新型コロナ禍の悪化し続ける世界に生きて働くこととは?

そう遠くない昔、私たちはよくなっていく世界に生きていた。もちろん悲劇や惨事はあり、深刻な不平等もあったが、それでも世界規模で、長い年月で見れば、ごく最近のベルリンの壁崩壊前と比べて、ほとんどの人々にとってものごとは良くなっていた。

「ごく最近」がいつか、について、道理をわきまえた人は異論があるかもしれない。個人的には、2015年あたりが転換点たと思っている。あれ以来、難民の数は膨れ上がり、「プレカリアート」(生活不安定層)の話題が高まり、ネオファシズムと区別のつかない外国人嫌悪が世界中にはびこり、地球温暖化の脅威が避けられなくなった。

ほかの、もっと楽観的な人たちは世界は今年になるまでよくなっていたと言う。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックを前にいま私たちが後戻りしていることに異論を唱える人はほとんどいないと思う。直接的な死亡率だけではない。疾病率も、急増する失業率によって、期待するほど早い復旧は望むことができず、改善しなければ死亡率が何倍にもなることは明らかであり、世界恐慌にもつながる。最悪、世界で極貧が激増することが予測されている。

私たちは悪化する世界に住んでいる、少なくとも今年、おそらく来年、さらにその後も。それは、ものごとはよくなっているという理にかなった信念になじんだ人たちにとって、慣れるのが恐ろしく困難なことだ。長い間、おそらく1970年代中頃から1980年代初めにかけて以来、人類がこのような脅威にさらされたことはない。

悪化する世界で変わるのは何か?例えば、物事の帰結について今以上に慎重になる必要がある。高度経済成長期には、企業の成功(あるいは失敗)の不快な副作用をなかったことにする、という不幸な傾向かあった。それはすぐに解決する一時的な摩擦であり、上げ潮がすべてを押し上げ、影響を受けた人々は(少なくとも理論上)簡単に新しい職を見つけられるとされた。実際、好況時にはそれを論証することもできた。しかし、引き潮で鋭い岩が下にある時の事情はまったく異なり、人々は自分を合わせていかなくてはならない。

もうひとつ、さらに興味深くて直感に反する教訓が、1970代年中期から1980年代初期から学び取れる。それはパンクロックやヒップホップが生まれた時代であり、どちらも当時の美的基準からはかけ離れていた。当時はハリウッドの黄金時代であり、それはまさに「誰も何も知らなかった」からだ。Apple(アップル)とMicrosoft(マイクロソフト)が設立された時でもあり、パーソナルコンピューターが、その存在すら曖昧で奇妙な珍品だった。

おそらくここでの教訓は、今は何か奇妙なことを追い求める時だということだろう。後追いでも、順応型の別バージョンでもない、正真正銘の奇妙さだ。今は奇妙なスタートアップを見つける時かもしれない。いやもしかしたら、スタートアップは変化を後押しする主要な原動力であり、真に奇妙なのは、スタートアップとは全く異なる何かを作り出すことなのかもしれない。あるいは、単にアートを作る、ただし自分だけの形式のアートを発明することかもしれない。これが悪化する世界の中で楽観的な考えであることはわかっているが、パンデミックでさえ、楽観主義者を必要としているのだ。

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi / facebook

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。