画一的な大量生産モデルの教育をパーソナライズしたものに変える

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「民主主義は政治の最悪の形だ。今までの試みられてきたものを除けば」。ウィンストン・チャーチルの有名な言葉だ。

最近の画一的な大量生産モデルの教育にも同じことが言える。プロイセンから輸入し、教育改革家のホーレス・マンが導入した、教育の大量生産モデルは、子どもを年齢別に教室に押し込み、席に座っていた時間を元に進学の時期を定めた。

このシステムが最悪なのには多くの理由がある。システムは、形式的かつ独断に基づき、個人に最適化されない。しかし現在、私たちが依存しているほぼ全ての現代的なイノベーションをもたらした立役者でもある。大量生産モデルは、教育を受けるために必要な生徒毎のコストを大幅に削減することに成功し、裕福な国では初めて全ての子供にK-12の13年間の義務教育を無料で提供することができるようになったのだ。

このモデルが存在しない地域の市民は切実にこの教育の形を求めている。現代の医療、住宅、エンターテイメント、交通手段、コミュニケーション手段、インターネット、その他の多くの現代社会を支えるものも大量生産モデルのおかげだ。これは素晴らしいことだ。

しかし悪い一面もある。

大量生産モデルは子供たちに対し、世界最大の官僚制度の無言のルールを読み取ることを要求している。明示されないルール、利害関係のあるステークホルダー、つじつまの合わないインセンティブといった複雑なルールの中で、組み立てラインのように一定の成果を求められる。そして、誰もこの巨大なからくりの中をどのように動けば良いかを教わることはない。

このシステムに上手く合う子どもたちもいるだろう。性格、躾、気質やその他の要因で合う子供たちも確かにいる。高度に構造化された環境でも成長することができ、教育のスピードもちょうど良いと感じる子供もいるだろう。しかし、少し違う考え方を持つ生徒の場合はどうだろうか?ルールを学んだり、集中する時間をコントロールするのが苦手だったり、世界の構造を独自の方法や時間をかけて理解するような子どもたちはどうだろうか?彼らは天才かもしれないし、ダイナミックなパーソナリティの持ち主なのかもしれない。しかし、彼らは大量生産モデルには適合しないかもしれないのだ。

このような生徒は、システムとたまたま上手く適応した同等の才能を持つ子どもたちと同じ結果を出すのに、より多くの努力が求められる。努力、知性、才能に関わらず、同じ結果を全く出すことができないこともあるだろう。彼らの脳はそのようには作られていないのだ。

子どもたちに合わせた教育システムが必要だ。今の教育システムは、ガイダンスもなしに子どもたちに強制的にシステムに適応させようとしている。適応しないようなら、リタリンやアデラルといった医薬品を与えている。そして、そのような子どもたちに私たちは、成績を低く付けることや期待をかけないことで、彼らの知性が足りない、あるいは努力が足りないということを、率直な方法でも暗示的な方法でも常に伝えているのだ。

これは少数の子どもたちに限ったことではない。このシステムに適応できないのは、大部分の子どもたちであると私は考えている。そもそも大量生産モデルは、最大数の生徒に最適になるように作られていない。どちらかというと大量生産モデルは、コストを抑えるように最適化されているのだ。

子どもたちにどのようなダメージを与えているのだろうか?システムは自己イメージに対してどのような影響があるのだろうか?例えば、自分には何ができるかについて考えた時だ。また、学習を深めていくことや成長にどのような影響があるだろうか?社会はこのようなコストを見ようとしない。なぜなら、これらのコストは見えずらいものだからだ。人は見えないコストに対して、全うな理由もなく、気づかなかったことにする傾向にある。しかし、このような精神へのダメージ、そして個々の才能が最大限活かされないことの機会損失は計り知れない。

私たちは教育の大量生産モデルで育った。これを全く普通のことのように思っているが、普通ではないのだ。この方法は、13年間の義務教育を無料で広く届けるために編み出された方法に過ぎない。

教師の負担

私たちは教師に対して既存の教育システムの穴埋めを暗黙の内に期待している。生徒にはもっと多くの異なる種類の教育コンテンツが必要だと教師が言っても、教師が作成することを期待している。指導者としてのトレーニングを受けたのであって、コンテンツは製作するのは難しいと訴えれば、「文句を言わないで、どこかから探してきてください」と言う。学習が思うように進まない生徒がいるとの訴えには、「彼らにも内容が伝わる方法を考えてください」と求める。州が義務化したカリキュラムに生徒はつまらなさを感じていると訴えれば、「もっとダイナミックな授業で生徒を楽しませてください」と言う。遅れを取っている生徒を助けたい、あるいは内容が簡単過ぎると感じている生徒を伸ばしたいと訴えれば、「それぞれに合った教育をしてください」と求めているのだ。

教師は、大量生産モデルの分かりやすい代表であるため、私たちはシステムの欠点と教師を不当に合わせて考えてしまいがちだ。教師は「システム」ではない。教師はシステムに毎日、出来る限り抗っている。生徒が授業で感じる温かみやエネルギーは教師が提供しているのだ。補助的な教材を作り、モチベーションやインスピレーションを与え、個別化するといったことは全て教師が行っていることだ。システムの欠点で教師を批判せず、彼らがそれを補うための手助けはできないだろうか。

システムを変える

教師を助ける方法はいくつもあるだろう。彼らの報酬は低い。まず報酬を上げることができる。高額なことは分かるが、GDPの底上げにつながれば、結果的に安いのではないか。研究によると、報酬が高い教師と生徒の成績には相関が見られたそうだ。報酬を高めることで十分な経験を持つ人を教育分野に呼び込み、リテンションを高めることもできるだろう。

生徒のニーズ、傾向や興味関心のある分野はそれぞれ違うのだ。教師が彼らに合った異なる指導ができるツールを提供しよう。

次に、教師により多くのトレーニングと準備期間、メンタリングと職業で昇進する機会を提供することができるだろう。アメリカの教師も日本や韓国の教師と同様の時間数働いている。しかし、日本の教師は勤務時間の26%の時間を教室で過ごしているのに対し、アメリカでは53%を教室で過ごしている。

キャリアを進める機会を優秀な教師に提供することで彼らが教育分野から去ることを防げないだろうか。The New Teacher Projectの2012年の調査によると、「とても優秀で、代替の効かない教師」と評価した教師の20%は、学校に「認められず、怠慢な対応」を理由に去っている。

Metlifeの2012年のアンケート調査 によると、自分の仕事に満足していると回答した教師の割合は、2009年の59%から15%も落ち、44%に留まった。「この割合は直近20年間の中で最も低い数値です。教師の仕事を辞めると思う、あるいは辞めると強く思うと回答した教師は2009年の17%から12%上昇し、29%に登った」としている。全ての教師が理事を目指しているわけではない。しかし多くの教師は、仕事で昇進する機会を求めているのだ。

教師は学期内で何十年も悪化し続ける社会的な不平等を正すことはできないことを認め、彼らに求めることを妥当なものにするべきだろう。テストの成績が全てを決める社会の圧力を削減しよう。学校をテスト対策の塾に変えてしまっている。

生徒のニーズ、傾向や興味関心のある分野はそれぞれ違うのだ。教師が彼らに合った異なる指導ができるツールを提供しよう。既存の教科書をデータ駆動のユーザーに合わせる学習ツールに変えることで、教室に集まる生徒の準備を整え、教師に生徒の学習状況に関する情報が集まるようになる。

本来子どもたちは、彼らを取り囲む世界に興味を持っている。彼らは学習している。毎日の時間の全てを学習に費やしているといると言える。彼らは学習すること自体に抵抗しているのではなく、学習の大量生産モデルに抵抗しているのだ。これは今まで試みられたシステムを除いたら、最悪のシステムだ。しかし、今ならもっと良いものが作ることができるだろう。

画像はDr. Seuss Enterprisesの商標

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(翻訳:Nozomi Okuma /Website/ twitter

投稿者:

TechCrunch Japan

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