Sal Khanの、無料の学習プラットホームKhan Academyは、今や各月600万人の人たちに利用されているが、彼自身は今でも、週に2本のペースで教材ビデオを作り続けている。
いちばん最近のテーマは何だと思う? 「第一次世界大戦」です。
Khanによると、ビデオを作るとき彼はまず、本をたくさん読む。第一次大戦なら、Armistice Day(終戦記念日)やLusitania号の沈没、などなどについて。そして、十分に勉強できたと思ったら、ビデオの制作を始める。
“歯医者の待合室で長時間待たされているときも、第一次世界大戦に関する本を読んでいたよ”、彼は最近のインタビューでそう言った。
最初は彼の親戚の子たちのための“家庭教師電話”だった。それがやがてYouTube上のチャネルになり、そして今のKhan Academyは、ユーザ数が7500万、レッスン総累計2億3000万件、世界各国の30000の教室からの10億の質問に答えている。
これまで、好評も悪評もさまざまだったが、非営利団体が手がけている類似のオンライン学習プラットホームの中では、ユーザ数が多すぎるとも思われるKhanのレッスンがいちばん学習効果が高い、というデータが出ている。
Khanは曰く、“現役の教師たちがあまり乗り気でないのも当然だ。彼らは毎日忙しすぎる。やることが山のようにある。慢性的に彼らは疲労しているから、彼らに新しいことを理解させ実践させるのは無理だ。個人によるオンライン学習のメリットを、頭では理解していてもね”。
今年の秋までに実現したい二つのプライオリティは、国際化と診断だ。Khan Academyは学習の効果を定量化して把握する方法でも先駆者だ。Khanのかつての名言、苦手な科目で生徒たちの脳が“スイスチーズ”(気泡〜空洞の多いチーズ)のようにならないためには、コンスタントな成果診断が欠かせない。
しかし彼も認めるように、Khan Academyは生徒たち一人々々への学習指導ができない。たとえば、この人は対数はよく理解したが、三角関数はぜんぜん分かってない、なんてことを、正しく把握し、その事態に正しく対応することが、これまではできなかった。
“また、どの教材ビデオから始めて、その後どう進めばよいか分からない”という声も多い。今年の夏までには良質な診断システムを完成させて、生徒一人一人が自分の学習の現状を理解できるようにしたい”、と彼は言う。
児童や学生生徒の成長と知力開発に関するCarol Dweckの理論というものがあり、Khanは彼女のその理論に関心を寄せている。最近マスコミに載ることが多くなった“子どもはほめて伸ばせ”説や、“成績の原因を生得の能力と努力の結果とに分けて考える評価の方法”などは、いずれも彼女の研究が起源だ。知識を、生得の能力によってではなく努力によって獲得する者の方が長期的にはよくできるようになる、と彼女は言う。Khanは、これまで導入してきたゲーム化とごほうび提供の仕組みの一部を手直しして、知識の定着性を良くしたい、と言っている。
試験という、伝統的な診断方法は、悪くはないけど限界がある、と彼は言う。
“試験そのものは、そんなにひどいものではない。ただし試験では、学習の成果のすべての次元を知ることができない。せいぜいそれが持つ測度は、一次元的〜二次元的だ。人間一人々々の学習とその成果には、もっと多面的多次元的な構成要素がある”。
彼がヴィジョンする未来社会では、入学審査官たちが高校の成績やSAT試験の結果だけではなく、失敗した科目でもどれだけ頑張ったかという、努力履歴(どれぐらい努力家か)を見る。Carol Dweck理論によると、努力する子は、今できなくてもやがてできるようになる可能性が高い。
“私が近未来の入学審査官なら、データが語っているものを見ようとするね。この中で、いちばん頑張った子は誰だろう、ということが気になるよ”。
彼によると、いわゆる成績だけでなく、今後ますます重要になるのは“クリエイティブな作品”である。たとえばKhan Academyでは、コンピュータ科学の教科で生徒たちに実際にプログラムを書かせる(これまで生徒たちが書いたプログラムは約10万本ある)。
また作文、作曲などでも、生徒たちはやはり自分の作品を作らされる。
今、インターネット上の学習プラットホームは、Courseraなどに見られるように、VCに支えられた商用化が進んでいる。しかしKhanがあくまでこだわるのは、非営利の活動によって教育の問題を解決していくことだ。非営利の唯一の問題は、有能な先生の確保だが、でもGoogleの最初の社員であるCraig Silversteinが来たたことが示しているように、それほど心配すべき状況でもない。
“教育には、有料の部分と無料の部分が必要であり、そのどちらにも、最高の内容が必要だ。投資家と話をするときには、彼らの子どもたちの学校のことも聞く。営利事業としての学校が悪いとは言わないし、そう言って自分が今やってることを正当化するつもりもない。でも、学習者の成績や能力をオフィシャルなデータとして評価するといった、慎重な扱いを要する問題は、非営利の部分でやらざるを得ないだろう。
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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))