「ごっこ遊び」のその先へーーオープンイノベーションのための“知財”活用

(編集部注:本稿は、経済産業省特許庁の企画調査課で企画班長を務める、松本要氏によって執筆された寄稿記事だ。なお、本稿における意見に関する箇所は、経済産業省・特許庁を代表するものではなく、松本氏個人の見解によるものである)

「オープンイノベーション」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。技術や特許を誰でも使えるように開放する、スタートアップと組んで自前主義を脱却する、オープンソース、産学連携、はたまた、多様な属性の人材が集まり、デザイン思考的に潜在的ニーズを掘り起こして顧客体験を創造したり社会課題を解決したりするなど、さまざまなイメージが思い浮かぶことだろう。

昔ながらの知的財産に関わってきた人たちは、自社のコア・コンピタンス以外の部分を開放し、市場を創出しつつ利益を享受するという、いわゆる“オープン・クローズ戦略”との関係を強調するかもしれない。

オープンイノベーションという言葉自体は少なくとも2003年には生まれていたが、ここ数年でこの言葉がバズワード化しているように思う。このブームに乗り遅れまいと、さまざまな企業や団体がオープンイノベーションに取り組み始めているが、その様子を「オープンイノベーションごっこ」と揶揄される時もある。さらには、経るべき過程としての「ごっこ」の是非まで論じられるようになってきている。

オープンイノベーションという言葉に対する概念は、上で述べたように論者によって様々であり、それこそがオープンイノベーションに取り組もうとしている人々の議論がかみ合わない要因のようにも思えてくる。

オープンイノベーションに取り組もうとしている人たちは、その活動自体を「達成すべきもの」として自己目的化してしまってはいないか自分自身に問うてほしい。重要なのは、オープンイノベーションを目的ではなく、「単なる手法」として認識することだ。そして、その手法により何を得ようとするかの目的を明確にする。そこからがスタートである。

オープンイノベーションの本質は「知識の共有・創造・社会実装」

目的を明確に、という話はよく聞く話だ。では、目的さえ明確にすれば、すべてが上手くいくのかといえば、そんな簡単な話ではない。さまざまな定義を持ちうるオープンイノベーションにおいて、唯一共通かつ本質的なポイントは、複数の企業・大学や個人によって”知識の共有”が行われ、そこから新たな“知識が創造”され、さらには“知識が社会実装”されていくことである。つまり、知識をどのように共有し、どのように活かしていくか、ここが最も重要なカギになるのではないだろうか。

特許庁では、2018年4月、オープンイノベーションのための知的財産ベストプラクティス集 である「IP Open Innovation」と、企業間連携を行う際に必須となる、知的財産デューデリジェンスの標準手順書の「SKIPDD」をとりまとめ、同時に新規開設したスタートアップ向けサイトに掲載した。

なぜ特許庁がこのタイミングでこれを行ったか。それは、オープンイノベーションというバズワードが一人歩きし始めているなか、その本質たる「知識」を取り扱うための効果的なツールとして、「知的財産(必ずしも知的財産「権」のみに限らない)」を活用できるという気づきを広めたい、という思いからである。

ベストプラクティス集 「IP Open Innovation」

IP Open Innovationでは、目的が不明確で、ただ集まるだけといった「オープンイノベーションごっこ」は取り扱わない。「新規事業の創出」または「既存事業の高度化」のいずれかを目的とし、主にスタートアップとの連携によりその目的を達成しようとする企業の事例を対象としている。この2つの目的に応じた手法としてのオープンイノベーションを類型化した上で、知的財産の取り扱いや知財部門を含む組織体制のモデルなどをベストプラクティスとしてまとめている。本稿では、「新規事業の創出」を目指すケースについて、概要を紹介したい。

(1)「パートナーシップ型」からのスタート
当然ながら、新規事業には明確な技術的課題は存在し得ない。つまり、ニーズとシーズのマッチングという手法が通用しないのだ。そこで、まずアクセラレーションプログラムを開催したり、CVCによるマイノリティ出資を行ったりすることで、連携相手との緩やかな関係(パートナーシップ)を構築し、潜在的な顧客ニーズや社会課題、そして、それに対する回答を共に見いだせるスタートアップを発掘・評価することから始めることが考えられる。

発掘ステージでは、スタートアップの売り込みを待つだけでなく、積極的にみずから発掘していくことで成功の可能性を高めることができる。その手段として、技術・アイデアが集約された膨大なビッグデータである特許情報の活用は一考に値しよう。

知財部門には、主に先行技術調査を目的とした特許情報分析のノウハウが既にある。また、最近の特許情報分析ツールは急激に高機能化している。特許以外の情報、たとえば企業のIR情報などと組み合わせた分析も不可能ではないだろう。これらを活用しない手はない。

アクセラレーションプログラムなど「パートナーシップ型」の連携で生まれる知的財産は、連携先であるスタートアップに帰属させることが望ましいと考える。また、できるだけ早い段階から知財部門が事業部門やオープンイノベーション担当部門と密に関わり、簡易な秘密保持契約(NDA)やマイルストーンごとの契約見直しなど、進捗に伴うコミュニケーションを重視した条項の設定をサポートすることも重要だ。プロダクト開発だけでなく、契約においてもアジャイルな進め方によりスピード感を持って対応することが求められる。

(2)「共生型」または「コミット型」の選択
パートナーシップ型での連携によって新規事業が創出される可能性が高まってきたら、次のステージが待っている。事業化に向けて、増資や共同研究開発の拡大、人材交流の強化などを進めるとともに、連携先のデューデリジェンスを行うフェーズだ。この段階で、新規事業の展開にあたって、将来にわたって対等な関係で相互依存関係を深めていくのか(共生型)、もしくは、知的財産だけでなく人材をも取り込むためにM&Aなどによって連携先の経営に責任を持って関与していくのか(コミット型)を選択することになる。

ここでも、新規事業に関わる知的財産の取り扱いがポイントとなる。共生型とコミット型のいずれにおいても、少なくとも、下請け的に連携先を扱い、知的財産を全て自社側に帰属するようなやり方は通用しないだろう。共同保有とすることも妥協点としてあり得るが、利益配分やライセンス先の選定などにおいて調整が必要となり、双方とも自由度や迅速性が低下してしまう欠点がある。

そこで、原則として、アクセラレーションプログラムの時と同様、連携先のスタートアップに帰属することとし、共生型においては、自社が将来的に実施する可能性のある事業領域や進出先地域に関わる場合に限り独占的ライセンスを受けるなどの手法を検討してはどうだろうか。一方、コミット型を選択した場合、M&A後は基本的にすべての知的財産が自社のものとなることから、連携先への帰属についてはより容易に判断できるだろう。

(3)知財リスクテイクとサポート
本格的な連携に移行する前に実施するさまざまなデューデリジェンスの1つが「知財デューデリジェンス」だ。これは、価値評価およびリスク評価をハイブリッドした観点で実施される。ここで、特にシード・アーリー期のスタートアップは、知的財産の管理や戦略の策定と実行に十分な資金的・人的リソースを割けていない可能性がある。この点について、過度にリスクとして評価することなく、将来的なリターンを期待して一定程度リスクを取ることを検討する必要があろう。

情報の非対称性を悪用して強い立場から交渉を進めたり、スタートアップに過度の要求をしたりすることは、スタートアップが集まるベンチャー・コミュニティでの悪評につながる可能性もある。大企業やCVCが「選ばれる側」になりつつあるということを考えれば、それは大きな損失に繋がりかねない。

そして、その知財面のリスクを低減するために、自社がこれまで培ってきた知的財産に関する知見を活かし、スタートアップに対して冒頭で述べた知的財産のオープン・クローズ戦略や知的財産の管理体制などについて積極的に助言・支援することが有益である。スタートアップが第三者から侵害訴訟を提起された場合には、カウンターとして自社知財ポートフォリオを提供することなどもあり得るだろう。

オープンイノベーションでは、ベースとなる知財だけでなく、協業により創出される知財が非常に重要となってくることを考えれば、スタートアップの「これから」に期待したサポートの充実が、後にみずからの利益にもつながるのだ。

知財デューデリジェンスの標準手順書”SKIPDD”

SKIPDD(Standard Knowledge for Intellectual Property Due Diligence)は、その知財デューデリジェンスの具体的な進め方を説明した手順書だ。

オープンイノベーションの過程では、スタートアップへの出資や事業提携、M&Aを行う際、法務・財務・税務・ビジネスなどの観点から、対象会社の事業継続に関するリスクや投資額に見合う将来価値をもつか否かを判断するデューデリジェンスが行われる。知的財産に関しては、法務やビジネスに関するデューデリジェンスの一部として扱われることがあるが、オープンイノベーションの本質が「知識の共有・創造・社会実装」であるとすれば、知的財産の観点からの対象会社のリスク評価及び価値評価に正面から取り組む知財デューデリジェンスの必要性が理解されよう。

しかし、知財デューデリジェンスは他のデューデリジェンスと同様、その実施自体にコストや時間を費やす必要があることから、費用対効果を踏まえて調査範囲を絞り込むことが必要となる。そこで、知財デューデリジェンスの一般的なプロセスを理解し、調査すべき事項や相手方に開示を求めるべき資料などを精査して、知財デューデリジェンスを効率的に実施するための助けになることを目的として作成したものがSKIPDDなのである。

このSKIPDDは、利用者として知財デューデリジェンスを行う側だけを想定したものではなく、将来、知財デューデリジェンスを受ける可能性のあるスタートアップなどにも幅広く手にとってもらいたいと考えている。そもそも知財デューデリジェンスとは何か、どのように進められるものかについて概要を把握するとともに、調査される可能性のあるポイントについて評価を高めるための準備を行い、みずからの企業価値をPRする根拠として活用できるはずだ。

より洗練されたオープンイノベーションに向けて

本稿で紹介したIP Open InnovationとSKIPDDは、決して机上の空論から作られたものではない。さまざまな関連情報を収集するとともに、国内外企業の実務家や有識者、知財や法律などの専門家に対する幅広いヒアリングを行うことで生まれた極めて実用的なツールである。さらに、SKIPDDについては、オープン検証のプラットフォームであるGitHubを活用するなど、できるだけ実態に基づいた内容となるように作成した。

しかし、これらのツールは新規事業の創出や既存事業の高度化に向けたオープンイノベーション、そして知財デューデリジェンスについて、すべてのケースを網羅して確実に成功するモデルを提示するものではない。これら2つのツールをきっかけとしながらも、大企業やスタートアップ、知財専門家、投資家など、エコシステムを構成する当事者らがみずからのケースに合わせて独自の手法を編み出し、ひいてはオープンイノベーションの手法が洗練されていくことに期待したい。

投稿者:

TechCrunch Japan

TechCrunchは2005年にシリコンバレーでスタートし、スタートアップ企業の紹介やインターネットの新しいプロダクトのレビュー、そして業界の重要なニュースを扱うテクノロジーメディアとして成長してきました。現在、米国を始め、欧州、アジア地域のテクノロジー業界の話題をカバーしています。そして、米国では2010年9月に世界的なオンラインメディア企業のAOLの傘下となりその運営が続けられています。 日本では2006年6月から翻訳版となるTechCrunch Japanが産声を上げてスタートしています。その後、日本でのオリジナル記事の投稿やイベントなどを開催しています。なお、TechCrunch Japanも2011年4月1日より米国と同様に米AOLの日本法人AOLオンライン・ジャパンにより運営されています。