11月17日、18日に迫ったTechCrunch Tokyo 2016の登壇者をまた1人お知らせしたい。給与支払い業務を始めとするクラウドベースの人事サービス「Gusto」の共同創業者でCTOのEdward Kim(エドワード・キム)氏だ。Gustoは2011年創業で2015年12月には10億ドル(約1044億円)のバリュエーションで5000万ドル(52億円)を調達しているユニコーン企業だ。
ドリルで腕に穴を開ける大怪我からピボット
エドワードはC向け、開発者向けと2つのスタートアップ創業し、それぞれ売却。いまは3社目で、もっとも大きな成功を収めつつある。ぼくがエドワードに初めて会ったのは2010年5月のことで、Y Combinatorに受け入れられた彼の最初のスタートアップであるPicwingに取り組む若き起業家だった頃だ。
2008年創業のPicwingはWiFiデジタルフォトフレームを製造・販売するという本当にガレージから始まったスタートアップ企業だった。2008年というのは経済環境が悪くて資金調達はうまくいかないし、フォトフレームも売れないしとツラい時期を過ごしたという。1台また1台とWiFiフォトフレームをガレージで組み立てているとき、エドワードは工作機械のドリルを落っことして腕に穴を開けてしまう。救急病院に運ばれて何針も縫う手術を受けた。精神的ダメージとともに、もうこのアイデアはダメだと悟って「ピボット」したのだという。
実は2010年にぼくがエドワードに話を聞いた頃というのは、シリコンバレーで「ピボット」という言葉が盛んに言われるようになった時期だった。ピボットというのはご存じの通り、軸足は同じ事業領域にとどめたまま、異なるサービスやビジネスモデルに変えることだ。結局、Picwingはクラウド上の写真を紙にプリントして、ちゃんちゃんと毎月送るというサービスにピボット。孫の写真を祖父母に送る忙しい働き盛りの層がターゲットだったが、これがヒット。2011年には100万ドル弱で事業を売却したという。
Picwingの次に2011年にエドワードが創業したHandsetCloudは、Android開発者向けのアプリテストサービスだった。クラウド上で複数のAndroid実機を使ったテストができるサービスだ。今ではGoogleやAmazonを含めて、類似サービスはたくさん出ているが、2011年としては新しいものだった。自分自身が開発者だったから出てきたサービスといえる。HandsetCloudは200〜300万ドルのレンジで買収された。
Gustoは、もともとZenPayrollという社名だった。アメリカには個人経営のスモールビジネスがたくさんあって、そこでの給与支払い業務は旧態依然としている。これをウェブでやる、というのがZenPayrollだった。B向けSaaSの王道とも言えるZenPayrollは、やがて休暇申請や401K、保険業務なども取り込みサービスを拡大。それにともなって社名・サービス名をGustoに変更している。
Why not me? (オレにだって)という効果
連続起業家としてのエドワードは、C向け、D向け、B向けと3種のスタートアップ創業に関わって、どれも成功を収めてきている。自分でコードも書けばハードウェアも自作するハッカーで、いまもGustoでRubyのDSL(目的に合わせてプログラミング言語に語彙を定義して「方言」のようなサブセットを作る手法)を使って州ごとに大きく異なる税法の違いを抽象化したことがビジネスを一気に加速するキモだったと語ったりしている。
そんなエドワードは、もともとスタンフォード卒業後にはフォルクスワーゲンの研究所でエンジニアをしていた。それが2007年のあるとき、Y Combinatorの主催するStartup Schoolに参加したことをキッカケに「オレにもできるかも?」と考えるようになったのが起業のキッカケだったという。
「2007年ってさ、数億円から十数億円でスタートアップ企業が買収されたというニュースがTechCrunchに飛び交うようになった時期なんだだよね。希薄化とか持分とかって話もあるけど、それでも創業者が手にするお金って数億円でしょ? 23歳にしてみたら、それって聞いたことのない大金だった。だから、そういうのを見て、ぼくも『Why not me?』って思ったんだよね」(エドワード・キム氏)
ぼくは2009年から2010年ごろにDropbox、Airbox、Cloudkick、Disqus、Justin.tv、Weebly、Zencoder、ZenCoder、ZumoDriveといったY Combinatorに参加しているスタートアップの創業者たちにインタビューしているが、多くの創業者が「オレ(わたし)にもできるかも?」(why not me?)と思った瞬間があったと話していた。シリコンバレーのスタートアップ・アクセラレーターブームの初期には、そうした空気があったという。Dropbox創業者のドリュー・ハウストン氏も、同じ大学の同期生がXobniというスタートアップ企業をYahooに6000万ドル(約63億円)で売却したのを目の当たりにして、なんだオレにだってと思ったとぼくに教えてくれたりしたのだった。
実はいま東京で2007年当時のシリコンバレーで起こっていたことが少し起こりつつあるのではないかという気がしている。日本のスタートアップ関係者は無用な妬みを嫌ってあまり語らないが、数億円や数十億円を手にするエグジットを果たしたネット系起業家は、日本にもどんどん増えている。起業家だけじゃない。隣に座っていたエンジニアが聞いたことのないスタートアップ企業に転職したと思ったらストック・オプションで数億円を手にしてエンジェル投資を始めていた、というような事例はまだまだ増えると思う。
もともとの才能や取り組みの粘り、運の強さなど、確かに成功している人にはそれなりに理由がある。でも、全員が全員、最初から超サイヤ人というわけではない。
TechCrunch Tokyo 2016の2日目、11月18日に登壇してくれるエドワードには、過去10年ほどのシリコンバレーのスタートアップブームの実際のところを、内側から経験した視点で語ってもらいたいと考えている。TechCrunch Tokyoには成功している日本人起業家も多数登壇する(ちなみに、起業に失敗したときに何が起こるのかという割と生々しいパネル・セッションも用意している)。だから来場者の何パーセントかの人が、why not me? という気持ちになってくれるのを、ぼくは密かに期待していたりする。