TechCrunchの常連寄稿者Andrew Keenは前から、“インターネットの能力の中には情報を‘忘れること’も必要だ”と主張していた。でもEUの今回の裁定は、彼が考えていたものと同じだろうか。
欧州司法裁判所は、Googleは“忘れられる権利”を尊重すべきであると裁定し、個人の要求に応じて、“不適当”で古い情報を削除するよう求めた。そのようなデータを一般に開示することは、個人データの処理に関するEUのプライバシー指令に違反している、とした。
当然ながらGoogleは、裁判所のこの決定に対して“怒り”、幻滅している、といわれる。
この画期的な訴訟の原告であるスペイン人は、さかのぼる2010年に、スペインのデータ保護当局に対し、ある全国紙とGoogleが彼のプライバシー権を犯している、と訴えた。
彼の名前をGoogleの検索で入力すると、表示されるリンクのリストの中には、彼の元の家の競売公告が載っているVanguardia紙の記事へのリンクが二つあった。
彼は、この事案は解決済みであるから、そのデジタルの痕跡は当のページ発行者とGoogleの両方によって削除されるべきである、と主張して裁判所を納得させた。Googleは、原告の過去の恥を報じた記事へのリンクを削除しなければならないのだ。
この最後の点に関して裁判所はこう言う:
…当司法裁判所が何よりもまず最初に見い出したのは、検索エンジンの事業者が、インターネット上に公開されている情報を自動的、定常的、かつ系統的に検索することによって、〔プライバシーに関するEUの〕指令に抵触するデータを‘集める’ことである。
さらに裁判所は、次のような強い言葉も使っている:
…事業者は、ある種の状況においては、サードパーティが公開した個人に関連する情報を含むWebページへのリンクを、その個人の名前で行われた検索によって表示される結果のリストから削除せざるを得ない場合がある。当法廷は、その名前や情報がそれらのWebページから前もって、あるいは同時に、消去されていなかった場合にも、同様の責務が存在することを明言するものである。このことは、今回の訴件がそうであったように、それらのページ上の出版物自体が合法的である場合にも適用される。
つまり、EUが意図し目的とするところは、プライバシーを侵犯するおそれのあるデータを公開した元のパブリッシャーと同等あるいはそれ以上の責任がGoogleにある、とみなすことだ。しかも、元のサイトでそのコンテンツが合法的に公開されているものであっても、削除が要請される、というのだ。
これは、“忘れられる権利”というよりもむしろ、“見つけられない権利”と言うべきだろう。
もちろん、当の合衆国の検索巨人は納得しない。
オンラインのプライバシーの状態の如何を問わず、またある種の個人情報の削除を要求する権利が個人にある・なしを問わず、今回のような裁定は検閲を許容するものであり、しかも(そうであるとしても)そのターゲットは情報源そのものであるべきであり、“罪なき”検索エンジンではない、という議論が当然湧き起こるだろう。
Googleなどの検索エンジンが、それらがインデクシングするコンテンツに関して責任ありとする裁定は、控えめに言っても論旨として危ういし、あらゆる種類の“データ”の検閲をめぐって、今後多様な主張や議論を喚ぶだろう。それらに対する、歯止めはあるのだろうか?
事後検閲ではなく、むしろGoogle自身が事前に情報を選別してEUの法に叶うようにした方が、事はおだやかだろう。
しかしGoogleには、キャッシュという厄介なものもある。またInternet ArchiveのWayback Machineという立派なプロジェクトもある。プライバシーの権利と表現の自由、そのどっちを叫んでも、事態はそれほど単純ではない。
EU自身は、今回の裁定のような法理論を今後も強力に押してくるだろう。“忘れられる権利”は、いよいよややこしい問題になっていくのだ。
インターネットそのものに最初から、忘れる機能があれば、話は簡単だったかもしれない。
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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))