誰か、オンデマンドでない不便なサービスを作ってほしい…本当に充実した人生のために

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テク企業は今、老いも若きもオンデマンド革命を推進している。おかげで今や、家の掃除も、昼飯(ひるめし)も、いろんな製品も、何もかも、自分が欲しいと思ったときに手に入る。

もちろん、それにはコストが伴う。サービスのユーザにとってはお金のコストという意味だが、でもまず間違いなく長期的には、サービスの供給側に経済的コストが発生する。また、画面をタップすれば何でも手に入るという方式は、人間をダメにし、怠け者にするだろう。

このトレンドに対する、解毒剤を提案したい。それは、Inconvenience-as-a-service(IaaS, サービスとしての不便)、つまり、不便であることに価値があるサービスだ。自分が欲しいものに到達するために、苦労と努力と工夫が必要なアプリケーションを、誰か作ってほしい。Amazonからの配達品を受け取るためには、別の都市(まち)に車を運転して行かなければならない、なんてどうだろう。品物の購入を確認するために、“これでよろしいですか?”ダイアログを10回も15回も出すeコマースサイトもいいね。

Uberのようなタクシー呼び出しアプリも、自分の足で長時間歩かないとその車に到達しない方が健康によろしい。会員制のレシピーサービス(料理用食材セット配達サービス)も、毎週空の袋が届いて、そこには地元のグロサリーの地図が印刷されており、「今週のレシピー」というタイトルの下には大きな活字で「自分で考えろ」と印刷されている。

オンデマンド経済への移行は、不公平なゲームだ。人間のお粗末な脳は、満足がインスタントに手に入ると分かると、それには抵抗できない。でも、どんなに豪華な料理を届けてもらっても、いずれ古くなるし、飽食は快適な気分を生まない。

すばらしいディナーも、インスタントに届いてインスタントに食えば、罪の意識に駆られ、食後の散歩が欠かせなくなる。クリーニングサービスも、出来上がりを受け取るためにはいちばん近い国立公園まで20マイル歩き、ボートを漕いで島に渡り、その島のいちばん高い木の枝から取ってくるのがよろしい。テイクアウトなんか、井戸に放り込んでしまえ。Netflixを見ながら一人パーティーをやるときは、必ず最初の3時間半、”Buffering”(バッファリング中)が表示されること(上図)。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa