現在、私たちは、2つの大きな危機に直面している。ひとつは地球の健康、もうひとつは私たち自身の健康だ。国連によれば、2050年には世界人口は97億人に達し、人類史上もっとも多くの天然資源を消費するようになると言われている。資源の消費量は、すでに10年から12年ごとに2倍に増えている。それに加えて、地球温暖化という難題がある。人の健康の面では、20歳未満の若者の20%が肥満であり、心臓血管病による死亡率は31%。がん患者は人口増加の2倍の速度で増えている。
だが幸いなことに、生物学とテクノロジーが、人の体だけでなく地球の治療法も確立しようとしている。同時に、テクノロジーとしての生物学の黄金時代と私が確信するものが到来し、その勢いに乗って無数の産業が刷新される。健康科学系のアクセラレーター IndieBio(インディーバイオ)の創設者Arvind Gupta(アルビンド・グプタ)氏は、先日Mediumに寄稿してこう主張した。「地球と人類の双子の災難」は100兆ドル規模の好機を創出すると。
これをどうやって好機に変えるかを説明する前に、この分野の歴史を簡単に振り返ってみよう。生物学は、もちろん、元からあった技術だ。私たちは、生命の積み木をあれこれ組み替えてきた。先祖たちは植物やハーブを薬として、またニームの枝を歯磨きペーストに利用したり、トウモロコシなどの植物を栽培してきた。そうした技術は何千年にもわたり受け継がれている。現代のバイオテック産業が初めて開花したのは、1970年代から1980年代になってからのことだ。
1972年、Robert A. Swanson(ロバート・A・スワンソン)氏はGenentech(ジェネンテック)を共同創設し、バイオテックの誕生に道を拓いた。ジェネンテックはその後、遺伝子組み換え分野のパイオニアとなった。研究室での画期的なDNAシークエンシングを成功させたジェネンテックは、1982年に糖尿病患者のためのヒトのインスリンの合成を可能とし、1985年にホルモン欠乏症で苦しむ子どもたちのための成長ホルモンの生成も可能にした。
黎明期にこの分野を牽引した企業には、 Applied Molecular Genetics(アプライド・モレキュラー・ジェネティクス、現・アムジェン)がある。1989年、慢性腎不全患者のためのヒトエリスロポエチン製剤の初の認証を取り、後にHIV患者の貧血治療にも使われるようになった。昨年、売上高237億5000万ドル(約2兆5800億円)を誇るこの企業がもっとも多く売った薬は、化学療法を受けているがん患者の感染予防に使われるニューラスタと、慢性関節リウマチの治療薬エンブレルだった。
そうした初期の技術を基盤として、今の革新的な研究が行われている。中でも大きな期待を集めているのが、CRISPR-Cas9というゲノム編集技術だ。CRISPRでは、研究者たちが分子のハサミと呼ぶ道具を使い、生きた人間のDNAを切断し、損傷部分を削除したり修復したりできる。ゲノムに変更を加えるため、その個人だけに効果があった従来方法とは異なり、修正されたDNAは遺伝する。この技術を使えば、根絶とまではいかなくとも、がんの進行を遅らせることができる。また、鎌状赤血球症、嚢胞性線維症、血友病、心臓病の予防も可能だ。
中国で世界初のゲノム編集された赤ちゃんが生まれて論争になったように、デザイナーベイビーを作り出すといった懸念もあるが、それは私たちの肉体を守ってくれる。私たちの子供も子孫たちも守ることができる。CRISPR分野を牽引するMammoth Biosciences(マンモス・バイオサイエンシズ)の共同創設者であるJennifer Doudna(ジェニファー・ダウドナ)氏は、CRISPRの力を使って疾患検出を民主化するという使命を掲げている。正確で安価なテスト方法によって、研究室ではなく診療現場での疾患検出を可能にするというものだ。
その他、DNAシークエンシング、細胞工学、バイオプリンティングなどの技術は、動物に由来しないタンパク質、ジェットエンジン用のバイオ燃料、鉄より軽くて強い素材、コンピューター用の記憶装置などの開発につながる。その結果、この分野で頑張るスタートアップは、まったく新しい産業を創造し、古いものを打ち壊して、私が信じる場所へと私たちを導いてくれる。それは、技術としての生物学の黄金時代だ。
成功している企業に、未来のタンパク質を標榜するBeyond Meat(ビヨンド・ミート)がある。植物由来の肉製品で、地球的人口を支えるタンパク質の問題に対処する一方で、牛の問題にも取り組んでいる(牛は土地や水を消費し、腸内ガスはオゾン層を破壊する。言うまでもなく、牛を食べることに罪悪感を覚える人もいる)。この企業の活動は、世界の2700億ドル(約29兆円)規模の食肉産業の破壊をもたらす。
New Culture(ニューカルチャー)の起業家たちも、牛の問題に取り組んでいる。彼らは、工学的に作り出した酵母を使って、牛乳を使わずにチーズを作っている。大豆やナッツから作られる一般的なビーガン用チーズとは違い、本物と同じ味だと称賛されている。
もうひとつ、破壊される場所は私たちの家庭だ。スタートアップのLingrove(リングローブ)は、亜麻の繊維とバイオエポキシ樹脂で私たちの樹木への依存度と、それに伴う森林伐採を減らそうとしている。同社はEkoa TP(エコアTP)という製品で、建設市場を目指しつつ、800億ドル(約8兆7000万円)規模のインテリア市場を狙っている。この分野の別のプレイヤーにbioMASON(バイオメゾン)がある。コンクリートの製造では、大量の二酸化炭素が大気中に放出される。しかしこの企業は、レンガや建築素材は、従来の加熱や発破といった工程を用いずに、砂から育てることが可能だと証明した。砂に微生物を混ぜることで、サンゴが形成されるときと同じようなプロセスが始まるという。
そして輸送の問題もある。もっとも多く温室効果ガスを排出する分野だ。Amyris(アミリス)は、遺伝子工学で作り出した酵母(つまり砂糖)を環境に優しいガソリンやジェット燃料に変換することで、化石燃料を使わない輸送を目指している。
それだけではない。テクノロジーとしての生物学の物語は、まだまだたくさんある。キノコを革に替えるMycoWorks(マイコワークス)、分子からウィスキーを作るEndless West(エンドレス・ウェスト)、バクテリアでシルクを作るBolt Threads(ボルト・スレッズ)など、革新的な企業がいろいろなことをしている。数gのDNAにデータセンター1つぶんの情報を保存する研究も進められている(マイクロソフトが行っている)。ニューロンからコンピューターを作ろうと考えている企業もある(エアバスが出資している)。
このテクノロジーとしての生物学の黄金時代が、どこへ私たちを導くのか、どれだけの新製品が登場して、どれだけの産業が破壊されてしまうのか、または創出されるのかは誰にもわからない。しかし、1兆ドル規模の市場は再編される運命にある。そして、私たちがより長く健康に生きられる、より健全な惑星が作られることだろう。
【開示情報】ジェネンテックとアムジェンは、1970年代と1980年代にメイフィールドからの出資を受けていた。現在は、マンモス・バイオサイエンシズが出資を受けている。
【編集部注】著者のNavin Chaddha(ナビン・チャダー)は、消費者向け、医療向けIT、企業向けIT関連のアーリーステージの企業に投資するMayfield(メイフィールド)の代表。現在の運用資産は18億ドル(約1950億円)。
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(翻訳:金井哲夫)