上上下下左右左右BA、コナミコマンドの生みの親・橋本和久氏が逝去

上上下下左右左右BA、そしてスタート!ご存知だろうか?コンピュータゲームの最初期に生まれ、コナミコマンドとして知られるようになった世界でいちばん有名な隠しコマンドだ。その生みの親である橋本和久氏が亡くなったとコナミからTwitter経由で報告があった。数えてみるとコナミコマンドが誕生してからすでに34年たっている。

橋本氏は8ビットゲーム機時代を代表する傑作であるグラウディウスを開発したコナミのプログラマーだ。横スクロールのシューティングゲームだが、攻略が非常に難しかった。実際、テストで繰り返しプレイしなければならい開発者本人にとっても難しかった。そこで橋本氏はアーケード版をファミコンに移植する際に、テスト作業を楽にするちょっとしたバックドアを作った。

これが橋本氏がコナミコマンドを作った理由だ。このコマンドはプレイヤーが生き延びる可能性を大きく高めてくれる。しかし偶然入力されるようなキーシークエンスは避けねばならない。そこで橋本氏は上上下下左右左右BAを選んだ。隠しコマンドが入力されるのはゲームの開始時点ないしポーズ中なのでスタートが後続する場合が多い。

コナミコマンドが公開版に入り込んだのは偶然のなせる技だった。隠しコマンドはファミコンへの移植が完了したら削除されるはずだったが、どうしたことか開発チームはそれを忘れてしまった。80年代のコンピュータゲームではこういうことはよく起きていた。しかもグラウディウスは途方もなく難しかったので隠しコマンドはゲームのプレイヤー全員にあっという間に広まった。

80年代後半から90年代にかけて育った多くの子供たちはコナミコマンドを暗記してしまった。コマンドの効果はゲームによって異なっており、コマンドそのものにもいくつかのバリエーションがあったが、ゲームの難易度を大きく下げる点は共通していた。たとえば伝説的な、そして今見ても感心するファミコンゲームの魂斗羅では隠しコマンドで主人公に30回の復活のチャンスが与えられた。ほとんどのプレイヤーにとって30回はミッションを完了するために必要な最低限の生命だった。

ほかの会社のデベロッパーもジョーク、あるいは本気でコナミコマンドを使うようになり、バリエーションは世代を超えてゲームの世界に生き続けた。もっともグラウディウスIIIでは、近道をしようとする人間に対する警告か、このコマンドを入力するとプレイヤーの宇宙船が自爆してしまうようになった。

ともあれコナミコマンドはギーク文化の象徴の1つとなった。私自身、コナミコマンドをプリントしたTシャツを持っていたくらいだ。そういう名前のバンドもあった。テレビ番組でも映画でも登場人物が80年代の子供たちならコナミコマンドが登場した。それと名指されず、また正確なシークエンスではなくても、なんらかの近道、バックドアの意味で使われることも多かった。橋本氏は、当時それと知らぬままに、インターネットミームのもっとも偉大な原型を作ったといえる。

というのも冒頭で述べたように、開発したゲームが本人にとってさえ難しすぎたからだった。当時は有力デベロッパーのゲーム開発チームでもせいぜい10人から20人くらいのメンバーしかいなかった。一人のプログラマーがゲームをすっかり変えることができた。テスト用のバックドアは一般公開に先立って開発チームだけでなく協力、提携企業にも広く行き渡っていた。

橋本氏のコンピュータゲームの世界への貢献は偶然が作用した。しかしそのことはコナミコマンドの価値を減ずるものではない。成り立ちの背景がどうであれ、橋本氏は長く残る偉大な業績を残したといえるだろう。

画像:Konami

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(翻訳:滑川海彦@Facebook

投稿者:

TechCrunch Japan

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