Bitcoinハイプを(ほぼ)信じる

Mt. Goxによると、Bitcoinはこの数時間に最高900ドルを記録した。よほどの支持者でさえとんでもない数字であることに同意するだろう。これはバブルなので、弾けた時はよろしくない。とは言え、Bitcoinの上り調子は結構なことだが、このプラットフォームの資産移動媒体としての可能性が無視されていると私は言いたい。要するに、今起きていることは、Bitcoinが変人や金投資家やホビイスとの世界から、もっとずっと強力な何かへと変わる関心の高さを示している。

Bitcoinは、一言で言えば金銭移動プラットフォームだ。通貨と呼ぼうが、経済革命の次段階と呼ぼうが、最終的には、われわれに即時かつ匿名の金銭移動の可能性を与えてくれる共有幻影だ(あらゆる通貨と同じように)。これは絶対的に重要だ。従来の銀行たちはこれを重大な危険と考えており、政府もその可能性を明確に理解している。ただし彼らの定義による「悪用」の可能性を。しかし、この惑星に住む平均的人間 ― 実家の両親に送金する若者、市場で瞬時に資金移動が可能になるトレーダー、クレジットカードが不要になる中小店舗 ― なら、少なくともこの無料でオープンな資金移動プラットフォームの威力を理解できる。

なぜ中国はそれほどBitcoinに熱心なのか? そこには群衆の狂気という側面もあるが ― CNNのStan Stalnakerの指摘によると、Tencentの作ったQQというバーチャル通貨で似たような急騰が起きた ― 、同時にある種の自由を可能にし、売買や少額取引における有効な価値移動プラットフォームになる準備が整っている。途上国の小麦取引でカードをスワイプするのは難しい。Bitcoin取引にひも付けされたテキストメッセージを送るのは簡単だ。

しかし、この急騰は異常だ。安定した変動のない価格がなければ、Bitcoinはオランダ人の財布の中のチューリップ球根ほどの価値しかない。ついに通貨としての真価を認められた、などと言うBitcoin擁護派は無限に出てくる。彼らは間違っている。現時点でわれわれが見ているのは純然たる投機だ。確かに価値はあるが、それは今見えているような活気あるものではない。Bitcoinの価値は、解放者として、変化を起こさせるものとして、そして世界初のオープンで、国際的で、使いものになる、世界共通暗号通貨としての価値なのである。

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(翻訳:Nob Takahashi)