ディズニーがインド首相批判のジョン・オリバーによる新エピソードを封印

3億人以上のユーザーを抱えるインド最大のオンデマンドビデオストリーミングサービスでありディズニー傘下であるHotstarは、米国の放送局HBOによるNarendra Modi(ナレンドラ・モディ)首相に批判的な『Last Week Tonight with John Oliver』の最新エピソードの配信を停止した。世界最大のエンターテインメント市場の1つであるインドでのこの判断は、Disney+が2020年3月にローンチされる前に多くの顧客を失望させた。

Donald Trump(ドナルド・トランプ)大統領のインド訪問数時間前に放映されたこの番組で、番組でホストを務めるJohn Oliver(ジョン・オリバー)氏は、インド政府の疑わしい政策とモディ大統領の市民権政策に関する「物議を醸す人物像」への最近の抗議について語った。19分間のニュース要約と論評は、信頼できる報道機関から情報を得たものだ。

このエピソードはインドではHBOのYouTube公式チャンネルで視聴でき、400万回以上視聴されている。HotstarはインドのHBO、ShowtimeおよびABCの独占共同パートナーだ。

TechCrunchはHotstarを運営するStar Indiaと、Foxとの契約の一環としてインドの主要放送ネットワークを買収したDisneyの広報担当者に何度かコメントを求めたが、回答は得られなかった。

 

インドで情報、放送、映画、報道を規制する情報放送省の報道官は、政府は検閲についての議論には関与していないと述べた。

インドの多くの顧客は2月24日の月曜日に、HotstarがNetflixやAmazon Prime Videoのように、一部のコンテンツを自主検閲するのではないかと推測した。通常、オリバー氏の新しいエピソードをは火曜日の午前6時から配信される。

そして2月25日の火曜日、ディズニー傘下のプラットフォームにはスポンサーをからかうようなスケッチも含め、多くのセンシティブな題材を検閲する手段があり、政府を批判するようなリスクは冒さないことが明らかになった。

2019年にAmazonは、CBSの番組『Madam Secretary』第1話のインドにおける配信を停止した。Netflixはサウジアラビアで、サウジアラビアの皇太子を批判したHasan Minhaj(ハサン・ミンハジ)氏の『Patriot Act』のエピソードを取り下げた

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

スタートアップの不安、スタートアップの大志

リキャピタリゼーション。レイオフ。スローダウン。CEOの交代。予算カット。規模縮小。

この数カ月間で、スタートアップの大型エグジットがいくつも達成され、米国時間2月25日にはIntuit(インテュイット)が71億ドル(約7830億円)でCredit Karma(クレディット・カルマ)を買収するというフィンテック界の輝かしい瞬間も迎えたが、スタートアップの世界では厳しい状況が続いており、方々でレイオフが行われている。その中心はおそらくソフトバンク・ビジョン・ファンドのポートフォリオだが、それに留まるどころの騒ぎではない。評判も悪く、知名度もないスタートアップは、どんどんシャッターを下ろしている。しかも、2020年の投資家たちの心情を左右するであろう新型コロナウイルスのようなグローバルでマクロな懸念をそこに織り込む余地すらない。

スタートアップの世界は、少々停滞し始めている。可能性が消えそうだという感覚がある。作ろうと思ったものはみな、すでに作られていて、技術そのものは世間の冷たい目で監視され、イノベーションはままならない。

多分、すべて本当だろう。しかしやれることは、まだまだたくさん残ってる。

どの経済セクターも、今なお抜本的な立て直しを必要としている。医療はまだほとんどデジタル化されていない。パーソナル化も一切されておらず、根拠に基づく、またはデータに基づく医療もほとんど進んでいない。住宅やインフラの建設コストはうなぎ登りだが、エンドユーザーが受ける利益は実際にはほとんどない。学資ローンの債務危機に苦しむ人たちも大勢いるというのに、学校制度は100年前からほとんど変わっていないように見える。

気候変動によって地球がますます浸食される中、数十億の人たちがインターネットを利用して産業と知識の経済圏に加わるようになり、先進国と同じ利便性を求めている。地球上のすべての人たちに空調、住宅、交通、医療などなどさまざまなものを提供するには、どうしたらいいのか。私たちは、二酸化炭素排出量を削減しつつGDPを100倍にしなければならない。数十億の人たちが我々を頼りにしているのだ。

組織の中において、私たちはデザイン、データ、意志決定をうまく組み合わせて製品のイノベーションと成長を生み出す方法を、ようやく理解し始めたところだ。昨日、私は、同僚のJordan Crook(ジョーダン・クルック)の目を通して見たデザイン界の変遷に関する記事を読んで、プロタイピング用のツールについて記事を書いた。たしかに、ツールは良くなっている。だが、無数の人たちが努力することなくデザインできるようになったとしたら、どうなるだろう? または、無数の人たちがコーディング不要のプラットフォームをもっと広く利用するようになったら、何が起きるだろうか? 我々は何をすれば、そうした人たちの創造力を後押しできるだろうか?

デジタル製品での一般的な体験を考えてみるのもいい。スマートフォンは高速になった。そのカメラで撮影できる写真も高精細になった。それでいて、手に持ったときの質感は変わらぬままだ。だがそれは本当の意味で、さまざまな利便性をきれいに融合させているだろうか? 私は今でも、ファイルの同期、電子メールのチェック、カレンダーへのランチミーティングの予定のリンクを行い、指で前後にフリックするときに細かい見落としがないか気をつけている。毎日のソフトウェアの利用がすっかり日常化したことで、特に指導を受ける必要もなく現代の技術で簡単に行えることを、笑えるほど初歩的なツールでやっているという現実に気づかなくなっている。

データもしかり。ビジネス、娯楽、行政におけるデータ革命は、ようやく幼年期を迎えたあたりだ。データは、大企業の周囲には散乱しているようだが、それが意志決定に何らかの影響を与えるまでには、今日でもほとんどなっていない。データをもっと効率的に利用できるようになったら、何が起きるだろうか? 今の無骨なビジネスインテリジェンスツールよりも高速にデータを調査できたとしたら、どうだろう? データの最適な調査パターンを、地球上のあらゆる個人が利用できるようになったとしたら、どうだろう? ごく簡単な意志決定においてすら、最善のAIモデルを即座かつ簡単に作って解決できるようになったとしたら、どうだろう?

例を挙げればきりがない。特定の市場から、コミュニティーの中のダイナミクスまで、そして社会と企業、エンドユーザーと、エンドユーザーに提供される製品に至るまで、現状はイノベーションサイクルの終点からはほど遠い。数百もの自動車メーカーと関連企業が最終的に現在のひと握りの巨大メーカーに統合されてしまった100年前のデトロイトとは違う。やれることはまだたくさんある。FAANGだけで対応できる数ではない。

適切な集団の中でさえ、何をやるべきかを知ることと、何をやらなければならないかを知っていることとの違いが、広く重大に受け止められていないのが奇妙に思える。今日、取り組む価値のある解決されていない課題は山ほどある。それは何千万もの人々の生活を支えるばかりでなく、数十億ドル(数千億円)規模の経済そのものになる可能性をも秘めているのだ。

だから、私たちは気持ちを切り替えなければいけない。私たちは、失敗したスタートアップのこと、それが成し遂げられなかった大志のことをしっかりと憶えておかなければいけない。いつ間違いが発生したのかを認識し、その煽りを受けた人たちの気持ちを考える必要がある。この業界のネガティブなニュースに蓋をしてはいけない。無視すれば、同じ過ちを犯してしまう。

とはいえ、雪崩のように押し寄せるネガティブなニュースや批判的な分析結果に立ち向かうには、ポジティブな気持ちが不可欠だ。未来を、変革を、私たち全員にまだ残っているパワーを見据えて、今すぐ方向転換をしよう。やらなければならないことが山ほどある。まだ日は昇ったばかりだ。

画像クレジットFlashpop  / Getty Images

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(翻訳:金井哲夫)

新型コロナウイルスがパンデミックになったら何が起きるか?

もし、新型コロナウイルス(COVID-19)がパンデミック(爆発的感染)になったら何が起きるのか? ウイルスが世界中に蔓延したら、どんな悪影響が心配されるのか? 私たちの生活、仕事、社会、そして移動にどんな変化が起こるのか?

ここでパニック映画を想像するのは待って欲しい。パンデミックは国境を封鎖し、壁を築き、すべての航空便を欠航にして、国全体を無期限に隔離することになると考える人がいるようだが、まったくの誤りだ。封じ込め作戦は大流行を遅らせて、対策のための時間稼ぎにはなるが、ひとたびパンデミックになれば、当然のことながら、封じ込めは失敗だったことになり、逆効果とは言わないまでも、それ以上の試みは意味をなさなくなる。

Marc Lipsitch(マーク・リップシッチ)「必読。Peter Sandman(ピーター・サンドマン)とJody Lanard(ジョディ・ラナード)はすばらしい思考を持つ作家だ。これが自分で書けたらよかったのだが。ともかく、合理的な対応が説明されている。政府が実行すべき対策ばかりではない。

「隔離、渡航制限、感染経路の特定、その他の『私たち』に感染しないように『彼ら』を遠ざけるための対策を止めて、私たちがお互いにうつし合わないよう大規模イベントを中止するといった方向転換を図るには何を変えるべきか。パンデミックだと騒ぐだけでは、一般の人々に理解してもらえない」

Kal Kupferschmidt(カル・クファーシュミット)「過去の流行の際に、リスクコミュニケーションの専門家ピーター・サンドマンとジョディ・ラナードに話を聞いた。@MachayIM(この人もフォローすべき)のブログに掲載された論文は一読の価値あり」

焦点は、封じ込めから緩和に移行する。ウイルスが定着してしまった社会で、いかにして感染速度を緩めるかだ。緩和はよく手を洗うといった個人的な対策と、大規模イベントの中止、施設の一時閉鎖、できる限りテレワークや遠隔教育利用するといった複合的な「社会的距離戦略」によって成り立つ。

パンデミックの速度は落ちれば、それだけ医療システムの需要も均一化される。医療機関の許容限度を超えるリスクが抑えられ、ウイルス対策の研究に時間を割けるようになり、ワクチンが開発された暁には、大勢の人たちが救われるようになる。このわかりやすいグラフを含むスレッドを読んで欲しい。

Josh Michaud(ジョシュ・ミショー)「疾病対策センターの指導では、緩和対策を柔軟に導入し、新情報が入るごとに効果を継続的に再評価することを求めている。現状への対応として『標的を定めた、多層的な』アプローチが最適である」

ジョシュ・ミショー「この対策の最大の目標は流行の強度を落とすことにある。流行の曲線を平坦化することで、医療機関と社会経済的な健全性への負担が減る(下のグラフを参照)」

(グラフの縦軸は1日の患者数、横軸は最初の患者発生からの日数、紫の山は対策を行わない場合のパンデミックの状態、斜線の山は対策を行ったパンデミックの状態)

我々メディアは重要な問題として、きわめて流動的で不確実なこの時期に、どのようにCOVID-19の報道をすべきかを問われている。そこで、ハーバード大学のBill Hanage(ビル・ヘイネージ)氏とMarc Lipsitch(マーク・リプシッチ)氏が寄稿したScientific American誌のすばらしい記事『How to Report on the COVID-19 Outbreak Responsibly』(COVID-19の流行についていかに責任ある報道をするか)を紹介したい(実を言うとビルは私の個人的友人だ)。

我々が考えるに、報道は少なくとも次の3つのレベルの情報に区分される。(A)私たちの知識は正しいか、(B)私たちの考えは正しいか、つまり、何が一番起こりやすいかに関する個人的な見解を反映する、これもまた推理、外挿、または学識に基づく解釈に依存した真実に基づく評価、そして(C)意見と推測【略】数日間続いた流行に関する事実は、発見されたばかりの、間違いを含む、または正しく事実を反映していないために誤解を招く恐れのある最新の「事実」よりもずっと信頼性が高い。【略】ずっと起きていることは何か、一定の周期で起きていることは何かを区別することが重要になる。

すべて読んで欲しい。意見記事の筆者として、私は実に安全な立場にある。私が書いているものはすべて、上の分類では(C)に属する。しかし、私が引用している内容はすべて(B)からのものだ。

それには、こんな但し書きがつく。この記事の最初の段落で私は「もし……になったら」と書いているが、その本当の意味は「……になったときには」だ。パンデミックは近づいている。無責任に恐怖を煽っているような言い方だとはわかっている。私は、みなさんに懐疑的になって、いろいろなもの広くを読んで、自分の結論を導き出すよう強くお勧めする。だが、専門家の主張する声はますます大きくなり、無視できない状況にある。ここに、ハーバード大学の伝染病学者Johns Hopkins(ジョン・ホプキンス)氏とバーゼル大学とベルン大学が、パンデミックについて明言したことに関連するTwitterのスレッドを紹介する。

Chris Wymant(クリス・ワイマント)「(助)教授たちの伝染病の蔓延に関する意見をまとめると、コロナウイルスを封じ込められる時期はすでに過ぎている。つまり、パンデミックと緩和の方向に進んでいる(ただし現在の封じ込め対策が無意味だとは言っていない)」

マーク・リップシッチ「世界は、COVID-19の蔓延が封じ込め可能な大発生の段階からパンデミックの段階に移ったと見ている。明らかに次は、どの対策が有効かが問題になる。その対策の分類が役に立つだろう」

怖がることはない。パンデミックを緩和するために我々に実行可能な手段はたくさんある。恐怖心はウイルスそのものよりも危険であることは、容易に想像できる。そうなってはいけない。致死率は大きく騒がれている2パーセントよりもずっと低いであろうことを明記すべきだ。しかもそこには、症状の軽い、診断が下っていない患者は含まれていない。

Helen Branswell(ヘレン・ブランズウェル)「これは決定的な情報であり、COVID-19に対する我々の認識を大きく変える可能性がある。簡単な病気ではないが、現在考えられているほど危険ではない可能性がある」

ヘレン・ブランズウェル「氷山を思い浮かべて欲しい。COVID-19では、死亡または重篤化した患者を見分けやすい。しかし、症状が軽い人は病院にも行かず、検査も受けない。研究者は、そうした人たちを探し出すべきだ。現状をもっと明確に知る必要がある。それに関するデータをお持ちの方はシェアして欲しい。もしなければ、作らなければいけない。

(図:水の上が目に見えるケース、水中が無症状または軽症の目に見えないケース)

60歳未満の人たちは、その率がさらに下がる。50歳未満となると急激に低下する。緩和に関するツイートをもう少し紹介しよう。

Kail Kupferschmidt(ケイル・クファーシュミット)「昨日感じたことを言いたい。COVID-19対策は封じ込めから緩和に移行するに従い、準備のためのチャンスの窓が世界に開かれた。これはどういう意味か?」

まずあり得ないことだが、これまで引用した人たちが間違っていない限り、私たちはみな、ノートパソコンや携帯電話やTwitterやマスメディアを通して集団で見守るという珍しい体験をしながら次の1週間、または1カ月を過ごすことになるだろう。世界にパンデミックが広がる様子は、スローモーションに見えるはずだ。私たちの日常生活は、いずれは何かしら変化することになるだろう(今のオフィスがテレワーク対応になっていないとしても、来年の今ごろはなっているに違いない)。しかし、世界の終焉からはほど遠い。通常に戻るのが意外に早かったねと、驚くことになるのではないかと私は思っている。

画像クレジットJoão P. M. Lima  / Wikimedia Common under a Public domain license.

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(翻訳:金井哲夫)

「言論の自由市場」だったインターネットは、なぜ争いが絶えない場になったのか

今週、私がインターネットで見た一番おもしろかったものは、Venkatesh Rao(ベンカテッシュ・ラオ)の「Internet of Beefs」(不平のインターネット)というエッセイだ。すべてに同意しているわけではない。ほとんど同意しかねると言ってもいい。しかしそれは、インターネット上のパブリックスペースがほとんどすべて戦場になってしまった理由を、鋭く、明敏に、よく練られた文章で解説している。

「そこは、不満で頭がいっぱいの人たちに、ゆっくりと占領されつつある。[中略]何であれ彼らが行っている、または言っていることを純粋に全面的に支持する表現以外のものはすべて、無礼で攻撃的と受け取られる。[中略]世界的な文化戦争が、安定的で土着的、争いが絶え間なく続く社会条件背景になっていくにつれて」。そして彼は、インターネットにおけるこのような状況と戦う騎士や卑劣な人間たちを、鋭く詳細に分析していく。

絶え間ない対立が存在することは、私も同意する(原因のほとんどは、ボットや偽情報による工作のためとする別の説もある。そうかも知れない。だが、その主張は次第に説得力を失いつつある)。こうした怒りに満ちた自然発火的な衝突が、大きな部分を占めているのだと私は思う。言論の自由市場の、株式市場から武器市場への変化だ。

かつては、「言論の自由市場」というものが存在し、そこではさまざまな政治思想を持つ(一般に高学歴で、しかし草の根から湧き上がった考え方を受け入れる余裕がある)人たちが、社会運動、政治活動、計画、あるいは法律に関する考えを主張できたと思われていた。その主張は熟考され、対比され、討論され、磨かれ、修正され、検討され、そして時間をかけて、株式市場が最良の企業を特定するように、言論の自由市場はもっとも優れたアイデアを見つけだす。やがてそれは、権力を持つ人たち、つまり金持ちや選ばれた人たちの厚意によって、すべての人の大義のために実践される。

それが、政策文書、重要な会議でのプレゼンテーション、大切な演説での息弾む報告、世の中の反応を探る意見広告、議会証言、賛否あらゆる立場から慎重によくよく考えたと思わせる内容豊富な報告書の元となる委員会、サミット、研究といった頭脳集団の世界だった。新しい考えが、いわゆる実力者の階層構造を上っていき、十分に高いところまで行き着いたとき初めて実社会に適用されるという世界だ。

お気づきでないかも知れないが、そのような世界に少しでも暮らしていたことがあったとしても、今はもう違う。誰かがこれを(正確に)地面に投げ捨ててしまったのだ。いわゆる言論の自由市場は、大多数の人々ではなく、常にその「権力者」つまり金持ちで選ばれた人たち、議員や講演者の利益を確保する方向に、ぞっとするほど偏っていたように思える。その他の人たちは、誰も損をしないパレート効率性の高い社会を目指すのではなく、単に他者の分を減らしてまで自分たちが多くなるように望んでいる。

今や、第一目標は対立相手に勝つことであり、その他のことは二の次となっている。政策文書や統計情報は、総合的な検討の際に真剣に取り上げられることがない。それはあくまで、すでに決断された事項の防衛のための武器、あるいは言い訳のための隠れ蓑に過ぎない。

これはまったく自明のことであり、あえて書く必要すらない。地元自治体や国の政策を考えてみればわかる。だが不思議なのは、この装置に組み込まれている人たち、つまり政策アナリスト、シンクタンク、発言力のある人、講演者たちの多くが、自分たちの発言が言論の自由市場で切磋琢磨されることなく、今では武器や言い訳に利用されているということをに気付いていないように見える点だ。

みなさんの体に染みついた対立への拒否反応が起きないように、比較的に政治や文化とは縁遠い例を挙げよう。サンフランシスコ湾含地区の不動産を巡る「ニンビー主義」について考えてみたい。ニンビー(NIMBY)たちは、今以上の住宅建設に反対している。それで地価が下落するとはとうてい考えられないのだ。これは、すべての当事者がずっと前から自分の立場を固定化してしまった低レベルな対立の好例だ。ニンビーに、反論データを見せても意味がない(彼ら自身もニンビーに対しては我々同様に否定的な意見を言うはずだ)。彼らは逃げるか無視する。馬にデータを見せることはできても、考えさせることはできない。

インターネットで私が関わっている分野での、政治とはあまり関係のない例もいくつか挙げておこう。それは暗号通貨の世界だ。そこに参加する人たちの大半は「ひとつの真実」を信じるよう強く奨励される。そのため、ほぼすべての考えや提案は、自分が信じるものとは異なるすべての真実を非難する大合唱に見舞われる。または、暗号化されたメッセージへの公権力による「合法的なアクセス」を擁護する人たちと、それに心底反対する私のようなプライバシー擁護派の対立についても考えてみて欲しい。どちらの側も、相手の主張を支持するかもしれない新しいデータやアイデアを真剣に考えるつもりはないように見える。対立の種は、もっと深いところにあるのだ。

本当の言論の自由市場は、まだわずかながら残っている。たとえば、工業規格やプロトコルの世界だ(もちろん、どこにでも現れる政治家や民間の回し者や復讐心に燃える人間がそこにもいるが、程度の問題だ)。もうひとつは、減少傾向にあるものの、政治の世界だ。しかし、学術論文、政策分析、分野横断的研究、よく議論された意見広告、注目を浴びるプレゼンテーションなどは、かつては実在していたものの、すでに失われてしまった世界の産物であり、ますます減少している。今では、そうした産物は、ほぼすべてが、小さな集団の昔ながらの信念への忠誠心を塗り重ねるために使われている。

これはなにも、すべての政治家、CEO、大富豪、またはその他の意志決定を下す人たちに当てはまるわけではない。また、どちらか一方にその傾向が偏っていることも事実だ。とはいえ、言論の自由市場が軽視されていく傾向を無視することはできない。おそらく、インターネット上の石炭に火が点いたようなこの絶え間ない対立の目に見える影響に関しては、学会を揶揄した古いジョークで言い表すことができる。「利害が小さいときほど、論争は暴力的になる」

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(翻訳:金井哲夫)

海藻から作った代替プラで環境派投資家から6.5億円を調達したLoliware

ここ数年、プラスティック製のレジ袋やストロー、それによく目にするプラゴミを禁止する街が増加し、環境に配慮した代替素材のメーカーが大きく成長している。その中に、ケルプから作った環境に優しい使い捨て製品を供給するLoliware(ロリウェア)がある。巨大な需要と、その優れた原材料の入手法から、初めて巨額の投資を得た。

私は以前にも、非営利団体のSustainable Ocean Alliance(持続可能な海洋連合、SOA)が2017年にスタートしたOcean Solutions Accelerator(海洋ソリューション・アクセラレーター)で最初に投資を受けた企業のひとつとして、Loliwareの紹介をしている。創設者のChelsea “Sea” Briganti(チェルシー“シー”ブリガンティ)氏は、この変わっているが大成功を収めたSOAのAccelerator at Sea(海のアクセラレーター)プログラムからの今回の新たな投資について、去年の暮れに私に聞かせてくれた。

関連記事:洋上のアクセラレーターにて(未訳)

同社は、ケルプから抽出した物質で、その他の製品も計画中だが、主にストローを製造している。念のために説明しておくと、ケルプとは、ごく一般的な水生藻類(いわゆる海藻)の一種で、非常に大きく育ち、丈夫なことで知られている。また広範に繁殖し、多くの沿岸水域に大量に棲息して「ケルプの森」を形成し、生態系全体を支えている。正しい知識を持って成長の早いこのケルプ資源を上手に管理すれば、トウモロコシや紙よりもずっと優れた資源にできる。今の生分解性ストローのほとんどは、ケルプから作られている。

独自製法でケルプから作られたストローは、プラスティックに似た感触ながら、簡単に分解する。とはいえ、温かい飲み物の中では分解しない。トウモロコシや紙のストローよりも液体中での耐久性はずっと高い。もちろん、海藻には味が求められるシチュエーションもあるが、ストローの場合は炭酸水を飲んでも味がしないように処理されている。

「そこには大変な研究開発と微調整の努力があった」とブリガンティ氏は私に話してくれた。「今までに、これをやった人はいませんでした。私たちは、素材技術から、世界初の製造機械や製造管理方法に至るまで、すべてを作り上げました。そうして、製品開発のあらゆる側面を、本当の意味でスケールアップできるようにしたのです」。

彼らは1000種類以上の試作品を作ったが、今でも改良を重ね、柔軟性を高めたり、別の形状を可能にしたりと進歩を続けている。

「結果的に私たちの素材は、他の企業が目指す生分解素材開発のパラダイムから大きく脱却したものになりました」と彼女は言う。「彼らは、問題の多い、永遠に朽ちない、石油由来のパラダイムから発想して、それをあまり悪くないものにしようと考えています。それは単に延長線上の開発であって、遅くて古臭く、本当のインパクトを与えることはできません」。

当たり前だが、どんなに素晴らしい製造工程を誇っても、誰も買ってくれなければ意味がない。それは倫理を第一に考えた事業に付きまとう問題なのだが、実際、需要は急増しており、それに追いつけるよう規模を拡大することがLoliwareの最大の課題となっている。同社のストローの出荷本数は、この数年で数百万本から1億本に増え、2020年には10億本となる見込みだ。

「(研究室から)完全なオートメーションに移行するまでには、およそ12カ月かかります」と彼女は話す。「完全なオートメーション化が実現すれば、戦略的に重要なプラスティックや紙の製造業者に技術をライセンスします。つまり、10億本のストローも他の製品も、自社では製造しないということです」。

プリント基板やプラスティックの金型などを外注するのと同じだと思えば、当然、理にかなっている。ブリガンティ氏は、全世界にインパクトを与えたいと考えている。それには、すでにグローバルに存在しているインフラを活用することが大切だ。

そしてもうひとつ、持続可能なエコシステムを常に考慮するよう、ブリガンティ氏は心がけてきた。廃棄物の削減と根本から倫理的なプロセスを用いるという理念の上に、この会社全体が成り立っているからだ。

「私たちの製品に使われる海藻は、産地の行政による監視と規制の下で、持続可能性が非常に高い形で供給されています」とブリガンティ氏。「2020年、Loliwareは世界初のAlgae Sustainability Council(海藻持続性委員会、ASC)を発足させます。それにより私たちは、新しい国際的な海藻のサプライチェーンシステム作りを主導できるようになり、監視体制を確立して、持続可能な事業と公平性を確保できます。また私たちは、Zero Waste Circular Extraction Methodology(ゼロ廃棄物の循環型採取方式)と私たちで名付けた手法の先導者になります。これは、そこで推奨するバイオマスの要素をあまねく活用した海藻加工の新しいパラダイムです」。

今回の590万ドル(約6億5000万円)の「スーパーシード」ラウンド投資には、多くの投資家が参加している。その中には、昨年10月にアラスカでAccelerator at Seaの船に同乗した数人も、SOA Seabird Venturesとして加わっている。Blue Bottle CoffeeのCEOも投資した。その他、New York Ventures、Magic Hour、For Good VC、Hatzimemos/Libby、Geekdom Fund、HUmanCo VC、CityRock、Closed Loop Partnersも名を連ねる。

この資金は、規模の拡大と、さらなる研究開発に使われる。Loliwareでは、箱入りジュース用の曲がるストローなど数種類の新しいタイプのストロー、コップ、さらに新しい食器を発売する予定だ。2020年は、いち早く流行を取り入れる人たちよりも、行きつけのコーヒーショップでこの会社のストローを多く見かけるようになるかも知れない。どこで彼らの製品に出会えるかは、Loliwareのウェブサイトでチェックしてほしい。

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(翻訳:金井哲夫)

ファーウェイが中国政府から多大な支援を受けて成功したことが報じられる

ここ数年のHuawei(ファーウェイ)の躍進において、中国政府による支援が重要な役割を果たしたことは、驚くにあたらない。The Wall Street Journal(ウォールストリート・ジャーナル紙)が米国時間12月25日に報じたところによると、ファーウェイは「最大750億ドル(約8兆2000億円)もの支援を政府から受けとっていた」という。

この膨大な数字は、交付税や減税などさまざまな支援によるものだ。ファーウェイは政府からの支援を否定していないが、受け取った支援はテック系スタートアップや企業に与えられる通常の補助金に適合した「小規模で非物質的なもの」だったと回答した。

今回の記事によると、ファーウェイは460億ドル(約5兆円)の融資とその他の支援に加え、技術発展を目的とした250億ドル(約2兆7000億円)の減税を受け取った。また、10億〜20億ドル規模の土地の割り引きや補助金も数多く存在する。少なくとも、Apple(アップル)やSamsung(サムスン)のような企業と競合できるハードウェア企業の台頭には、中国政府が大きな役割を果たしていたようだ。確かに、政府が助成金の形で企業の成長を促進することは前例がないわけではないが、その規模が問題だ。

ファーウェイが政府と密接な関係にあるとの懸念が、迅速な世界展開における大きな障害となっている。アメリカでは、政府機関がファーウェイ製のモバイル機器を使用することを禁じている。また、同社が5G通信の世界展開の要になりそうなことから、多くの政治家がファーウェイの通信機器の使用について懸念を表明している。

このような認識と米中貿易摩擦における懸念のために、ファーウェイがすぐにそのような援助を否定したのは驚くことではない。同社はそのハードウェアやソフトウェアの使用を禁止したアメリカによる取引規制によって、妨害されてきた。しかし、他の地域ではビジネスの拡大に苦戦しているにもかかわらず、中国国内での販売促進と愛国的な広告キャンペーンが中国での販売成績に貢献している。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

仕事の未来は倫理的か?

Meili Gupta(メイリ・グプタ)さんは新たな疑問を投げかけようとしている。エリートのための寄宿舎制中等教育校であるPhillips Exeter Academy(フィリップス・エクセター・アカデミー)の穏やかで雄弁な3年生グプタさん(17歳)は、内向的で優しい話し方をする技術系オタクの典型のように映る。

しかし、多くの人が知っているどの高校生よりも、彼女はコンピュター・サイエンスに詳しい。しかも、MITの最も重要な刊行物である「MIT Technology Review」(MITテクノロジー・レビュー)の熱心な読者でもある。そのことから彼女は、この夏にMITのキャンパスで開かれた、AI、機械学習、そして「仕事の未来」を考えるMITテクノロジー・レビュー主催のカンファレンス「EmTech Next」(イーエムテック・ネクスト)で最も多く出会う高校生となった。

このカンファレンスの本来の目的は、企業のトップやテクノロジーの専門家が次世代のテクノロジーが、今後数十年で私たちの仕事や経済をどのように変えていくかを話し合うことにある。

だが私にとって、この集まりは生存の危機をもたらすものに感じられた。強いて言うなら、宗教の危機だ。私は無神論者を公言しているばかりでなく、それを職業にしている。私が体験したEmTech Nextは、私たちの他人とそして自分自身との結び付きをテクノロジーが再定義しようとしているこの時期に、人間であることの意味を投票で決めようとする場所のように感じた。

つまり、明日のリーダーには、善意と倫理感を持ち合わせていたとしても、結局はハイテクツールを使って今までにない効率性で人々からの搾取を続けるのか、またはよりよい未来を切り開くのかのどちらかしかないということだ。そこで私は、これからそうした問題全般と向き合ってみる。私のような人間が、しかも報道関係者として、この手のカンファレンスに出席する機会が非常に少ない理由も含めてだ。

まずは、グプタさんの話に戻ろう。彼女は十分に準備をしてカンファレンスに臨んでいた。カンファレンスのための宿題を前もって完全に熟していたという意味ではない。彼女がマイクの前に立ち、質疑応答セッションを開始するたびに、現在最も活発な業界の運命に関して、よく練られた熱意のこもった新しい質問を投げていたということだ。彼女は、仕事の未来について疑問を抱いていただけでなく、彼女自信がそれを体現していた。

「私は携帯電話を手に持って育ちました」とグプタさんはカンファレンス中に行ったインタビューで私に話してくれた。そして「(私のクラスの)ほとんどの人が、自分のコンピューターのカメラを隠しています」という。

エクセターが発行しているSTEM(科学、技術、工学、数学)雑誌「Matter」(マター)の編集主幹を務める彼女は、AIや気候変動といった問題に内在する倫理的挑戦をていねいに分析した記事を書いている。彼女は、学内を散歩中にこの問題に興味を持つようになった。ちなみに彼女は、高校1年生のときに高校3年レベルの「人工知能入門」コースを受講している。

さらに、自動運転車とコンピュータービジョンの授業を受けて学び、機械学習について自主研究を進めてきた。今年の秋、高校3年生になった彼女は、「ソフトウェア工学を通じた社会改革」の授業を受け始めた。そこでは、学生たちが地元にある課題を選び、社会をよくするためのソフトウェアを開発することになっている(十代のころに、こんな授業を受けたという人がどれだけいるだろうか)。

そしてグプタさんは「社会を良くする」ことがしたいと考え、テクノロジーの倫理が自分の世代の仕事だと判断した。すでに彼女は、偏向の少ないアルゴリズムの作り方を学ぶために必要なコンピューター・プログラマーを何人も知っていた。そしてこれには、公正と倫理を求めるハイテク企業と一般の人々の協力が欠かせないこともわかっていた。彼女は不公平をなんとかしたいと思ったが、同時に自分自身が受けている高度な教育こそが、不公平を具現化したものだという皮肉も感じた。

結局、私たちの社会が、特定の人に他者よりも優れた教育を受けさせることを受容しているのであり、応援さえしているということだ。その同じ人たちが未来を独占しようとしていることは、あまり報道されない。しかし重要なのは、経済の未来を意のままに形作ることもできるが、同時に自分たちが不公正な未来を正す方向に努力をすべきであり、十分にその力があると信じている人たちも増えていることだ。そこは特筆すべきだろう。

エクセターや、私が教誨師を務めるMITやハーバードのようなエリート校の学生や卒業生は、通常は寛大で、思いやりがあり、思慮深い市民になるよう訓練を受けている。恵まれない人たちが苦労していることに対して、無関心であったり冷淡であってはならないと、自分たちに言い聞かせている。むしろ私たちは「奉仕」する存在であり、成功した暁には必ず人を助ける。実際、それにはできる限り大成功しなければならない。そうして初めて、人を助けられるだけの資産が得られる。

だが我々には、自分自身が非常に優秀であるという別の観念も出てくる。我々は特別であり、他に秀でていて、天賦の才能があると。私たちはインクルーシブであることを目指している。しかし、いまだに攻撃的であれと教えられる。戦って勝利しろと。あらゆる機会をモノにしろと。

どちらかの側面しか持たなかったとしたら、どうなるだろう?

総取りしていく学生の勝者

アナンド・ギリダラダス氏(写真:Matt Winkelmeyer/Getty Images for WIRED25)

「Winners Take All」を著した作家のAnand Giridharadas(アナンド・ギリダラダス)氏は、「ウィンウィン主義」と彼が称する宗教を批判している。これは、私たちの社会、経済、政治への独占を常に強め続ける人たちは、彼らの独占により生じた不公正や不正を正す能力があるだけでなく、敗北した人々の救済者または解放者として、(自らの勝利のおかげで)現実に理想的な立場にあるという考え方だ。

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そうして、民主主義の根本理念である表現の自由の英雄と持ち上げられ、同時に無数の嘘の政治広告を容認して民主主義を弱体化させているマーク・ザッカーバーグ氏のような人や、資本主義の終焉と新しい倫理観の時代の始まりを宣言しながら、自身の億万長者の地位に固執し、移住証明書のない子どもたちを親から引き離しているにも関わらず米移民税関捜査局を自社のセールスフォースが支持するというマーク・ベニオフ氏のような人が現れる。

MITメディアラボの会議室で話をしたとき、グプタさんの中国出身の母親は、目に見えて優秀な娘の姿に微笑んでいた。お母さんは、あの有名な天安門の学生運動の後に大学院を中退して米国に渡って来た。

だが、十代にして大学院レベルのテクノロジーと人間関係のスキルを身につけたグプタさんのような人は、その後どうなるのか? ハーバードとMITに15年間勤めた私にはわかる。人々は仕事と金を彼女につぎ込む。つまり、億万長者になるかどうかはわからないが、車上生活者になる恐れは少ないということだ。

いや、これは私が心から敬愛し、幸せを願っているグプタさん個人の話ではない。もっと大きな問題がある。仕事の未来は、世界を救いたいと願うグプタさんのような思慮深い若者が、結果的に世界を支配するようになるデストピアにならないかということだ。名門私立学校や大学に属し、MITのカンファレンスに参加するような学生たちが、師匠のツールを巧みに操り、自分が住む場所を壊してしまわないかということだ。

無宗教の教誨師

しかし一歩下がって見れば、これは無宗教の教誨師のような者ですらテクノロジーと仕事の未来に関わることの説明になる。

私は大学で、仏教か道教の僧侶を目指して宗教学を専攻していた。しかし結果的にラビに任命され、宗教を持たない人のための聖職者となった(私は2005年からハーバード大学で人道教誨師を務めている)。

10年前、私は「Good Without God」という本を著した。無数の人々が、どうして信仰を持たずに善良で倫理的で意味のある人生を送っていられるのかについて書いたものだ。それでも私は、非宗教の人たちは、宗教コミュティーが相互援助と相互感化の集団を作り上げた方法から学ぶべきだと主張した。高等教育の機会に恵まれず就労している人たちに元気を与える部分すらも含めて宗教のあらゆる面を攻撃する、リチャード・ホーキンス、サム・ハリス、ローレンス・クラウスといった仲間の無神論者たちと公開討論も行った。そして、単に人々にするべきでないことを諭すのではなく、ポジティブな面に光を当てようと試み、世界最大級の「無神教会」を仲間と創設して、昨年閉鎖されるまで責任者を務めた。

「Good Without God」(写真:著者)

わざわざこのサイトを訪れて読みたいと思っていた内容から、この記事はかけ離れていないだろうか? もしそうなら、そのとおりだ。そこがポイントなのだ。つい最近まで私は、ときに中毒のように熱狂的になる消費者ではあっても、テクノロジーにはまったく関わりのない人間だったからだ。

テクノロジーの倫理

物事は2018年初頭に変化し始めた。私がMITのオフィス・オブ・リリジャス・ライフ(宗教的人生室:後に、宗教的、霊的、倫理的人生室、略してORSELと改名された)に、人道教誨師として加わったときだ。そこで私は、「倫理的人生」のための「招集者」という新しい役割を仰せつかった。世俗的な観点を離れて倫理的な人生を歩むよう学内全体の人々を説得するのが仕事だ。そうしてわかったのは、信仰心があると自覚する学生が49パーセントしかいないきわめて世俗的な教育機関であるMITのような最先端の技術大学では、非宗教の倫理感が必要ということだ。

以前なら、MITの申し出は断っていただろう(おかげさまで、ハーバードやその他の場所の仕事で手一杯だった)。しかし、正直言って、誘いを受けたとき、私は自分自身の良心の危機に感じていた。自分の倫理的観念に疑問を抱き始めていたのだ。

いや、神に目覚めたとわけではない(だとしたらお笑いだ)。そうではなく、比較的恵まれた、ストレートな、性の同一性がある、米国資本主義のパワーと美徳を信じる白人男性として育つ上で抱いてきた価値観に、深刻な欠陥があることを発見したのだ。ちなみに、比較的恵まれたというのはこういうことだ。母は子どものころ、キューバから難民として身ひとつで米国に渡って来た。両親ともコミュニティーカレッジに入学したが、父は卒業できなかった。ティーンエイジャーのころ、父が死んで受け取った唯一の財産は、社会保証給付金の小切手だけだった。

それでも、今思えばなんとか成長でき、大学院に7年間通い、「倫理」に関係する立派で注目を浴びる職業に就けた。米国文化と西洋文明が、基本的に不公平であることの深刻さを本当には理解しないままにだ。

Ta-Nehisi Coates(タナハシ・コーツ)の著書「Between The World and Me」(訳書「世界と僕のあいだに」慶應義塾大学出版会)を2015年に読み、奴隷制度は、それまで思っていたような単純に道徳的悪というだけではないと考えるようになった。それは米国建国から数十年の間、ひとつの最大の産業だったのだ。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの「1691プロジェクト」が示すように、残酷な共産党政権から逃れて来た難民の息子として私が受け入れてきた政治経済における米国例外主義は、じつはまるごと残酷な圧政と搾取の上に築かれていた。

タナハシ・コーツ著「Between The World and Me」

ドナルド・トランプが選出されたことから、白人優位と泥棒政治がいまだ健在であると認めざるを得ない。そこへ#YesAllWomenと#MeTooが加わる。私は尊大な男女同権論者として育てられたのだが、男になれと教えられたことの有害性について内省し始めていた。プライベートなときや本当に悪いことをしたときを除いて、心の支えとして大いに依存している女性には決して弱いところを見せてはいけない。攻撃的であれ。常に勝て。なぜなら、敗者は地上でもっとも無価値で哀れな存在だからだ。

そういう人は大勢いると思うが、私は米国の実力主義の圧力に翻弄されて生きてきた。それは、比較的世俗的ながら、それさえなければ夢のような教義を私たちに教え込む。それは、私のような人間は天賦の才能と高い能力を有する勝ち組であるため、人生で持てるエネルギーを注ぎ込んで、人が個人として達成可能な最大限の成功を目指せ、というものだ。己の成功と支配が不公正に思えたとしても、またはちょっと残酷だったり圧政的だと感じても、心配はいらない。コミュニティーへの奉仕や慈善事業、またはその両方で「還元」してやればいい。

去年、MITで働くようになったころに感じていたのは、その程度の皮肉な気持ちと自己不振だった。その後、ある学生からこんな話を聞いた。「MITの卒業生が創設した会社をすべて集めて国にしたら、G20に参加できますよ」と。それ以前だったら、彼女の言葉に誇りを感じていただろう。だが、私は気付き始めていた。おそらく、こうした場所が問題なのだ。世界中の富と権力をひたすらかき集ることにより、何十億という人たちを実質的に無一文にしている。

問題はおそらく、こうした場所に誇りを持ち、あまりにも無批判にそこへ貢献している私のような人間だ。

つまり、私が問題なのだ。

現代の資本主義の批判家であり、去年、ハーバード・ビジネス・スクールの学生からその著書を教えてもらったギリダラダス氏に話を移そう。「Winner Take All」が昨年秋に出版されると、クリスマス休暇に入る前のハーバード・ビジネス・スクールのロビーでそれを読んだ学生たちは息を飲んだ。すべての服を黒で統一し、バイラルなツイートにかけては超自然的な能力を発揮する早口な38歳のインド系米国人、ギリダラダス氏は、3月に私がTechCrunchに初めて書いたコラムの取材の際にこう話してくれた。「私たちは衝撃的なまでに不平等な時代に生きています。それは基本的に、未来そのものの独占に他なりません」

「この時代の勝者、突然の変化と撹乱の時代の勝者の側になんとか立っていられた人たちは、進歩の成果を自分たちがほとんど吸い上げてしまうシステムを構築し、操作し、維持してきました」と彼は言う。真の偶像破壊主義者であるギリダラダス氏は、ビジネスの巨人であり慈善家のザッカーバーグ氏やビル・ゲイツ氏のような前世代最大のヒーローも、まったく物怖じすることなく批判する。彼らは数十億ドルを寄付しているが、それはおもに強欲、搾取、民主主義の破壊行為を隠すためだと彼は主張する。

彼の言葉の中に、自分自身とその足場となっている構造体への批判を怠ってきたために、その存続を助けてきてしまった今の自分が透けて見えて、恥ずかしく思った。しかしそれは、有害な男らしさを内在する若者であった自分を恥じるのとは違う感覚だ。私は自分の感情を隠したり、押さえつけたりした、妻にだけ打ち明けたいとは思わなかった。私はそれを公にして、なんとか対処したいと考えた。

時を同じくして、私はMITに慣れ、ほとんど取り憑かれたかのように、新しく誕生した、しかし漠然とした研究分野である「テクノロジーの倫理学」について本を読み漁った。そこでは、学者、活動家、政治家、ビジネス界のリーダーといった人たちがテクノロジーの変化が社会に与える影響について討論している。

テクノロジーは、結局のところ、究極の世俗宗教となった。この他に今日の価値観(イノベーションは常に善)が具体化したものの実例には、毎日の儀式の強制(昔は朝起きて祈り、夜寝るときに祈り、とにかく一日中祈っていたが、今の言葉ではそれを「携帯をチェックする」と言う)、有り余る予言の提供(ベンチャー投資家、TEDの講演者、ニューヨーク・タイムズの記者マイク・アイザックが見事に言い表した「創設者の崇拝」)などがある。さらに、神々すらも作られるのではないだろうか(半ば汚名を着せられたテクノロジー界の雄、アンソニー・レバンドウスキー氏は未来のAIの神様を祭る教会の建設を真剣に考えているようだ)。

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Joyce Carol Oates「地下鉄に乗ってる人みんなが頭に小さな装置をくっつけて放心状態。なんかの宗教?」

テクノロジーを宗教と考えるか、「産業」と考えるか(とは言え、今どきテクノロジーと無縁の産業などないが)に関わりなく、それは大変な災難と分断をもたらすことは明らかだ。ウーバーとリフトは、世界中で何百万人ものドライバーを動員しているが、おそらく大多数のドライバーの賃金は非常に低い。YouTubeやフェイスブックのようなプラットフォームは文化を「民主化」し、数十億人の人々に発言力を与えた。それを実現するために彼らが開発した、故意に中毒性のある怒りを煽るアルゴリズムによって、世界はマイノリティーや労働者も投票できる自由で公正な選挙の実施を勝ち取る過程に存在していたパワーの大半を失ってしまったように見える。さらに、「世界に変革をもたらす」あらゆるAIの原動力となっている巨大データセンターが気候に及ぼす悪影響の程度は、数千回の大西洋横断フライトによるものよりも大きい。その気になれば、まだまだ挙げられる。

そこで私はTechCrunchでコラムを書き始め、テクノロジーの倫理を研究するために1年間のサバティカルを取ることにした。「仕事の未来」はそのひとつだ。それがこの夏の出来事につながっている。

意欲に溢れ、それでいて不安を抱えたMITの学生のように、私はEmTech Nextの会場に記者証で入場し、生まれて初めて記者として仕事を行なった。私は充実した仕事を期待していた。企業やカンファレンスに登壇予定の人たちの倫理的な立場を探りたいと思っていた。

しかし歩き回るうちに、私はじつに基本的な疑問にぶち当たった。「仕事の未来」というフレーズは、そもそもどんな意味なのだろう?

仕事の未来とは、そもそもなんだ?

この10年間で、Future of Work(仕事の未来)を見極めるための書籍、記事、委員会、会議、講座、専門家の主張が爆発的に増えた。影響力の強い仕事の未来に関する文献の著者たちは、シンクタンクや大学を経営し、障害者や社会的に恵まれない人たちを擁護し、悩める両親たちの相談に乗り、なかには重要な公職に立候補した人もいる。今年の初め、カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事も、権威ある「仕事の未来委員会」を発足した。この問題に州レベルで対応するは、これが初めてだ。

テクノロジーの倫理の世界では、このフレーズは、今の時代でもっとも盛り上がった非常に激しい政治論争の中の、きわめて重要なサブジャンルと捉えられている。その論争とは、「ハイテク企業が創出する仕事は、はたして社会にとって良いものなのか?」というものだ。ロボットにその仕事が奪われたら、我々はどうしたらよいのか? 我々の仕事が変化すれば、人生、さらには人間性に関する考え方も変わってしまうのか?

このフレーズが生まれたのは1世紀以上前のことだ。おそらく、イタリア系イギリス人経済理論家のL.G.チオッツァ・マネーが皮肉を込めて考え出した造語だ。彼は「The Future of Work and Other Essays」の中でこう主張している。(もし当時、人類が無秩序と無駄によって特徴づけられる競合的な資本主義を乗り越えていさえしたなら)、科学はすでに「貧困の問題」を解決していただろうと。

もっと最近になってタイム誌が仕事の未来に関する記事を掲載し、10年前に、今日の私たちがそのフレーズで連想するものを一般化する役割を果たした。「10年前、フェイスブックは存在していなかった。その10年前、私たちにはウェブがなかった」と記事は始まる。サブタイトルはこう問いかける。「今から10年後に、どんな仕事が生まれているかなど、誰にわかろうか」

タイム「The Future of Work」特集号の表紙(2009年5月25日)

これは都合がいい。なぜなら、私たちはどんな仕事が生まれたかを正確に知っているからだ。

タイムの記事には、10の予言が書かれていた。テクノロジーはエリートの筆頭雇用主となり金融の頂点に立ち、勤務時間が柔軟になり女性リーダーが躍進し、昔ながらの職場と福利厚生は減少するといった、それほど突飛な内容ではない。しかし、一般的な傾向の予測となると、たとえば「どの程度まで?」といったふうに、話はもっと微妙な違いに重点が置かれるようになる。たしかにこの10年で女性の地位は向上したが、納得できるレベルに達したと言えるだろうか?

もっと微妙な差異を記した「仕事の未来」本がある。MIT教授のエリック・ブリニョルフソン氏とアンドリュー・マカフィー氏が書いた「The Second Machine Age」(訳書「ザ・セカンド・マシン・エイジ」日経BP)は、テクノロジーを楽観的な視点で捉えていて、インスタグラムの成功と、インスタグラム社とそのビジネスモデルが生み出した億万長者を例にとり、間もなく「ブリリアント・マシン」(明晰なマシン)が現れて、目一杯進歩した世界の構築を助けると言っている。ブリニョルフソン氏とマカフィー氏は、インスタグラムとコダックを比較しているが、そこには、コダックが一時は14万5000人もの中産階級の社員を抱えていたのに対して、インスタグラムには数千人の従業員しかいない問題の解決策が示されていない。

エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー共著「The Second Machine Age」

私はよく疑問に感じる。「未来の仕事」を思索することは、結局は、世界でもっとも裕福でもっとも影響力の強い人たちが今後数十年にわたりその膨大な権力を維持するための戦略を練っている間、自分は従業員を深く気遣っていると安心させているだけなのではないかと。

「進路の分岐」、他の婉曲表現、億万長者の人道主義

そう、そのとおり。

マッキンゼー・グローバル・インスティテュートから新しく発表されたお洒落な報告書「The Future of Work in America」(米国の仕事の未来)では、「進路の分岐」、「異なる出発点」、「溝の広がり」、成長の「集中」、その他、怒りを煽り分極化を助長する不均衡の拡大を遠回しに表した言葉が強調され、仕事の近未来をほぼ確実に言い当てている。彼らの要点はじつに明確だ。分極化が拡大すれば、医療やSTEMといった特定のセクターが大きな利益を得るというものだ。オフィスサポート、製造、外食などの他の分野は打撃を受ける。

マイケル・ブルームバーグ氏(写真:Yana Paskova/Getty Images)

大統領選に出馬しそうなマイケル・ブルームバーグ氏が出資しているイニシアチブ「シフト委員会」もまた、2017年に「仕事の未来」に関する報告書を作成して話題になった。ブルームバーグ氏のシフト委員会と中道派のシンクタンク、ニュー・米国とが共同で発表したこの報告書では、未来の仕事を高齢者に多く与えること、「置き去り」にされた地域での仕事に対する懸念、米国経済の活力が低下しかねないという全体的な憂慮が語られている。

報告書では、10年から20年の間に米国の仕事が変化した際の4つのシナリオを示している。仕事は増えるのか減るのか。それは従来感覚の「職業」なのか、またはプロジェクト、ギグ、フリーランス、委託などの「作業」なのか? それぞれのシナリオには、じゃんけん、お山の大将、なわとび、碁と、遊びになぞらえた名称が付けられている。これにはツイッターで流行ったネタを思い出す。

誰も見てない:
まったく誰もいない:
文字通り無人:

シフト委員会:さあ、次の世代はまっとうな仕事に就けるのか、または我々以外のほとんどの人は貧困に陥ってしまうのか、慎重に論議しよう。可愛い系ゲームにして!

ビジネスを成功させる「勝利」の戦略は、自分に都合がいいよう競争のルールを大きくねじ曲げるものだが、そこにはちょっとしたお楽しみ(ちょっとした善行)も加味される。だが、仕事の未来がもたらすものは、勝者と同じように、ゲームに負けた者にとっても「楽しいお遊び」となるのだろうか?

ブルームバーグ氏によるシフトの報告書は、「仕事の未来の議論を型にはめてしまいがちな誇張表現や悲観論を排除する」ことを目指している。とは言え報告書には、その文体や内容自体に問題がある。

報告書の筆者は、「年間15万ドル以上を稼ぐ人だけが、自分にとって重要と思える仕事をしていると自己評価でき、その他のすべての人たちは安定した収入を優先させている」という調査結果を強調している。この結論の根拠は? 調査では「仕事でもっとも大切なことは?」という設問にいくつかの選択肢が提示されていたが、もっとも収入の多い人だけが、「できる限り安定した確かな収入を得ること」ではなく「自分で重要と思うこと」を選んでいたからだ。

しかし、貧困に陥るのを恐れるあまり意義よりも安定を求めるのだとしても、金持ちだけが有意義な生活を送りたがる理由のグランドトゥールスを即座に発見したことにはならない。

仕事の未来に関するシフト委員会の報告書より。仕事に関してもっとも重要なことは?(年間世帯収入を基準とする)
安定した収入(緑)は15万ドル以上の人ではもっとも低く、中間層でもっとも高い。

また、シフト(ブルームバーグ氏)のシナリオでは、相当なディストピア的未来に私は衝撃を受けた。どのシナリオでも、スマホ画面への中毒性が高まり、すべての人が仕事を奪い合うようになるが、超金持ちの超高学歴のエリートは、ゲームがどっちに転んでも力を持ち続けることになるらしい。より規制が厳しくなり、不公正が緩和され、劇的に平等な未来になるとは、どのシナリオにも書かれていない。

シフトもマッキンゼーも、その他のどの報告書でも、そこで研究されているシナリオは、シナリオに過ぎない。ブルックリンや「バースタン」(ボストン)の鈍りが強いテレビ司会者たちが来年のスーパーボウルやNBAファイナルにどのチームが進むかを予想しているのと同じだと、私は感じた。

白状すると、私はニューヨーカーやボストンのパイナップル・ストリート・メディアの最新のポッドキャストをダウンロードして聴いたりはしていない。暇なときには、他の男たちがみなそうするように、誰かがニューイングランド鈍りでスポーツを語り合うのを端で聞いては、ベッティングラインを探ったり、どこが勝ってどこが負けるか、MVPは、GOATは誰かを予測している。

つまらない趣味だ。しかし私はそれに夢中になる。だが幸いなことに、私の大好きな数々のスポーツ・トーク番組の資金源ともなっているスポーツギャンブルには手を出していない。私はギャンブルはやらない。だけど、ゲームや選手や試合結果に賭けるのが楽しいであろうことは理解できる。私のような人間が、なぜこんなことに時間を費やすのかは、なにもラスベガスのブックメイカーにならなくてもわかる。どうなるのかを知りたいのだ。予言者になりたい。思い通りにしたい。詩的正義が欲しい。しかし、現実にはそのどれにもなれない。だから、宗教儀式のようなものに没頭して、思い通りにしていると自分に思い込ませたいのだ。日常の幻想、錬金術のような、疑似科学だ。

ベンチャー投資家も同じだろうか?あまたある技術系ジャーナリズムは?そして、テクノロジーの倫理と呼べる数々のものもそうだろうか?

私にはわからない。しかし、彼らのさまざまな仕事の未来のシナリオが正確に未来を予測しているか否かの問いに答えるときに、シフト委員会の主催者たちは典型的な「仕事の未来」対応をすることを私は知っている。彼らはジョン・ケネス・ガルブレイスのこの言葉を引用するのだ。「未来予測者には2種類ある。わかっていない人。そして、自分がわかっていないことをわかっていない人だ」

これらすべてが明白に示しているのは、私たちの多くが穏やかな仕事の未来に抱く希望は、私が気にし始めている「億万長者の人道主義」というものに次第に大きく関連してくるということだ。

億万長者の人道主義とは、私たちはあらゆる人の命を大切で平等なものとして評価しますと宣言したときに問題になってくるものだ。しかし、ほぼ全員が、生まれて死ぬまで、あらゆる不安定要素のストレスを受けながら生活しているならば、実際に気になることはない。だから、ほんの一握りの人たちが、飛び抜けて自由で贅沢な暮らしができるのだ。

億万長者の人道主義は、ギリダラダス氏がTechCrunchのインタビューで私に指摘したとおり、クソみたいな新しいものが無数に発明されるのに、生活の先行きは暗く、見識は低下し、健康も福祉も全体的に劣化する世界だ。億万長者の人道主義とは、そうしたことを私たちが日常の現実として体験しながらも、今が考え得る限り最高の時代であり、未来も確実にそうなると、「進歩」に大いなる期待を寄せることだ。だからこそ、これらの問題を深く考えるときに怒りを覚えるのは、正しいことなのだ。

そこで私はグプタさんを思い出す。MITで話したとき、彼女自身が仕事の未来であるということを、よく自覚していた。高校生として(二十代になったとしても変わらないだろうが)、AIと環境の倫理問題に関する政策立案に対して、驚くほどの認識と興味を示している。

しかし、EmTech Nextで何を得たいかと尋ねたとき、彼女はこう答えた。「大学で何を学ぶべきかを考えるための見識が得られたらと思っています。その次に、追求したいと思えるタイプの仕事、これから生まれる、需要があって本当に面白いものを知りたいと思います」

言い換えるなら、当然のことながらグプタさんも、自分が意のままにできるよう、未来を知りたいと思っている。しかし、需要があって面白い仕事、つまり「インパクト」のある仕事に就きたいという考えはどうだろう? もちろん、両方を望むのは自由だが、どちらかに重心が偏る選択を迫られたときはどうなるのか。彼女の反応には、根本的に矛盾するものがあった。ある種の不可知論。賭けの保証として「状況によります」と答えた。

そしてもし「状況による」という答が、仕事の未来を研究し議論した結果として集約されたものだとしたなら、それはシフト委員会の調査で最高の金持ちがもっとも価値が高いと評価した「重要」な仕事と同じに扱うべきではない。

どのような未来か、それは誰のためのものか?

デイビッド・オーター氏(写真:MIT Technology Review)

EmTech Nextカンファレンスが始まると、いつものように、はっきりしない感情が込み上げてきた。そこは、MITメディアラボ(未来を作る工場として有名だ)の2つの建物のうちの新しいほうの最上階。聖堂のような天井に続く研究室のガラスの壁の向こうから実験段階のロボットがこちらを覗くメディアラボの建物は現代的なデザインの素晴らしい装飾が施され、流行りの服を着た思春期前の女の子も父親と一緒にホールを歩き回り、ぼさぼさの髪型の従業員に「丁寧な仕事をされていますね。ここに来られて最高です……」と声を掛けているのが聞こえてくる。

カンファレンスの口火を切った講演者は、MITの経済学教授David Autor(デイビッド・オーター)氏。最新の論文「Work of the Past, Work of the Future」(過去の仕事、未来の仕事)のプレゼンテーションを行った。彼は、大学を出ていない、製造業に多い男性で、自動化の「ショック」と彼らが呼ぶものに耐えてきた恵まれない労働者の研究をしている。こうした労働者は、大都市では高収入を得ていたこともあり、当時は不公平の害毒を緩和できていたのだが、もう過去の話だとオーター氏は話す。そうした仕事はほとんどが自動化によって消滅したか、外国にアウトソーシングされてしまった。大都市は、金持ちの、若くて健康で高学歴な人たちが集まる天国と化した。

オーター氏の話は、低学歴者のための「就職の道筋の再構築」に集中していた。それは、繁栄を共有するという私たちの感覚にとって、非常に元気づけられるものとなる。

異論はないのだが、私の中のギリダラダス氏のレンズを通して見ると、オーター氏のような経済学者が思い描く仕事の未来には、持てる者と持たざる者との間に大きな恒久的な分断が含まれているのではないかと疑いたくなる。市場主導で築かれた不公正への応急処置以上の解決策を、私たちは望めないのだろうか?(おそらくオーター氏は小さな手術を提案しているようなのだが、その傷口は癌性で大きく開いている)。

外界から切り離された場所では、貧しい労働者ための「訓練」や「技能の向上」は魅力的に聞こえる。だがそうしたアイデアは、社会問題にしっかり向き合おうとEmTech Nextなどの会合に参加する多忙な人たちの思考の余裕をすべて吸い取ってしまう傾向にある。そのため私たちは、数時間だけ自分の寛大さに酔うことで、人々が貧困に陥るそもそもの原因である野蛮な搾取、人種差別、強欲への実行力のある対処を一度もすることなく、引き続き不当なまでの勝利を手に入れることになる。

オープニングパネルでは、オーター氏と共に登壇したMITスローン・ビジネススクールの人材管理学教授Paul Osterman(ポール・オスターマン)氏の番になったときに、私はとくに気が滅入った。オスターマン氏の著書「Who Will Care For Us」(誰が我々の面倒を見るのか)の内容と、ここでの彼の話は、無数の「直接的ケアを行う人」(看護師やヘルパーなど)、つまり今後、老齢化を迎える米国を支える人たちの待遇改善に関するものだった。そうした働き手に、よりよい訓練の選択肢を与えるべきだとオスターマン氏は言う。

当然だ! しかし、仕事の未来のためのビッグなアイデアがこれか? 自分たちが歳をとって自分の体も洗えなくなったときのために、ここに集まっているような金持ちの人たちの後始末の機会を向上させようというのか。これを書いているとき、私は父のことを思い出した。貧しい家に育った父は最後まで大学に通えなかった。一生懸命がんばったが、上の階層に「進級」することはできなかった。「シャンペンの舌を持ちながら水しか買えなかった」と父の死後、何年も経ってから叔母が話してくれた。

死ぬまでの数週間、私は高校3年生だったが、癌に侵され痩せこけた父は、トイレに行くときに私の介助を必要とすることがあった。あのときのストレスと悲しみは、私から一生離れない。職業として毎日介護をしている人たちには、ほんとうに頭が下がる。しかし、大勢の貧しい人たちにその働き口があるばかりか、大きなチャンスでもあるという話を聞いて、部屋を埋め尽くした企業のお偉方たちが相槌を打つのを見て、私は不愉快になった。深い思慮のもとに貧しい人たちの未来を見事にプランニングしたと、彼らは誇りに思うのだろう。

そして、同様の思想家の類も含め、オーター氏やオスターマン氏のような経済学者は、こう言っているように私には聞こえた。「金と政策を自在に操る独創性のある一握りの人間である「我々」は、不幸にも本日この部屋に同席できなかった貧しい「彼ら」の運命を決定するのだと。なんとしても、恵まれない人々の苦痛を取り除き、彼らに「恩返し」をしなければ。

だが私たちは、彼らを実際にこの部屋に呼んで、公平にいっしょに意思決定をするべきなのだろうか?

本当の構造変革をもたらす経済学

「仕事の未来」の精神は、かつて私が賛同していた経済的中道派の完璧な定番になる。それは、ビル・クリントンが大統領になってからの米国民主党指導者を特徴付けるものでもある。とは言えそれは、エリザベス・ウォーレン議員が唱えてきた「大きな構造改革」や、バーニー・サンダース議員が腰に手を当て、白髪頭で唾を飛ばしながら叫んだ「レボリューショーン!」を代弁するものではない。

そう、介護士や建築現場の職人の給料を上げて、どうしたら「恩返し」ができるかを話し合うのだ。決して、経済をひっくり返して賠償金を払わせたり、ギリダラダス氏が本の中で要求していたように、世界的な金持ちに手取りを減らせと言ってはいけない。

カンファレンスの直後、私はオーター氏に話を聞いた。私の中には、彼が金持ちに同情的で貧乏人には傲慢な悪者だったなら話が簡単でいいのにと願う自分がいた。新自由主義者のハッキングが大好きな技術オタクたちは、権力者や特権階級に楯突くことなく、部分的な解決策を提案しては安心している。しかし、彼をそのようなイメージに固定するのは難しい。それは、数十年前に奥さんと一緒にバークレーで買ったヤモリのイヤリングをずっと身につけているからだけではない。

たしかに、オーター氏は私に、自分は市場経済の資本主義信者なのだと話した。たしかに、彼は何度も労働組合に「短絡的」なやり方で会社を潰され、「めちゃくちゃムカついた」と話していた。しかし最近では、落ち着いて対話ができるようになり、組織化された労働者にも社会的に重要な役割が必要だと感じるようになった。そして労働者のリーダーたちも「世界が変わったことを受け入れるようになった」とオーター氏は言う。「卑劣なボスや政治家だけの責任じゃない……人が行う仕事に大きく影響を与える経済の力が底流にあるのです」

オーター氏はユダヤ教改革派であり、グライド・メモリアル教会の初期の職員だったとき、自身の3年分の勤務時間を、貧しい人たち、とくに黒人たちにコンピューター技能を教える活動に費やした。グライドは、サンフランシスコのテンダーロイン地区にある大きな合同メソジスト教会で、今では100人を超えるゴスペル合唱隊や、LGBTの肯定、毎年数千人のホームレスに医療を施すコミュニティー・クリニックを広い地下室に設置することなどで有名になっている。これは無視できない。

2017年12月17日、エド・リー元サンフランシスコ市長の葬儀で歌うグライド・アンサンブル(写真:Justin Sullivan/Getty Images)

「私は2度、オバマ大統領に会いました」とオーター氏は誇らしげに切り出した。そこで、ウォーレン上院議員のことを聞こうかと考えた。まさに我々の近所に住んでいる有名な大統領候補だ。彼女は、経済的正義を中心に自身の主張を組み立てている。オーター氏は彼女にも会っている。彼女の反トラスト法や消費者保護のアプローチを支持すると彼は話していた。しかし、学生ローンを国が完済するという考えは「アホだ」と言う。金持ちに余計に金が流れてしまうからだ。

しかし、インクルーシブな経済政策を考えようというときに、それが大問題になるのだろうか。学生ローンを提供している金持ちが?

もちろん、オーター氏とオスターマン氏への私の疑問は、経済学という分野全体に関するものだ。何世代にもわたって経済学者たちは、その独創的で天才的な頭脳が私たちの金融システムを進化させ繁栄させ、集団的な危機の回避を信じなさいと私たちに訴えてきた。ならば、それと同じシステムを使って、経済をもっと公正で平等なものにできないのか?

それは、経済学者には(そして誰の力も)力が及ばない問題だと彼らは言う。

「経済学は、実際には倫理神学の一派なのです」と、偉大なる技術評論家Neil Postman(ニール・ポストマン)氏は1992年の著書「Technopoly」(訳書「技術vs人間―ハイテク社会の危険」新潮社)の宣伝の際に語っている。この本の内容は、テクノロジーが宗教になり(すでになってる!)、米国はそれを国の精神性として公式に認める最初の国になるというものだ。「大学でよりも神学校で教えるべきだ」と彼は言う。

最低所得保証はどうだ?

2019年12月1日アイオワ州デモインの民主党大統領選挙候補者の支持者たち。起業家アンドリュー・ヤン氏は自由と正義の祭典の前に、ウェルズ・ファーゴ・アリーナの脇を行進した(写真:Scott Olson/Getty Images)

Martin Ford(マーティン・フォード)氏の著書「The Rise of the Robots」(訳書「ロボットの脅威」日本経済新聞出版社)は、仕事の未来をあまり楽観的には見ていない。新しい産業は「なったとしても、高度に労働集約的になることはまずない」と嘆き、最終的には最低所得保証が必要になると訴えている。最低所得保証は、ハイテク界の多くのリーダーや仕事の未来のアナリストたちが好む解決策だ。技術系起業家で、民主党大統領候補だが勝ち目が低いアンドリュー・ヤン氏もその一人。

ヤン氏の人気は、テクノロジー・コミュニティーでの高い共感性によるものだ。イーロン・マスク氏のような象徴的な人物からの支持も寄与している。彼の最低所得保証の処方箋である「フリーダム・ディビデンド」(自由の配当)に関しては、ヤン氏はフリーダムが、左派と右派の両方に配慮して昔から使われてきた大統領用語であること、そしてディビデンドが企業から株主に支払われる配当を意味することを認めている。一部の政治家が、私たちが知っている資本主義を終わらせようと提案したとき、ヤン氏は、米国を「ビッグテック」のイメージに作り替えようと訴えた。

当然のことながら、貧困にあえぐ無数の米国人が毎月1000ドルもらえると思えば、魅力的だ。しかし、これはすべて派手な宣伝に過ぎない。最低所得保証では、米国社会の構造的不公平という癌の転移はまったく防げない。フリーダム・ディビデンドが実施されても、貧しい人たちは依然として貧しく、金持ちの躍進は止めようもなく、彼らはさらなる富を積み重ね続ける。本来的に、そうなる仕組みなのだ。

金持ち以外のすべての人が関係するホームレス化、高級志向による地価の高騰、賃金の停滞など、技術系起業家たちがシリコンバレーあたりですでに目にしている、腰を抜かすほどの不平等を考えてみて欲しい。いちばん金を持っている人間に金が集まる仕組みは、プログラムのバグではない。経済的搾取は、70年代、80年代からのシリコンバレーの中核的機能なのだ。それが今日も続いている。

フリーダム・ディビデンドは、実際には、米国人の大半がひと月に1000ドルほどの金でなんとか存在を保つ一方で、エリートは周辺の世界への支配力をさらに強化させるものだ。これが仕事の未来の構造変革を特定し実現することはない。

いまいましいフィードバックループ:ミッションドリブンな仕事の問題点

カレン・ハオ氏(写真:MIT Technology Review)

オーター氏とオスターマン氏のパネルディスカッションの後で、私はKaren Hao(カレン・ハオ)氏のインタビューに向かった。MITテクノロジー・レビュー誌のAIレポーターだ。MITの学部を卒業してから10年も経たないうちに、ハオ氏はおもにAI技術が暗示する倫理と社会に与える影響に関する記事を著している。どちらも、思慮に富んだ快活なニュースレター「アルゴリズム」に掲載されている。彼女は、記事の情報や着想を、寮やクラスの友人から得ている。

彼女は、夢の職場であったミッションドリブン型のハイテク企業に短期間働いていた経験から、倫理的な話に魅せられていった。彼女が話してくれたところによると、創設者でCEOだった人物は、ハオ氏が着任して1カ月経たないうちに取締役会によって追放されてしまったという。「過度にミッションドリブンで、利益をひとつも上げられなかったからです」

「それは私にとって、ものすごい大変革でした」とハオ氏。「民間セクターの仕事は自分には向いていないと気がつきました。私はとてもミッションドリブンな人間だからです。経済的な理由によって自分の意欲が抑え込まれたり、ミッションの方向転換を迫られるような職場は、好ましくないと思いました」

ハオ氏の言葉から、私は、テクノロジーの軌道の上で生活し働くすべての人間が陥っている大きなシステムのことを思った。良いことをしたい、でも良い生活もしたい。自分は社会経済的に一歩身を引いて、他の人に道を譲ろうなどと考える者はまずいない。年間40万ドルも儲けながら、シリコンバレーの住宅ローンを返済できずにいるハイテク企業の重役がいるのはそのためだ。革命は彼らから始めるべきか? そうでないとするなら、特権階級の圧政的システムに参加してしまった責任を、誰に取らせたらいいのだろうか?

その答はどうあれ、誠実で、頭が良くて、善良なハオ氏に私は衝撃を受け、さらに、倫理性に譲歩が求められる営利セクターから離れて、現在のジャーナリストになり、ミッションドリブンな仕事について調べている姿勢に感心した。しかし私も、今は教誨師として彼女に対面しているわけでなく、同業のジャーナリストなのだ。もっと鋭く切り込むべきなのだろうか?

MITテクノロジー・レビューは、結果として、技術的な取材ネタのプレゼンでいくらかの利益を得たのかも知れない。そこには広告費とカンファレンスの登録料が絡んでくる。それがために報道内容に忖度を加えるであろうことは容易に想像がつく。EmTech Nextなどのカンファレンスの参加者は、倫理について考えるという知的な挑戦を期待しているだろう。しかし彼らは本当に、自分の金儲けの才能ばかりか、その倫理的性格にまでケチを付けられる話を2日間ぶっ続けで聞きたいと思っているのか?

たしかに、事実上すべてのマスメディア報道での事実上すべての問題に関する記事を鵜呑みにするのは、リスクが高い。とくにこの数年、ドナルド・トランプが報道機関に対して卑劣で反米国的な扱いをするようになってからは、ハオ氏のように真面目に頑張っているジャーナリストの記事は、疑わしい点があっても善意に解釈するようにしている。とは言うものの、技術系記事が忖度をしなくなれば、ハイテク企業での費用のかさむ判断ミスもずいぶん減らせるのではないか。

ちょっと足元に目をやるだけでいい。実際、倫理的観点からテクノロジーについて書き、研究するという、もっとも期待が持てる作業ですら、どうひいき目に見ても深刻な欠陥があることは、ハオ氏と私が座っているところから数歩も離れずして知ることができる。

MITメディアラボの外観(写真:Craig F. Walker/The Boston Globe via Getty Images)

カンファレンスの会場となった、まばゆいばかりのメディアラボの建物は、かつては伊藤譲一氏の管理下にあった。伊藤氏は、技術倫理学者として伝説的な存在だ。2016年、バラク・オバマ氏が大統領だった当時にワイヤード誌のゲストエディターとして編集に携わったことがあるが、そのときオバマ氏に直接呼ばれ、人工知能の将来について説明をしたほどの人だ。私とハオ氏がそこに座っていた2カ月ほど後のこと、伊藤氏と、他ならぬジェフリー・エプスタイン氏とが長年にわたる交友関係にあることが報道された(幸い、体の関係ではなかった)。エプスタイン氏と言えば、悪名高い児童買春男で、科学、テクノロジー、出版の一部の世界ではエリートとして知らない者はいない。

伊藤穰一氏(写真:Phillip Faraone/Getty Images for WIRED25)

伊藤氏は、少なくとも50万ドル(約5500万円)の寄付をエプスタイン氏から、メディアラボのスター教授陣の反対を押し切って受け取っていただけでなく(それで辞任に追い込まれるのだが)、彼はエプスタイン氏の自宅を何度も訪れていた。エプスタイン氏は、伊藤氏が個人的に支援していたファンドや企業にも100万ドルを超える投資をしていた。「許してやれ」と伊藤氏の友人や支援者は言うかも知れない。個人として、人間としてなら、その気持ちもわかる。私は伊藤氏に会ったことはないが、聞いたところによれば、いろいろな意味で偉大な男だったことが想像できる。しかし、彼はそのリーダーとしての立場で、有罪判決の下った、子どもの買春あっせんを常習的に行っていたことで知られる犯罪者と親密な関係を築いていた。MITのある学生が書いているが、彼は「女性の体と命を犠牲にして、その影響力で自らの特権階級にしがみつく大きな権力を持つ個人のグローバル・ネットワークの一員」だったと書いていた。

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伊藤氏の名誉のために言うが、彼はその資金調達の決断が暴露されて、かなり打ちひしがれたようだ(無理もない)。だが、そのテクノロジー資金の出所が、技術系メディアによって綿密に調べられていたなら、ここまで深刻な事態にはならなかったのではないだろうか。

おそらく、このジェフリー・エプスタイン氏とメディアラボの壮大なドラマも、学術論争の一ジャンルとなっている仕事の未来が、いけ好かない金持ちとしてではなく、寛大で思慮深い倫理的模範としての顔を持つ一握りの勝者が、残る我らすべての敗者の犠牲の上に永遠に勝ち続ける残忍な悪循環のことを示すという私が訴えたい大きな論点から見れば、小さいことだ。

ビル&メリンダ・ゲイツ財団のことを考えてみよう。その綱領(少なくとも一度書き直されたが)には、この財団は「すべての命には同等の価値があると言う信念に導かれ」ていて、「すべての人が健康で生産的な人生を送れるよう支援する」と記されている。言葉の上では立派だが、では実際にどう実行するのだろうか。すべての生命に「同等の価値」を持たせていると、誰が何を見て判断するのか。

この疑問は、おそらく哲学的に気取ったものに聞こえるかも知れないが、おそらくそのとおりだ。これには、具体的に言葉どおりの答がある。自分の父親や妻などの他者の大きな貢献があるにも関わらず、最終的には、ビル・ゲイツ氏がその12桁の自己資本に基づく財団の方向性を決める、というものだ。

ゲイツ氏がどのようにして、すべての人に同等の価値をもたらすのかを考えるとき、文字通り慈善事業コンサルタント軍団とも呼ぶべき人たちの助言があったはずなのに、2011年に、あの凶悪事件で有罪判決を受けたずっと後のジェフリー・エプスタイン氏と和やかな雰囲気で、正直、かなり気持ち悪いが、面会する決断を本人が下したことを思い起こさずにはいられない。エプスタイン氏の犠牲になった少女たちの命の価値を、その同等性を、エプスタイン氏との会合に耽っていたゲイツ氏は、どう評価していたのか。ジャーナリストのXeni Jardin(ジーニ・ジャーディン)氏が指摘したように、彼女らは傷つきやすい「子ども」であり、ゲイツ氏もそれを知っていたはずだ。それとも、彼に情報を与えていたであろう専門家集団の言葉を敢えて聞き流していたのか。

ビル・ゲイツ氏は、この点においては、その奇妙な行動に対する批判からほぼ逃れることができた。彼の財団が実践している「社会的利益」のお陰だ。そのため私たちは、彼のような個人が、大規模な慈善活動に必要となる資金を溜め込むことを許している。彼らにもっと税金を掛けて、貧しい人や搾取された人たちにその収益を再分配することも可能だ。そうすれば、そもそも彼らの慈善事業の必要性をずっと小さくできる。しかし、そうはならない。なぜか? ゲイツ氏のような人たちは超天才だという信念が大きく影響している。だが、エプスタイン氏と関わりを持ったことが、ゲイツ氏天才説を覆しているようにも思える。

MITの場合はもっと範囲が大きい。この大学の理念は「知識を高め、21世紀の国家と世界に最大限に貢献する科学、技術、その他の学術分野の教育を学生に施す」となっている。だがもちろん、そこには武器や大量破壊兵器の開発を推し進め、軍産複合体に貢献してきた長い歴史ある。このほどMITが新設を発表したスティーブン・A・シュワルツマン・カレッジ・オブ・コンピューティングでは、MITの学部としては初めて、テクノロジーの倫理が必須科目になる。この学校の名称は、寄付者の名前に因んでいるが、その人はドナルド・トランプと個人的に近い関係にあり、言うまでもなく、サウジアラビアのモハンマド・ビン・サルマン皇太子とも近い。そして、低所得者に安価な住まいを提供するアフォーダブル住宅政策に反対している人物だ。

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いわばこれらすべては、腹の立つフィードバックループだ。

私たちはそれでも、ゲイツ氏のような「特別」な人や、MITやハーバードのような学校がよりよい未来を築いてくれると信じている。来たるべき災厄から私たちを救ってくれるのは彼ら以外にないという神話によって、その信念を正当化している。そして、彼らが、自分のためのよりよい今を優先させる決定を下すごとに大きなショックを受ける。そして水に流し、また繰り返す。

もちろん、MITも結局は自分がやりたいこと、自分のフィードバックループを優先する人たちの集まりに過ぎない。だが、大きな善行の支援も行っている。ともかく私たちには、テクノロジー関連記事、テクノロジーの倫理、テクノロジーの倫理のためのカンファレンス、さらにはテクノロジーの倫理を追うジャーナリストや、私のような無神論者の教誨師ですら、何も考えずに信じられるだけの余裕などないということだ。倫理に背くようそそのかす可能性のあるものひとつを取っただけでも、大変な金が絡んでくる。

よりよい未来を合言葉に、そんな産業に身を置こうと決めた人はみな、懐疑心を持ち、毎日、自分の行動を振り返って検証しながら生きてゆくべきだったのだ。

予算を見せてくれれば、あなたの価値がわかる

チャールズ・イズベル氏(写真:MIT Technology Review)

「組織について古いジョークがあります」と、ジョージア工科大学カレッジ・オブ・コンピューティングの学長であり、「仕事の変化する性質に対応する」と題したEmTech Nextの次なるパネルディスカッションに登壇したスター、Charles Isbell(チャールズ・イズベル)氏は言った。「あなたの価値を言わなくて結構。予算を見せてくれれば、あなたの価値がわかりますから。なぜなら、人は自分が大切に思っているものにお金をかけるものですからね」

イズベル氏は、ジョージア工科大学コンピューターサイエンス学部のオンライン修士課程に福音をもたらしている。この学部には、コンピューターサイエンスでは異例の約9000人もの学生が在籍しており、この分野の平均を超える割合で有色人種が多い。それは、この大学の理性的な決断によるものだ。コンピューターサイエンスのオンライン修士課程を、全日制の課程とまったく同じ扱いにし、能力のある志願者を「排他的」に拒否するようなことは一切せずに、学位取得の可能性のある者全員を受け入れている。この取り組みにより、数年以内に、米国でコンピューターサイエンスの大学院学位を取得した人の最大で8分の1がジョージア工科大学の卒業生という時が来ると、イズベル氏は予測している。

長身でお洒落で、公共放送のホストのような話し方をするイズベル氏は、パネルディスカッションの後も、廊下で質問者の長蛇の列に応対していた(もちろんそこには、グプタさんも私も並んでいた)。送られてくるすべての電子メールに目を通すことは約束できないため、件名にとくにいい質問を書き込んだ人に対しては、彼は大好きな80年代のヒップホップのレコードから言葉を引用している。

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出番が終わり、質問者の長い列が片付いた後で、私は彼との一対一のインタビューで簡単な追加質問を行った。他所ではますます排他的になる傾向があるが、技術系の高等教育機関で、彼と彼の同僚たちがインクルーシブなモデルを実現できたのはなぜか、と私は尋ねた。彼の答は、仕事の未来を考える聡明な人たちが最優先に掲げて欲しいと私が願っていたことを要約していた。「どれだけ(学生の)能力を伸ばしたかで
、その人の威信が高まる世界に移行しなければなりません。つまり、成功できるとあなたが感じた人間すべてを受け入れるということです。それが、平等と公平の違いです」

「平等とは」とイズベル氏は続けた。「すべての人に、(実際にそうなるかどうかわからなくても)よいことが等しく行き渡るように扱うことです。公平とは、ここからそこへ移動できる人を、実際に成功できる場所に連れて行くことです。……公平性がなければ、成功に必要な人材を大勢生み出し、純粋に利己的であったとしても、経済を変革し、労働力(の視点)を強化すことはできません」

たぶん、私たちが本当に必要としているのは、公平の未来に関するカンファレンスだろう。この数十年間にテクノロジーの創造と発展のためにつぎ込まれた、ずば抜けた才能、創造性、自制心、技能を、世界中のすべての人が、必要最低限の、自由で尊厳のある上質な人生を送れるように振り向けられていたならどうだったろう? 私たちはiPhone 1に、はたまたT型フォードに夢中になっていただろうか。

そうだったかも知れない。しかし、70億の人たちが生きて行く上で必要な物事に日々悩まずに済むよう、十分に食事ができて、教育を受けられて、医療も受けられるようになれば、みんなで力を合わせてイノベーションを起こす余裕と意欲が生まれるだろう。

だが、ここで倫理を考えなければならない。そこで、具体的な的を絞った補足質問を次のインタビュー相手であるMITテクノロジー・レビューの編集長Gideon Lichfield(ギデオン・リッチフィールド)氏の登場だ。リッチフィールド氏は、自身の刊行物の役割を、イズベル氏が説明していたような公平性を世に送り出すことと考えているか。またはその雑誌の内容は、ハイテク界のリーダーの大半が、最低所得保証のような「ビッグなアイデア」を言い触らすときに思い描いている、何の効力もない現状維持の「機会」の「平等化」を推進するのが目的なのか?

ギデオン・フィッチフィールド氏(写真:MIT Technology Review)

カンファレンス会場で個人的な謁見するために彼を脇に連れ出すや、私は、それほど攻撃的にはならずに自分の考えを話し始めた。おそらくそれが、彼の非の打ちどころのない折衷的な持ち衣装だったのだろう。ヨーロッパのデザイナーブランドのジャケットに、襟にはネオンカラーの宇宙怪獣のようなピンバッジを付けていた。それを見て私は、金持ちか、ケンカが強いか、またはその両方の子どもたちの間の流行に追いつこうと努力したが追いつけなかった、ニューヨークでの子ども時代を思い出した。

私は威圧的にならないように気をつけた。しかし、彼と私の両方が取材対象としているビジネスの世界に関して弱気であるかのように見られたくもなかった。リッチフィールド氏は、正義と不平等に関する質問には、まったくもって頭脳明晰だった。彼の話を聞いていた人たちの多くは、自らの投資の価値や「高度な判断」について考えなければならないメディアや大企業の人間だと彼が説明したとき、もし彼が、いわゆるソーシャル・ジャスティス・ウォーリアーばかりが登壇するカンファレンスを企画したら、どんなことになるかが想像できた。

それでも、より公正で公平な仕事の未来を築くという役割において、彼がどこまで責任を負う覚悟があるのか、私は知りたかった。そこで私は、教誨師として受けてきた訓練を活かして、まったく自由回答形式の質問をぶつけた。これは、相談者がどう考えるかを知りたいときに行う「社会心理的面接」という手法だ。仕事の未来に関するこれまでの会話からさらに進めて、私はこう尋ねた。「20年か30年経ったとき、現状と比べて人類の未来が良くなったと、どうしたらわかるでしょうか?」

「それは手厳しい」とリッチフィールド氏。「本当に論争になりそうな質問だよ」

「まさに」と私は真剣さのあまり即答した。「あなたに対してもっとも論争になりそうな質問をしているのです」

そして最終的にリッチフィールド氏は、もし社会の「意志決定プロセス」にもっと多くの貧しい人たちが参加できたら、それがよりよい未来になると答えた。なぜなら「不均衡を招く」かも知れないが、「選択はできるようになる」からだと言う。しかしそれでは、ジョージア工科大学のイズベル氏やその同僚たちが示すビジョン、つまり、現在のシステムでは手が届かない、もっとずっと多くの人たちの手に知識を届けるというプロジェクトの考え方には及ばないのではないか?

TechCrunchのインタビューとしては最後となる「私たち共通の未来を、あなたはどれほど楽観視していますか?」というとっておきの質問を向けると、リッチフィールド氏は、その日行った40以上のインタビューの中で、もっとも陰鬱な答を返してきた。「私は特別に楽観的なわけではありません……うんと長期的には、こんなことはひとつも問題にならなくなります。人類は絶滅してしまうからです。短期的には(にも)、私は大変に悲観的です」

今世紀の終わりまでには、私たちの展望の中に安心できる事柄が生まれるかも知れないという、ちょっとした慰めを述べた後、インタビューを締めくくり、いつかまた語り合いましょうと約束した。だが、私の中には相反する感情が残された。

しかし、影響力のある(ときどきは私のような)人間は、批判を避けるために、どれだけ「好感度」を利用するのだろうか。動機への疑問を抱かせないように、収益については触れさせないように、人柄を信じろと迫ってくる。リッチフィールド氏が当てはまるか否かは別として、これが、明日にはもっと強力に世界を支配力しようとその道筋を整備するかたわら、今日、私たちに(そして自分自身に)その長所や善良さを売り込もうと、こうしたカンファレンスのスポンサーになったり参加してくる多くの金持ちの企業幹部やエリートのリーダーへの正当な批判になるだう。

ゴーストの困った点は人に取り憑くこと

メアリー・グレイ氏(写真:MIT Technology Review)

私が参加した次なる大きなパネルディスカッションは、物事をダークにする話だ。ただし、良い方向に。

「オンデマンド仕事の暗黒面」と題されたこのセッションは、AIリポーターのハオ氏が司会を務め、文化人類学者で技術研究者のMary Gray(メアリー・グレイ)氏と、スタートアップ企業リードジーニアスの創設者で、グレイ氏の著書「Ghost Work: How to Stop Silicon Valley from Building a New Global Underclass」(ゴーストワーク:シリコンバレーに新しい世界的な下層階級を作らせない方法:コンピューターサイエンス者のシダース・スリ共著)にも登場するPrayag Narula(プレイヤグ・ナルラ)氏が登壇した。

「ギデオンは今朝、最高の仕事と、それをもっと手に入れる方法について話しましたが」とハオ氏は皮肉り、「ここでは最悪の仕事について話し合います」と紹介した。

このセッションのテーマは」オンデマンドのプラットフォーム知的労働」。
それは請負労働、つまり、いわゆる「ギグワーク」のことで、そうした仕事に就く数え切れないほどの人たちの仕事は人目につかない労働(ゴーストワーク)であるため、AIが実際よりも余計に素晴らしく見えてしまうというのが全体的な論点だ(言うまでもなく彼らは影の存在であり、生活賃金の交渉でも弱い立場にある)。

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米国の請負労働者の正確な数はわからないが、近年の経済の発展の多くは彼らに支えられており、2020年には250億ドル(約2兆7000億円)産業になると言われている。

ギグワークが未来だとするなら、働く人たちはどのようにキャリアを積めばいいのだろうか? 「ウーバーの運転手は、ウーバー・シニア運転手、ウーバー・マネージャーと昇格するわけではありません」とナルラ氏は声を高ぶらせた。彼が講演に招かれたのは、忙しい重役に代わって見込み客のトラッキング作業にゴーストワーカーを使っていると彼が認めるそ自身の会社で、なんとか生活賃金を支払っているからだ。別次元にある社会主義のユートピアだったら、クリス・ロックに似たコメディアンが、別次元のジョークを放っていただろう。「会社創設者たちはこう話す。生活賃金を払ったご褒美にお菓子をもらわないと。それが彼らにできる精一杯のいちばん楽な対応だから」

しかしこちらの次元では、ゴーストワーカーの生活賃金は、いまだにMITメディアラボのステージで議論されるほどの大問題だ。だからこそ、自分よりも「共産主義者っぽい」とナルラ氏を言わしめるグレイ氏は、
正規社員と非正規従業員との区別をなくす考え方を支持し、最近カリフォルニア州議会で可決された契約労働者を守るためのAB5法案に従って、進歩的なギグエコノミー革命の潜在力を刺激しようとしている。グレイが目指しているのは持続可能な生活が送れるよう人々を援助する全国的な「レイバー・コモンズ」(労働共有地)の構築だ。彼女は自著「Ghost Work」を、なぜそれが必要で、何をすべきかを説いた「ビジネスケース」だと言っている。

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私たちはこぞってAIをイノベーションの未来だと褒め称えるが、ゴーストワークや脱税など数々の問題をひとくくりにして自分自身を騙し、
私たちの現在と未来の社会は実際よりもずっと進歩していると信じ込もうとしているのだとしたら、どうだろう?

価値が足りません

ケンドールスクエア(写真:Tim Pierce/Wikipedia)カンファレンスから家に帰るために、MITのケンドールスクエア駅で地下鉄レッドライン線に乗ろうとして地下鉄用の「チャーリー・カード」を改札機に挿入したら、けたたましくブザーが鳴り響いた。「バリュー(残高)が足りません」という。テクノロジーが人の価値を決めていることにあまりにも慣れっこになっていた私は、正直、一瞬、そのエラーメッセージを、自分の人間としてのバリュー(価値)が足りていないことの表明と受け取ってしまった。

親父ギャグのように聞こえるだろう。私は上質な親父ギャグは好きだが、これはいただけない。私は長年、教誨師の仕事の一環として、セラピーや臨床スーパービジョンの現場で働いてきた。頭が良くて大きな成功を収めた大勢の人たちと同じく、私も子どものころから、人間としての自分の価値は、自分が何者かではなく、自分が何をしたかによって決まるという考え方を身につけている。

偉大な心理療法士の Alice Miller(アリス・ミラー)氏は、その著書「The Drama of the Gifted Child」(訳書「才能ある子のドラマ」人文書院)の中でこう説明している。両親は私たちを愛し、いろいろな形で大変にいたわってくれたかであろうが、優秀でなければ愛されないという暗黙のメッセージを私たちに与えた。「お前は本当に頭がいい」と、親は幼い子どもに繰り返し言う。やがて子どもはほぼ就学までの間に、「お父さんがどうやって勝ったのか知りたい」と言い出すようになる。

私たちのコメントは善意によるものだが、そこに込められた意味は明らかだ。自分は自分の行動の結果だ。特別に優れているからこそ、価値がある。つまり、そうでない人間には神頼みしかない。子どもは、優しさ、好奇心、愛情関係の価値を本能的に感じ取るもののようだが、自分の優秀さを確かめたい欲求に流されがちだ。

その「才能ある子」の心理が、勤勉さを生む。これは確かなことだ。これを、プロテスタントの労働倫理の公式な精神病理学と言う。だが、よく検証されないまま、それは私たちに、誰よりも働き、誰よりも稼ぎ、誰よりも立派になることで、絶えず自分の価値を示せと強要する。私たちは、普通の人たちと単純につながったり、自分に弱さを感じ取ろうとして立ち止まることなど、滅多にしない。

しかし、常に持ち続けることを要求されるこの価値観にはまっている間は、他人に対して温かい気持ちを持つことが難しくなる。なぜなら、「勝者」は裸のソシオパスであってはならないからだ。彼らは、今もこの先も永遠に、資本主義ゲームを単純に支配するだけでは満足しない。それを行っている間も、己の好感度の高さを人に示さなければならないのだ。ただうまくやるだけでなく、「善い行いをする」ことでその特別な地位に就く十分な資格があることを示さなければならない。

そのようにして、ウィーワークのような企業が生まれた。シェアオフィスの会社で、非倫理的なテクノロジーの未来の象徴的な存在だ。先日、新規株式公開の申請を行ったウィーワークは、従業員は「仕事の再発明」を熱望していると話していた。ウィーワークのオフィスを借りている人は、クライアントでも顧客でもなく「メンバー」で、隣で仕事をしている人は同僚でななく「コミュニティー」の一員とされていた。そう、アダム・ニューマン氏は、プラチナパラシュートとも言える10億から20億ドルという途方もない退職金を引き出して立ち去る1カ月ほど前に話していた。その影響で、会社の財政状況は数千人の一時解雇者に退職手当も出せないまでに悪化してしまった。

関連記事:ソフトバンクがWeWorkの経営権を握る、評価額は8100億円程度と6分の1以下ニューマン氏のお花畑のような共同社会的発言と、胸が悪くなるような利己主義とのコントラストは、おそらく極端なケースだろうが、じつに典型的でもある。「仕事の未来」という知的な議論で知られるエリートたちの社交サークルでは、重要に聞こえる上に、英雄的な響きのある華やかな言葉を使うのが常識になっている。「イノベーション」という言葉ですら、人々の生活を破壊し、コミュニティーを傷つけている。

「調子はどう?」「あまりよくないね」汝の隣人を己自身のごとく愛せ

2日目、私はカンファレンスに遅刻しそうになった。幼い息子アクセルと、居間の長椅子の上で、のんびりと大好きなゲーム「ジャンプ・ザ・シャーク」で遊んでいたのだ。アクセルが生まれたとき、私は法律の仕事で忙しい妻にもっと精を出すよう促し、自分は目標達成をがむしゃらに追いかけるワーカホリックな人生から身を引いた。収入の安定を図る
ためだけではない。アクセルと毎日顔を合わせていたかったのだ。オムツをすべて自分で交換し、保育園に連れて行ったときは息子の友だちを笑わせ、毎日の長い散歩の間、しっかりとその手を握り、道すがら新しい発見について話し合っていたかったのだ。

プレイヤグ・ナルラ氏(写真:MIT Technology Review)

メディアラボに到着するや、ナルラ氏をみつけた。彼は前日のパネルディスカッションの前に、彼のスタートアップのような企業は、今、人間中心のプロジェクトでベンチャー投資家の興味を惹きつけるのに苦労する理由を説明すると約束してくれていたのだ。彼は、同じようなビジネスモデル(ゴーストワーク)を採用している友人の話を聞かせてくれた。ナルラ氏と違って、彼はベンチャー投資家へのピッチの際にヒューマン・ファクターには触れなかった。そうしたピッチで多くの成功を収めた友人は、こう打ち明けたという。「ボクはこうピッチした。「まあ、今は人を使ってやってますが、将来は自動化されます。データはすべて手元にあるので、私たちには自動化が可能なのです」とね」

ナルラ氏が「本当に自動化できると信じてるのか?」と尋ねると、友人はこう答えた。「そこは問題じゃない」

「我々の経済は、人を使うビジネスに制裁を加えます」とナルラ氏。「教育システムとソートリーダーは、テクノロジーの人間的側面を真剣に考えることなく、今のこのテクノロジーのカスケード効果を作り上げました」。彼の話を反芻して、私はしばらく立ち止まっていた。朝一番のパネルディスカッションに遅れてしまう。

MITテクノロジー・レビューの編集者David Rotman(デイビッド・ロトマン)氏が司会を務める自動化の倫理に関するディスカッションの会場に駆け込むと、ロトマン氏はこう質問したところだった。「景気はどうですか?」

「あまりよくない」と、カリフォルニア大学の高名なコンピューターサイエンス教授Pramod Khargonekar(プラモド・カーゴニカ)氏は答えた。

カーゴニカ氏と共に、ハーバード大学ベルファー・センターの「Technology and Public Purpose Project」(テクノロジーと公共目的プロジェクト)のフェロー、Susan Winterberg(スーザン・ウィンターバーグ)氏も登壇していた。ウィンターバーグ氏は、ミシガン州のフリント市のことを話していた。貧しい住民、とくに有色人種の市民からの搾取で知られる街で、市の水道事業が破綻したため水道水に有害物質が混ざっていた。そして、米国人の70パーセント以上がその日暮らしだと彼女は説明した。

フリント・ウォーター・プラントの給水塔(写真: Bill Pugliano/Getty Images)

その数字は、このカンファレンスで私がもっとも強い憤りを覚えたものだ。大多数の人が自分の仕事の将来に疑いを抱いている場所を、ほんの一握りの快適な生活を享受している人たちは文字通りほとんど別世界にいるような場所を、コミュニティー(共同体)などと呼べるのか。人種隔離政策が実施されているとは思わないが、2014年4月から……いつまでだ? ともかくそれが、そこで起きたことだ。実際、いまだに2500世帯で鉛の水道管が使用されている

だがウィンターバーグ氏は、明るい未来の話題に切り替えた。ノキアの幹部と、ノキアの地元であるフィンランドの元首相が、律儀にも、創造性を発揮して、間もなく解雇される従業員たちを救った話だ。

ウィンターバーグ氏の話は、ハーバード・ビジネススクールの教授Sandra Sucher(サンドラ・サッチャー)氏と共同で同校のケーススタディーとして数回に分けて発表されているが、2008年のドイツで始まった。その年ノキアは、記録的な収益があったにも関わらず、ドイツにあった携帯電話の組み立て工場を閉鎖した。「コスト競争力」がないというのが会社幹部の説明だった。同様の作業は、東ヨーロッパやアジアでも行われていた。

工場の従業員、政治家、ドイツの大衆は激怒し、ノキア製品の大規模な不買運動を起こした。労働組合は人々に呼びかけ、みんなが持っていたノキアの携帯電話をフィンランドの国際事業本部に送り返した。ウィンターバーグ氏とサッチャー氏の調べでは、この反ノキア・キャンペーン
による売り上げ低下の損失額は7億ユーロ(2008年当時で約1500億円)にのぼった。

数年後、スマートフォン革命によりノキアが世界で展開していた携帯電話製造事業は縮小されることが確実になったとき、ノキアの幹部は従業員を見捨てない方針を決めた。その代わりに、解雇される従業員を救うための大規模なキャンペーンを実施し、就職フェアまで開催し、彼らを大量雇用してくれるよう他企業に働きかけたのだ。2人の研究者の分析によれば、そのキャンペーンの投資収益率は1000対1だったという。

写真:Josep Lago/AFP via Getty Images

「それが彼らの価値なんです。それはその会社の最上層部の決断です」と、ウィンターバーグ氏は、パネルディスカッションの後で私に話してくれた。「取締役会の会長の意向で、このように言っています。「敬意をもって人々を処遇できる方法を探して欲しい。それは当社の価値観に合致するものであり、私たちが達成を目指す変革の実現を促す。報告を待っている」と」

彼女の話を聞いて、私は疑問を口にせずにはいられなかった。ノキアがそのような連帯をモデル化できたのは(しかも、わずか3年前にドイツで大失敗をしていたのに)、そもそも彼らの基盤が均質で豊かな社会で、経営側が労働者側とずっと簡単に同一化できる環境だったからではないのか。聖書の時代から言われてきた「汝の隣人を愛せ」が通用するのは、一般的に、人種差別や頑なな偏見が幅を利かせていない場所でのことだ。

しかしウィンターバーグ氏は、ノキアの寛大な対応はグローバルなものだったことを私に思い出させてくれた。ノキアの工場は、中国、米国、そしてもっとずっと遠い場所にもあり、そこでは「ブリッジプログラム」が基本的に例外なく適用されていた。そこで私は、話を変えて彼女の経歴を聞いてみた。シンシナティ出身の彼女は、シンシナティ大学に入学した。そして大都市デトロイトを社会見学したときに、大きな衝撃を受けた。その荒廃した状態を見て、ウィンターバーグ氏は「なぜこのようなことが起きるのか」を知りたくなったのだ。

都市計画を学ぶために修士課程に進んだ後、ハーバード大学の研究者として働くようになり、知らぬ間に汚染されていた沿岸地区や、ドナルド・トランプを支えてきた経済エリート主義などの米国中西部の失敗について理解を深めていった。「小さな街に住んでいて、飛び抜けたテクノロジーの技能もない人の場合」とウィンターバーグ氏は話す。「将来は悲観的です。このプレゼンは、ごく平均的な人たちが集団解雇によってどうなるかを理解してもらえるよう組み立てています。こうしたことが単に不運な出来事で、数週間だけ我慢すれば済むような生活には、その人たちはもう戻れないのです。破滅的な事件であり、人生が狂わされるのです」

言い換えれば、仕事の未来をゲームとして考えられる余裕のある人、または比較的上から目線の、こうした技術系カンファレンスの典型的な参加者のような人は、わずかだということだ。さらにウィンターバーグ氏は、トランプと右派のポピュリズムについて話を広げた。「彼は、政治的な視点からはそれを理解しています。彼はずっとそれを利用してきました。ヨーロッパの政治家たちも、右派のポピュリズムに軸足を置くようになっています。ブレグジットは、米国の大統領選挙の数カ月前に始まりましたが、それも同じことです」

私たち全員が関与している、そう思うようになった。米国の中間層をドナルド・トランプの手中に追い込もうと目論む会社経営者や役員はそう多くない。オバマ政権の中道派の経済顧問たちがそうでないことは、確実だ。

しかし私たちはみな、手段と特権を持つ人間たちが、あまりにも簡単に暗躍できるシステムの一員になっている。災厄を防ぐには、途方もなく大きな、積極的な、革新的な行動を自ら起こさなければならない。だが、私たちは否定論に固執している。

そんなわけで、ウィンターバーグ氏との対話は、私たちの集団としての無知と、2011年のノキアのような希望の持てる例があまりに少ないことを悲観したまま、切り上げることにした。

公正に

次に会ったWalter Erike(ウォルター・イーライク)氏の話を聞いて、私は元気を取り戻した。イーライク氏は中堅の独立系経営コンサルタントだ。現在、コーネル大学ジョンソン・スクール・オブ・ビジネスでMBAの取得を目指している。コンサルティング業に活かせる見識を高めようと、フィラデルフィアからEmTech Nextに参加するために旅してきた。

イーライク氏は、子ども時代のほとんどをハーレムで過ごした黒人男性だ。カンファレンスではマイノリティーであることで少々気後れしていたようだが、楽観的で前向きな元気に溢れていた。

「MITに金は払いたくない」とイーライク氏は、大勢の白人に囲まれて、テクノロジーやその他の分野の黒人にとって、このようなカンファレンスにどんな意味があるかという私の問いに答えて言った。「フェアじゃないから。でも、アーバンリーグ(黒人による社会運動組織)を支援してくれるなら、全国黒人MBA協会を支援してくれるなら、ザ・コンソーシアム(黒人のMBA取得を援助する団体)を支援してくれるなら、全国的なアジア系団体NAAPを支援してくれるなら、もっと人種的な多様性を高めてくれるなら、助けになると思います」

イーライク氏は人種格差の話には固執せず、話を地勢的な格差というアイデアに持って行った。米国中西部の製造業の雇用喪失を心配するウィンターバーグ氏の話と重なる。「この部屋にいる大勢の企業の人たちに話を聞いて、本社がどこかを推測すれば、西海岸ではシリコンバレーに、金融関係ではニューヨークに集中しているはずです」と彼は指摘する。「本当に知的で意欲に溢れている人が、米国中部や中西部の穀倉地帯にもいます。私が見聞きした限りでは、そこを代表してきた人はいません」

(これまでにTechCrunchのために倫理をテーマにインタビューした40人以上の人の話の中でも、ウォルターの話は私の大のお気に入りになった)

次に私が会ったのは、ディリジェント・ロボティクスのCEOで共同創設者のAndrea Thomaz(アンドレア・トマズ)氏だ。ディリジェントと言えば、Moxi(モクシー)というプロトタイプのロボットが有名だが、プレゼンテーションルームの外の廊下を歩き回っていた。アニメ「宇宙家族ジェットソン」に出て来るお手伝いロボットのロージーにちょっと似ているが、モクシーは過重労働に苦しむ病院職員のための、人間サイズのプレゼンスロボットだ。トマズの説明では、モクシーの典型的な一日の過ごし方は、医師や看護師を追いかけて、いつどのように薬やその他の医療品を入手して、彼らが患者と接する時間を長くできるように学習することだという。

ディリジェント・ロボティクスのモクシー(写真:MIT Technology Review)

トマズ氏の製品は、いわば、AIや機械学習の辛辣な批評家に、両手を挙げさせて「参った」と認めさせるようなものだ。モクシーで傷つく人はいるだろうか? 人間の本質的な問題の解決に、少なくとも部分的に貢献できるはずだ。そして、トマズ氏自身の経歴だ。比較的若い女性CEOでロボティクス企業の創設者。MITメディアラボで博士号を取得し、公立学校で教鞭を取った経験もある。彼女のような人の話を、もっと聞きたい。イーライク氏、ナルラ氏、グプタさんなどと並んで、彼女の誠実さ、頭脳、自分の技術に専念する姿勢、それを倫理的に追求する決意に私は感服した。

たぶん、人間の本来の良識に沿ってテクノロジーを発展させる道がある。まだ良識は消え失せてはいない。

鮮魚店「ゲットフックト」が答えなのか?

カンファレンスも終わりの時間となった。スタッフたちは、壁のEmTechのロゴを剥がしにかかる。だが、私はまだメディアラボを離れるわけにいかない。考えをまとめる場所が必要だ。はたして仕事の未来は、億万長者の人道主義と「勝者の全部取り」の、じつは狡猾で利己的な見せかけの「慈善事業」によって、どんどん膨らんでゆく不均衡をもたらすのか。それとも、このカンファレンスで私が出会った善良な人たちが、単に優れているだけでなく、倫理的で、人々に活力を与える規範となってくれるのか?

当惑しながら、私は帰途についた。MITから家に帰るには、ウーバーかリフトがもっとも効率的な足なのだが、私はライドシェアは倫理を危機にさらすというテーマで調査し執筆しているところだ。今の気分では乗れない。

電車も、速すぎるし、閉塞的すぎるし、あまりにも……技術的だ。なので、1時間かけて歩くことにした。まずはお洒落でモノリシックな美しさのあるMITのケンドールスクエア(いわゆる「1平方マイルあたりのイノベーションの密度がもっとも高い場所」)を通り、活気のない牽引車の工場地帯、うち捨てられたような鉄道車両基地、いろいろな民族の労働者が暮らす一角(ボストン地下鉄グリーンラインが延伸するのにともない、数十億ドルを投じて再開発される予定)を抜けた。

そしてようやくBow Market(ボウマーケット)に到着した。今の私の地元サマービルの経済的拠点だ。持続可能な近代化を精力的に推し進めている。

ボウマーケットは2018年の春にオープンした。倉庫だった施設の半円形の広場には、30件以上の地元の独立系レストラン、店舗、ギャラリー、それにコメディーパブまである。これらの事業所の経営者は女性が多く、マーケットの開発業者は、オーナーの30パーセントがマイノリティーで、20パーセントが非シスジェンダーであることも自慢している。ちょっと歩くだけで、ジェームズ・ボールドウィンとゾラ・ニール・ハーストのパイン製の手彫りのピン、ビンテージのヘビーメタルTシャツとオートバイ用品、グリルで焼いたピクルスのピザ、私が生まれてこの方最高に旨いと思った小さなチョコレートのワッフルコーンに入ったチョコレートムースなど、あらゆるものが目に入る。

私はボウマーケットの鮮魚店Get Hooked(ゲットフックト)に立ち寄った。そこは、がっしりとした身長180センチほどの、グレーの顎髭を蓄えバースタン(ボストン)訛りのあるニューイングランドの漁師、ジェイソン・タッカー氏の店だ。タッカーは素朴で庶民的な人間で、口の中でとろけるブルーベリーほどの大きさのサイコロ型に整え軽くマリネした魚に、青野菜と柑橘類コーシャー海塩とブラウンライスを添えた繊細な料理も得意にしている。

彼と、彼の商売のパートナー、ジミー・ライダー氏がこの店を立ち上げた。後に、ジェイソンがぶっきらぼうに「マネー・ローヤ」(金にがめつい弁護士)と呼ぶとマット・バウマン氏が加わった。バウマン氏は数年前に方向転換をして魚の燻製屋になった。5月から10月の間、ジェイソンはケープコッド湾でシマスズキ、サバ、ムツ、マグロを追いかける。そして夏のある水曜日の夜には、彼はここに戻ってきて一皿14ドルの料理を私のような客に振る舞う。私は、堆肥になる神の箱に入ったマグロのセビーチェを注文する。金属のテーブルには、青い水差しの飾りがひとつだけ置かれている。料理を食べていると、水差しはきらきらと光り出す。暗くなると点灯するソーラーランタンなのだ。

ジ・アトランティック誌の記者Derek Thompson(デレク・トンプソン)氏は、2015年の記事「A World Without Work」(仕事のない世界)で、今後数十年間に米国の仕事は激減するという盛んになりつつある研究を追っている。その記事には、たとえば、作家で、孫がいて、大学で文学を教えていたことのある54歳の女性が、かつて工業の街だったオハイオ州ヤングスタウンで、生活のためにアルバイトでカフェのホステスをしているといった話が紹介されている。

また別の可能性にも触れている。その中には、彼が「職人のリベンジ」と呼ぶシナリオもある。私たちの基本的なインフラのほとんどが3Dプリンターで作れるようになり、そこから生まれた余裕から新しい職人経済が発展するという、ハーバード大学の経済学者Lawrence Katz(ローレンス・カッツ)氏のビジョンだ。「自己表現を中心に構築され、人々は余暇に芸術活動が行える」という。

3Dプリンターは仕事の未来なのか?(写真:Manjunath Kiran/AFP via Getty Images)

「言い換えれば」仕事の未来は「テクノロジーが製造のためのツールを個人の手に戻し、大量生産の手段を民主化することで、消費ではなく創造の未来となる」とトンプソン氏は書いている。

ということは、ゲットフックトが、そしてその店があるボウマーケット全体が、答なのだろうか? 地元の働く人たちが、卓越した手作り品を、生活してゆくのに十分でありつつ、同じ働く階層の人たちがときどきご褒美に買えるだけの代金で販売している。同時に、多様な人種による、性的な偏見のない、社会的に公正なコミュニティーの構築を支えている。そこには街中の人たちが集まり、共に笑い、祝い、食べ、重要な問題を一緒に考える。

それともこれは、ソマービルに家を持てた強運と財産のある私のような人間に限られることなのだろうか(ソマービルで中程度の家族向け一戸建ての価格はおよそ8700万円から上昇中だ)。軽い食事に20ドル以上出せる人だけが、こうした「職人」と「コミュニティー」の「持続可能」な生活を送れるのだろうか。私はこれにより、問題の一端である責任を倍増させてしまっているのか。わからない。しかし、私がどっちに根ざしているかはわかっているつもりだ。なぜなら、そこの魚の燻製は最高だからだ。

仕事の未来は倫理的だろうか?

仕事の未来がどうなるべきか、はっきりとわからない自分を私は喜んで受け入れている。本当の人間の尊厳と繁栄とは何を意味するのか、そして、健全で、あまりディスピア的ではない未来はどんなところなのか、常に変化し続ける考えを私は練り続けている。それは後でゆっくり考えたい。このほど執筆を始めた本に書けたらいいと思っている。

今のところ、よりよい未来には、現在、権力を握っている特権階級の人たちに情緒的な気づきを得て、勇気を挫く必要がなる。しかし私たちも、これらの問題は自分たちが引き起こしたものではないかも知れないが、その責任はあると認識する必要がある。その認識は、苦痛と混乱を招く恐れがある。だが、ひとりでその現実に向き合わなければならないことはない。むしろ、そうしないほうが賢明だ。

状態化した私たちの不安や不適応の感覚に対処するために、テクノロジー産業は全体的に最高ソーシャルワーク責任者を置くべきだと私は書いてきたが、それはまんざら冗談ではない。男女同権論者の技術系哲学者Moira Wiegel(モイラ・ウィーガル)氏の話を聞く限りでは、取締役会にもっと多くの女性幹部が加わるようになれば改善されるのかも知れない。

ウィーガル氏は、インターネットは私たちの文化を全体的に女性化したが、その変化のポジティブな面を私たちは受け入れるべきだと主張している。そうすれば、力を追い求めたがる私たちの性向を、部分的にでも、技術系評論家にして倫理家のDouglas Rushkoff(ダグラス・ラシュコフ)氏が唱える「チーム・ヒューマン」の本能的な喜びに置き換えることができる。

だが一方で、「仕事の未来」の論議として通用しているものの大半は的外れであることを知るには、よりよい未来のための完璧な予言は必要ない。そうした議論では、その未来を実際に生きなければならない人たちの大半は含まれておらず、実質的に無視しているからだ。

現在までに明らかになったのは、利益幅を維持するために腐敗した不公正な仕事の未来を選ぶとするならば、利益をずっと小さくする必要があるということだ。

ベンチャー投資会社の哲学者の抗議が聞こえるようだ。「私の金を再分配するなど、誰が決めたのだ?」と。もちろん、人間の労働の未来を再構築するための再分配は、複雑で、欠点もあり、激しい議論を必要とする。

だが、私が言いたいことの要点は、きわめてシンプルだ。大きく不均衡な経済にもできるし、倫理的なものにもできるということだ。ただし、今のまま両方を取り続けるという選択だけは、勘弁願いたい。

仕事を「作った」人の手によって、それにあやかることができる幸運な人たちにその仕事が分配される今の形を、どちらかと言えば維持したいという人は、その地位に留まればいい。ただし、自分で苦労して作り上げた慈善家や人道主義者の顔のために、数百万(または数十億?)の、さらに増え続ける人たちから、あなた自身、そしてあなたの地位が、心の底からみんなの利益を最優先に考えていると思われ、本当にそうさせられてしまったとしても、慌てないで欲しい。

報告書やカンファレンスではほとんど語られないが、仕事の未来には、ストライキが増えるだろう。もっと多くの抗議運動が起きる。11人の死者と数千人の逮捕者を出したチリのように。100万人近い群衆が道路を埋めた香港のように。そこでも10人以上の人が死んでいる。仕事の未来は、米国の道路も塞いでしまうかも知れない。優秀な人材の確保が難しくなり、IPOの評価額は低下する。労働組合の数も、あらゆる産業、あらゆるセクターで増加する。生協も増える。新しいラッダイトが台頭し、億万長者の数は激減し、グリーン・ニューディールも実施されるかも知れない。要するに仕事の未来は、政治的にも倫理的にも、今よりもずっと多様な土俵の上で展開されるということだ。

期待が持てる倫理的なビジョンは、これだけなのか? そんなことはない。しかし、別の価値ある可能性の存在は、今、権力を握っている人たちが責任を持って示すべきものだ。

「仕事の未来は倫理的になるでしょうか?」と私は、この質問がこのエッセイのタイトルになるかも知れないことを説明し、パネルディスカッション後のメアリー・グレイ氏のインタビューで尋ねた。「そう望むわ」とグレイ氏は答えてくれた。哲学者は、質問にさらなる質問で答える。文化人類学者は、こちらの質問を補足してから、自分の考えをまとめる作業に戻る。

「でも、そうなるでしょうか?」

「可能性はあると言えます」とグレイ氏は応じた。「人々の集団的な貢献を重んじるよう想像して、過去のよう姿の仕事の未来を望むのは止めればね。そうすれば、過去の改良版にはなりません」

カンファレンス以来、私はグプタさんとときどき連絡を取り合っている。私がエクセターを訪問して、彼女と彼女のマターの仲間と討論会を開こうといった話もしている。彼女は変わらず純粋で、思慮深く、献身的で、そしてもちろん、聡明だ。しかし、彼女や、少なくとも彼女のような学生たちが、「需要がある」(つまり儲かる)、そして「インパクト」がある(つまり、とくに私たち自身が、そして私たちが生み出す利益に恵まれないことに対して、自分の寛大さと心の広さに安心させてくれる)仕事を追い求めるときに、多少なりとも利己的になる自分を拒絶できなくなってしまうことを、私はずっと心配している。

「誰もがあなたほど(AIに関する)知識を持っているわけではありません」とあるとき私は言った。「私は持っていない」

「ほんとに?」と彼女は無邪気に反応した。頭では、自分がいかに幸運であるかを彼女は理解しているが、自分と私のような特定の人間とを比較したとき、それが難しくなる。

おそらく、自分自身の特権に関して、わずかに視点を欠いたところが、グプタさんがあまりにも恵まれているために勝ち組に属してしまった理由の一部になっている。つまり、彼女とその他大勢が、積極的に意識的に大量に特権を放棄して、経済的支配から距離を置き、自らの幸運の多くを他人に譲る未来を選択しない以上は、ギリダラダス氏が指摘したように、セクセターなどの学校で教えている「ウィンウィン」が常に実現できるとは限らない。

「もっと多くの人たちが、今、パニックになってくれるといいけど。個人的には、それに関してちょっとだけ楽観視してますが」とグプタさんは、1学期を費やして学び執筆している気候変動について語った。

「未来に行きましょうよ」

【編集部注】著者のGreg M. Epstein(グレッグ・M・エプスタイン)は、ハーバード大学とMITの人道教誨師。ニューヨーク・タイムズ発行のベストセラー「Good Without God」の著者。信仰を持たない人や共感する仲間たちのための、インクルーシブで、人々に元気を与える倫理的なコミュニティー構築への尽力を称え、ニューヨーク・タイムズ・マガジンは「ヒューマニスト運動のゴッドファーザー」と評した。また、キリスト教連合教会とスタンフォード・ロースクールのインターネットおよび社会センターによるプロジェクト「Faithful Internet」(誠実なインターネット)により「米国で最も誠実で倫理的なリーダーの一人」と称されている。

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(翻訳:金井哲夫)

タウンWiFi代表・荻田氏が“梁山泊”GMOへの株式譲渡を語る

今年も11月14日・15日の2日間にわたり開催された、スタートアップとテクノロジーの祭典「TechCrunch Tokyo」。このイベントで毎年、立ち見が出るほどの盛況を見せる目玉企画が、設立3年未満のスタートアップが競い合うピッチコンテスト「スタートアップバトル」だ。そのスタートアップバトルで2016年に審査員特別賞を受賞した、無料WiFi自動接続アプリのタウンWiFiは11月18日、株式譲渡により、GMOインターネットグループの傘下に加わることが明らかにしている。

TechCrunch Japanでは、タウンWiFi代表取締役の荻田剛大氏を取材。いきさつや思惑など、買収劇の舞台裏について話を聞いた。

「ここなら幸せにやれる気がした」

タウンWiFiは、ユーザーの近くの接続可能な無料公衆WiFiを探して自動で接続・認証してくれるアプリだ。2016年5月から提供されているタウンWiFiは、3年間でダウンロード数600万、月間利用者数(MAU)は約300万人、対応スポットは35万カ所となった。WiFi自動接続機能のほか、遅いWiFiや使えないWiFiに接続しない機能を備え、セキュリティ面のリスクに対応した専用のVPNサービスも提供している。

タウンWiFiではこのアプリを軸に、位置情報をもとにアプリのプッシュ通知を利用してクーポン情報などの広告を配信する「TownWiFi Ads」、店舗のWiFi接続を検知することで見込み顧客の来店測定を行う「TownWiFi Analytics」を企業や店舗へ提供し、収益を得てきた。

2018年4月に2.5億円の資金調達実施を発表し、2018年6月には同ラウンドで総額3億円を調達したタウンWiFi。このときには株主となった電通と、日本アジアグループ傘下の国際航業と業務提携を結び、マーケティングツール開発にも取り組んでいる。

こうして順調に事業が成長していたタウンWiFiだが、GMOインターネットグループへ株式を譲渡したのには、どのような背景があったのか。荻田氏は「ユーザー増を図りたかった」と語る。「アプリ利用者には、若い層だけでなく、40代の地方在住ユーザーが増えていた。通信料金に悩みがある、こうした層のユーザーも含めて、もっとタウンWiFiを広めたかった」(荻田氏)

ユーザー増のための手段として、資金調達、IPOと同時に、大企業の傘下に入ることも検討していた荻田氏。今年の5〜6月ごろから業務提携先を模索しており、GMOインターネットグループに紹介されたのは7月ごろのことだったという。

「両社の連携は、GMOのプロバイダビジネスにも良い影響があるし、グループには広告事業もあるのでシナジーもある。『通信をバリアフリーに』をうたうタウンWiFiと、『すべての人にインターネット』をステートメントとして掲げるGMOインターネットグループとは、サービスの質も近いのではないかとプレゼンした」(荻田氏)

プレゼンは好評で、荻田氏はその後、GMOインターネット代表取締役会長兼社長・グループ代表の熊谷正寿氏と会食する機会を持った。熊谷氏との会話の中で「僕自身についても『いいね』と言っていただいた」という荻田氏。そのころからGMOインターネットグループへのジョインを検討し始める。

「ただ、僕自身、会社を売ったことがないので、怖かった」と荻田氏は当時のことを振り返る。「自分にとってもそうだし、ユーザーにとって、会社のメンバーにとって、M&Aが幸せな決断になるかどうか、最初はすごく考えました」(荻田氏)

そんな折、荻田氏はGMOインターネットグループに参画する企業幹部の会で、ざっくばらんに話をする機会があったという。グループには現在、112社の企業が参加するが「それだけ多くの各社から来た代表が、みんな楽しそうで、誇りを持って仕事をしている。『いいグループだなあ』という印象だった」と荻田氏はいう。

「熊谷さんはグループの経営スタイルを“梁山泊経営”と表現し、『多くの企業がある中でマイクロマネジメントはできないし、すべきではない』と話している。ジョインした企業の社長が自分で決めて、事業を進めた方がうまくいく、という考え方だ。週1回、グループ企業幹部の会を開くといった(一丸となるための)マインド面での仕組みだけ用意して、あとは任せるという形を取っている」(荻田氏)

荻田氏は「熊谷さんの『信頼して、最終的には任せる』という姿勢に、器が大きいなあと思った」と語り、「ここなら参加しても、幸せにやれる気がした」と明かす。ほかの企業と進めていた資本提携などの話は全て断って、GMOインターネットグループ入りを決めたという。「はじめに訪問してから、決まるまでは数カ月と早かった」と荻田氏は振り返る。

こうしてGMOインターネットの連結子会社となったタウンWiFi。既存株主のうち、荻田氏をはじめとする役職員以外の外部投資家は全て株式をGMOインターネットとGMOアドパートナーズへ譲渡(売却)した(金額は明かされていない)。資本業務提携を結んでいた各社については、資本提携は外れたが、事業面での提携はそのまま続けるという。

また社内のメンバーもタウンWiFiに残り、業務を続けている。社員にはストックオプションが付与されていたということで、売却により「少ない給料でスタートアップに入ってきてくれた彼らに、報いることができてよかった」と荻田氏は語っている。

「エグジット先として、買収の成功事例も増えた方がいい」

GMOインターネットグループへ参画したことで、今後のタウンWiFiはどのような面に力を入れていくのか。既にGMO側からは、GMOアドパートナーズがタウンWiFiと共同でサービス開発を行い、2020年春には位置情報データを活用した広告サービスの提供を目指すという発表を行っている。

タウンWiFiとしては、当初のとおり「ユーザー数を増やしたい」考えだ。「資金面と送客面でGMOインターネットグループの支援を得て、1000万MAUを目指したい」と荻田氏は話している。

実は広告配信サービスなどにより、タウンWiFiの収益は向上していて「いつでも黒字化できる状態」だと荻田氏はいう。「顧客はドラッグストアやコンビニと、それらの店舗へ商品を提供するメーカーだ。O2Oの文脈で『顧客がいつ店に行くのか知りたい』とのニーズがある。ユーザーがいつも朝、立ち寄るコンビニがあるとすれば、店に行く前に広告のポップアップを表示する、ということがタウンWiFiの仕組みでできるのだが、これがうまくいっている」(荻田氏)

ただ、このままユーザー数を直線的に増やしていくだけでは、いずれ事業も頭打ちになると荻田氏。「今は投資モードで、一気にユーザー数を増やすことを考えたい」と話している。

また荻田氏個人としては、創業した会社のエグジットを果たし、この後の進退をどう考えているのだろうか。荻田氏は「次の会社を作るとか、そういったことは今は全く考えていない」と述べ、「いずれ辞めるという気持ちもなく、このままGMOインターネットグループに残りたいと思っている」と打ち明ける。

荻田氏は「エグジット先として、M&Aが増えてきている中で、買収の成功事例も増えた方がいい」と考えているそうだ。「買収後にスタートアップがやる気がなくなる状況は良くない。M&Aが成立したとき、エグジットを果たした起業家にはフォーカスが当たりがちで『おめでとう』と言われることが多いが、買収した側も事業シナジー、利益、人材の面で良かったと思えるのが正しいあり方なのではないか。成功例が増えることで『もっと投資していこう』というモードになるように、いい事例を作りたい」(荻田氏)

荻田氏は「(スタートアップ)エコシステムとしての大企業との連携は、もっとあるべき」と語る。「GMOインターネットグループにももちろん、スタートアップとして参画するときの課題はあるけれども、『もっとよくしていきたい』と僕も思うし、中の人も『良くない部分は変えていこう』と言ってくれている。数年後に『あのときグループにジョインしてくれてよかった』と思ってほしいし、そう思ってもらえるように、GMOインターネットグループをさらによくしていきたい」(荻田氏)

ティム・クックやサンダー・ピチャイなど米国テック企業のCEOがパリ協定への新たな取り組みに署名

米国は気候変動に対処するための国際協定であるパリ協定から正式に脱退する過程にあるかもしれないが、同国の大企業のトップは約80人のCEOと米労働団体の指導者らが共同で署名した新たな声明の中で、その方針を変えないと表明している。声明はUnitedForTheParisAgreement.comに掲載されている。この団体は米国内で200万人以上の従業員を直接雇用しているほか、労働団体を通じて1250万人以上のグループを代表している。

今回の団体はパリ協定に依然として取り組んでいると伝えており、トランプ政権が正式に脱退する意図を発表した2017年時点での声明を確認した。彼らはまた、米国が現在の方針を再考し、合意に取り組み続けるように同意することを求めている。同団体は書簡の中で、この協定は地球規模の気候変動における進行中の影響への抵抗力を高めるだけでなく、「十分な家庭への支援と経済発展の新たな機会」を提供するために、米国の労働力の遷移を準備するものとなり、協定から離脱することは、米国の労働力が地球規模で競争する能力を阻害することになると示唆している。

Apple(アップル)のCEOであるTim Cook(ティム・クック)氏はTwitterにて新たな取り組みについて、「人類にとって、気候変動以上に差し迫った脅威に直面したことはありません」と述べ、Microsoft(マイクロソフト)のSatya Nadella(サティア・ナデラ)氏、Tesla(テスラ)のElon Musk(イーロン・マスク)氏、Google(グーグル)のSundar Pichai(サンダー・ピチャイ)氏、Adobe(アドビ)のShantanu Narayen(シャンタヌ・ナライエン)氏など、著名なテック企業幹部も同意したことを明かした。

Coca-Cola(コカ・コーラ)のJames Quincey(ジェームズ・クインシー)氏、Patagonia(パタゴニア)のRose Marcario(ローズ・マルカリオ)氏、Unilever(ユニリーバ)のAlan Jope(アラン・ジョープ)氏、Walt Disney(ウォルト・ディズニー)のRobert Iger(ロバート・アイガー)氏など、業界を超えた米国の有力企業のCEOらも同意を表明している。

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(翻訳:塚本直樹Twitter

アップルがホリデーシーズン向け広告を公開

Apple(アップル)は感謝祭に間に合うよう、毎年恒例のホリデーシーズンのCMをリリースした。「The Surprise(サプライズ)」と名付けられたこの広告は、iPadで遊ぶことに多くの時間を費やす2人の少女に焦点を当てている。

CMは、母親の父親(祖父)を訪ねるために全国を旅する家族が題材だ。多くの家族と同じように、娘たちが喧嘩を始めると両親は彼女らにiPadを渡す。そして家族が祖父の家に到着すると、祖父の妻が最近亡くなったことがわかる。祖父も母親も、まだ喪に服しているのだ。そこで両親がiPadで何かを見るように言っている間に、彼女らはiPadを使って、古い家族の写真を使った感動的なスライドショーを作ったのだ。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

本当にバイブが感じられるスニーカー

音楽を足の裏で感じるような体験をすることがあるが、これがまさにそれ。DropLabs(ドロップラブス)の新しいEP10スニーカーを紹介しよう。そう、今言ったとおり。スニーカーの話だ。

Brock Seiler(ブロック・セイラー)という男性の投資を受け、Beats by Dreの前CEOであるSusan Paley(スーザン・ペイリー)氏が率いるドロップラブスは、音楽、映画、その他の音声を、自分が履いている靴と同期させることで、オーディオを別次元に引き上げようとしている。

それは、セイラー氏が音楽業界にいたころ、あるバンドのレコーディングでスタジオの調整室に立っていたときに始まった。彼は、床のある特定の場所に立つと、演奏されていた曲のビートや低音が、細かく足に伝わってくるのを感じた。そして、すべての音楽でこの感覚を味わいたいと思った。それはまるで、ステージそのもののエネルギーを感じとれるような気分だった。

その後、ペイリー氏がドロップラブスのCEOに就任し、EP01が生まれた。EP01は、ほぼあらゆる音声に同期するためのBluetoothとスピーカー品質のトランスデューサーと電源を内蔵した、ちょっと大ぶりなスニーカーだ。映画を見たり、音楽を聴いたり、ビデオゲームをプレイすると、スニーカーはその音声を感知して、完璧に同期した振動を足の裏に伝える。「ジュラシックワールド」に出てくるティラノザウルスの雷のような足音の場合は、振動はマックスになり強烈に伝わってくる。「レッド・デッド・リデンプションII」で街の中をひたひた歩き回る人たちの足音は、軽く抑えた感じの振動になる。

しかも、振動でなんとなく方向もわかる。右側から聞こえる音に対しては、右の足が振動する。左も同じだ。特にビデオゲームでは、これが非常に効果的に感じられる。

事実、ペイリー氏は市場参入のための大きな好機としてゲームに注目している。音声、特に方向がよくわかる音声は、ハイレベルな戦いを要求されるゲーマーにとっては生命線となる。eスポーツの人気の高まりにより、「ゲーマーのためのX」という触れ込みで商品を売り込むブランドが増えてきた。今やエナジードリンクだけの話ではない。さまざまなゲームで、より高い没入体験を提供できるドロップラブスは、ゲーマーに売り込む機会だけでなく、競争上の潜在的な優位性も手にしている。

ペイリー氏がTechCrunchに話してくれたところによると、人の脳は3つ以上の感覚を同時に受けると、高いレベルで機能するという。聞いて見て同時に何かを感じると、情報処理の段階でスイッチが入るのだ。

そうした理由からペイリー氏は、最初のデモグラフィックとして、ゲーマーを大きな潜在的ターゲットに据えた。特に著名なストリーマーやゲーム界のインフルエンサーだ。現在ドロップラブスは、米国中の研究者や大学に靴を提供し、何に役立つかを研究してもらっている。研究者たちと会ったあと、ペイリー氏は、エンターテインメントを超えて、医療分野にも利用できるという確信を得た。

私は、この靴を試す機会をもらい、先週末、少し遊んでみた。レビュー記事のために、詳しい感想は取っておこうと思うが、言うまでもなく感動した。

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だが、EP01の目の前には難関がある。ひとつは、500ドルという高い価格設定だ。ガジェットにしてはかなり高額であるため、たいていの人間は買うかどうかを試してみてから決めたくなるだろう。

「新しいカテゴリーの新しい製品を生み出すときは、かならず、消費者に行動習慣の変更を求めることになります」とペイリー氏。「そして、とくにこれは、非常に直感的なものです。情緒的な体験において、どのように直感的にコミュニケートするか?口で話すこともできますが、この靴を履いた人には、まったく別の方法があります」。

EP01はまた、ファッションやパーソナルスタイルによって定美される分野にも、その居場所を見つけなければならない。靴は、履いている人を物語る。今のところEP01は、形は1種類で、色もひとつだけ(黒)だ。さまざまな電子機器が組み込まれていることを考えると、靴にしては最大限に万人向けになっていると言えるが、ルックスを変えて楽しみたい消費者に十分な選択肢を与えるものではない。

もちろん、ドロップラブスはまだ学習フェーズの底辺にいるため、バージョン2の試行に向けて、これから初代スニーカーから多くの情報を吸い上げることになる。EP01は現在予約受付中。ドロップラブスでは、ポップアップショップや、興味のある人が実際に体験できる場所を展開してゆく予定だ。

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(翻訳:金井哲夫)

Netflixが「ビバリーヒルズ・コップ4」を撮影する

NetflixはParamount(パラマウント)から「Beverly Hills Cop 4」(ビバリーヒルズ・コップ4)を撮影する権利を獲得した。このニュースを報じたDeadlineによると、同スタジオはテレビ番組を含むいくつかの形態で同シリーズを再開しようとしているという。

プロデューサーのJerry Bruckheimer(ジェリー・ブルックハイマー)とスターのEddie Murphy(エディー・マーフィー)が続編に参加していたにもかかわらず、パラマウントは映画の商業的展望に少しナーバスになっていたのかもしれない。特に「Beverly Hills Cop 3」の公開から25年が経過しており、スタジオ(まもなく統合されるViacomCBSの一部となる)はここ数カ月、ごく最近の「Terminator: Dark Fate」の不振もあり、興行成績が振るわなかったためだ。

さらに、パラマウントとNetflixはすでに協力しており、まずNetflixが「The Cloverfield Paradox」と「Annihilation」の国際的権利を獲得した後、昨年末には両社の間での複数作品の契約が発表された。

一方、マーフィー氏はNetflixの映画「Dolemite Is My Name」での演技で、過去数十年で最も高い評価を受けている。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

HBOの前CEOがApple TV+の番組制作で独占契約締結か

The Wall Street Journalによると、HBOの最も高く評価されているTVシリーズの制作を指揮した人物が、まもなくApple TV+で番組を制作する可能性があるという。

AT&Tに買収された昨年2月までHBOの会長兼CEOだったRichard Plepler(リチャード・プレプラー)氏は、Apple(アップル)の新しいオリジナルのコンテンツストリーミングサービスにおける、独占的なプロダクション契約を締結しようとしていることが報じられている。

HBOが「Game of Thrones」を含むいくつかの大ヒット作品を放送した間の6人のCEOのうちの一人で、同社に30年近く在籍していたプレプラー氏は、間違いなくアップルの取り組みに影響を与えるだろう。Apple TV+のローンチ時のオリジナル番組としては、Jennifer Aniston(ジェニファー・アニストン)とReese Witherspoon(リース・ウィザースプーン)による「The Morning Show」や「Oprah’s Book Club」といったものがある。

これはプレプラー氏がHBOを去った後に設立した制作会社であるRLP&Co.とアップルの間に結ばれることになるだろう。同氏がApple TV+のためにどのようなプロジェクトに取り組んでいるかの証拠はないが、アップルによるオリジナルコンテンツ企業という新たな目標を考えれば納得できる話であり、また同社はこれまで大規模な予算と知名度の高いプロジェクトに注力しているが、HBOが制作してきた番組のような反響はまだない。

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(翻訳:塚本直樹Twitter

ピザ・ハットがZumeの丸い生分解性ピザボックスをテスト中

Pizza Hut(ピザ・ハット)は米国時間10月22日の朝、Zumeの代表的なピザボックスをテスト導入する計画を発表した。現在のところ試験は非常に限定されている。実際にテストが行われるのはアリゾナ州フェニックスの1カ所のみだ。

このピザボックスは、SF Bayのスタートアップにより推進されている、多くの技術のうちの1つである。実際、私がZumeでCEOを務めるAlex Garden(アレックス・ガーデン)氏と最近話したとき、すぐにピザボックスの話になった。

「我々はインターネットを2週間検索し、異なるピザボックスを作っているパッケージ製品の会社を探したが、それほどの数は存在しなかった。またピザボックスはほとんどすべて、同じアイデアを何度も繰り返す少数の会社によって作られていた」とガーデン氏は9月に語った。「それは本当に奇妙なことだった。私たちはスタートアップでルールは存在しない。ホワイトボードにクールなピザボックスを描こう」。

出来上がったプロダクトは十分のように思える。そして、生分解されるように設計されたピザボックスが、ピザハットのような巨大チェーンに最終的に採用された場合には、また状況が異なるだろう。しかし今のところ、その試験は時間的にも範囲的にもかなり限られているようだ。同じ場所は、MorningStar(モーニングスター)による植物性ソーセージの限定版トッピングのテストにも利用されている。

おそらくどちらか、あるいは両方とも、限定的なテストから先に進むだろう。確かに、持続可能な植物性製品と生分解性のパッケージは正しい方向へのステップだ。またZumeは最近、同社のフードトラック技術を小規模なPizzaチェーンにライセンス供与すると発表した。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

2019年のテクノロジーIPO、上場会社というジェットコースターから考えたこと

2019年は米国のテクノロジー系IPOにとってすでに活発な年となっている。UberLyftなど、非常に期待されていた一部のユニコーンは、IPOデビューと上場企業としての初期の株価で投資家を失望させた。FiverrZoomCrowdStrikeなど株価が急上昇している会社もある。食品テクノロジーブランドのBeyond Meat(通常一緒に見ることのない2つの単語だ)は、25ドルのIPO価格から239ドルの高値を付けた。

2019年のIPO企業のうち年初に上場した企業は、上場前の投資家と従業員のロックアップがまもなく期限切れ、多くの場合でIPOの180日後、新たな課題に直面する。上場前から投資家と従業員が保有している株式を売却することが可能となり、市場に流通する株式数が増えることになる。Lyftは、ロックアップの期限が切れる、株式市場へ多くの同社株式が流入するタイミングで、まだ2019年パッケージ(従業員向け株式購入プラン)の募集期間の初期段階にいる。次に何が起こるかに関係なく、非常に短期間でこのような印象に残るビジネスを構築した企業の軌跡を引き続き追うことができ、わくわくしている。

私は最近、ニューヨーク証券取引所(NYSE)でオープニングベルを鳴らし、当社のプラットフォームに300万人目の借り手を迎えた。2014年に当社LendingClubが公開企業の仲間入りを果たしたときの素晴らしい気持ちを思い出した。LendingClubはその年最大の米国のテクノロジーIPOであり、現在でも史上最大の米国のテクノロジーIPOの1つだ。バリュエーションは54億ドルで、取引初日には株価が67%も上昇した。我々はハードワークが報われたことを喜び、成長の次の段階に期待した。しかし、ロックアップの期限が切れる頃には、1株あたり15ドルのIPO価格に戻ってしまった。

それ以来、国内で最も成長率の高い消費者金融セクターの市場リーダーであり、年間2桁の成長を遂げているが、今日の会社の価値は2014年の5分の1未満だ。詳細は後述するが、非常に困難な時期をくぐり抜けてきた、と言うだけでも十分だと思う。目標に向かって行動し、成長と利益率の拡大を実現しながら、我々はようやく順調な流れに戻った。

我々の体験から得られた、IPO後の展開について考えたい方にとって有益かもしれないいくつかの洞察がある。ここでは、短期志向に陥る過酷な四半期目標ではなく(すでにあちこちで十分に語られている)、事前に知っていたら私にとって役立ったであろうと思われる点について取り上げる。

物事は意外な方向に展開する、本当に

IPOに至るまでの期間を、赤ちゃんの誕生を待っている期間と比べてみたい。知識として、新生児を家に迎えた後は、これまでとは状況が一変するだろうというのは知っている。しかし、頭でわかることと実際に体験することとは違う。株式上場というのは、会社そのものと、CEO、CFO、取締役会が時間をどのように使うかを劇的に変えてしまうイベントだ(そして、明らかに会社全体への波及効果もある)。2014年12月11日にNYSEのベルが鳴った瞬間から、すべてが変わった。

お金を稼ぐことが重要

あなたの会社の株式を買う投資家は、究極的にはあなたの会社の将来のキャッシュフローを評価する。将来のどこかのタイミングで「お金を見せ」なければならない日がきて、つまりその日には利益を上げている必要がある。AmazonはIPOの後、17四半期連続で合計28億ドルを失い、多くの懐疑論と批判の対象となった。同社は戦略を維持したまま、トップラインの成長を実現し、将来への投資を実行し、投資家の忍耐は報われた!

LendingClubでは、数百万ドルを投資して300万人以上の顧客を満足させる製品を開発し(顧客ロイヤルティの指標であるNPSは会社史上最高レベルの78%に達した)、競合他社を寄せ付けないための堀を拡げた。現在は、調整後純利益に基づく収益性の向上に努めている。

好むと好まざるとにかかわらず、スコアボードがある

上場すると、一部の人々はあなたの会社をビジネスだと考えるのをやめて、株価だと考えるようになる。株価というのはラジオ放送のようなものだ。あなたの株主、従業員、パートナー、取締役会―聞いているすべての人にいつも放送されている。

会社のカルチャーが変わらないようにとどめることはできないが、会社が大切にしている価値観を守り続けることはできるし、その必要がある。

株価が上がると、誰もがいい気分になる。しかし、株式市場が不安定だったり景気が良くない時には、多くの人が、現状についてあなたの意見を聞きたいと思うだろう。利害関係者とのコミュニケーションは、あなたの仕事を邪魔するものではなく、以前よりも非常に範囲が広くなったあなたの仕事の重要な部分である。利害関係者とのコミュニケーションに、時間を優先的に割いた上で、常に準備しておく必要がある。

マイクを共有している人がいる

何かを始めるとき、世界は2つのタイプの人々に分けられる。あなたを愛している人とあなたのことを知らない、気にしない人。上場会社の場合、多くの人が会話に参加してくる。業績に焦点を当てる記者がいる。報酬をもらって、あなたの会社やその戦略、見込み、価値について調査・検討するアナリストがいる。そういったアナリストは、あなたの会社とまったく同じような会社をカバーしたことがないかもしれない(結局、あなたは新境地を開いているのだ)。

「ショート」と呼ばれるまったく新しい種類の投資家、すなわち、あなたの会社の株価の下落に賭けている人たちが寄ってくることもある。そうした人々はすべて、あなたの会社の利害関係者に話しかけているため、彼らが何を言っているのか、それがあなた自身のコミュニケーションにどのように影響するのかを理解する必要がある。

マイクがオンになっていることに注意する

従業員全員が「オールハンズ」(全社員ミーティング)に参加した当時のことを思い出してほしい。そこでは、製品ロードマップの詳細、企業戦略、何が機能していて何が機能していないかを共有できたはずだ。もう同じことはできない。重要な非公開情報が漏洩するリスクというものを考えるとき、従業員(や友人や彼らのパートナーたち)に対して確保すべき透明性との間に、新しいバランスを見つける必要があることに気づくだろう。

それは行動とカルチャーが変わるということだが、自然にもたらされるものではない(少なくとも私にとってはそうではなかった)。従業員にとっては不快な変化だ。人々は十分に情報を共有されていないと感じると、たとえそれが会社にとって「必要な」不透明性であっても、会社に対する信頼を失う。LendingClubでは、できる限り定期的に従業員とコミュニケーションを図り、信頼関係を保つようにしているが、どこかで線を引く必要がある。

あなたの競争相手も聞いている

皮肉なことに、重要事項を従業員と共有する能力は限られているが、競合他社には多くを共有してしまっている。 株主やファンドマネージャーは、あなたの戦いの計画を知りたがり、毎四半期、決算説明会で詳細なアップデートを期待している。 あなたの競争相手も注意を払ってメモを取っていると考えて間違いない。

あなたの最も貴重なリソース

これまで述べてきた通り、上場企業であるということは、ビジネスに費やす時間が必然的に少なくなり、外部の物ごとに集中する時間が長くなることを意味する。これ自体悪いことではないが、ビジネスの勢いを維持するために、あなたが使えるリソースを別途確保する必要があるだろう。株式市場と対峙しようとしているとき、あなたの会社の経営陣の陣容が、数年前と比べて大して変わっていないのなら、私にとっては驚くべきことである。

会社のカルチャーは変わる、価値観に重点を置くこと

私はかつて、Googleの幹部に、会社が大きな変化の過程にあるときでもなお、カルチャーを維持する方法についてアドバイスを求めた。彼女は、会社のカルチャーが変わらないようにすることはできないが、会社が大切にしている価値観は守ることができるし、守らなければならないと語った。私がこれまで守り続け、また今あなたに伝えている彼女のアドバイスは、大切にすべき価値観を書き留め、その価値観に基づいて採用し、従業員のパフォーマンスを評価するということだ。

何年も前にこれを実践し始めた。会社が進化・成熟する中で、我々の価値観がこれほど一貫していたというのは驚くべきことだと思う。我々は、顧客をすべての中心に置く価値観を6つのコアバリューに体系化した。我々はNo.1のバリュー「Do What’s Right」(正しいことをする)に従っている。あなたがLendingClubberの価値観に触れたときに、LendingClubberという会社を知ることになるだろう。その価値観が、我々を素晴らしい存在にしている。

上場会社を維持することは気の小さい人には向いていないが、それによって人間的に成長できる。上場会社となることで会社に正統性が与えられ、株式の流動性が高まりそれによって成長が促進され、また次世代の人材をひきつけることができる。株式を上場することでより多くの消費者により多くの価値を提供できるようになり、この成長する産業に正統性を与えることになると、私は常に言ってきた。当社は500億ドル以上の融資を実行したが、まだ市場シェアのごく小さな割合を占めているにすぎない。困難に直面する時もあるが、我々は、米国人が活気を取り戻すのを本当の意味で助けるという夢を日々追いかけている。

IPO以来、融資や借り入れに関わる人々の表情を明るくするために一生懸命働いてきた。多様性のあるチームを構築し、強力なコアバリューを確立し、シリコンバレーの内外を問わず、フィンテックとテクノロジー業界全体を代表したいと思えるような会社を生み出すカルチャーを育ててきた。

上場という公の場への新しい参加者にとって、スポットライトを浴びる生活は波乱に満ちたものになるだろう。まずはこのステップ、そして次のステップにもおめでとう!

【編集部注】著者のScott Sanborn(スコット・サンボーン)はピアツーピア融資会社LendingClubのCEO。

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(翻訳:Mizoguchi)

Nikeのハラチがスマートフォン時代に向けてアップデート

バック・トゥ・ザ・フューチャーのファンタジーから現実世界のウェアラブル技術へと時代が移って以来、Nike(ナイキ)のAdapt(アダプト)は1回限りではないと約束していた。ゆっくりとではあるが確実に、同社はセルフレーシング(電動シューレース調整)モーター技術をより身近なものにしており、中でも注目すべきなのは、長い間待ち望まれていた 「Adapt BB」 スニーカーが今年発売されたことだ。

そしてNikeは米国時間8月29日、Adapt Huaraches(アダプト・ハラチ)のリリースとともに、この技術を来月Huaracheの製品ラインに導入すると発表した。1991年に登場したこのラインは、ウォーター・スキットから派生したネオプレン・ブーティにより立ち上げられた。Adapt Huarachesはスマートフォンとの統合とともに、2019年型のアップデートと同様の構造を特徴としている。

Adapt BBのように、新しいHuarachesにはデバイスとの接続によって色が変わるペアのLEDライトがソールに埋め込まれている。また、モバイルアプリは靴紐のフィット感を調整するのに使われる。FitAdaptには、さまざまな状況に応じたテンションレベルが用意されている。Apple WatchとSiriにも対応しており、Appleのアシスタントに靴ひもを締めるように依頼することができる。

「Nike Adapt Huaracheは2つの意味で革命だ」と、Nikeはリリースにて述べている。「第一に、これは未来へとストーリーを橋渡しをする。第二に最も重要なことは、Nike FitAdaptをペースが速く素早いアスリートの世界へと駆り立て、例えばバスに乗るためのダッシュに必要な快適さを提供し、静かな安堵のため息をついて空席で落ち着く前に、シームレスにフィットする」。

Adapt Huarachesは9月13日に発売される予定で、価格はまだ決まっていないが、350ドル(約3万7000円)のAdapt BBとおそらく同等になるだろう。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter

ユアン・マクレガーによる「オビ=ワン」シリーズをディズニーが撮影へ

以前より噂になっており、ファンが期待していたとおりに、Ewan McGregor(ユアン・マクレガー)がDisney+の新シリーズのためにオビ=ワン役に復帰する。

Disney(ディズニー)がD23のパネルディスカッションでこのニュースを発表したのは、もう一つのスター・ウォーズの実写ドラマ「ザ・マンダロリアン」のトレーラーの直後だった。

詳細は驚くほど明かされておらず、シリーズの正式名称すら判明していない。マクレガーが関与する以外に言及されているのは、撮影が2020年に始まるということだ。

[原文]

(翻訳:塚本直樹 Twitter

テック企業はトランプ大統領による追加関税を猶予された

ドナルド・トランプ大統領と米国通商代表部(USTR)は、テック企業に対し一時的な追加関税の猶予を発表した。大統領と貿易担当者は、コンピューター、携帯電話、ノートパソコン、ビデオゲーム機、コンピューターモニター、衣類、靴などの価格をクリスマス前に引き上げたくないので、中国の輸入品に追加関税を課すことを控えている。

大統領はまた、現在進行系の貿易戦争が世界的な景気後退を引き起こし、2020年の大統領選再戦の可能性にも影響することを懸念したことも想定される。

理由はどうであれ、10%の追加関税を一部の輸入品目に課さないというこのニュースは投資家を集め、火曜日(8月13日)の株式市場を上昇させた。

Dow Jones Industrial AverageとS&P500指数は、ともにこの日に1.4%上昇、Nasdaq指数も1.9%上昇した。これは主に、Apple(アップル)株の急騰によるものだ。同社の株価は8.49ドル(4.2%)上昇し、208.97ドルの終値をつけた。

今月はじめ、トランプ大統領が3000億ドル(約32兆円)相当の中国製品に10%の関税を課すと発言たことで市場は急落した。その後、中国元のわずかな切り下げは、市場が回復する前にさらなる追い打ちとなった。

そして8月13日のニュースは、これらの値下げを消し去った。米国と中国が貿易戦争で合意に達するまでは、恐怖と動揺、非合理的な熱狂のさなかで、市場のゆらぎが終わることはない。

これに先立ち、Steven Mnuchin(スティーブン・ムヌチン)米財務長官とRobert Lighthizer(ロバート・ライトサイザー)米通商代表部代表は、中国の劉鶴副総裁や鐘山商務部長と会談し、貿易摩擦について話しあった。2人の中国当局代表は、9月に実施される予定の関税策について抗議した。2人の通商代表は2週間後に別の会談を予定している。

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(翻訳:塚本直樹Twitter

イスラエルの闇は世界に通じる、倫理とテクノロジーの交差点

イスラエルで成長中のあるスタートアップ企業を想像して欲しい。それは、人工知能をベースにした完全に本物としか思えないディープフェイク動画を制作する企業だ。そのウェブサイトによると、同社の事業は、“企業のコンサルティング”と“政府と政治家のコンサルティング”という2つの部門で成り立っている。さらに、“敵の弱点の発掘と、その拡散を手助けする”とある。

もうひとつ、同社の従業員は「高度な経験を有する逸材であり、イスラエル国防軍諜報部の精鋭部隊および政府の諜報機関の出身者」だと説明されていると想像していただきたい。しかも、彼らのテクノロジーは、これら諜報機関が開発したものをベースにしている。そしてなにより、その取締役会にはモサドやイスラエル総保安庁(Shin Bet)の元長官、さらには元軍高官が参加している。

以上のことを思い描くことができたら、次は民間の情報企業Black Cubeのことを考えて欲しい。さまざまな調査報告が、イスラエルのみならず海外のメディアで報道され、困った実態が明らかになった。それは、この会社が法律に違反しているからではなく、倫理感と社内の道徳規範が欠如しているためだ。

それらの報道によると、Black Cubeは、競合他社が不利になる情報を掘り出したい大企業だけでなく、政敵を抑え込みたい海外の政府とも契約していることがわかった。それは、金融債務から逃れようとする人たちを探し出す政府の仕事を助けることもあるが、犯罪や性的暴力に抗議する女性に嫌がらせをすることもある。ライバル企業に汚名を着せたり、規制当局、監視団体、人権活動家、ジャーナリストに脅しをかけたりもする。

このような企業は、もちろんBlack Cubeだけではない。NSOをご存知だろうか。この会社を代表する製品Pegasusは、どんな携帯電話も携帯スパイ道具に変えてしまう。Glassboxとその製品はご存知か? この手の企業は枚挙にいとまがなく、そのほとんどは、あまり表に出ない。これらの企業はみな、イスラエルの治安当局から得たスキル、テクノロジー、職業文化に立脚している。

イスラエル国防省や治安当局が、武器や軍事的ノウハウを販売していることは周知の事実だ。しかしここ数年、これにテクノロジーによるひねりが加わった。元治安当局の高官や諜報部員たち、かの有名な8200部隊(イスラエル軍諜報部隊のひとつ)の出身者たちが独立して仕事を始めている。世界や社会をよりよくするための新境地を開拓した企業に就職する者もあれば、欲に溺れ、スパイウェアや攻撃的なサイバー兵器を、批判や反乱を蹴散らしたいアフリカの独裁者に販売する輩もいる。

こうした状況は、イスラエルに限ったことではない。西側諸国の治安当局出身者は、公務員としての職務を終えて引退し、新しい仕事に挑戦しようとするとき、同様のジレンマに直面する。しかしこのスタートアップ・ネイション、イスラエルという国は、大きな部分を、イスラエルの防衛機関で働いていたハイテク部隊出身者に依存している。たしかに、この協力関係は、名誉と名声と利益と仕事をイスラエル経済にもたらしているのだが、そのことが、熟慮すべき2つの問題点を生み出している。

ひとつは、倫理に関連する問題だ。テクノロジーの世界で、今、ひとつだけはっきりしているものがあるとすれば、テクノロジーの開発、普及、実装、利用の際に倫理的配慮を含める必要があるという点だ。イスラエルでは、犯罪防止、自律運転車の改良、医療の進歩に注力するべきだが、Facebookの過激派グループの支援、“ボットファーム”の立ち上げやフェイクニュースの拡散、武器やスパイウェアの販売、プライバシーの侵害、ディープフェイク動画の制作などはするべきではない。

もうひとつの問題は、透明性の欠如だ。治安機関のために働いていた、または現在も継続している個人と企業の共同事業は、厚いカーテンの影で頻繁に行われている。これらの事業体は、イスラエルの情報の自由法に基づく挑戦的な質問をはぐらかしたり、はてはイスラエル特有の政府機関である軍検閲局に掛け合い、逃げてしまうことが多い。

民間企業が開発しながら治安上重要なテクノロジーの販売を政府が許可したことを、また誰に売るのかを、私たちはどうやったら知ることができるのか? 民間企業が派遣したスパイをヨーロッパのどこかの国で逮捕されたとき誰が仲裁に入ったのかを、また、ペルシャ湾岸のある国がイスラエルのハイテク企業のターゲットになったとき、どうやったら知ることができるのか? 国益に貢献する企業のこと、そしてその純益のこと、そしてそもそも誰がそれを決めたのかを、どうやったらわかるのか? さらに、主要な人材が国から民間のハイテク企業に転職したときに、軍にどのような影響があるのだろうか? これが、どのテクノロジーに投資するか、それで誰をトレーニングするのか、それで何を購入するのかという国の意志決定過程に、どのような効果をもたらすのだろうか?

テクノロジーは世界をよりよい場所にする。または、うんと悪くする。両方が入り交じった結果もある。アプリ開発者が、私たちのプライバシーに立ち入ろうと、利用規約を故意にわかりづらいものにしているのは公然の秘密だ。しかし、みんながみんなスパイウェアやサイバー攻撃テクノロジーを開発しているわけではない。ソーシャルメディア・プラットフォームが生み出したいくつもの課題については誰もが認識しているが、みんながみんな、それを悪用して誰かを操作したり、“あらし”の軍団で特定の個人を脅迫しているわけではない。

イスラエルと、そのハイテク企業コミュニティは、道徳や倫理に関する問題を軽視すれば、テクノロジーに秀でることでネガティブな結果を招く可能性を真剣に考えなければならない。“スタートアップ・ネイション”ことイスラエルは、この新しい世界を渡り歩くために欠かせない強力な道徳の羅針盤を次の世代に渡すためにも、倫理とテクノロジーの交差点に立って徹底的に議論しなければならない。当面の解決すべき課題は、イスラエルが、または同様の西側の民主主義国が、製品やサービスからその道徳感が伺い知れることを一切考慮しない、利益一辺倒のハイテク企業が成長してしまう現象に、真剣に立ち向かうことだ。

【編集部注】著者のTehilla Shwartz Altshuler(テヒラ・シュワルツ・アルトシュラー)は法学博士。イスラエル民主主義研究所、情報時代の民主主義プロジェクト、シニアフェローおよび主任。

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(翻訳:金井哲夫)

AT&Tが限定的5Gサービスをニューヨーク市の一部で提供

Verizon(ベライゾン)とSprint(スプリント)は、米国最大の都市での5Gサービスを提供すると約束している。しかしAT&Tは今朝、ちょうどそれを始めたと発表した。加入者数で米国最大となる同キャリアは、ニューヨーク市での限定的な5Gサービスを開始したのである。

このサービスはローンチ時点ではビジネスユーザーに限定されており、さらに地域を限定したものとなる。もしあなたがニューヨークの五区に住んでいなければ、5Gスマートフォンを購入してはいけない。

ポジティブな面として、5G+は本物のサービスで、その前に登場した5GEとは異なる。そしてAT&Tは、サービス展開の制限に関する性質について、それなりの透明性を維持している。

AT&Tのニューヨーク担当社長のAmy Kramer(アーミー・カラマー)氏はプレスリリースにて、「ニューヨーク市は人口密度が高く、世界的ビジネスとエンターテイメントのハブで、5Gへのアクセスを持つことで大きな利益を得ることになり、サービス開始を長らく待っていた」と述べている。「当初のニューヨークでのサービスは限定的なものだが、今後はニューヨーク市と密接に連携して5区のより多くの市民にサービスを拡大していく」

CNETによると、このサービスは当面はマンハッタンの小さな一部地域に限定され、「イーストビレッジ、グリニッジビレッジ、グラマシーパーク」が含まれる。ビジネスユーザーはSamsung(サムスン)のGalaxy S10 5GとAT&TのBusiness Unlimited Preferredプランで5Gサービスを利用できる。

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(翻訳:塚本直樹 Twitter