格闘技ジムでインクルーシブな文化の構築方法を伝授された話

いきなり、体全体が不安感の波に飲まれた。全身タトゥーの巨漢たちが重いサンドバッグにパンチをめり込ませるたびに、激しい息づかいと唸り声が周囲に響く。これが、数年前、ニューヨークの格闘技ジムFive Points Academyに初めて足を踏み入れたときの状況だ。温室育ちの私は(最後に喧嘩したのは幼稚園のときだった)、ここに溶け込めるのかと心配になった。

すぐにインストラクターのEmily(エミリー)が現れて、ムエタイの基本的な動きを見せてくれた。そのクラスはパッドワークが中心だったので、受講者はペアを組み、それぞれタイ式のパッドを装着して動きの練習をした。受講中、エミリーは、私を次々と違う相手と組ませ、パッドを叩くときの感触を味合わせてくれた。そして私は夢中になった。

1年前、私の友人Diane Wu(ダーニー・ウー)が書いた素晴らしい記事の中に、こう論じられている。「インクルージョン(包括性)は原因であり、ダイバーシティ(多様性)はその効果だ。インクルーシブな意識が備われば、ダイバーシティは自然に付いてくる」。Five Pointsでの経験には、この考え方が滲み出ている。伝統的に男社会であった格闘技の世界だが、インストラクターの40%、ファイターの半数、会員の半数は女性だった。そこはニューヨークでも、もっともインクルーシブで、いちばん男臭くない格闘技ジムとして広く知られているため、単なる偶然ではない。

技術業界が男の支配する世界であったのは、ここ数十年のことに過ぎない(1940年代の最初のプログラマーは女性だった)。それに対して、格闘技の世界は数千年間にわたり男が独占してきた。格闘技ジムが、そんな根深い障壁を乗り越えられたのだから、技術業界はもっとうまくやれるはずだ。私は、ジムのオーナー、コーチ、ファイター、会員たちから話を聞き、いかにして彼らがインクルーシブなコミュニティを構築できたかを学んだ。それを紹介しよう。

文化はトップから始まる

文化はリーダーシップから根を下ろしてゆくという調査結果があるが、それはFive Pointsの3人のオーナー、Steve(スティーブ)、Simon(サイモン)、Kevin(ケヴィン)が実際に体現している。Steveののんびりした態度、サイモンの英国風ユーモア、ケヴィンの常にフレンドリーな姿勢が、Five Pointsの家族的な雰囲気を大いに支えていると、多くの会員が口を揃える。スティーブは「脅されるのではなく、反対に励まされることで、人はより多くを学びます」と説明していた。この、トップを中心とした、誰でも快く受け入れる文化は、たしかに、幅広い人たち、とくに軽い気持ちで楽しんでいるファイターたちの参加と成長を促している。

トップから文化が築かれていくという点においては、企業も同じだ。もし、インクルージョンを一番に考えるなら、経営幹部たちが態度で示すべきだ。

私は、ある企業のCEOが企業の中心的な価値観の構築を支援する委員会を立ち上げたものの、対話は行われずCEOが個人的に思いついた文化的価値観の評価を従業員に求めるアンケートを行っただけというケースを見たことがある。すると次第に、考え方の異なる従業員は会社を去り、職歴、性別、民族の面で同じ背景を持つ圧倒的多数の人たちだけが残った。結論として、インクルーシブな文化を確立するためには、経営幹部が責任を持って引き受け、本当の意味で最後までやりとげることが必要だ。さもなければ、継続は難しい。

「インクルージョン」はすべての人を受け入れる

Five Pointsは、特定の性別の人たちを呼び込んだり、特定グループの市場を狙ってスタートしたわけではない。むしろ、あらゆる人たちを暖かく迎え入れるコミュニティを作ることに専念していた。サイモンが、そこをうまくまとめて話してくれた。「インクルーシブな文化は、あらゆる人を受け入れます。正しい文化を持っていなければ、人にそっぽを向かれます。女性だけではありません。男性もです。そこに、ジムを直接改善する力があります」。彼は、さらにこう説明した。「女性が嫌がるだけでなく、男性をも敬遠させてしまう愚にも付かない文化はいりません」

その違いは重要だ。例えば、友愛会的なジムの文化を押しつけようとすれば、女性を遠ざけることになる。しかし、そうした文化を嫌う男性も多い。人を十把一絡げにするのではなく、それぞれの個人をよく知り、こう自分に問うべきだ。「この人を受け入れるには、どんな環境を整えればいいか?」と。例を挙げるなら、ケヴィンは、会員になりそうな人のことを、時間をかけて知ろうと常に努力している。施設内を案内して、ジムとして、彼らの望みをどのように叶えられるかを話し合っている。

この考え方を発展させてみよう。表面的な特徴は、より深いところにある特性の仮の姿であることが多い。ならば、直接、本質と向き合うべきだ。他のジムのムエタイ教室に参加すると、インストラクターがよくこう言う。「男の人は、女の子と組んだときは手加減をするように」と。このように、性別で人の特性を一括りにしてしまうと、本来の特性、つまり体格を無視することになる。Five Pointsのインストラクターなら、こう言う。「男の人(そして女の人)たちは、自分よりずっと体の小さい人と組んだときは、相手の安全を考えて力を加減してください」と。自分よりも大きな人間と対戦するときは、自分が認識している自身の性別とは関係なく、誰だって身の安全が気になる。

技術業界では、あまり注目されない少数派のデモグラフィック属性の人々のための、よりインクルーシブな環境を確立しようという議論が数多く持たれてきた。そうした取り組みを強化することで、さらに効果を高めることができると私は信じている。「女性が会議にもっと貢献しやすくするにはどうしたらいいか?」と考えるのと同時に「すべての従業員が会議にもっと貢献しやすくするにはどうすればよいか?」と考える。これは、男性の考えに比べて女性の考えが軽視される傾向があることをその研究が示している。

その結果、多くの女性は会議のメンバーには選ばれず、自分の考えを男性社員に託して発表してもらっている。「どうしたら少数派を支援する仕組みを提供できるか」を話し合うのと同時に「どうしたら、米国の企業文化に不慣れな従業員を支援する仕組みを提供できるか」を話し合う。このようなハイブリッドなアプローチによって、より幅広い人々をカバーでき、それをもっとも必要としている人たちに、確実に支援の手が届くようになる。

例えばAscend Researchによれば、アジア系の幹部パリティ指数は最低で、黒人やヒスパニック系よりも低い。しかし、彼らは「過小評価された少数」とは見なされておらず、昇進に関して若いアジア系専門職にはほとんど指導が行われない。

みんなを平等に扱う

私が話を聞いた女性コーチと女性会員の共通した意見は、受講中は性別を意識することがなかったというものだ。インストラクターは全員を平等に扱っていると、何人もの会員は話していた。たとえば、遅刻したときは、デモグラフィック属性や技能レベルに関係なく、誰もが腕立て伏せ30回を言い渡される。なお、身体的な制約のある人は、膝を突いて腕立て伏せをしたり、他の運動で代替するなどの処置がとられる。

全員の基準を同じにすることで、「エイミーは女だから軽い罰で済んだ」などという非難や陰口を予防できる。

ムエタイの初心者向けクラスでは、パワーレベルを下げて、技術に焦点を当てている。エミリーのムエタイ初心者クラスにスティーブが参加して、パートナーを少し強く殴ってしまったことがある。エミリーはすぐさまスティーブにこう言った。「今のは強すぎよ」と。スティーブがオーナーでも、エミリーが雇われる側でも関係ない。クラスのインストラクターとして、すべての受講者に同じルールを当てはめるよう彼女は努めているのだ。

同様に、すべての人を最初から平等に扱うことが大切だ。例えば、就職審査のときからだ。私はよく「レベルを下げずにダイバーシティを高めるにはどうしたらいいか?」と聞かれる。そこで私が提案しているのは、すべての就職希望者が示すべき能力の種類を定めるという方法だ。例えば、生産性ソフトウェアのエンジニアは、アルゴリズム、システムデザイン、コミュニケーション、チームワーク、問題の解析力に長けていなければならない。審査では、この5つの能力を公平に評価する。

残念なことに、最初の2つしか評価していない企業が多い。それは、多様性に欠けるばかりか、仕事に必要な技能が完全に揃っていない従業員のグループを生み出してしまう。基準を透明にして伝えることで、すべての従業員が帰属意識を持ち、コミュニティの平等な一員であることを自覚できるようにしなければならない。

細部に気を配る

細かいところに、文化の創造に対する思慮深さが表れる。カリ(武器を使う武術)のインストラクターで元ファイターのティンは、こう説明する。「格闘技ジムは、汚くて汗臭いのが常ですが、Five Pointsは、細かいところに気をつけています。女性のロッカールームにはヘアタイや、何台ものヘヤードライヤーを置いています。マットは、クラスの合間に毎時間モップ掛けをしています。こうしたことが、格闘技を始めたいと思っている女性の、余計なストレスを取り除きます」

言うまでもなく、クラスそのものにも細かく気を配っている。新しい会員が私に話してくれた。「エミリーのムエタイのクラスが終わって、スティーブと個人レッスンをしようと準備を整えたとき、エミリーがスティーブのところにやってきて『もう少し左ラウンドハウスキックの練習をしたい』と告げました。もちろん、スティーブは私に、30分ぶっ続けの左ラウンドハウスキックの練習をさせてくれました」

内心不満を持っていたとき、エミリーの気遣いが有り難かったと言う会員もいた。長い間カリを習っていたソーニャも、特定の練習に不満を抱くと、サイモンがよくそれに気づいてくれたと話していた。古典的な英国風ユーモアで、彼はよく「バケツの中に水を入れすぎたかな?」と言い、習ったことがしっかり頭に入るように配慮し、練習が台無しになるのを防いでくれたという。

大切にされていると従業員に感じてもらうために、経費をひとつもかけずに企業が行えることがある。たとえば、以前私が務めていたPalantirの設立当初のころは、従業員にストックオプションの期限前行使を行うよう積極的に促していた。また、税理士を招いて、代替ミニマム税(AMT)の使い方の説明会を開いていた。しかし、60歳以上の従業員がいる会社でも、期限前行使できないところが多い。それを許したところで、企業の経済的負担は実質的にはゼロであるにも関わらずだ。

変化を受け入れ積極的に改善する

Five Pointsが誕生した当初は、一生懸命スパーリングするという西洋式ボクシングの考え方に従っていた。その精神論では、ファイターはタフな存在で、ボコボコにやられて帰ってきたときに、もっと強くなりたいと必死になるものと定義される。しかし時が経ち、スティーブとサイモンが体に旅行したとき、違う種類のスパーリングを目にした。ファイターたちのスパーリングは軽いもので、技術やタイミングに重点が置かれていた。

彼らは、スパーリングのクラスを基本的に「タイ式のテクニカルなスパーリング」に組み立て直し、それとは別に「ハードなスパーリング」のクラスをいくつか設けた。一部のファイターは混乱したが、スティーブとサイモンは、これが正しいアプローチなのだと彼らを説得した。スティーブは、「古いスタイルはタフな人たちを集めるのに役立ちますが、それが最高の人たちとは限りません」と話す。さらに、最高のファイターと言っても、体格も性別も背景もそれぞれだ。初日に戦いたいと訪れる「タフな人」ばかりとは限らない。

このような考え方が、それ以外の方法では埋もれていたであろう優秀なファイターを数多く掘り出すことになり、コミュニティのダイバーシティを高める。Five Pointsにやって来たファイターの中には元モデルで女優という人もいるが、戦うようになるとは夢にも思っていなかったという。居心地のいい環境と、技術を重視したスパーリングによって、彼女は技術が向上するごとに安全を実感できるようになった。そして彼女は格闘技の虜になり、全米キックボクシング協会国際選手権で何度も優勝するまでになった。

このような、人を受け入れる意識は、他の分野にも応用が利く。Googleの就職面接を受けたとき、面接官のひとりが、長い間Googleは超難問やアルゴリズムのパズルに重点を置いてきたと聞かせてくれた。その結果、チームの仲間とランチをすると、そこにいるのはプログラマーの職歴を持つ白人とアジア系の男性エンジニアばかりで、超難問やアルゴリズムのパズルの話に終始するとのことだった。

やがて、Googleの経営陣は、超難問やアルゴリズムのパズルと、人の能力とには相関関係がほとんどないことに気が付いた。そして彼らは、面接のやり方を改め、チームのダイバーシティが改善された。たしかに、まだ改良の余地はあるが、問題に気付き、新しい発見を受け入れることができる力は、インクルーシブな文化を育むうえで重要だ。

必要なときにルールを公正に適用する

多様でインクルーシブな格闘技コミュニティを構築する道のりは、決して平坦ではなかった。コミュニティが成長するに従い、どうしても悪役が現れる。そのときのリーダーの対応が、文化の発展の色合いを決める。

エミリーは、体が大きく経験も豊富なファイターが、自分よりも小さく経験の浅い受講生を叩きのめすような人物を、何度となく追い出している。その乱暴者が、いかに高い技術を持ち、ジムのために貢献してくれたとしても、関係ない。彼女はすべての人に公平にルールを適用する。また同じように、体重90kgを超える経験豊富な男性が、ムエタイのスパーリング中に他の会員を繰り返し殴り続け、ブラジリアン柔術のクラスでは絞め技を外そうとしなかったため、スティーブが彼にジムを脱会するよう要請した。

反対に、仕事環境では、会議中、経営幹部もいる中で、同僚をずっと怒鳴り続ける男がいたのを見たことがある。それはとても不快な出来事で、各部署から参加していた4人の社員からプロジェクトから外して欲しいと依頼があった。あの人間とは仕事をしたくないというのだ。経営幹部にとって従業員は大切な存在だとは言うものの、彼らは人を怒鳴り続ける彼を黙認して、会議の間、何の対処もしなかった。

文化は、会議室の壁に貼られた単なるスローガンではない。カリフォルニア大学ロサンゼルス校の精神医学教授であるCameron Sepa(キャメロン・セパ)氏は、こう言っている。「企業の文化とは、誰を雇い、誰をクビにし、誰を昇進させるかだ」と。先日、Googleを辞職した人の退社理由のひとつに、性的違法行為を申し立てられた元幹部に、その後も数千万ドルの報酬を支払っていたという問題があった。不適切な行為は迅速に公正に対処しなければならない。インクルーシブな文化を育てるうえで、それは絶対に欠かせない。

成功が成功を生む

新たな取り組みが早々に牽引力を発揮すれば、その勢いはずっと楽に保てるようになる。文化も同じだ。Five Pointsが2002年にオープンしてから、すでに3人のハイレベルな女性ファイターを生み出している。そのひとりがエミリーだ。ムエタイの世界選手権にも出場している。早期にダイバーシティを獲得したことで、ほとんど見向きもされない経歴の持ち主だが格闘技に興味があるという会員に、良い目標を示すことができた。

ひとたびインクルーシブな文化が確立されるや、コミュニティのメンバーは、その後もインクルージョンを重んじ、他の人たちも参加したいと思うようになる。コーチでファイターのジャンナはこう話していた。「新人のころも、私に嫌な思いをさせる人は、誰ひとりいませんでした。だから、他の新人たちにも嫌な思いをさせないように気をつけています」

カリのもうひとりの受講生ソーニャは、自分のことを「女々しい女」と呼んでいる。ほぼすべての会員はスポーツの経験があるのだが、彼女にはない。そのため、人一倍スキルを磨かなければならなかった。しかし、サイモンは根気よく彼女を指導した。彼女が理解するまで、何度も丁寧に技術を解説していた。当時を振り返り、会員が心地よくいられるよう細心の注意を払ってくれたサイモンに、彼女は最大の感謝の念を抱いている。今、彼女は、女友だち全員をカリに誘っている。なぜか?「女々しい女でも、ここなら歓迎してくれことを知って欲しいから」。

同じことが技術業界にも当てはまる。従業員の男女比がアンバランスだったので(女性が15%)、もっと多くの女性を雇いたいと奮闘していたシリーズAの50人規模の企業があった。しかし、会社が成長すると(10パーセント)、男女比はさらに悪くなった。一方、これも私がかつて務めていた企業のFlatiron Healthは、設立当初からダイバーシティとインクルージョンを重視して、早い時期に、あらゆる職種から年配の女性リーダーを雇い入れた。私が在籍していたころ、女性従業員の比率はおよそ50%、女性管理職もおよそ50%だった。

インクルージョンからダイバーシティへ

Five Points Academyは、最初から女性会員50%を目指し、あらゆる民族、社会経済的背景の人たちを集めようとしていたわけではない。実際のところ、オーナーたちは、誰でも入れて、誰でもコミュニティの一員として楽しめるジムを作りたいと考えていただけだ。インクルージョンでスタートしたら、ダイバーシティがついて来たわけだ。

私は何も、ダイバーシティへの取り組みを否定しているわけでは決してない。ダイバーシティに注目するのは大切なことであり、多くの企業がそれに取り組んでいる。しかし、Fibe Points Academyのように、インクルーシブな文化に投資して、企業で従業員たちが能力を伸ばし成長するのを手助けすることも大切だ。そうすることにより、さらに多様な従業員が集まってくる。

【編集部注】著者のKen Kao(ケン・カオ)氏は、Airbnbのエンジニアリングマネージャーとして、プラットフォーム上で起業家たちがホスピタリティを提供できるようにする製品の開発を行っている。私生活では、ムエタイ、ペキティ・ ティルシャ・カリ(フィリピンの棒とナイフを使う武術)、料理、執筆を楽しんでいる。

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(翻訳:金井哲夫)

投稿者:

TechCrunch Japan

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