ロケットのように異なるステージを駆け抜けてきた起業家、経営者としての松本氏のストーリーや、それぞれの段階における洞察もお聞きしたいし、創業から16年が経過してみて結局個人金融資産は動かなかったんじゃないですか、問題は実は解決できてないんじゃないですか、ということも是非聞いてみたいと思っている。いくら「貯蓄から投資へ」といったところで過去にそれほど大きく動いてこなかったのは、何かもっと本質的な問題があるからではないのか。

同じくFintechの文脈でいえば、証券会社とユーザーの間にある本質的な利益相反についても聞ければと思っている。金融商品取引プラットフォームというのは、その性質上プラットフォーマーにはトランザクションを増やすインセンティブが強く働く。証券会社の売上である手数料収入というのは、預かり資産残高に売買回転率を掛けたものだから、回転率を上げれば上げるほど売上はあがる。一方、回転率を上げてパフォーマンスが確保できる個人投資家などほとんどいないだろう。投資信託にしても金融庁が指摘するとおり日本では投信の保有期間が平均2年程度と短く、何かがおかしい。リスクの高いジャンク・ボンド債が人気商品として上位にランクし、証券会社の売上は伸びていても個人投資家のパフォーマンスは良くない。日本の証券会社はユーザー利益に主眼など置いていないのではないか。こういう構造的問題は、霞が関と金融村の阿吽の呼吸のようなクローズドな環境でルール決めをやっているから解決が難しいのではないか。と、そんなことも、最近ぼくがFintechや「霞が関ハック」が必要なスタートアップ領域で気になっていることの1つだ。

ちょっと紹介がFintech寄りになってしまったが、松本氏には起業論や組織論、仕事論といったことも話していただければと思っている。マネックス証券の創業時にはソニーを巻き込み、設立記者会見では当時ソニー社長だった出井伸之氏が舌を巻くほどの演出を仕込むなど痛快なエピソードも多い。大企業や官庁とうまく付き合っていきたいスタートアップの人たちには参考になる話もあるだろう。日本で生まれて世界に羽ばたきつつあるマネックスグループの祖、松本大氏の生の声を来週のTechCrunch Tokyoへ、ぜひ聞きに来ていただければと思う。

TechCrunch Tokyo 2015チケットはこちらから→

TechCrunch Tokyo 2015学割チケットはこちらから→

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。