2021年8月下旬、中国の最高裁判所(最高人民法院)は、中国で最も悪名高い労働慣行の1つを違法とする判決を下した。
中国には「996」という略語があり、週6日、午前9時から午後9時までの勤務時間を示す。中国で急成長しているテック企業によって広められた「996」は、ストックオプションプランを持つ都会のスマートなスタートアップ企業の従業員がIPO(新規株式公開)や資金調達で億万長者になることを目指し、がむしゃらに働く姿をよく思い起こさせる。しかし「996」については、雇用者と従業員がそれをどのように理解し、適用するか、また規制当局がどのように見ているか、徐々に改善が見られる。
実際、8月26日の最高裁判決と人的資源・社会保障部から発表されたガイドラインは、テック企業とその高学歴で高給取りの従業員に影響を与えるだろう。しかし、この
訴訟自体は、デジタル経済の階層のかなり下位に位置する労働者(中国主要37都市の
平均を少し下回る月給8000元[約1240ドル、約14万2000円]の物流作業員)を対象としたものだ。
中国の規制当局は、雇用者と被雇用者の双方に対し、両者の関係を定義するルールを変える必要があるというメッセージを送っているようだ。最近の中国における多くの事例からわかるように、中国の指導者は、行動だけでなく、中国社会の中核を成す理念、心理、インセンティブ構造の変化を求めている。しかし、それがどのようなものなのか、具体的にはまだ見えてきていない。
オオカミのようなハングリー精神(文化)
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多くの中国企業を特徴づけている過酷な労働文化の結果であろうと、多くの企業が模倣した先駆的な例であろうと、Huawei(ファーウェイ)ほど996の労働文化の精神、メリット、潜在的な弊害をよく表すケーススタディはないだろう。
「オオカミの文化」として知られる、深圳(シンセン)を拠点とする通信業界の巨大企業は、その猛烈ぶりを特徴としている。「オオカミの文化」の意味は、誰に聞くかによって答えは変わる。好意的な解釈をすれば、それはある種の絆であり、チームメンバーを共通の目標に向かって協力し合う「群れ」と例えていると考えられる。しかし人によっては、もっと残酷な意味を持つ場合もある。2017年のファーウェイでの取材では、同社のある元社員は「ファーウェイでは『オオカミ文化』とは『食うか食われるか』という意味だ。社内の全員が互いに激しく競い合えば、外部からの脅威との戦いや競争に強い会社になるという考え方だと思う」と説明してくれた。
従業員がどのように考えているかにかかわらず、ファーウェイの文化の中核にある猛烈ぶりは、同社の成功に寄与してきた。同社の競合企業である欧州のEricsson(エリクソン)やNokia(ノキア)が、融通の利かない官僚主義、または独善的と批判されてきたのとは対照的に、ファーウェイはどんな困難が予想されてもプロジェクトを勝ち取って実現しようとする意欲を示し、世界中の通信ネットワークプロバイダーから支持された。
中国政府からの低金利の融資や自国市場での収益性の高い事業という好条件を生かし、海外事業への資金を得ることができたが、会社の文化を支える極端な熱意には競争原理もあり、他の中国企業が「996」という形でそういった精神を模倣した理由も説明できる。
ファーウェイをはじめとする中国企業は、今では一部の分野で最先端のイノベーターとみなされているが、創業当初は海外の同業者に技術力や知識で遅れをとっており、その克服に奮闘の日々が続いた。しかしその後、独自の技術や高度な技術での優位性はないものの、コストやスピード、そして発展途上国では特に厄介なビジネス上の障害を回避する柔軟性を発揮し、競争力を獲得した。
「中国のテック企業は、製品よりも実行力に価値を見出しているようだ」と、中国とシリコンバレーの両方でスタートアップを立ち上げたドイツ人起業家のSkander Garroum(スカンダー・ガロウム)氏はいう。そして「米国を中心としたテック企業のサクセスストーリーでは、1人の天才がすばらしい製品を生み出し、オープンなインターネットとオープンな経済のおかげで、単に製品の明確な優位性が広まることで規模を拡大していくというものが多い。しかし、中国や発展途上国の市場は、障壁が多く、オープンではないため、製品の良し悪しだけでなく、チームがどれだけうまく機能し、どれだけ一生懸命働いたかが規模の拡大では重要になる」と説明する。
このような話は真実を誇張して伝えられることも多いが、ライバル企業を凌駕しようとする姿勢は、多くの中国企業において誇るべきものとして見られている。ライドシェア企業であるDidi Chuxing(ディディチューシン)は、2010年代半ばの中国市場でのUber(ウーバー)とのシェア争いで名高い勝利を収めたが、そこには多数の要因があった。しかし、多くの関係者に聞いたところ、その答えは、単にローカルレベルでより良い仕事をしただけであり、ウーバーが戦い続ける価値がないと判断するまで、より激しく戦おうとしただけだというものが多い。
多くの企業は、それぞれの労働倫理とハングリー精神に基づき、特別優れた経歴は持たなくても、自分の身分を超えて高みを目指す人材を積極的に採用している。例えばファーウェイは「四線都市」や「五線都市」(6つの階級の内下位の2級)の若くて優秀な「第一桶金(人が大金を稼いだり、中流階級になったりする最初の機会)」を狙う人材を対象に採用活動を行っていることで知られている。
中国が成長し、企業が世界的に地位を高めると、過酷な労働時間ではあるものの、手厚い報酬を得ることができ、多くの中国国民が「第一桶金」の夢を叶えることができた。ファーウェイの従業員持株制度に登録している古くからの従業員の場合、年間の配当金は数十万ドル(数千万円)から数百万ドル(数億円)に上り、多くの場合、給料を上回っていたことが知られている。がむしゃらに働き、その苦労は報われたということだ。
企業による搾取を目的としたシステム
悪名高い過酷な労働文化で知られる中国では、法律上、労働者の権利が非常に保護されているというのは、直感的には意外に感じるだろう。実際、それらの法律はほとんど効力を発揮していない。
厳密にいえば、労働時間が標準的な週5日、40時間を超えた場合には残業代が支払われることになっているが、企業は法的義務を逃れるために、公式、非公式を問わず数多くの方法を利用することが知られている。
ファーウェイの場合は「striver pledge(努力家の誓約)」と呼ばれるものがある。これは、新入社員がおそらく表向きは「自発的」に署名する契約書であり、残業代や有給休暇の権利の行使を差し控えるというものだ。ファーウェイはこのような方法で注目されているが、同様の方法は一般的に行われており、ファーウェイほどの特典や出世の道を提供していない企業では特に多いようだ。
中国の国内企業と外資系企業の両方で働いた経験を持つキャリア豊富なある人事マネージャーは「当社の[ブルーカラーの]従業員の場合、残業代はすべて毎月の給料に含まれると契約で定められている」と説明しつつも「良いことではないが、私の知る限り、中国ではかなり標準的なことだ」と述べる。
労働法を逃れるもう1つの方法は、経営者に圧倒的な力を与える業績評価基準を作ることだ。「中国の企業では、欧米にならい業績管理に『成果物』の概念を取り入れているが、その解釈を極端に拡大することがよくある」と、かつて2つの大規模な中国欧州合弁企業で人事を統括していた女性幹部は語る(なお、この女性幹部も、この記事の多くの取材協力者と同様に、デリケートな政策問題について自由に話せるようにと匿名を希望した)。また「しかし『成果物』は多くの場合、達成できないだろう。従業員の「成果」が満足できるものかどうかは、管理職の判断に委ねられているためだ」とも述べる。この女性幹部は、自分のキャリアを通じてこのような慣行を阻止してきたといい、多国籍企業よりも中国のローカル企業でよく見受けられたと付け加えた。このような社内力学が働いた状況であれば、無数の搾取が行われている可能性があることは想像に難くない。
組合の利用を選んだ人たちは、企業だけでなく、国とも対立することが多い。中国では独立した労働組合は機能上違法であるが、国営の中華全国総工会(ACFTU)は以前から労働争議における労働者への支援に一貫性がないといわれている。
2019年、ファーウェイに13年間勤務した元従業員の李洪元氏が、退職金の交渉中に同社を脅迫したという容疑で251日間拘束された。検察当局は、不正行為を示す十分な証拠は確認できなかったとし、最終的に同氏を釈放したが、同氏の長期拘留のニュースを受け、ネット上ではファーウェイに対する激しい非難の声が上がった。
名目上は社会主義国である中国では、近年、労働問題に対する国民の不満が高まりつつあるようだ。2018年、エリート校である北京大学の警備会社が、中国南部での労働運動家への弾圧に抗議していた同大学のマルクス主義団体による抗議活動を取り締まった。また、GitHub(ギットハブ)に「996.ICU」というリポジトリが作成され、テック企業の過酷な職場環境に苛立っていた従業員らが不満をぶちまけ、非道な態度をとる会社に対して注意を喚起するためのオンラインフォーラムとして人気を博した。中国全土の疲れ切った若者たちの間では、一昔前の世代に見られるプレッシャーや野心を拒否する「躺平(タンピン、寝そべる)」というトレンドが人気を集め、政府は主要新聞でこの動きを激しく非難している。
シュレーディンガーの労働時間:明記された法律と暗黙の規範
少子化を食い止めるために家庭に対する抑圧を軽減する必要性が増したことから、当局は中国における労働関係を規定してきた暗黙のルールを変えようとしている。
8月26日の判決を受けて、多くの企業が公式の方針を変更するために迅速に動いた。しかし、多くの企業や業界にとって、それ以上に大きな課題として立ちはだかるのは、文化や期待の問題だ。
TikTok(ティックトック)の親会社であるByteDance(バイトダンス)は、これまで公式に週6日制をとっていたことが知られていたが、この方針に終止符を打った。しかし、これは従業員らにとって必ずしも喜んで受け入れられるものではなかった。というのも、従業員は、勤務日数が減る代わりに、それに相応する給与の削減も受けたからだ。
中国の複数のインターネット企業で働いた経験のあるZhou(周)という名の女性は「私たちの多くは、納得した上でインターネット企業で働いている」とし「一生懸命働かなければならないことはわかっているが、その代わりにもっと多くのお金を稼ぐチャンスもあるはずだ」と説明する。そして「もし違うことを望むのであれば、別の会社で働くことにしていただろう」と、バイトダンスの一部の従業員が労働時間と給与の減少に憤慨するのは理解できるという。
一部の中国の技術系従業員の目には、労働時間に関する政府の厳しい要求に従うよう企業に対する圧力が強まることは、直接的な報酬に反映されない非公式な労働時間が増えるだけではないかと映っている。「知る限りでは、自分や自分のチームには何の変化もない」と、米国に上場している中国の人気インターネット企業の従業員は語る。「週末も働いているし、休日(10月1日の国慶節)にも働く予定だ。公式な休日だからといってビジネスが止まるわけではない」といい、また、時間外労働に対する残業代は「もちろん」ないと付け加える。
「ビジネスが止まるわけではない」という考えがあるからこそ、政府の規制が技術系従業員の労働条件改善に効果があるかどうか、疑問を抱く人もいるのだ。「バイトダンスは正規の労働時間と給与を減らしているが、何も変わらなければ何も問題はない」と、周氏は率直に述べ、そして「みんな仕事を続けたいし、昇進したいと思っている。だから当然、働けるだけ働く…あるいは、もっと給料の高い会社に移るだろう」と語る。
しかし、管理職に昇進すると、最近の政府からの指令を法律の文言と精神の両面から真剣に受け止めようとする傾向が非常に強くなる。「企業はこの問題に取り組んでいることを示さなければならないし、そうしなければ当局から見せしめにされる恐れがある」と、中国欧州合弁企業の人事担当者は語る。「人事部は全社的な監査を行い、従業員の勤務時間を明確に把握すべきだ」とし「最もありそうな対応は、少なくとも短期的にでもより多くの人を雇用し、それぞれが短い時間で働くことだろう」と付け加える。
しかし、多くの人が同意しているのは、中国の全体的な傾向だろう。習近平国家主席が「共同富裕」を唱え、巨大国営企業に通告しているように、中国の高成長時代は終焉を迎えようとしているようだ。しかし、政府がどの程度の変化を求めているのかはまだわからない。中国政府は久しぶりに、国営企業コミュニティに対し、今後は労働者よりも企業を圧倒的に優遇するようなことはないというシグナルを発している。問題は、その優遇措置のバランスをどの程度まで調整するかということだ。
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(文:Elliott Zaagman、翻訳:Dragonfly)