電子メールは死にません。本当はとても便利なものだから、電子メールは死にません

編集部注Dave Girouardは、将来に見込まれる収入の一部を担保に、大学卒業生たちに資金を提供するUpstartというスタートアップのファウンダー兼CEO。以前はGoogleのエンタープライズ部門CEOを務めていた。Twitterアカウントは@davegirouard

「みんなが使ってる電子メールは、混雑し過ぎているので誰も使わない」(ヨギ・ベラ迷言集より)

日曜日のニューヨーク・タイムズに、煽りのような記事が載っていた。電子メールは機能不全に陥っていて、既に過去の遺物のような存在になっているというような記事だ。「いろいろなコミュニケーション手段が登場して、ソーシャルネットワークなども普及して、今や電子メールは何光年も時代遅れのものになっている」などと言う人も多く、今回のニューヨーク・タイムズの記事も同様のことを主張するものだ。

keyboardchairしかしそれは本当のことなのだろうか。真の問題は電子メールにあるのではなくて、キーボードと椅子の間のところ(PEBKAC:図を参照)にあるのではなかろうか。

もちろんメールシステムに改善の余地がないなどと言っているわけではない(Gmailの動作がもう少し軽ければ良いのにと思う人は多いに違いない)。そして、確かにメール分野におけるイノベーションというのは、あまり目にしなくなってはいる。しかしSimple Mail Transfer Protocol(SMTP)は30年も前から十分に機能してきて、これからも有益なサービスとして利用され続けるのではないかと思うのだ。

「受信箱がいっぱいでやってられない」というのは、ねじくれた自慢(humblebrag)と管理不足によるものだとも感じている。メールが多すぎるなどというツイートは、プロムに誘われすぎて困ってる(「みんなが私のことを大好きなのね」とか「私がいなくちゃどうしようもないのね」)風の目立ちたがり屋意識からくるものだと感じられるのだ。すなわち、駄目なのはメールというシステムではなく、それを使う人にあるのではなかろうか。

また、電子メールというのは無駄な時間ばかりかかって、仕事の進捗を遅らせるものだという言説もある。エンジニアやデザイナー、アーティストや、あるいはライターなど、集中して作業を行わなければならない人にとっては、確かに事実なのだろう。集中しているときにメールを読むと、集中力が一気に失われてしまうことがある。しかし逆も言えるのではなかろうか。多くの人にとってメールとは仕事になくてはならないものなのではなかろうか。あるいは仕事の効率を大いに上げてくれるものでもあるように思う。

CEOがメール禁止令を出した。「80年代作戦」と名付けて挑戦してみたものの…

メールのチェックは1日に1度ないし2度までといったようなことがルールになれば、Upstartも立ちゆかなくなると思う。多くの人にとっては、実はメールとはコミュニケートして作業を完了させるための手段なのだ。以前はGoogleで働いていたが、メール禁止などという事態になれば、そちらでも仕事は完全に止まってしまったに違いない。

ときに、メールの使用を禁止するCEOがいたりもする。目的はとても生産的人間らしい電話連絡や会議を体験することだ。こうした試みは「80年代作戦」などとと呼ばれることになる。そして、確かにメールではなく、電話ないし直接顔を合わせて行った方が良い連絡事項があることを再認識するきっかけとはなる。しかし、電子メールを利用することによる効率性が失われてしまうことにもなる。メール禁止を1ヵ月も続ければ、たいていの場合は、会社自体が失われてしまうことになりかねない。

メールは、老人のように徐々に消え去っていくものだと言う人もいる。たとえばミレニアル世代の人には、メールを使うのはフォーマルな時や(ジェネレーションXが直筆の手紙を書くようなケースだ)あるいはAmazonからの通知を見るときだけだと言う人もいる。少々大げさかもしれないけれど、確かにそういう傾向はあるのだろう。伝達事項が少ないときや、即時に伝えたいことがあればテキストメッセージの方が便利だ。そうした連絡事項にメールを使わなくなることで、メールの受信箱の見通しだってよくなる。しかし、それでもメールというものが完全になくなってしまうわけではないのだ。

FacebookやTwitterだってあるじゃないかと言う人もいる。企業向けのソーシャルアプリケーションも数多く存在しており、それらはすなわち電子メールの「最後」を予言するものなのではないかというわけだ。しかし、ソーシャルアプリケーションがいくら普及した所で、それがすなわち電子メールの最後に繋がるわけではない。ソーシャルアプリケーションによるコンタクトというのは、通りすがりに声を掛けるといったスタイルにも似たものだ。うちの中に入っていくのではなく、笑顔を交換して、窓越しに手を振り、そして通り過ぎるというやり方だ。とくにニュースフィード上で行うコミュニケーションというのは、こうしたスタイルに似たものだろう。確かに、より直接的な、もっといえば電子メールにも似た(ときには電子メールの劣化版のような)ツールがソーシャルアプリケーションにも登場している。また、Facebookのおかげで電子メールアドレスをいちいちメモしておく必要はなくなった。但し、おかげでコミュニケーションの手段をひとつの営利企業に任せてしまうことになるというデメリットもある。電子メールには、やはり存在意義があり続けるのだと思う。

さらに、電子メールが「死んだ」ものであると主張する際の背景に存在するソーシャル系/位置情報系/モバイル系アプリケーションは、あらゆる通知を他ならぬ電子メールで送ってくる。これは、メールこそが信頼性のある通信手段であり、そこから、いろいろな行動が各種アプリケーションに広がっていくからだ。

電子メールが嫌いだという人にも聞いて欲しい。SMTPというプロトコルは1982年以来、さまざまな仕組みないしアプリケーションで利用されて、今日では「当たり前」とも受け取られている各種サービスを提供してきた。また、電子メールのメリットのひとつとして、SMTPが単一の企業のものではないこともあげておきたい。SMTPはSMS同様、非常にシンプルなコミュニケーション手段であり、事実上無限のイノベーションを引き起こし得るものなのだ。例えばメールのやり取りをスレッドで表示したいなどという欲求があれば対応できた。優先的インボックスのようなものも実現した。添付ファイルの添付し忘れなどということにも対応してきた。さらに、受信したいときが来るまでメールの受信を行わないというシンプルな機能を実現したMailboxは大人気となっている。きっとシンプルなメール関連サービスを公開すると、数多くのベンチャーキャピタリストからタームシートを受け取ることになるに違いない(もちろんオファーはメールでやってくるだろう)。

ニューヨーク・タイムズの記事などを見て不安に感じている人は、これから記す注意事項をまず守ってみていただきたい。きっと自分が時代遅れに電子メールを使っているわけではないことを実感してもらえると思う。

1. 自分でコントロールできる最新のメールサービスを利用すること。個人的にはGmailが好きだ。世の中の何億人もの人びとも、やはりGmailを気に入って利用しているようだ。

2. ソーシャルネットワークの通知機能はオフにしておくこと。無用な通知が大量にやってきて、いらいらしてしまうことが多くなる。ぜひとも設定を見なおしておくこと。

3. 本当に必要なのでなければ、メーリングリストの購読は行わないこと。誰も強制などしないはずだ。否、職場の上司の指示で購読しなければならないなどということはあるかもしれない。いずれにせよ可能な限り、自分のコントロール下においておくことだ。

4. 急を要しないメールについては受信箱外で管理しよう。ほぼ無限のディスク容量が利用できるようになり(ここ8年くらいの技術進歩の結果だ)、メールもすぐに処理せずにアーカイブしておけるようになった。後で、必要な時ないし暇なときに見返すという処理方法を選択できるようになっているのだ。

5. 上に書いた内容をじっくりと検討し、アドバイスにも従ってみたのに、それでも不必要なメールが大量に押し寄せてくると、不満を感じる人もいるだろう。そうした場合は仕方がない。誰もがコミュニケートしたいと感じるあなたは、大の人気者であり、その立場をどうこうしようというのは本稿の目的とは外れるものだ。

Upstart

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(翻訳:Maeda, H)

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。