本書『パラノイアだけが生き残る』は『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』に続くアンディー・グローブの名著復刻第二弾。Kindle版も配信している。 『インテル戦略転換』の復刊だが昨日書かれたかと思うほど内容はタイムリーだ。
現在のIntelは時価総額1700億ドル、日本最大の企業トヨタ自動車に匹敵するサイズの巨人で、モバイルチップでこそ新しいメーカーに一歩を譲るものの、サーバーやデスクトップCPU市場では圧倒的な存在だ。
Intelをこうした巨人にしたのは1979年から1998年にかけて経営を指揮したアンディー(アンドルー)・グローブだ。この時期にIntelは売上高を40倍近くに伸ばしている。ゲイツ、ジョブズ、ベゾス、ペイジ/ブリンなどの創業者経営者を別にすると、グローブは他を圧して伝説的な存在だ。グローブはなぜそのような業績を挙げることができたのだろうか?
Intelはゴードン・ムーア(ムーアの法則で知られる)らによって設立され、半導体メモリーのパイオニアとして1968年にスタートした。アンディー・グローブはIntelの社員1号だったという。シリコンバレーの発展と歩調を合わせて業績は順風満帆だったが、80年代に入ると日本メーカーがDRAM製造分野の主導権を握り、その攻勢にIntelは倒産の瀬戸際まで追い詰められた。
この本で印象的な一節は1985年半ばに会長、CEOだったゴードン・ムーアと社長だったグローブとの会話だ。
グローブ:もしわれわれが追い出され、取締役会が新しいCEOを任命したとしたら、その男は、いったいどんな策を取ると思うかい?ムーア:メモリー事業からの撤退だろうな。グローブ:(略)それをわれわれの手でやろうじゃないか。
グローブは打ち寄せる大波を押し返すような力技を発揮してDRAM生産を終了させ、IntelをCPUメーカーへと方向転換した。
その後もIntelにはペンティアムCPUの浮動小数点演算におけるバグという問題が降りかかる。この問題は本書の冒頭で扱われているがグローブの眼前で問題が爆発したのは「1994年11月22日、感謝祭2日前の火曜日だった」という。詳細に日時が書かれているところかして激しいショックを受けた事態だったのだろう。このトラブルはIntelに4億7500万ドルの損害をもたらしたものの、グローブはこの嵐も全面的な方針転換によって乗り切った。
グローブによれば、どんな企業もいずれ「戦略転換点」に遭遇するという。これは「10X(桁違いの巨大な)の変化が起き、ゲームのルールが根本的に変わる」ことによって生じる。たとえばコンピュータ業界ではデスクトップPCの登場によってこの変化が起きた。1980年ごろのコンピュータ業界は縦割りだった。つまりIBMの占める位置はハードの製造からOS、アプリケーション、さらには流通販売まで強固に垂直統合されていた。それが1995年にはチップはIntelが、コンピューターはコンパックやデルが、OSはWindowsが、というように水平分業の世界に変わる。IBMが立てこもっていた強固なサイロは消滅した。
日本製DRAMの販売攻勢によってIntelが直面したのも「メモリー製造では食っていけない」という戦略転換点だった。ペンティアム・チップのバグ問題も実は問題はバグそのものではなかったようだ。Intel Insideキャンペーンが成功したことにより、Intelがコンピューター・メーカーに部品を供給する企業ではなく、むしろコンピューター市場そのものをリードする消費材メーカーに変化していた。グローブによれば、その変化にまず自分が気づいていなかったことが失敗だったという。
本書に挙げられたさまざまな「戦略転換点」はMBAの教室で教えられるような概念ではなく、グローブの体験に基づいたものだったことが強く感じられる。グローブが世界的大企業のCEOという激務にありながら、「事業経営の勘所」を細かく伝授する本を執筆して後進の起業家、ビジネスパーソンのために非常に大きな影響を与えるようになったのはこの体験とその反省にもとづいたものだったと思う。
グローブの経営書に大きな影響を受けた1人がベン・ホロウィッツだった。ホロウィッツはマーク・アンドリーセンと共にラウドクラウドを起業したクラウドビジネスのパイオニアで、現在ではシリコンバレー最大のベンチャーキャピタル、アンドリーセン・・ホロウィッツを運営している。ホロウィッツのグローブへの傾倒ぶりは異色の経営書、『HARD THINGS』にも詳しく述べられており、『HIGHOUTPUT MANAGEMENT』の序文も寄稿している。
実はこの本の末尾に「本書を執筆している最中にネットスケープの株式が公開された」という一節があり、書かれた時代を感じさせる。世界初の商用インターネット・ブラウザ、ネットスケープの大成功はシカゴ大学を卒業したばかりのファウンダー、マーク・アンドリーセンを初の「テクノロジー起業家富豪」とした。創業直後のアンドリーセンの会社に飛び込んだのがベン・ホロウィッツで、この二人がやがてクラウド・サービスという事業分野を苦闘しつつ開発することになる。
上でも触れたように本書が書かれた1995年頃、日本経済はジャパン・アズ・ナンバーワンと囃されており、構造的な危機を乗り切るためのノウハウと哲学を述べたグローブの経営書は十分理解されたとは言えなかった。前途不透明な現在こそグローブに学ぶべき時期なのかもしれない。
今回のグローブ本の装丁も白地に黒のゴシックでPARANOID SURVIVEという原文を大きく配置してあり印象的だ。グローブの経営指揮は強烈でグローブの厳しい指摘に幹部が気絶したという伝説もある。グローブ自身はあまりに隔絶した存在なので、グローブのようになることを目指すことはベーブ・ルースになろうとするくらい非現実的だろう。しかしグローブは他の天才とは違い、自分が得た知識、ノウハウをできるかぎり後進に伝え、参考にさせようとしたように思える。その意志が伝わってくるだけでも一読の価値があるように感じた。