最近私は、クローン技術が暴走する内容のOrphan Black というテレビドラマを見ている。人道から外れた科学者たちと、テクノロジーを忌み嫌う信心深い人との対立を描いている番組だ。
テレビ番組やSF小説を真に受けるのは危険なことではあるが、凄まじい速さで進化するテクノロジーに不安を抱く人が増えるのは確実であり、その兆候も既に表れている。テクノロジーに対するスタンスは人それぞれだ。
テクノロジーに不安を抱くのは、それはいつも社会より一歩先を行く存在であること、そして全員が、既にあるテクノロジーを完全には把握できないことが関係している。スマートフォンのマナーや心の中までシェアする潮流に対し、社会的なルールもまだ確立されていない。
運転中にメッセージを送ったり、歩きながら夢中でスマホをいじったり、電車内にも関わらず大声で通話をする人もいる。ミーティングや映画館で着信音を消すことすらできない者もいる。
他には到底許されない行為もある。昨年、ボストンの地下鉄で女性のスカートの中を盗撮した 男が逮捕された。市民は憤ったが、裁判所は男の犯罪行為を裁くことができなかった。今まで起きたことがない問題だったために、この行為を罰する法令がなかったのだ。幸いにも、マサチューセッツ州議会のこの件について早急な対応を行い、新しいテクノロジーに関する条例を制定した。
テックの中心地サンフランシスコを揺らす
アメリカのテクノロジーの中心地、サンフランシスコでは既にテクノロジーへの強い反発が見られている。それはこの動きが他にも広がっていく兆候なのかもしれない。シリコンバレーの高給の仕事を求める知識労働者がこの地に流れ込むほど、家賃は上昇し、高級レストランが乱立した。それらの影響で追い出された人の怒りは募るばかりだ。ついには公共のバス停を使用しているとし、GoogleやFacebookのバスを攻撃する人まで現れた。
アンチテクノロジーという正義の名の元、私の同僚Kyle Russellは、付けていたGoogle Glassをはぎ取らる ということも起きた。
テクノロジーにより変革が起きた業界の人も良い顔をしない。Uberが営業している地域のタクシードライバーはUberに度々抗議 してきた。彼らがUberのドライバーに対し暴力的な行為を働いたこともある。Airbnbのレンタルサービスに関しても、他のテナントや近隣住民から抗議 を受けている。似たような抗議は後を絶たない。
私は先週オースチンでタクシーに乗った。私の仕事がテクノロジー関連のジャーナリストだと知ると、運転手はUberがいかに彼の生活にダメージを与えたかを記事で伝えるべきだと話した。目的地に着くまで彼はUberへの不満を述べていた。彼のコントロールできないテクノロジーの波は、彼の生活に深刻な影響を与えていた。
私たちは理解できないものに恐れを抱く
先週オースチンで行われたアンチロボットの集会をレポートした。この集会が行われた真意については疑義があり、調査した結果、アプリの宣伝を兼ねていたことが分かった。このグループのスポークスマンと話をしたところ、彼が制作したデートアプリに注目を集めるために行ったことは認めたが、同時にアンチロボットの流れがあるということも事実だと語った。
彼らは、テクノロジー、特に人工知能やロボットの分野が急速に発展していることを真剣に憂慮し、その考えを伝えたいとしている。オースチンで行われた人工知能への反発は、Elon Muskの発言に後押しされたとも考えられる。Elon Muskは、 1月に「Keep AI beneficial (人工知能を有益なものに留める)」という名の団体に1000万ドルを寄付している。団体の意図は分からないが、この団体名に触発された人もいるのだろう。
19世紀に織物の仕事が減少したことへの抗議活動として、工業用の機器を破壊していたラッダイトのように、テクノロジーが発展している分野でも同様の反対運動が生まれてくるのかもしれない。
ラッダイトも学んだ通り、私たちはテクノロジーは誰も待ってくれないことを知っている。私たちが何を言おうと、何をしようと、進化し続けるのだ。そして、テクノロジーは私たちの理解を超え、正しい扱い方を学ぶのが後手に回るかもしれない。そうなれば、様々なテクノロジーへの批判が噴出することになるだろう。
テクノロジーに対する反感は既に芽生えている。テクノロジーが私たちの生活に入り込み、私たちの仕事を取って代わり、優秀になればなる程、反対運動も大きくなるだろう。私たちは、テクノロジーの進化と同時に、法律の制定やマナーを浸透させていくことが必要になる。
社会が最終的にこの変化に適応することは間違いない。しかし、私たちがそれのもたらす変化を受け入れる余裕がないほどテクノロジーが冷徹に進化を続けるなら、どこかでそれを解決するまで、反対運動が止むことはないだろう。
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(翻訳:Nozomi Okuma /Website/ facebook)