ファックス機に72ページ中34ページ目を差し入れた時、各ページのフッターを飾る“売主のイニシャル: _______”という大切な文面がぼんやりとかすみ、指が震えた。私は、このポンコツ野郎が一度に2ページをサッとつかんだり、斜めにしたりしないように、器用に各ページの上側を時代遅れの口に押し込んでいた。
これは過去6年の集大成だ。たくさんの苦労。たくさんのリスク。大勢のために平静を装った顔。サポートする証拠もないにも関わらず自分自身に課す変わらぬ楽観主義。給料を支払うことについて心配したあの眠れない夜。何かのエキスパートになることの養育。学ぶことによって立ち直らなければならない厳しい教訓。必要な時の後になって手に入る経験。チームのモラルのために鎮圧された内なる懸念。無賃に続く低賃金。“自分たちが殺したものを食べる”という精神。ほんの少しの収益、ひとかけらのバリデーションのためのろくでなしとの競争、物乞い、もがき、たかり。
それが終わった。やったのだ。やったぞ。これがアメリカンドリームなのか?
前の72ページの送信が成功したことを確かめて吐き出された73番目のページ。
そして…悲しみ。
深い悲しみ。落ち込みではなく―絶望でも、かじがないわけでもない―、自分の犬が車に轢かれた、もしくは父親が末期患者であることが分かってみぞおちにパンチを食らって肺が胃に沈む時のような純粋な悲しみ。
“一体なんなのだ?何で私はこんな気持ちになっているのか?幸せな気持ちになるはずなのでは?こんな気持ちじゃなくて。”と私は思った。
ほぼ全てのスタートアップ創設者が、自分の会社を売却した後に深く長い悲しみを経験する。その売却がとてつもない成功である時にさえ。なぜだろう?
その答えは、全てのスタートアップ創設者にとって、会社を売る意思があるないに関わらず、大切で基本的なことである。
“私、Estyで自分の作品を販売してるの。見たい?”
- オースティンのコーヒー店のバリスタ
“あなたは誰?”と聞けば、彼女はこう答えるだろう:“私はアーティストよ。”
“あなたは生きるために何をしているの?”と聞けば、彼女はこう答えるだろう:“私はバリスタよ。だけど、それは私の昼間の仕事。私の作品を見たい?”
お金のためにコーヒーを注ぐから、彼女はバリスタなのか?自分のアパートを綺麗にするから、彼女はメイドなのか?
いいや、彼女はアーティストなのだ。なぜならそれが彼女の本当の姿だから。“バリスタ”は、目的のための数多くの必要な手段の1つだ。その“目的”は、人間の基本的要求に続いてアートを作ることだ。
スタートアップ創設者には、このような個人のアイデンティティと仕事のアイデンティティの区別が欠如している。そして、これが“売却ブルー”現象とその他の行動のカギなのだ。
スタートアップは創設者の個人的なアイデンティティだ。スタートアップは、目的を達成させるためにあなたがすることでも、あなたが“本当に”やりたいことの途中にある“必要悪”でもない。
スタートアップは執着だ。あなたは自分を抑えることができないからそれをする。他のことをしている時にもそれについて考えていたからだ。それは“あなたが誰であるか”の印だ。インタビューアーは私に“なぜあなたは2つ目のスタートアップそしてそのうちに4つ目のスタートアップをやることを決めたのですか?”と尋ねる。そして、その答えは、“最初のスタートアップを始めたのと同じ理由です―なぜなら、それが私のDNAで、私はそうしなければならないから”、である。
あなたは、スタートアップを持っている時、空き時間に何をしているだろうか?どの空き時間?これは、あなたの全ての時間である。それはあなたが眠りにつく前に考える最後のことではない。あなたを眠らせないことでもない。それは、マトリックスが空虚を埋めるように朝あなたの頭に流れ出る最初のことだ。そして、マトリックスは、実際にあなたの現実であり、そこにあなたは存在する。
それが、私がおんぼろのファックス機に法律用語を送り込む間に私の耳を通して口笛を吹いている出来事のような、苦痛な出来事をあなたが乗り切ることができる理由だ。あなたは消費されている、これがあなたの人生だ、これがあなただ。他のことが入る余地はない。
あなたが自分の会社を売ると、他の人はすぐに、“あなたは自分の子どもを売ったの?”のようなジャブを投げる。それはこういう意味だ:“あなたは裏切り者だ。”
それは自分の子どもを売るようなものだ。しかし、それはむしろ自分自身を売るようなものなのだ。もちろん、ビジネスは物理的にあなたとは別物であるし、間違いなくその成功はあなたのおかげというよりもあなたの信頼できる従業員のおかげだが、感情的にはそのビジネスは別個の存在ではない。
子どもを売ることについて言えば、これは、女性の70%が出産後に経験する“ベビー・ブルー”―モノアミンオキシダーゼAの上昇によって引き起こされる鬱状態―によく似ている。それらの女性の3分の1が、これを最大1年間経験する(産後鬱)。
それは、喪失と哀悼の気持ちと位置づけられる。それは、一見したところ、獲得と祝福という新しい命の到来とは食い違う。この知的な不一致は、2つ目の感情的効果、具体的に言うと、“新しい命を授かったのに悲しいなんて私は悪い母親に違いない”という破滅的な信条を生み出す。
ベビー・ブルーは会社を売るのと同じ感情的な影響なのか?そうではないかもしれない―私は、すでに“スタートアップは子どものようである”と言うのが好きではない。もしあなたがベビーとスタートアップの類似点を主張するのなら、産後鬱は責任の到来によって引き起こされるが、会社を売ることは責任の終わりである。
しかし、絶対に同じ1つのことは、“喪失と哀悼の気持ち”である。自分自身の一部が取り出されたのだ、決定的に。
これは通常の感覚であるだけでなく、圧倒的に大多数のケースである。コロンビアビジネススクール(Life after Exit)の長ったらしいがハイクオリティな研究が、22人の起業家にインタビューをしたところ、全員がこの影響を経験していた。中にはそのエネルギーを次のこと(ほとんどの場合は新しいベンチャー)に焦点を定め直す人もいたが、大部分の人はワクワクだけでなくアイデンティティを置き換えることができるものを見つけるのに何年もかかり、多くの人はその次のことをまだ見つけていなかった。
自分の会社を売ることは、彼らに別の疑問に回答することを強いる:もし何でもできるとしたら、あなたは何をしますか?仕事とは対照的に、あなたにとって本当に大切なことは何ですか?自分が本当に成長した時に、本当になりたいものは何ですか?
問題は、スタートアップがすでにそれだったということだ!それは、過酷な、とんでもなくクレイジーで、リスキーで、理不尽で、壮大な冒険である。それがあなたのしたかったことでなかったのなら、そもそもあなたはそんなことをしていなかっただろう。スタートアップは決して簡単なキャリアパスではない。
これは、大抵の場合はスタートアップを売ることが間違った選択であるという結論を導くのか?いいや。自分が“次のことを始めるのが待ち遠しい”と考えているのか、“自分の身の振り方が分からない”と考えているかに気付かないまま売るべきではないのは真実だ。また、何百万ドルを手に入れることがあなたを満たすもしくは幸せにすると信じたいという衝動を避けるべきであるのも真実だ。“お金はあなたを幸せにはしない”というのが決まり文句であるのは、それが真実だからだ。
しかしそれは、売ることが間違っているという意味ではない。
終わらせるのが辛いとしてもそうしなければならない悪い関係のように、特にあなたがその相手を心から愛している場合、それが感情的に辛いからと言ってあなたがそうする必要がないという意味ではないのだ。
1年目に会社を築くことは、5年もしくは10年通してその会社を築くこととは全く異なる。CEOの職務明細書は、時間と共に変化するし、それは会社も同じだ。あなたがそれを売却しようとしまいと関係ない。あなたは感情的にこれの準備ができているだろうか?
あなたは、拡張性のある成長プロセスを進めることを優先して後回しにされるイノベーションは構わないだろうか?日々のオペレーションのコントロールをマネージャーに引き渡し、マネージャーのコントロールを自分の実行チームに引き渡すことは構わないだろうか?自分からTextMateや、Adwardsや、ライブチャットや、営業電話をもぎ取って、自分のマネージャーを信頼して、あなた自身が嫌っているおせっかいで細かいことまでコントロールする上司にならずにいることは構わないだろうか?共同創設者と一緒にコードを完了させるために“週90時間を費やす”というよりも、多数の家族の生活の責任を背負うことは構わないだろうか?
事実、スタートアップは成長する。スタートアップはビジネスへと成長して、持続可能性とリスク回避とHR制度と戦略計画とエグゼクティブミーティングなどの束縛にがんじがらめになる。まだ創設者CEOが船を操縦しているが、それは違う種類の船だ。
これは悪いことなのか?そのような質問に対する回答はいつも、“時と場合による”、である。
私の場合、それは時間と共に変化した。Smart Bearでは、私は大きな会社を率いたくなかった。コードをチェックする自分の能力と環境を手放したくなかった。マネージャーを管理したり、年間1億ドルを稼ぐためにどんな変化、戦略、雇用、製品、マーケティング、販売が必要とされるかを算出したくなかった。だから私にとっては、私がC_Oを必要とする前、会社がFreedom Lineを渡るのに十分なお金を蓄えるほどの大きさになった後という良い時に売ったのだ。
新しい会社WP Engineでは、私には新しい野望と意思がある。私は今、マネージャーを管理し、ビジョンと方向性を設定するが日々のオペレーションは操作せず、会社の文化について心配するが全てのサーバーへのSSHアクセスは持たず、年間1億ドルを生み出すことができると信じている製品と市場とチームのある会社に向かって進んでいるCEOである。
それは私にとってエキサイティングなことだ。これが私の新しいチャレンジなのだ。私は今後も常に、コードを書くことや、会社を0ドルから年間100万ドルにすることを好むだろう。
しかし、今日、今現在、私にさえも分からない理由で、これが私という人間なのである。
私は夢のような宝を探しに行った。
虹の先にはそれが待っている。
探して、探して、探して、探して、
さらに探して、探して、そして―
そこにあったのだ。深い草むらの中、
古く曲がりくねった大きな枝の下に。
ついに私のものに、私のものに、私のものになった…
今、私は何を探すのか?
- Shel Silverstein, Where the Sidewalk Ends
この記事は、a smart bearに掲載された「Startup identity & the sadness of a successful exit」を翻訳した内容です。