Facebookは2004年、今年のまとめ写真集に昔の相手やブロックした友達や亡くなった家族の写真が偶然選ばれたために、一部の人々の心を傷つけた。
同じような悪感情を避けるために、Facebookは「独自のフィルター群を適用」して、今年の定型写真10枚集には、そういう人たちが現れないようにした。もしアルゴリズムが悲しい写真を捕え損なった時は、自動的に選ばれた10枚のいずれであっても自分で削除、編集、交換することができる。
今日から、ユーザーのニュースフィードの上には、その人の「今年のまとめ」写真集が表示される。写真は非表示にしたり、スクロールしてプレビューしたり、編集したり、誰かにシェアしたりできる。
Facebookが私に話したところによると、同じフィルターはTimehopクローンの”On This Day”[過去のこの日]でも使っているので、「亡くなった人や元カレ・カノがタグ付けされた写真や、ブロックしたり『過去のこの日』の設定で除外指定した写真が表示されることはない」。ただし、編集の際には今年アップロードしたりタグ付けされた写真であれば、フィルターされた人物を含むものも選ぶことができる。
この郷愁を誘う機能は、どれだけの思い出がFacebookに載っているかを人々に再認識させ、他にはない魅力的なコンテンツを作ってフィードに表示してくれる。「今年のまとめ」はSnapchatと対極にあるとも言える。刹那性は即興的なシェアや見る時の切迫感を促進するかもしれないが、Snapchatは人々が振り返って見たいかもしれない旧コンテンツを載せることはできない。
Facebookは、ビジネス全体が永久に残るユーザーの思い出に基づいて成り立っている。何日も、いや何年も前の写真を見るために、人々は広告の詰まったニュースフィードを閲覧し、プロフィールページを追いかけている。
問題は、Facebookがつらい思い出を堀り起こすことで人々を傷つけるリスクを負っていることだ。昨年、Ericという名前の男性が不用意なアルゴリズムによる残酷さと題して、亡くなった娘が自分の今年のまとめに数多く登場したことについて厳しいブログ記事を書いた。
これを含む数々の悲話は、Facebookが写真を選ぶアルゴリズムを修正し、また友達を解除することなく昔の相手に関する記事を表示制限できるデジタル離散ツールを作った理由だ。
私たちの生活のバーチャル版であるソーシャルネットワークを信頼していくために、彼らはこうした思いやりのあるしくみを考え出す必要がある。
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(翻訳:Nob Takahashi / facebook)