編集部注:本稿のライター、Hunter Walkの直近の役職はYouTubeの製品管理担当ディレクター。Twitterアカウントは@hunterwalk。
検索エンジンは記憶力が良い。私は、不道徳、厭世的あるいは非合法な行為に関する記事を読むたびにこのことを思う。投票日にオバマ氏に関する人種差別発言をツイートした連中、ゲイのルームメートのビデオを盗撮して若者を自殺に追いやった大学生、マンタイ・テオ選手のなりすまし。何年か後、加害者の名前をGoogleすれば、こうした歴史が検索結果のトップに出もしれない、いやその可能性は高い。雇い主、ガールフレンドやボーイフレンド、あるいは隣人は、彼らが何年も前にしたことを知るだろう。どんな状況だったにせよ、彼らが過去から逃がれるのは非常に困難だ。
「いいじゃないか」とあなたは言うかもしれない。私も概ね同意見ではあるが、Googleの記憶は、犯罪者でも愚かな行動をしたわけでもなく、単に若かっただけ、あるいは被害者にさえ影響を及ぼす。スター・ウォーズ・キッドを覚えているだろうか。
さらに広い影響を考えてみよう。人々は、リスクが大きければ自分の行動をより自制するようになるだろうか? 検索エンジンは、一般人に関連する検索結果を積極的に消去して彼らが世界に別の面を見せるチャンスを与えるべきだろうか? 過去に不義の烙印を押された女性は、一生のうちに偉業を成し遂げ(あるいはせめて多作のオンライン寄稿者になって)、以前の軽率な行動を検索結果の2ページ目以降に追やろうという気持ちになれるだろうか? あるいは。Reputation.comのようなサービスは、ティーンエージャー時代の愚かな過去を隠してくれるような、最近増えつつあるB2Cビジネスを見つけるだろうか? あるいは自分の名前の検索広告を買って、自分の言い分を書いた記事にリンクするか、懺悔を表示することになるかもしれない。
私にとって最も興味い疑問は、GoogleのEric Schmidt会長が2010年に飛ばしたジョークにさかのぼる。Ericは、子供たちは大人になった時、インターネットで再出発できるよう名前を変える機会が与えられるようになるだろう、と言った。彼が指していたのは、本当に凶悪な行動のことではなく、求職中にはあまり面白いとは思えないビールを頭からかぶっている写真などのことだ。
Ericは、彼が本気でこれをプライバシー問題の解決案として提起した思った一部のブロガーから嘲笑されたが、実は彼の皮相的発言にはちょっとした真実以上のものがある。Googleが「やり直し」ボタンを提供する、ということではなく、この効果を得るために自ら合法的に改名する人が増えるだろう、という意味だ。
予想される興味深い展開の一つは、非道な行いをした人々を新しい名前と結びつけようとする、個人特定自警団によるWikipediaスタイルの取り組みだ。画像認識などのツールを使えば、ソーシャルネットワークで異なるプロフィールを持つ人々の、新旧写真をマッチングすることが可能だ。音声や文章のパターンを調べるソフトウェアでウェブをクロールすれば、異なる著者の正確な一致を見つけられる。この「決して忘れるな」グループは、〈被害者の権利〉行動から始まるかもしれないが、果たして政府はこの種の分散型取り組みにどう対処するのだろうか。
企業倫理の講習会で「フロントページ・テスト」について話を聞くことがある。もし自分の行動が新聞の一面に出たら恥かしいだろうか? この概念は新聞を持ち出している時点で陳腐化している、なぜなら今われわれは世界中からアクセス可能で決して忘れない新聞の世界に生きているのだから。もしそれが行動の改善を促さないというなら、”常識” を検索してみるのがいいかもしれない。
[画像出典:Flickr]
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(翻訳:Nob Takahashi)