本稿を読んでいるあなたはソフトウェア技術者だろうか。そして、もしかして10年以上の経験をお持ちだったりするだろうか。もしそうであるのなら「ご愁傷さま」とお伝えすべきなのかもしれない。業務の中で培ってきた知識は、すでに古臭いものになってしまっている可能性が高い。それでありながら、昔覚えた知識に固執しているかもしれない。役立たずであると評価されているやり方にこだわり、周囲に迷惑をまき散らしている場合すらあり得る。「経験は尊いものだ」と、無批判に信じているのなら、ぜひとも考えを改めるようにアドバイスしたいと思う。
念の為に言っておくと、年を取ることが悪だというようなことを考えているわけではない。年令によって理由なく差別することは間違ったことであり、差別的なことでもあり、また愚かしいことでもある(わざわざ言うまでもないが、これまでに出会った最も優秀なエンジニアの何人かは50代の人たちだった)。しかし、技術革新のスピードが上がる時代にあって、「経験」の価値など加速度的に失われていくにも関わらず、それでも「経験」の価値にしがみつく人も多いように思うのだ。
中には「経験により原理原則を身につけることができるのだ」と主張する人がいるかもしれない。ツールや環境が異なることになっても、身につけた原理原則を活かすことができると主張するわけだ。しかしその言い方も、メリットだけを強調する言い方に過ぎないように思う。
かつて(と、いってもさほど昔のことでもない)、オブジェクト指向がさまざまな問題を解決すると信じられた時代があった。しかしいまでは、オブジェクト指向の抱える問題点を解決するソリューションが多く生み出されているような状況だ。また、ウェブ開発者たちがHTMLとJavaScriptは分離しておくべきだと考えていた時代があった。それは「関心の分離」(separation of concerns)ということが強く言われていたからだ。しかしReactが登場してきた。
現在の状況が、完全な変化を被るまでには時間もかかることだろう。しかし「価値ある経験」をもつはずのエキスパートたちも、「そんなことはアルゴリズムを考えるのではなく、TensorFlowで実現するのが普通だろう」などということを言われ始めているに違いないのだ。
もちろん、すべての知識や経験が無駄になるというようなことを言っているのではない。いくつかの知識や経験は、相当の長い範囲にわたって有用であることだろう。たとえばAndroid、iOS、ないしコンテナに関する知識があっという間に陳腐化するとは考えにくい。
しかし長い時間がたてば、骨はサンゴになり、あるいは貝は真珠になったりするものだ。20世紀には、反証の無い限り経験は尊いものであった。しかし、少なくとも技術やソフトウェアの分野において、そうしたことは言えなくなってきている。5年ないし10年のうちには、反証の無い限り経験は評価に値しないものだ、などということが言われるようになるに違いない。
そしてこうした傾向は技術分野以外にも広がることとなる。たとえば、6つのタイムゾーンに散らばる人を、SlackやGoogle Hangoutsを使ってマネジメントするのは、少し前の大企業で管理職を行うのと大いにことなることとなる。開発者でない人も、こうした変化についてはいろいろと感じていることがあるはずだ。テック系の世界では、変化がより一層ラディカルな形で起こりつつあるのだ。
確かに劣化しない「本当の」スキルというものはある。それはすなわち「常に学び続ける」というスキルだ。これはいったん身に着けてしまえば陳腐化したり、役立たずになってしまうようなこともない。しかし何年にもわたって、旧来の知識で仕事にあたってきた人についていえば、本人の自覚のありなしにかかわらず、すでに「キャリア」の終わりを迎えてしまっているのだ。
生きている限り「キャリア」を終わらせるべきではないと思う。「Stay hungry, stay foolishという言葉は、かつて箴言であったのかもしれない。しかし私たちは、その言葉が「当然のこと」である時代を生きているのだ。
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(翻訳:Maeda, H)