ヨーロッパ人の検索結果削除リクエストのためにGoogleが入力フォームページを立ちあげ

EUに住んで、自分に関する古い不適切な情報を検索結果から消してもらいたい、とあなたなら思う? Googleはこのほど、ヨーロッパに住んでいて、自分に関する、自分に削除する権利があると思える情報をGoogleがインデクスした、と信ずる者からの削除リクエストを受け付ける仕組みを実装した。

今朝(米国時間5/30)からあるその、ユーザがデータの削除をリクエストするための入力フォームページは、今月初めにヨーロッパ司法裁判所が下した、Googleは“忘れられる権利”を尊重すべし、という裁定に従うものだ。裁定は、個人からのリクエストに応じてGoogleは、個人データの処理に関するEUのプライバシー指針に違反している“不適切で”古い情報を削除すべし、と言っている。

この裁定は、自分の名前と資産喪失に関する検索結果を検索エンジンから削除したいという、あるスペイン人の訴えが契機となって下(くだ)された。

今月初めには、司法裁判所の裁定に続いて、Googleには検索コンテンツの削除リクエストがいくつか寄せられていることが明らかになった。ただしそこに挙げられていた例は、古典的な三大醜聞ネタともいうべき、再選を目指す元政治家がオフィスにおけるお行儀の悪い行為を報じた記事のリンクの削除を求める; 医師が患者からのネガティブなリビューの消去を求める; 有罪となった児童性愛者が児童虐待写真を保有していたとする判決文の取り下げを求める、といったものだった。

それらは、司法裁判所の裁定の社会的評価を下げるために、Googleが意図的に放ったリークか、とも思われた。

たしかにその裁定は、議論を招(よ)んでいる。とりわけ、Open Rights GroupやWikipediaのJimmy Walesなど、言論と表現の自由を主張する人びとからの反論が多かった。

Walesはそれを、“滑稽”で“異様”と形容し、これでは今後ほとんどの新聞記事が検索にかからなくなる、と指摘した。あるいは、ヨーロッパでは、名もないマイナーな検索エンジンだけが、Googleなどの大手検索エンジンで見つからない情報を表示するかもしれない。裁定に対する批判が示唆しているものは、ヨーロッパではとっくに姿を消したと思われている、検閲という名の悪霊の復活だ。

議論のもう一方の側には、個人のプライバシー権利が座っている。こちらはこのところ、ネットビジネスの繁盛のために大量のユーザデータを収集し利用する企業から、足蹴にされる機会が多くなっている。

昨今の高度に発達した情報技術とそのツールは、データを自動的かつ機械的にふるいにかけるだけなので、人間だけから成る社会では自然に過去という名の背景に溶け込み、消え去ってしまうような情報、たとえば昔々の新聞記事なども、必要以上の長期にわたって公共の目にさらされてしまう。‘忘れられる権利’というおかしな言葉が生まれたのも、このような状況からだ。

裁判所は今のところ、後者の側についている。しかも裁定には即時の強制力があるので、この裁定を根拠に今後為されるリクエストに対応する処理を、Googleは迅速に実装しなければならない。

Googleによると、同社はすでにそういうリクエストを“数千件”受け取っているそうだから、ヨーロッパ人のあいだにGoogleの検索履歴を自分でエディットしたい、という願望があることも事実だ。

裁定に対するGoogleのコンプライアンスは、EUのユーザがEuropean Data Protection Lawに基づいて削除する権利が自分にあると思われる情報を詳細に指定するための、フォームページとして実装されている。

そのフォームには、リクエストの適法性はGoogleが判断する、と書かれている:

この決定の実装においては、弊社が個々のリクエストを評価し、個人のプライバシー権利と、情報の接受と配布にかかわる公共の権利の均衡に努めるものとする。リクエストの評価において弊社は、情報の時代的な古さと、情報に対する公共的関心の有無を独自に判断する。この検討の対象となる情報は、たとえば、金融詐欺、専門的職業人が犯した過失、犯罪に対する有罪判決、公務員の不正な公的行為、などである。

Googleは、上の‘公共的関心の有無’という言葉にも見られるように、裁定に逆らう面も見せている。すなわち、詐欺や過失、公務員の不正行為の記事などは、古い情報であっても、必要があれば見られるという状態の方が適切である、とGoogleは主張しているのだ。

しかしこのような評価はとても難しいから、今後情報取り去りリクエストが増えれば、Googleにとって、手に負えない作業になる可能性もある。おそらく、処理の一部は自動化せざるをえない、と思われる。

なお、情報の削除をリクエストする者は、運転免許証や国民番号証などによって本人性を証明する必要がある。

また、本人の本人性を公的に代理する機関、たとえば本人との正式の契約のある弁護士事務所などが、検索結果からの情報の取り去りをリクエストすることもできる。顧客の某氏のために検索履歴を仔細に調べて、複数の、必要十分な数だけの、削除リクエストをGoogleに提出することが、法律事務所などの手頃な副収入源になってしまうかもしれない。

Googleは本誌TechCrunch宛のメールで、同社はヨーロッパ各国のデータ保護当局と密接に協働していくことのほかに、専門家集団によるGoogle独自の諮問委員会を立ちあげて、評価判断過程の適正化を図る、と言っている。おぉ、これまた、プライバシー専門の弁護士たちの、格好の副収入源になるね。

この件について、Googleは次のように述べている:

“ヨーロッパの裁判所の最近の裁定に従うために弊社は、弊社の検索エンジンからの結果の削除をリクエストするヨーロッパ人のためのフォームページを提供する。裁判所の裁定によりGoogleは、個人の忘れられる権利と公共の知る権利に関して、難しい判断をしなければならない。弊社は専門家による諮問委員会を作って、これらの問題を綿密に検討していきたい。またこの裁定の実装にあたっては、各国のデータ保護当局等とも協働していく”。

アップデート: Googleは、諮問委員会の当面のメンバーの氏名を公表した:

  • Frank La Rue (意見と発言の自由に対する権利の普及と保護に関わる国連特別報告人)
  • Peggy Valcke (University of Leuvenロースクール理事)
  • Jose Luis Piñar (元スペインのDPA, 現在は教授職)
  • Jimmy Wales (Wikipedia)
  • Luciano Floridi (Oxford Internet Instituteで情報倫理哲学を担当)

このメンバーは全員、Googleが選出した人たちなので、かなり‘Google好み’であるかもしれない。

Twitter上には、こんな皮肉っぽい批判も:

[このメンバーは一見多彩だけど、裁判所が言ってる‘均衡’にはあまり配慮してないようね。]

アップデート2: ヨーロッパ司法裁判所の裁定に対するGoogleの今回のコンプライアンスは、データ保護法自体は1995年からあることを考えると遅すぎる、とECの部長Viviane Redingがコメントしている:

“Googleがやっとヨーロッパの法律を尊重するために必要な措置をとったことは、良い展開である。ヨーロッパのデータ保護法は1995年から存在しているから、やっとという形容がふさわしい。Googleにそれをわからせるために、ヨーロッパ司法裁判所の出番が必要だった。忘れられる権利と自由な情報の権利は敵同士ではなく友だちである”。

“この動きは、それまでの実践不可能というおそれが、根拠のないものであったことを示している”。

データの保護は未来のビジネスモデルである。

— Viviane Reding

[pullquote author="Viviane Reding"]Data protection is the business model of the future.[/pullquote]

“法律は、表現の自由とデータの保護とのあいだで正しい均衡を図るためにある”。

“どちらかを優先して他方を犠牲にするのではなく、両方を立てるための正しい均衡が重要である。ヨーロッパ司法裁判所は、二つの権利が矛盾・衝突しないことを明らかにし、その均衡の見つけ方と、忘れられる権利の限界が那辺にあるかを、明確に指示した。また裁判所は、ジャーナリストの仕事はそのまま保護すべきであることも、明らかにした”。

“真のデータ保護を社会に提供していくことに、今後のスタートアップの強力で革新的なビジネス機会がある。法律による保護や、データに関して消費者の力を強くしていくことに、安定的な売上と利益の機会がある。データの保護は未来のビジネスモデルである。この機会をつかもうとする企業の前には、広大なビジネスの未来が開けている”。

[Image by Nana B Agyei; Flickr]

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))


EUの裁判所がGoogleの検索結果から特定の個人情報へのリンクを削除せよと裁定

TechCrunchの常連寄稿者Andrew Keenは前から、“インターネットの能力の中には情報を‘忘れること’も必要だ”と主張していた。でもEUの今回の裁定は、彼が考えていたものと同じだろうか。

欧州司法裁判所は、Googleは“忘れられる権利”を尊重すべきであると裁定し、個人の要求に応じて、“不適当”で古い情報を削除するよう求めた。そのようなデータを一般に開示することは、個人データの処理に関するEUのプライバシー指令に違反している、とした。

当然ながらGoogleは、裁判所のこの決定に対して“怒り”、幻滅している、といわれる。

この画期的な訴訟の原告であるスペイン人は、さかのぼる2010年に、スペインのデータ保護当局に対し、ある全国紙とGoogleが彼のプライバシー権を犯している、と訴えた。

彼の名前をGoogleの検索で入力すると、表示されるリンクのリストの中には、彼の元の家の競売公告が載っているVanguardia紙の記事へのリンクが二つあった。

彼は、この事案は解決済みであるから、そのデジタルの痕跡は当のページ発行者とGoogleの両方によって削除されるべきである、と主張して裁判所を納得させた。Googleは、原告の過去の恥を報じた記事へのリンクを削除しなければならないのだ。

この最後の点に関して裁判所はこう言う:

…当司法裁判所が何よりもまず最初に見い出したのは、検索エンジンの事業者が、インターネット上に公開されている情報を自動的、定常的、かつ系統的に検索することによって、〔プライバシーに関するEUの〕指令に抵触するデータを‘集める’ことである。

さらに裁判所は、次のような強い言葉も使っている:

…事業者は、ある種の状況においては、サードパーティが公開した個人に関連する情報を含むWebページへのリンクを、その個人の名前で行われた検索によって表示される結果のリストから削除せざるを得ない場合がある。当法廷は、その名前や情報がそれらのWebページから前もって、あるいは同時に、消去されていなかった場合にも、同様の責務が存在することを明言するものである。このことは、今回の訴件がそうであったように、それらのページ上の出版物自体が合法的である場合にも適用される。

つまり、EUが意図し目的とするところは、プライバシーを侵犯するおそれのあるデータを公開した元のパブリッシャーと同等あるいはそれ以上の責任がGoogleにある、とみなすことだ。しかも、元のサイトでそのコンテンツが合法的に公開されているものであっても、削除が要請される、というのだ。

これは、“忘れられる権利”というよりもむしろ、“見つけられない権利”と言うべきだろう。

もちろん、当の合衆国の検索巨人は納得しない。

オンラインのプライバシーの状態の如何を問わず、またある種の個人情報の削除を要求する権利が個人にある・なしを問わず、今回のような裁定は検閲を許容するものであり、しかも(そうであるとしても)そのターゲットは情報源そのものであるべきであり、“罪なき”検索エンジンではない、という議論が当然湧き起こるだろう。

Googleなどの検索エンジンが、それらがインデクシングするコンテンツに関して責任ありとする裁定は、控えめに言っても論旨として危ういし、あらゆる種類の“データ”の検閲をめぐって、今後多様な主張や議論を喚ぶだろう。それらに対する、歯止めはあるのだろうか?

事後検閲ではなく、むしろGoogle自身が事前に情報を選別してEUの法に叶うようにした方が、事はおだやかだろう。

しかしGoogleには、キャッシュという厄介なものもある。またInternet ArchiveのWayback Machineという立派なプロジェクトもある。プライバシーの権利と表現の自由、そのどっちを叫んでも、事態はそれほど単純ではない。

EU自身は、今回の裁定のような法理論を今後も強力に押してくるだろう。“忘れられる権利”は、いよいよややこしい問題になっていくのだ。

インターネットそのものに最初から、忘れる機能があれば、話は簡単だったかもしれない。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))