本はまだ死んでいない―、ウェブメディアが出版業をはじめた理由

【編集部注】執筆者のChris Lavergneは、Thought.isのCEOでThought Catalogの創設者でもある。

2012年に私たちはThought Catalog Booksをローンチした。それ以前に、Thought Catalogと名付けられたウェブサイトを通して、ウェブ用の短い文章に関する技術をマスターした私達には、新たな挑戦が必要だったのだ。本を出版することで、デジタル出版という時流に乗ったThought Catalogブランドの対極にある、もっと観想的なブランドを構築しようというのが、Thought Catalog Books設立の狙いだった。

私たちはスタートアップを設立することで、あるふたつの問いに対する答えを見つけようとしていた。そのうちのひとつが、アルゴリズムとソーシャルメディアの時代に、クリエイティビティや知性の高さが重要視されるような世界を創り出すことができるか。そしてもうひとつが、広告主ではなく読者に焦点を当てた出版モデルを構築できるか、というものだ。

Thought Catalog Booksのことは、ウェブサイト(Thought Catalog)との関係性の中で捉えなければいけない。というのも2010年のローンチ当時、同ウェブサイトは、バイラルパブリッシャーではなかったからだ。”Thought Catalog”という名前からも、バイラルメディアというトレンドへの展望を持っていなかったことがハッキリわかるだろう。つまりThought Catalogは、”実験的なカルチュラルマガジン”として作られたのだ。

しかし、ジャーナリスティックな文章を使った実験的な試みは、悲惨な結果を生むことになった。ミュージシャンの特集書評カルチュラル・スタディーズといった内容の長い文章ではお金にならないため、私たちは方向転換を余儀なくされたのだ。すると、Facebookのデータを基にした読者層に関する情報が私たちにとっての出版社となり、Googleのデータがエディター・イン・チーフ、Twitterがマネージング・エディターに取って代わることとなった。その結果、Thought Catalogはソーシャルメディアの情報の上に成り立つウェブマガジンの先駆けとなり、BuzzFeedやその他のメディアと共に、デジタルパブリッシング初のゴールドラッシュを迎えた

しかし、お金だけが目的だったわけではない。どんな企業にとっても資本は重要だが、私たちはもっと崇高なゴールも持っていた。(ただの訪問者ではない)読者、芸術的な評価、ソーシャルメディア上のLike以外のものを私たちは求めていたのだ。このような欲求こそが、コンテンツ企業をメディア企業と区別するものであり、私たちは自分たちのことを後者として捉えていた。資金豊富なメディア企業は、”重要な文章”とされているものを、赤字覚悟の客寄せパンダとして使ってこの問題に対処しているが、自己資金で運営を賄っている私たちには、赤字を垂れ流す余裕はなかった。そこで、以下のふたつの理由から、本の出版を行おうと決めたのだ。

  • 本の出版には、長い文章の方が適している。5000ワードのウェブ記事の執筆を、1ワードあたり1ドルで外注した場合、広告を最適化したとしても、費用を回収するために約100万PV必要になる。バイラル化を目的としたリスト記事でも、なかなか100万PVに到達することはなく、調査報道や綿密につくり上げられた創作物であれば、なおさらそれは難しい。一方、本の出版であれば、4.99ドルの電子書籍を2000冊売るだけで投資分を回収できるのだ。
  • 書籍の形をとることで、ビジュアル面にもお金をかけることができる。ウェブ出版は執筆周りのコストを削減するだけでなく、文章に彩りを添える複雑なビジュアルの必要性さえ縮小させたのだ。現代のビジュアル界では、携帯電話上で作られたミームが、素晴らしいアーティストによって描かれた美しいイラストよりも多くのビュー数と利益を生み出すということがよくある。ウェブ上の経済がこのような状態を作り出したのだが、本のカバーやパッケージに関しては、目を引くようなビジュアルのためであれば予算を割くことができる。使い古された言葉だが、本当に人はカバーから本を判断するものなのだ。

上記から、本が私たちにとって最適なプラットフォームだと判断した。本の出版は、シンプルなお金の流れ、ビジュアルや文章のあり方への影響力、マーケットフィットを兼ね備えている。これこそ、私たちが過去5年間に業界全体に関して学んだ教訓だ。

メッセージとしての媒体

紙の本と電子書籍が、それぞれに独自のオペレーションモデルを持った、ほぼ別領域のビジネスであると知ったとき、私たちは驚いた。消費者に届けられるコンテンツは同じだが、両者はそれぞれのフォーマットを反映した正反対の性質を持っている。高級品としての書籍と実用品としての電子書籍。この性質の違いが、マーケティングや製造面における戦略・ワークフローに大きな違いをもたらしているのだ。

以下が、私たちの考える両媒体の違いだ。


この性質の違いは、消費者行動からも見て取れる。安価で即座にアクセスできる電子書籍は、一般的に紙の本に比べて6倍近い数が売れると言われている。その一方で、販売額に関して言えば、物理的な本は電子書籍の7倍だ。電子書籍から大きな売上を上げるのは難しい。というのも電子書籍の目的は、早く・安くコンテンツを提供することだからだ。逆にデジタル時代における紙の本は、紙の方が読みやすいという人や、ページをめくる感覚が好きだといった人を対象とした高級品として存在している。

そういった意味では、紙の本については今以上の実用性はそこまで望めないが、その分高級品としての機能でカバーできる。 恐らくこの考え方は、Thought Catalog Booksの成長を支えてきた重要な要素のひとつだ。つまり、紙の本を出版する主体は、高級品を販売している企業と同じように運営されなければならない一方で、電子書籍を扱う主体はテック企業のようなスタイルをとるべきなのだ。コンテンツは同じでも、媒体によってビジネスモデルは全く違うということだ。

書籍出版の驚くべき経済的メリット

思慮深い広告主は紙の本を気に入っているようで、Thought Catalog BooksはThought Catalogの営業部隊にとって、重要なツールになっている。ウェブ上のネイティブコンテンツは、短い物語を伝えるのには効果的だが、もっと深い物語を伝えようとしている企業にとっては、紙の本こそ完璧な媒体なのだ。ネイティブコンテンツやスポンサードコンテンツだと、読者(もしくは訪問者)がコンテンツに触れ合う時間は数分間程度しかない。しかし紙の本という、時代を超えて愛されているストーリーテリングの手段を利用することで、広告主はもっと深いところでブランドを構築できる可能性がある。実際に紙の本の読者は、一冊の本を読むことに何日とは言わずとも、何時間かを費やし、本自体は持ち主の本棚に一生残る可能性もある。

スポンサー付の本の販売だけでなく、私たちは現在爆発的に広まっているオーディオブックにも大きな売上のチャンスが眠っていると考えている。さらに、昔から存在する書籍の映画化にもまだまだ可能性がある。

書籍出版の世界にも存在する赤字覚悟の作品

商業的な成功と芸術を貫き通すという精神というのは、なかなか両立が難しいものだ。確かにホメーロスやシェイクスピタ、ヴァージニア・ウルフ、ジョナサン・フランゼンを含め、傑作は発表直後から”売れる”というのは間違いない。特にフィクション作品に関して言えば、傑作は発表直後から傑作として扱われることが多い。

そうは言っても、売上という側面ではフィクション作品に劣る、哲学やジャーナリズム、伝記といったジャンルの作品も、社会的には大きな意味を持っている。このような作品は、洗練された数学の問題のようなもので、ほとんどの人には関係がなくとも、アプローチの方法を知っている人にとっては大変有用なものなのだ。

そのような作品の例となる、Elizabeth Wurtzelが書いたメディア論の傑作Creatocracyや、自殺に関する悲痛な調査をまとめたSimon CritchleyのSuicide、ニューヨークのクイーンズにある悪名高いCreedmoor精神病院を描いたSabine HeinleinのThe Orphan Zooなどは、たとえポップカルチャーや市場の大部分が求めるものには合致していなくとも、お金には代え難い価値を持っている。本を出版することで、このような作品を世に送り出す手助けができ、著者にしっかりとお金を払い、恐らく利益は出せずとも、作品を求める人のところに届け、一冊の本というきちんとした形に残すことができるのだ。

Amazonも恐るるに足らず

Amazonは出版ビジネスのあらゆる側面に深く関わっているため、独占企業であるかのように感じられる。しかしAmazonの力も、以下の3つの重要な点において無限ではないと言える。

電子書籍市場における、Amazonにとっての本当の競合サービスはiBooksだ。Publishing Technologyが2014年に発表した調査では、iBooksが電子書籍市場の31%を占めるとされている。この数字は、電子書籍売上の33%がiBooks経由という、私たちの2016年のデータとほぼ一致する。さらに、消費者が従来の電子書籍リーダーを離れ、携帯電話やパソコンで本を読むようになっている中、この分野ではAmazonに大きく水をあけているAppleのiBooksが、さらに成長を続ける可能性が高い。

また、四大出版社のことも無視できない。Amazonは常に出版社という”門番”を取り除いて、著者と読者を直接結びつけることを夢見てきた。しかし、誰かにお気に入りの本は何かと尋ねたとき、その本が自費出版されたものである確率は、誰かのお気に入りのテレビシリーズがYouTubeシリーズである確率と同じくらいだ。現実として大手出版社は、映画やテレビ業界のように、クリエイティビティと資金のどちらの面においても、業界の中での重要な役割を担っているのだ。その役割は今後も変わることはないだろう。

そして電子書籍の人気が高まる中、Amazon上で紙の本を販売することの意味が薄れてきているのかもしれない。Thought Catalog Booksが製作する電子書籍や一部の紙の本に関して言えば、Amazonは夢のような流通パートナーだ。その一方で、高品質な書籍に関しては、私たちがAmazonと手を組む意味はあまりない。自前のサイトやインディペンデントな書店を通して書籍を販売した方が、私たち独自の色を演出することができるからだ。書籍が本当の意味での高級品だとすれば、ハイブランドがAmazon上で商品を販売しないように、スペシャルティ出版社としての私たちも、自社の商品をAmazonでは販売したくないと考えている。大手出版社もいつかはこのような動きをとり、少なくともAmazon上での販売数を制限するような施策に打って出るかもしれない。

本の明るい未来

Richard Nashは『What is the Business of Literature』の中で、「映像や音声がないというのは、本の機能であり、欠陥ではない」と記している。これこそまさに、Thought Catalogの出版に対する考え方だ。本は古びれたテクノロジーではなく、むしろ最先端のテクノロジーだ。実際のところ、本は現在世にでているものの中でも最高のVRマシンなのだ。Oculus RiftのようなVRデバイスが、ユーザーの脳を包みこんで別の世界を映し出す一方、本は読者の脳を働かせ、彼らと本の創造的なやりとりを通して、違う世界を映し出している。

書籍の存続というのは、出版社にとっては良い知らせとなるだろうが、私たちのような企業がFacebookや従来のテック企業のように驚くべきスピードで成長することはない。短期間での急激な成長というのがテック企業の魅力である一方、出版の世界では、深い関わり合いこそが重要なのだ。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。