多くの人たちが、Facebookの刹那的アプリ、Slingshotは意味がわからないと思っていたが、今や特別ですらなくなった。単なるできそこないのSnapchatクローンだ。今日のアップデーで、Slingshotの中核機構である、送られてきたビデオや写真を見るためには、まず返信しなければならないという条件を、送り手がオフにできるようになった。これは、受け手に何ら努力を要求することなく、写真を送りつけてよいことを意味しており、まちがいなくこのアプリを使うための抵抗を減らし、広いユーザーを対象にできる。しかし、あの抵抗こそが、Slingshotの楽しさの根源だったはずだ(実際私は何週間か使ってみて、なんと、楽しんだ)。
「ショットを見るためにショットを投げる? 必要ない!写真やビデオを撮ったら、ロックをかけるかかけないかは送り手の自由だ」と、アップデートはこの動きの重みを気にかけることなく吹聴する。おそらくこれでSlingshotは多くの人に受け入れられるようになるだろう。
これでSlingshotは、ちょっといいお絵描き機能とリアクションとFacebook友達が追加されたSnapchatクローンになった。Snapchatのクールな要素と強力なコミュニティーを考えると、直接競合することは愚かな戦いに思われる。おそらくFacebookは、この洗練された刹那的共有アプリがすでに強い存在感を得ていて、かつSnapchatがまだ普及していない地域では成功できると考えているのだろう。しかし、私には腰の引けた変更としか思えない。
FacebookのCreative Labsのスタンドアロンアプリは本来失敗が許されている。一連のアプリはユーザーが何を求めているかを調べるための実験だ。それは間違っていない。なぜなら、〈返信してアンロック〉を捨てることは、アプリの前提が失敗だったことを認めるのに等しいからだ。私はむしろ、Facebookがこのリスキーなしくみを押し通し、墓場へ行くべきかどうかはユーザーに決めさせてほしかった。代わりに彼らは骨抜きバージョンの方が人気が出ることに賭けているわけだが、遅すぎだろう。
[原文へ]
(翻訳:Nob Takahashi / facebook)