ノスタルジアの限界と任天堂――コンテンツの魅力以外に必要なもの

世界の人々は新たなリンクの冒険を待ち望んでいるのだろうか?まだみんな青い甲羅を投げたがっているのか?そしてレインボーコースをもう1周しようと思っているのか?はたまた、全員ゲットし直そうとするだろうか?もしもあなたが任天堂の経営陣であれば、かつては消費者に崇拝されていたブランドがノスタルジアの限界にぶち当たり、何かとても大きなものが崩れようとしていると気づき始めている頃だろう。

幸いなことに任天堂は次のステップを踏み出す準備ができているようだが、もしもそれが上手くいかなければどうなるのだろうか?

予め伝えておくと、私は熱心な任天堂ファンだ。熱狂的なファンとまでは言わないが、任天堂にはディズニーやDCコミックス、マーベル・コミックと同じくらい文化的な価値があると思っているし、子どもたちにマリオやゼルダについて教えるのは、チェスの遊び方を教えるくらい大事なことだと思っている。任天堂はジェネレーションXの幼少時代を形成したブランドであるばかりか、どの家庭の親も任天堂のフラッグシップゲームであれば、家族全員が間違いないく楽しめると知っている。親は懐かしさから任天堂のゲームをプレイし、子どもは一風変わったディテールや色褪せないゲームの仕組みに魅了されるのだ。これこそ任天堂のゲームを、LEGOやRiskと同じくらい一般家庭に普及させた彼らの魅力だ。

しかし私がもっとも心配しているのは、任天堂キャラクターの新しい冒険を、次の世代の子どもたちが目にしなくなるかもしれないということだ。ARやVRは、私たちが知っているおもちゃや遊び部屋の概念を打ち崩そうとしており、FacebookやHTCはそこで一山当てようとしている。親の立場からしても、Wii Uを起動して引っかき傷のついたディスクをセットするよりも、何世代か前のiPadの前に子どもを座らせる方がずっと楽だ。

任天堂は今いる場所から前進していく中で、いくつかの攻撃を避けていかなければならない。ハードウェアに縛られている同社も、汎用性の高いタブレットやスマートフォンの方が、SwitchやWiiよりもよっぽど人気があるということは理解している。そこで彼らはニンテンドークラシックミニで往年のファンの心をつかもうともしたが、専用ハードウェアというのは消費者が継続的にお金をつぎこむには割高だということを思い知らされた。彼らがiOSやAndroid向けにも人気コンテンツをつくれるということも明らかになったが、4.99ドルでゲームを販売する競合企業がいるオープンな世界で、59.99ドルのゲームを売りさばくことなどできるのだろうか?

昔からのゲームにとっては受難の時期だ。数は少なくとも声の大きい保守層は、任天堂が昔ながらのラン&ガンゲームに少しでも変更を加えると騒ぎ出し、任天堂の手の届かないところでは、次々と新しいフランチャイズが誕生している。そして何より、ハードウェアの出荷という予測しづらい要素のせいで、何百万人もの潜在的なSwitchユーザーが同ハードの購入を諦めており、個人的にはこの状況が休暇シーズンに入っても続くと考えている。

私は不安と喜びを同時に感じながらSwitchをプレイしている。まだワクワクするようなゲームはそれほど出ていない。さらに私はNES(日本で言うファミコン)以来ゼルダシリーズからは離れてしまっており、日本のRPGスタイルのゲームにも過去10年の間ほとんど興味を持ったことがない。Wii Uの成功の立役者である『スプラトゥーン』はSwitchにぴったりのゲームだと思うが、まだSwitch版は発売されていない。似たような機能のもっと安いハードウェアが存在する中、ゲーム用のハードウェアに299ドルを支払って、さらにひとつひとつのゲームのために59ドルを追加で払うというのも納得がいかない。私は『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が嫌いだと言っているわけではなく、任天堂はこのようなゲームをもっとたくさんスピーディーにリリースしなければいけないと考えているのだ。

そもそも任天堂は、フルスタックのゲーム会社という珍しい存在で、ゲームの全てを自分たちでコントロールしている。なぜ彼らはソフトウェアやキャラクター、そしてゲーム体験を自分たちのものにできるのだろうか?もちろんそれは、任天堂がつくる素晴らしいハードウェアのおかげだ。Switchはそれ以前のハードウェア同様、頑丈で簡単に操作でき、任天堂がつくるゲームのスタイルにも合っている。しかし、それだけでいいのだろうか?Wii UやXbox、PS4、iPad、パソコン、そして家庭にあるそれ以外の全てのデバイスが、かつてはNESが独占していた子どもの興味をひくために競い合う中、不満顔の親はさらに300ドルものお金をSwitchに使うだろうか?

ゲーム専用ハードから汎用デバイスへの移行で1番苦しむのは任天堂だ。むしろこの移行が起きていないということは、パワーで劣るiOS・Androidデバイス向けに本格的なコンテンツを制作・販売することの難しさを物語っている。人気ゲームにつきまとう経済的な動きも関係しているだろう。ひとたびモバイルデバイス向けのオープンなゲームの制作が一般化すれば、私はこの状況が変わると考えており、興味深いことに現在Switch自体がソフト会社の論理を擁護しようとしているのだ。というのも、消費者にSwitchが使われている限り、ソフト会社も自分たちのプロダクトを60ドルで販売することができる。

クリエイティビティと楽しさへの任天堂のひたむきさが、同社を業界のリーダー的存在にまで引き上げた様子を上手く表現した面白い話がある。1986年に任天堂とタッグを組んでいたSRDのプログラマーは、横だけでなく縦スクロールを取り入れた新しいゲームの仕組みを考案し、デモ版を制作した。詳しい話はこちらの記事を参照してほしいが、結局そのデモは単体のゲームとして発売されることはなく、その代わりに任天堂はマルチスクロール式の『夢工場ドキドキパニック』をリリースした。この作品は日本で大ヒットし、それを受けて(当時のアメリカでは外国製のゲームが日の目を見ることはなかった)任天堂は同ゲームをマリオプラットフォームに移管することを決めた。

任天堂のゲームプロデューサー宮本茂氏は当時、「楽しければ何でもありです」と語っていた。その後同社は『夢工場ドキドキパニック』のキャラクターをマリオシリーズのものに置き換え、『Super Mario Bros. 2』としてリリースする(日本版注:これは日本版の『スーパーマリオブラザーズ2』とは別物で、日本国外で先にリリースされた『Super Mario Bros. 2』は、後に『スーパーマリオUSA』として日本に逆輸入された)。1000万本も売れた同ゲームは、NESソフトの中では異彩を放つかなり複雑なゲームのひとつで、マリオシリーズのストーリーの大部分を固めた作品でもある。

しかし今では全てが”楽しく”なった。『スーパーマリオ ラン』も『Pokémon GO』も楽しいし、『Civilization Revolution』や『Words with Friends』をタブレット上でプレイするのも楽しい。プレイヤーの心を奪うような、ちょっと変わったゲームもさまざまなプラットフォームで楽しめるようになった。”楽しさ”で溢れる世界の中、任天堂のような企業はどのようなポジションにつくのだろうか?

ゼルダやマリオやサトシ、そして任天堂ファミリー全員がこれからもずっと私たちと一緒に時を過ごそうとしているが、それ以外のデジタルワールドのキャラクターによって彼らの存在感が薄れていく中、コンテンツの魅力やノスタルジアだけでプレイヤーを虜にし続けるのは段々と難しくなっていくだろう。家族全員が楽しめるような魅力的なゲームを任天堂がつくれるのは分かっている。ただ結局のところ、今後も全てのプレイヤーが家で座ってゲームを楽しみたいと思うかどうかが問題なのだ。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter