TechCrunch Japanの同僚、高橋信夫さんと共訳した『20 under 20』(Kindle版)(日経BP)がこの週末から書店に並び始めたのでご紹介したい。ピーター・ティール(Peter Thiel)からの奨学金10万ドルを資金としてシリコンバレーで苦闘する若い起業家たちを描いたノンフィクションだ。
著者のアレクサンドラ・ウルフはWall Street Journalのベテラン・ジャーナリストで、家族ぐるみでティールと親しかったことからフェローシップとシリコンバレーに強い興味を持ち、2011年から2016年まで足掛け6年にわたって若いフェローたちに密着して取材した。
大学なんか止めてしまえフェローシップ
TechCrunch読者にはピーター・ティールの名前はおなじみだと思う。PayPalの共同ファウンダー、CEOからベンチャーキャピタリストに転じ、Facebookの最初の大口投資家となった。現在でもFacebookの8人の取締役の1人だ。起業の重要性を力説した著書『ゼロ・トゥ・ワン 』(NHK出版)は日本でもベストセラーとなっている。
ピーター・ティールは2011年のTechCrunch Disruptで「大学をドロップアウトしてシリコンバレーで起業させるために20歳未満の優秀な若者20人に10万ドルずつ与える」というプログラムを発表した。20 under 20というのは「20歳未満の20人」という意味で、発足当時のプログラムの名前だった。現在では22歳未満に条件がやや緩められ、ティール・フェローシップと呼ばれている。
クレージーな若者たち
このプログラムには小惑星探鉱から不老不死の研究までありとあらゆるクレージーなアイディアを追う若者たちが登場する。そうしたアイディアには結実するものもあるが中断されたりピボットしたりして消えるもの多い。しかし「失敗などは気にするな。シリコンバレーで失敗は勲章だ」というのがティールの信念だ。
ティール・フェローにはTechCrunchで紹介された起業家も多数いる。睡眠の質を改善するヘルスモニター、Senseを開発したJames Proudもその一人だ。Kickstarterで製造資金を得るのに成功したことで注目された。
KickstarterでSense睡眠トラッカーを紹介するJames Proud(2014)
シリコンバレーの生活の空気感
『20 under 20』はスタンフォード大学にほど近いベンチャーキャピタリストの本社が並ぶサンドヒル・ロードに新築されたローズウッド・サンドヒルというホテルの中庭のプールの描写から始まる。ベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツの本社もこのホテルの隣だ。しかし創業パートナーの一人ベン・ホロウィッツが書いた『HARD THINGS』(日経BP)が起業や経営の困難と対処の実態を描いたのに比べて、『20 under 20』はむしろファッションから朝のコーヒーまで起業家たちとシリコンバレーで生活を共にしているような感覚を与える。
本書では政府・自治体による規制とスタートアップにも1章が割かれ、Uberなどがどのようにして規制と戦ったかが、敏腕ロビイーストの目を通じて描かれていたのも興味深かった。バイオテクノロジーにも重点が置かれている。下のビデオは『20 under 20』の主役の一人、不老長寿を研究するローラ・デミングのTEDプレゼンテーション。
TEDで不老長寿研究はビジネス化できると主張するLaura Demming(2013)
アレクサンドラは『ザ・ライト・スタッフ』(中央公論)や『虚栄の篝火』(文藝春秋 )などの作品で有名なトム・ウルフの娘だ。トム・ウルフは対象に密着して取材する「ニュージャーリズム」という手法の先駆者で、この言葉を作った本人でもある。アレクサンドラのシリコンバレーの描写はは父親ゆずりのニュージャーリズムの手法かもしれない。
10億ドル企業を作るのが目的ではない
ティールは信じることは即座に口にし、かつ実行してしまう性格のためとかく論議を巻き起こしているが、この「大学なんか止めてしまえ」というフェローシップ・プログラムにはことに激しい賛否の議論が起きた。反対派の急先鋒、ヴィヴェック・ワドワ(Vivek Wadhwa)はTechCrunchに大学教育の意義を主張するコラムを書いたので記憶している読者もいるかもしれない。この経緯も本書に詳しい。
アレクサンドラは起業家を一方的に賞賛するわけではなく、激烈な競争社会に疑問を感じて東部の大学に戻ったフェローも十分時間をかけて取材し、いわばシリコンバレーの光も闇も描いている。
またこの本にはTechCrunchも繰り返し登場する。アレクサンドラの言うことにすべて賛成だったわけではないが、シリコンバレーを中心としてテクノロジー・エコシステムをカバーするTechCrunchの影響力をあらためて感じた。
アレクサンドラ・ウルフはティール・フェローシップをこう要約している。
〔ティール・〕フェローシップはミレニアル世代の縮図なのだ。このフェローシップは「きみたちが本当に優秀ならここに来たまえ。きみたちの世代の『ベスト・アンド・ブライテスト』に何ができるか証明してもらおうではないか」という挑戦なのだ。そのうちの誰かが10億ドル企業を作れるかどうかは問題ではないのであろう。
ご覧のようになかなか目立つ装丁なので書店で見かけたら手に取っていただけるとうれしい。