CVはダイバーシティーとインクルージョンを諦めるのか

今週、Backstage CapitalのArlan Hamiltonに話を聞くために会いに行った。彼女の目覚ましい出世物語は、今ではすっかり有名になった。Backstageのサイトに書かれている人物紹介のページから引用すると、彼女は「ホームレスだったころに、ベンチャーキャピタルを一から立ち上げた」とある。いろいろと面白いことを話してくれたが、まずはここから始めよう。2019年、彼女はダイバーシティー(多様性)やインクルージョン(包含性)については語らなくなるだろうというものだ。

こう聞いて、おやっと思った人は多いはずだ。彼女は過小評価されてきたマイノリティーに的を絞って資金を提供してきたからだ。その理由を、私が要点を理解して言い換えるならばこうなる。ダイバーシティーとインクルージョンは、技術系企業において人的資源となってきたが、大企業にとっては現状を守るための隠れ蓑になっており、改善を目指してはいるわけではない。

これには同意せざるを得ない。企業は、ダイバーシティーとインクルージョン(D&I)イベントや講演を開催したり、D&I副社長を雇ったり、「ダイバーシティー訓練」(これには効果がないばかりか、裏目に出ることも少なくないと多くの証拠が示している)を行ったりしている。彼らはダイバーシティーについて語る。彼らはダイバーシティーをパワポのスライドの中に加える。しかし、実際に彼らは何をしているのか? 私はNassim Talebの有名な宣言を思い出した。「何を考えているかは言わなくていい。ただポートフォリオを見せなさい

ではポートフォリオを見てみよう。Fortuneが報じたPitchBookの調査結果によれば、2017年に女性ばかりのチームがVCを受けた割合は2.2パーセント。これは2013年と変わらず、2014年に比べると明らかに低い。男性ばかりのチームは79パーセントがVC投資を獲得している。企業が「ダイバーシティーとインクルージョン」について、前例のないほどの大量のリップサービスをしていた間のことだ。

投資金額ではなく、投資件数という面で見れば、女性が率いるチームへのVC投資は、わずかながら上昇傾向にある。2007には2.42パーセントだったものが、2017年には4.44パーセントになっている。しかし、このペースで行けば、10パーセントの大台に乗るのは……2045年だ。さあ祝おう! その他の少数派の仲間たちに関するデータを探し出すのは、大変に難しい。それは、彼らへの投資状況が、ある程度の速度をもって改善されている証拠がゼロであることを示しているように見える。

しかし、大企業のダイバーシティーに関する統計データはある。再び、2014年と2017年とを比べてみよう。前回と同じ、前代未聞のリップサービスの時代だ。Googleは「黒人2パーセント、ヒスパニック4パーセント、2つ以上の種族4パーセント」から、「黒人2パーセント、ヒスパニック4パーセント、2つ以上の人種4パーセント」に改善された。これは進歩と言える。Facebookはどうだろう。2014年の技術者の割合は、ヒスパニック3パーセント、2つ以上の人種2パーセント、黒人1パーセント」だったが、2017年には、この数字は、どうも言いにくいのだが、変わっていない。

いろいろな不平がある。それはパイプラインの問題であって、文化的な問題ではないということ(MeTooムーブメントは、パイプラインがその入口から大企業のCEOまでの間がすべて汚染されていると、もっと悲痛に訴えるべきだった)。技術業界では、性別や人種で人を選ぶことは、いわゆる理想郷的能力主義に違反するということ(能力主義は、ほとんど意識することなく、システムとして始まり、そういう人たちを選んできた)。他より秀でたいと考える企業には、敷居を下げる余裕がないこと(中でももっとも下劣な不平として「ダイバーシティーがクソなハードルを上げてる!」というCindy Gallopの言葉がある。技術業界は、他の業界と同じく。平凡な白人で満員なのだ)。

なんとも異常な世界だ。彼らのポートフォリオを見ても、ベンチャーキャピタルは、意識するしないに関わらず、悪意のあるなしに関わらず、冷酷で人を馬鹿にした賭に出ることがある。ときとして、いや頻繁に、(比較的)普通の白人に賭けるのだ。同じ投資を受けられたはずの、より才能があり能力も優れた少数派よりも、白人のほうがシステムとして優位だと思うからだ。

これは、民主主義よりも君主制を選ぶようなものだ。たしかにかつては、それが機能していた。個人としての支配者は、平凡で、理論に依存するが、生まれたときから人を支配することを教えられ、権力の使い方を心得ている。だから彼らは頭角を現しやすく、才能はあるかも知れないが、無知な大衆の意志によってその地位に就く。

おそらくVCも同じだろう。ある程度、たぶん無意識に、白人のほうが彼らが最重要視する文化システムからの恩恵を多く得ていて、社会的な自信(傲慢性)があり、ネットワークが広く、生まれたときから積み重ねてきたさまざまな優位性を持っていると、彼らは考えている。外から来た少数派は、たとえ根性があって、ヤル気があって、頭が切れたとしても、同じ優位性を持っていないため、白人に賭けることになる。

君主制ではそれがうまく作用しなかったとお気づきの人もるだろう。私も、たとえばスタンフォードを卒業した白人男性やハーバードを中退した白人男性などの「パターン認識」で同様の宿命を予測した(アメリカの一流大学の不平等について話を広げるつもりはない。社会的な階層構造を保つための「縁故入学」制度はじつにあからさまだが)。

しばらくの間、そうしたやり方はVCにとって都合がよかった。なぜなら、
a)技術業界全体は、インターネット革命とスマートフォン革命という2つの潮流によって盛り上がっているため、業界の支配者からの強力な支援を受けて、たとえば独占的なシェアを誇る写真共有アプリなどで大成功を収める人間が登場することが見えていたからであり、
b)新しい技術系企業を立ち上げた白人男性たちは、今でもアウトサイダーとして活動しているからだ。

何か新しいことをやろうとすれば、アウトサイダーでいるのがよい。オリジナリティーが発揮できる。立ち直りも早い。ほとんどの人間は群れたがるが、特別な才能のある人間は、なんらかの方法で主流の社会から離れている。信じるか信じないかは別として、かつて、技術系ナードはアウトサイダーだった。少なくとも、アウトサイダーでいることの恩恵を受けていた。

それは、控えめに言っても、もう通じない。今や、主流のビジネススクールを卒業し、体制に順応した人たちが群を作り、自らをギークと称し、技術系スタートアップを立ち上げようとしている。彼らもわかっているが、どこでも同じようなことをしている。ほとんどの人間が同じ形式に載っかっている。リーンスタートアップ、MVP、シードファンディング、アクセラレーターなどなど。皮肉なことに、彼らはみな、リーンスタートアップの時代が終わりかけているときに、これを行っている。私が以前問題提起したことだが、この2年間ばかりVCに資金を提供してきた世界的なハードウエア革命による豊かな鉱脈が、もうほとんど枯渇しているのだ。

すべての人が、同じ方式でもって、同じ消えゆく資金を追い求めているとすれば、本当の報酬は、明らかに別の場所にある。どこか他に、まだ掘られていない補助的な鉱脈がある。しかしそれは、別の方法を使わなければ掘ることができない。別の人生体験からの情報に基づく別の市場、別の価値、別のネットワーク、別の考え方だ。私の友人がこんな賢言を書いていた。「違うことが常により良いとは限らないが、より良いものは常に違うものだ」。これは、今すぐにでも、あの手この手を使ってVCが採り入れるべき教訓だ。

 

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(翻訳:Tetsuo Kanai)

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TechCrunch Japan

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